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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ついに猫をシャットアウトしました。

2010年11月03日 01時52分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 朝8時にゴミステーションに行ってみると、ブロック塀の上に猫がいます。きのうは生ゴミの日ですが、いつものように入れないので困っているようです。写真写真! と思いましたがカメラを忘れました。ま、フツーの猫です。先日見たときはうちの畑で檻に掛かった三毛猫だと思いましたが、よく見ると白と黒の二毛の猫です。
 とうとうシャットアウトしたぞ。ゴミステーションの中を見ましたが食い破られた袋はありません。やはりあの猫だったのです。これで保健衛生委員は枕を高くして寝られます。いままでも、いつでもどこでもしっかり寝てましたがね。
 さて写真は口吉川町の『槙』という集落の奥の番谷というところです。お城のように高い石垣の上には農家らしい家が建っています。下の山すそを細い道が通っていますが、軽自動車がやっと通れる道幅で、三木よかわゴルフクラブから吉川町湯谷に抜けています。
 そんなことを聞いても「それがどうした」と思われるでしょうが、あの空気感を伝えられないのは残念です。はじめてこの道に入ったときはもう家はないと思ったのに山あいに立派な家が現れ、これは平家の落人のような秘境だろうかと思いました。いまはどこでも道だけは立派になっていますが、この4、5軒の集落は車を拒絶するようにかろうじて軽自動車が通るくらいの道が通じているだけなのです。車輪をはみ出させながら通れば多少大きくても通れるでしょうが。向こうから車が来たらどこまでも後退するしかありません。
 一年前にこの集落への道に迷い込んでから、折りを見ては村の人に番谷のことを聞いてみるのですが、山奥で道がせまい、ということしかわかりませんでした。ある人は「あそこに行こうと思ったら昔はもっと道が細かった。前を見ないで足もとを見て歩かないといけない山道だった」といい、またある人は「小学校のときあそこの家が火事になったけど消防の車が行けなんだ」と話してくれました。でもそれ以上のことはわかりませんでした。
 口吉川町の公民館講座で『楽しい郷土史講座』というのが先日あり、二人で参加しました。話の中にうちのの福地池(堤を築くときお坊さんが人柱になったという言伝えの池)や大将軍神社(秀吉の三木城攻めのとき衣笠城主を自害せしめ、村人たちが家来とともに祀った神社)の話も出てきて、興味深く聞きました。その中に槙というのことも出てきました。もとは百済民族など渡来人の集落があって、その族の番人たちが住む所を番谷というそうです。郷土史家・福本錦嶺さんの本に書いてあったのに、読み落としていました。法隆寺や飛鳥寺の時代までふっと思いをはせ、遠い遠い歴史を感じて番谷の存在がすとんとおさまりました。
 次回の講座では伝説と史跡を歩くそうで、たのしみにしています。
 
コメント
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