古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

新田次郎『小説に書けなかった自伝』を読みました。

2013年11月11日 04時54分26秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 キッチン前のウッドデッキはポリカの屋根を二年前につけたのですが、そこに道子さんが朝顔を這わせました。それがいまも次々と花を咲かせます。でも11月になったし、先日取っ払いました。斜め向かいのおじいさんは、庭に植えた朝顔の花を毎日数えて合計していきました。しかし2000の花を数えてもまだ咲くので「数えるのをやめた」そうです。朝顔ってほんとによく咲くのですね。
                
 図書館で借りた本の中に新田次郎の『小説に書けなかった自伝』(昭和51年出版……37年前)がありました。(ぼくが自分で選んだのですが)『新田次郎全集』が出されたとき、月報に新田が書いた文を集めた本です。それぞれの小説が生れる背景が書いてあって面白く、一気によみました。37年も前に出た本ですが、奥付を見ると版を重ねるほど読まれています。まだ「貸し出しカード」だった頃の日付ゴム印の紙が本の後ろに貼ってあり、図書館でもよく読まれたようです。
 新田次郎は『富士山頂』『芙蓉の人』を要約する必要があって何度も読み返したことがあります。文が素直で読んでいて気持ちのよい作家です。ぼくの文の好みによるのでしょうが。
 彼は自分の作品の生れる背景とか事情をサラッと書いています。こってりした感じでないのがいい。
 「文」ってただ文字を並べて「何かを伝える」だけのようですが、行間の息づかいが人によってちがいます。以前四万十川のことをだれかが書いた本を読もうとしたとき、出だしの文から満艦飾の形容詞がついていて、最初の一文を読んで読むのをやめました。
 朝日新聞の天声人語に外国の作家の文が引用されていました。こう書いてありました。

 文章は形容詞から腐る。

 まだ勤めており車で通勤していた頃に、ラジオで道場洋三の「おはようパーソナリティー」を聞くことがありました。道場洋三がだれか(多分劇作家だったと思う)の書いた文を紹介していました。その文にはこんなことが書いてありました。要約です。


 自分の書いたものの中に「3年の歳月が流れた」という一文があった。どうして「3年たった」と書かなかったのか。大いに反省した。

 これを紹介した道場洋三は、自分の語り口の参考にしようと取り上げたのでしょう。テレビの映像時代ですがしゃべり過ぎて上滑りするアナウンサー、行間のないアナウンサーがまだいます。
 

  
コメント
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