古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

どんどん右に傾いていきますね。

2014年03月04日 04時02分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 のんびり田舎で暮らして老後の時間を過ごしたいと思っても、今の時代いろんな情報が入ってきます。一応新聞はとってますし、テレビも「お年寄りの友」として鎮座していますから。でも新聞やテレビから入ってくる情報には気分がわるくなることがあります。
 テレビを見ていて幼児虐待とか殺人事件とか右傾化する安倍政権とかいったいやなニュースがあれば、その情報を遮断しています。テレビのチャンネルを変えても、地上波のテレビは同じような報道をするか「人を笑いものにする」バラエティー番組ばかりです。人を〈笑いもの〉にするのがそんなにたのしいのでしょうか。
 そんなときはBS放送やCS放送にチャネルを変えます。きのう《アニマル プラネット》チャンネルで「昆虫の世界」を見ていたら「地球上には一人の人間に2億匹の割合で虫がいる」と放映していました。すごいですね。

 それにしても右傾化する安倍政権が支持され、外交も教育も変えられていく。今の政府のレベルは、この国の国民レベルに合っているのか。そうだとするとあまりに情けない。あんな大きな犠牲を強いられた戦争から一世紀も経ってないのに。ぼくは「真の自由や平和を希求する庶民の底力」をまだ信じますが、それは幻影かもしれない。そんな気のするときがあります。
 政権交代があって、陳情政治や天下り利権にメスが入った頃の、あの清新な政治の雰囲気はいつのことだったか。
 道徳教育復活を唱えていますが、あの戦前の〈道徳〉教育を受けた上官たちは、兵士たちは、なにをしたか。昭和10年前後に生まれ、敗戦後の平和教育を受けて育ったぼくたち老人は、ため息をついていまの政治を見ています。
 兵庫県出石町にある『静思堂・斉藤孝夫記念館』に行ったことがあります。戦前の国会議員で、暴走する軍部に「粛軍演説」をしたことで有名です。
 ぼくの生まれた昭和12年に、日本は「中国を懲らしめるため」という名目で戦争を仕掛けました。戦争を仕掛けたことを隠すために『支那事変』と呼びました。軍部は「中国(当時日本では『支那』と呼んでいました)なんて弱いもんだ。ちょいと懲らしめれば降参する。2か月もあればいい」とはじめた戦争です。北京から攻め下って南京を攻め、内陸部に侵攻し、広い中国のあちこちに戦線を広げて昭和20年8月まで戦争をして負けました。
「すぐやっつける。戦争を終わらせる」といいながら、いつまでたっても終わらない戦争をする軍部に、勇気をもって立ち向かったのが斉藤孝夫でした。

 彼の出身地の出石の人たちが、国会議員・斉藤孝夫に陳情に行ったことがありました。
「出石には鉄道の駅がありません。出石にも汽車が走るようにお願いします」
「わしは、国会議員だからのう」(そんな末梢なことでなく、国のあり方・将来を考えねばならん)
「我田引水」をもじった「我田引鉄」という言葉があります。おらが県に鉄道・新幹線を引こうとゴソゴソする代議士のことです。そんな記事を見ると、志の高かった斉藤孝夫を思い出します。
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