古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

最後の大仕事=草刈り足場の撤去

2018年12月02日 23時31分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は《最後の大仕事=草刈り足場の撤去》をしました。
 大志くんのお父さんが日曜日にこの大仕事をしてくれました。いまのぼくでは不可能な作業です。足場に乗りながらネジを抜いて足場をとってしまうのです。ぼくでは斜面でバランスをとることができません。ほんとに大変な作業でした。

 足場は11年前に斜面に杭を打ち込んで作りました。製材所(元)の廃材を引きずってきて、杭にネジで止めるのです。長さが5メートルも6メートルもある廃材です。
 その足場が危なくなったから、幅18センチ長さ4メートル(厚さ2,5センチ)の板を上に置いてネジで止めしました。

 そのネジを抜きながら足場を撤去するのですが、ネジが埋没したり錆びたりしてなかなか抜けません。ハンマーで叩いてはずすしかない。斜面の杭を抜かねばならない。大変さを伝えにくいですが、とにかく大仕事でした。
 午後ははずした材木を、道子さんとぼくが手製カートで運びました。これも大仕事で夕方暗くなりかけて仕事を終えることができました。写真は撮れませんでした。 
 この廃材は、長すぎるのでこのままでは燃やせません。チェーンソーで伐って、畑の真ん中で燃やします。
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「おかたづけ」は仕上げにかかります。

2018年12月02日 01時56分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは大志くんと大志母が手伝いに来てくれました。
 2006年暮れ、ヨチヨチ歩きだった大志くんは背が高くなり、力も強くなりました。一ヵ月も見ないとまた高くなる気がします。きのうは力のいる「防草シートはがし」を手伝ってくれました。

 立派になったもんだ。
 大志母は黒豆の「サヤもぎり」をしてくれました。黒豆のサヤもぎりは萠母と大志母に全部やってもらいました。

 写真には、ぼくの燃やす材木の煙がかかっています。稲木は空になりました。あとはサヤをよく干して、パリパリに乾いてから踏んで脱穀します。稲木は今日撤去します。
 これで畑の作物はゼロになりました。11年間にたくさんの恵みをあたえてくれ、いろんな人と恵みをわかちあうことができました。感謝します。
 ぼくのしたことは「材木燃やし」です。「生ゴミボックス」を壊した材木を燃やしました。

 こんな勢いの火が燃やせるのもこの畑でおしまいです。あとは裏山のブロック炉で、焼き芋の小さい火を燃やすだけになります。
 そうそう、この畑には「アート・テン」農法のパワーが送られています。4隅にそのカードがセットしてあります。そのパワーを解除してもらって、前の畑に移動します。
 今日はカードを掘り出します。
 
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