恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第五章 心の曇りをとるための反省
反省とは自分を離れてものを見る訓練
先の続き・・・
相手の立場に立ったら、奥さんはご主人より早く起きて弁当をつくり、
ご主人や子供を送り出し、今度は掃除、洗濯、買い物をして、夕食を用意して、
と、たいへんな一日のはずです。
女の人はその一日の間にこれだけのことをしてくれるのだなあ、
と奥さんの苦労や努力がわかったならば、
ご主人の口からは「ああ、女の人も御苦労さんだなあ。
あんた無理せずに、適当に一服しなさいよ」と、いたわりの言葉も出て来るものです。
また、奥さんのほうも、「私は家の用事をバタバタと精一杯しているのに、
帰ってきたら洗濯物くらいちょっと取り入れてください」と言って、主人を
こき使おうとしますが、これが御主人の身になって考えますと変わってまいります。
「男が一歩家をでたら、外に七人の敵がありで、ずいぶんと御苦労さんなことです。
毎日会社に通うてもらって、
そのおかげさんで私たちはこうして生活させてもらって有難いことだなあ」と思えば、
ご主人が帰って見えたら、「ああ、御苦労さんでございました。
お疲れさまでございました」という言葉が出てくるはずです。
自分を中心にして見ると、お互いに不平不満ばかりを言い合うことになります。
常に相手の立場に立って見させてもらう訓練を日々怠らないことが大切です。
そうすると、感謝の思いが出て来るようになってまいります。
人間の心は一つのことを同時に思えぬ構造になっています。
喜びの思いと怒りの思いは同時に存在できません。
この法則を利用して自らの心を苦しめないようにするには、
常に感謝の心でいることです。
感謝している時は、自らを苦しめるあらゆる想念が入ってこなくて済むのです。
感謝は光ですから、その中で心のスモッグである業の思いも消されてしまいます。
何事にも感謝せよとは、すべての宗教の教えるところですが、
その理由は実はここにあったのです。
~ 感謝・合掌 ~