浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-10-15 00:11:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より

              講演集、 二

        その人の長所を見付けて礼拝する


先の続き・・・

自分がどうであったか、
果たして過ちを犯していなかったかと追求していきますと、
もう、あるはあるは、過ちの塊みたいなものです。
よくまあ、こんな自分が今日まで生きさせていただいたことだ、
皆さんの許し、神様の許し、そんな大きな愛の中に許していただいてはじめて、
今生きさせていただいているのだなあということが分かります。
反省なしにそんなことに気付くことはできません。
反省もしたことのない指導者が、どうして人に反省の指導ができますか、
できません。

そして反省の中で己自身の哀れな姿も見せていただけます。
本当に哀れな可哀そうな自分も見せてもらうことができます。
人はみな可哀そうな存在です。
この世に生まれた以上、愛しき者と別れなくてはいけない、又巡り合った方と
別れなくてはいけない、そしていつの日かこの世を去っていかなければいけない、
そういう宿命を背負ってこの世に生きているのです。
又人生というのは自分の思うようにはなりません。
「ああしたいなあ」「こうしたいなあ」と思っても、どうすることもできない
しがらみ中に自ら縛られている自分の姿も、反省することによってはっきり
拝めます。

そして自分が許していただいているのだから、人さまを責めるような資格が
自分にあるのだろうかと思いました時に、そんな資格は一つも自分にはない
ことが分かりますね。
何の過ちもなければ、人を責める資格があります。
しかし、そんな方は一人もありません。
過ちを繰り返し、ほんとうに正しい道を知らないが為に、愚かにも過ちを犯し
罪を作り、やがて地獄に落ちるのです。
私たちは過ちに目覚めなければほんとうに地獄に行きます。
生きながら地獄の毎日です。

愚かにも悪業重ね罪つくりやがて帰らん地獄なる国

となります。


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