恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には
先の続き・・・
質疑応答
質問 長い間商売をしてきたのですが、息子の代でやめたので、おばちゃんが
気落ちしていますが、どう慰めたいいでしょうか。
―――「老いては子に従え」という言葉があります。
今の世相で脱サラといってサラリーマンを止めて商売されている方があります。
ところが、せっかく親から頂いた商売を止めて勤めをする人もあります。
世はさまざまでいいのです。
おばあちゃんがそういうことで、嘆き悲しんおられるそうですが、
もう若い者にすべてを委せなさい。
おばあちゃんが自分で商売ができるのならやってもらったらいいけど、
もうお年なら商売はできないでしょう。
できないことに嘆き悲しんでいたら、自分自身が不幸です。
「ご先祖様に申し訳ない」と言うけれど、
死んだらそんなことは関係のないことです。
商売するとか、サラリーマンになるとかは、
この世の修行の一課程であって。
そんなものはほんとうの目的とは違うのです。
その中を通して自分の魂の修行をさせてもらっているのですから、
おばあちゃんに、
「もう商売は息子にあげたのだから息子が潰そうと大きくしようとそんな
ことは息子さんに委せなさい」と言ってあげて下さい。
おばあちゃんは自分の心の苦しみが少しでも少ないように、
嘆き悲しんでいたら、自分が辛いはずですから、それよりも
「日々の生活の中で有り難いなあ、
結構だなあと喜びの時間を持つようにして下さい。
さもないと死んだら地獄へ行きますよ」と、このように言ってあげて下さい。
自分の心を苦しめますと、地獄へ行きます。
もちろん人を苦しめても地獄へ行きます。
人も苦しめたら、その報いとして自ら苦しめられますから、
やっぱり同じように苦しむのですね。
自分を大切にしなくてはいけません。
自分を苦しめるというのは、自分の身体を棒で叩いたり、
焚き火の中に入れたりして、
自分を苦しめるという意味ではないのですね。
怒りや妬みや謗りや愚痴や憎しみなど、
T教では八つの埃と言っていますが、
八つどころではありません。
取越し苦労、嘘、盗み、貪欲、足ることを知らぬ欲望、
それらの心を持った時、
自分の心は必ず苦しい筈です。
その苦しみこそ私たちが地獄へ行く材料となっております。
自分を苦しめることは自分の心の在り方です。
人に善きことをした後、相手からお礼の言葉を求めても、又、
人と比較しても心に苦しみが生じます。
思いを変えたら、一瞬のうちに心が軽くなります。
これが法の持っている力です。
「ああ、自分は愚かだった」と思った時に、苦しみが消えます。
人間、腹が立つのは当たり前で、
肉体を頂いている限り甘い誘惑を受ければ心も動きまし、
愚かな失敗をする場合もあります。
しかし、早く思いをチェンジすることですね。
切り替えが早ければ早いほど、心の苦しみが少なくなっていきます。
「こんなに腹を立てていたら自分が損だ」「私にこんなことがあったから、
あの人が腹を立てたのだなあ、申し訳なかったなあ」とお詫びの心を持つと、
心がすっと軽くなります。