古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

孫と柿狩りをしました。

2010年11月14日 06時29分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 土曜日で孫の大志くんが来たので柿狩りをしました。といってもうちの柿の木でなく、畑のとなりの家の柿をもらいました。柿のなり年は毎度もらっていますのでこちらもなれたものです。枝に吊るした黒いゴミ袋のビニールが目障りですが、これがカラスにはなかなか有効です。一昨年は近くの電線に何十羽というカラスが止まってこの柿をねらったことがあります。気味が悪いほどでした。でも今年は寄り付いていません。
 この写真はおばあちゃんが撮ったものですが、どのショットにも田舎が写ります。この写真では東の田んぼと家家が写っていますが、空気に秋の深まりを感じます。ほどなくなだらかな山々の紅葉が見られます。雑木林ですからクヌギ・コナラ中心の紅葉ですが、もみじのような鮮やかな赤でなく深みのある色づきが気に入っています。4月下旬の若葉と11月下旬の山々の色合いが田舎に暮らすしあわせを一番感じるときです。
 大志くんは風邪気味で早々に帰りましたがどうやらおじいちゃんも風邪気味です。日曜日は大人しく寝ておくことにします。半藤一利の『昭和史』からもっと彼の書いたものを読んでみようと『ノモンハンの夏』を買ったことをブログに書きました。この本を読む前に別の角度からノモンハン事件について書かれた本を読んでみようと思っていたら、本屋さんで岩波新書の『ノモンハン戦争』(田中克彦著)という本を見つけました。
 新書本だからすぐに読めると思ったのですが、そんな生易しい本ではありませんでした。この本は2009年6月に出版され12月に9刷と岩波新書としてはよく読まれています。田中克彦という人はモンゴル語ロシア語など数ヶ国語の文献に原文であたることができるモンゴル学の権威で国際的に著名な学者です。(はじめて知りました)
 モンゴルはソ連に続いて世界で二番目の社会主義国家にならされた国ですが、漢民族とソ連という大国の間にあって、あるいはソ連と大日本帝国・関東軍のつくった傀儡国家・満州国との間にあって、どれだけ弾圧されたかを知って気が重かったです。モンゴルの人々の善良さは、朝青龍の笑顔を見ても、出身力士の真面目さを見ても、よく伝わります。   (つづく)
コメント (1)
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