古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「年寄り」の「思い」について

2018年01月22日 02時50分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 去年の12月16日に、三木の文化会館で講演会があり、参加しました。その講演を思い出しては「反すう」しています。
 講師は富山県でデイケア・ハウス「にぎやか」をやっておられる、阪井由佳子さんでした。「お年寄り」だけでなく、赤ちゃんや「しょう害のある人」もいっしょに、自分の暮らしている地域で、ケアする「ハウス」です。この「富山型」ケア・ハウスは、やってくる人の「にんげんらしさ」を大切にする施設で、いま全国に広がろうとしています。
  ※ 阪井由佳子さんの実績や画像は、ネットにいっぱい出ています。
 ぼくの伝えたいのは、ケアハウスのことでなく、阪井さんが講演の中で言われた「お年寄りのこころ」のことです。
 こんな話でした。
「お年寄りになると、世の中の「甘い」も「辛い」も体験して、齢だからとあきらめて、枯れてくる」なんて嘘です。〈ケチ〉だった人は年を取ると〈ドケチ〉になり、〈スケベ〉だった人は〈ドスケベ〉になり、嫉妬深かった人や「文句言い」の人はますますひどくなり、 …… 」。
 ケア・ハウスで長年「にんげん同士」として付き合ってこられた方だから言えることです。
 80歳になって、自分の身や心にてらして、阪井さんの言われたことがよくわかります。昔の皇帝が、何不自由なく生きてきて、最後にのぞむのが「不老長寿」であるのも、身にしみてわかります。
 69歳のとき「田舎暮らしをしよう」と今の地に移り住み、晴耕雨読/行雲流水/明鏡止水/の心境でのんびり暮らす。 …… とまあ、見かけは「絵に描いたような田舎暮らし」をして11年。そんな調子でブログも書いていますが、「のほほん」とした心境だけで人間は生きるものではありません。
 毎朝の20分間の瞑想はいまもつづけています。その瞑想では自分のこころに浮かぶことを「どんなことが浮かぶのだろう」とただ眺めるようにしています。とても「この世のことを悟った人のこころ」ではありません。
 そういう度し難い「いきもの」が「にんげん」なのでしょう。
 年を取った動物は、晩年はどんなことを思って、生きてるんだろう。
 ふっとそんなことを思ったりします。

 なお、あの「凍結浸透ルブ」スプレーは、丸鋸には効きませんでした。
コメント
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