古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

金物祭りは人がいっぱいでした。

2010年11月08日 03時11分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 三木市は『金物のまち』であることはむかしから知っていました。でも『金物祭り』ときいてもことさら行ってみたいとは思いませんでした。金物といってもホームセンターでネジや工具を買うくらいで、特別な刃物や工具を買いたいわけではありませんから。
 それでも三木市に住むことになり、市報に大きく書いてあるので移住四年目にしてはじめて行ってみました。広々とした市役所前の駐車場にいっぱいテントが張ってあり、店が軒を連ね、人があふれています。こんなに大掛かりなお祭りなのかとびっくりしました。三木市の人口(8万人)を越える10万の人々がやってきて、金物だけでなくバザーの品物や野菜や食べ物を買っています。
 市役所のホールに金物を寄せ集めてつくった鷲が展示してありました。一トンを越える鋸の歯や刃物をつかった迫力のある鷲です。ホール前の広場はステージになっており、播州吉川太鼓の演技をはじめて見ました。全身をつかって大きな太鼓を叩く。ほとばしるいのちがそのまま伝わってきます。
 昼寝をしてから畑に出て六条大麦を播きました。6月に刈り取り、炒って麦茶にします。麦は根がすごい。一粒の麦は砂地に水を与えるだけでシベリヤ鉄道の長さに匹敵する12000キロの根を張って育つそうです。大豆畑トラストをやっていたとき、空き畝に小麦を1メートル余り播いたことがあります。伸びた小麦をどうしたらいいかわからず、そのまま枯らしてしまいました。あとで抜いてみたら根が土をかかえ込んで大きな塊になっていました。
 遊歩道と畦の間に耕運機の幅ほどの長さ13メートルのうねをつくり、両側から土寄せをしました。それから何度も踏みました。踏み込んでおかないとあとで麦踏みをするとき土が落ち込んで水はけがわるくなるそうです。播いたあと3センチくらい土をかぶせ、不織布シートと刈った草でおおいました。鳥が麦を食べないように。
 芽が出て、孫たちが来たら、麦踏みをしてもらいます。そういえばぼくは子どものとき麦踏みをした記憶がありません。『麦踏みながら』というラジオ歌謡は耳に残っていますが。

   ♪ 山懐の段々畑 麦踏みながら見た雲は あれは浮雲流れ雲 
       一畝踏んで振り向けば 風に吹かれて空ばかり

 この歌が歌われたのは昭和27年ぼくが新制中学3年生のときだったんですね。いま you tube で検索してヘッドホンで聞き、涙がにじんできました。ラジオで『笛吹童子』の放送がはじまった頃、むかしむかしのことです。
 
コメント
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