浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「独り言」より。

2016-01-31 02:07:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


       奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
             二十一世紀に向けて


先の続き・・・

神の御心と等しい質を持つ本来の自分が神我です。
私たちはもともと神の愛し子として幸せで健康になって当然の存在として、
誕生しています。
しかし、自己保存や自我我欲などの想念が心を曇らせ、神我との間に隔たりと
分離をつくってしまい、不完全な現象が出来事として現れてきます。
それも表面が不完全なように見えるだけで、
本当の私たちというのは神の子として完全な存在なのです。
今は地球がたいへんな変革期を迎えています。

物質文明から精神文明への大転換はもうそこまで来ています。
アセンションとか次元上昇ということも言われています。
すでに地球より進化し、調和した魂と高度な文明を持った先輩星が、
これからの地球の次元上昇を見守っているという情報が書店を通し一般に読まれてきています。
それらの星々のレベルに近づいていく過程で、
私たちの世界はだんだん物質文明から精神文明へと移行していくでしょう。
そうすると、何もないはずの空間に物が突然出現したり、
瞬時にして思った通りに体が違う場所に移動したりということが
常識になる時代もそう遠くないかもしれません。

奇跡が驚異の対象だったのが、だんだんとこういうことも当たり前になってくると思われます。
環境問題に対応した宇宙エネルギーとかフリーエネルギーなどと呼ばれるものが開発されつつあります。
過去地球に埋蔵されてきた有限な化石燃料に頼らない無限供給の夢のような
エネルギーの時代へと入っていくと言われています。
それと同じものですが、最近では真空エネルギーという呼び方も出て来ており、
これは反重力という力を利用して、恒星間旅行、つまり宇宙旅行を可能にする
第一歩となる画期的な研究に基づき、これまでの科学常識を完全に超えるものだということです。
一万年以上も太古の昔、地球上にあったと言われるアトランティス大陸の時代には、
クリスタル(水晶)を用いた優れたヒーリング技術や空飛ぶ円盤なども
存在したと言われています。
今後不可能なことではないかもしれません。


             ~ 感謝・合掌 ~


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「独り言」より。

2016-01-30 02:54:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


       奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
             二十一世紀に向けて


先の続き・・・

神の御心と等しい質を持つ本来の自分が神我です。
私たちはもともと神の愛し子として幸せで健康になって当然の存在として、
誕生しています。
しかし、自己保存や自我我欲などの想念が心を曇らせ、神我との間に隔たりと
分離をつくってしまい、不完全な現象が出来事として現れてきます。
それも表面が不完全なように見えるだけで、
本当の私たちというのは神の子として完全な存在なのです。
今は地球がたいへんな変革期を迎えています。

物質文明から精神文明への大転換はもうそこまで来ています。
アセンションとか次元上昇ということも言われています。
すでに地球より進化し、調和した魂と高度な文明を持った先輩星が、
これからの地球の次元上昇を見守っているという情報が書店を通し一般に読まれてきています。
それらの星々のレベルに近づいていく過程で、
私たちの世界はだんだん物質文明から精神文明へと移行していくでしょう。
そうすると、何もないはずの空間に物が突然出現したり、
瞬時にして思った通りに体が違う場所に移動したりということが
常識になる時代もそう遠くないかもしれません。

奇跡が驚異の対象だったのが、だんだんとこういうことも当たり前になってくると思われます。
環境問題に対応した宇宙エネルギーとかフリーエネルギーなどと呼ばれるものが開発されつつあります。
過去地球に埋蔵されてきた有限な化石燃料に頼らない無限供給の夢のような
エネルギーの時代へと入っていくと言われています。
それと同じものですが、最近では真空エネルギーという呼び方も出て来ており、
これは反重力という力を利用して、恒星間旅行、つまり宇宙旅行を可能にする
第一歩となる画期的な研究に基づき、これまでの科学常識を完全に超えるものだということです。
一万年以上も太古の昔、地球上にあったと言われるアトランティス大陸の時代には、
クリスタル(水晶)を用いた優れたヒーリング技術や空飛ぶ円盤なども
存在したと言われています。
今後不可能なことではないかもしれません。


             ~ 感謝・合掌 ~





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「独り言」より。

2016-01-29 02:46:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


     奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
            二十一世紀に向けて


正しい教えを実践した時には、必ず文証 理証 現象が望むことなしに
現れてきます。
文字としての証明、理論的証明、そして目に見える形として起きる出来事の
上の証明です。
これは自分が望む望まないに関係ありません。
正しい法の実践にはこれはつきものです。
ついて回ってくるのです。
言ってみれば、副産物です。
そうして現わしていただく現証は、大宇宙・大自然・大神霊の御業であると
思います。

では、これにはどんな目的があるのでしょう。
神の癒しである神癒を説明します。
神癒の本当の目的をお伝えするのに、
しばしば用いるのは漁で使う投網のたとえです。
神様が気に入った人を使って放つ投網とは、
現世的なご利益を方便として人々を真理に導こうとするための道具です。
たとえば貧乏から救われたとか、病気が治ったとか、商売がうまくいったとか、
良縁に恵まれたとか、そういうことが所謂この世的なご利益です。

これらを励みとし、神仏への感謝の心に目覚め、
また自らの心の過ちに気付いてそれらが生活を改めるきっかけとなることが、
実は神様の意図であり、神のお計らいであります。
しかし、この投網に残る大きな魚が、
そこから漏れてしまう雑魚よりも圧倒的に少ないうちは、
この世は心では幸せを求めつつも、
まだ幸せになりたくない方が大部分だというとになってしまいます。
これは、幸せになる秘訣がわかっていないのと、わかろうとする人がいないからです。
ところで、幸せの秘訣となんでしょう。
それは大自然の法則、神の法則から外れた分だけ不幸の大きさが増すということを
知らない自分の心こそがすべての原因である、という真理を理解し、
自らの心がこの神の法則から外れないように絶えず努めることにあります。
私たちの存在の本質は、完全なる神様から分かれた命であり、
霊(神の分け御霊)であり、明るく素直な善なる心であり、
すべてを可能にする能力であり、無限の可能性を信ずる心です。


           ~ 感謝・合掌 ~





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「独り言」より。

2016-01-28 02:30:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


     第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


       現代によみがえるイエスの奇跡



の続き・・・

まことの神を知った時、宗教も組織もつくらないことを誓いました。
なんの営利も、この世の名誉も関係なく、講演・癒しなどに来られる
縁ある方々の中で一人でも多くの方が健康で幸せであってほしいという一念です。
全国各地や海外での講演・奉仕活動に必要な経費についても、
人に迷惑をかけない原則を守ってまいりました。
そのことは胸を張って世間に公言できます。
いつも自分の心はオープンですから、
人様の前で自らの現在の生きざまを問われても、恥ずかしいことはございません。
今日までの何の不都合もなく、
行く先々で多くの方々から愛され、大切にされており、
身に余るほどの幸せ者です。


             ~ 感謝・合掌 ~



皆様にご報告申し上げます。

当ブログを開設(2008年11月11日)しましてより本日現在(2016年1月27日)
までに当ブログを訪問ならびに閲覧して頂きました回数は下記のようになっております。

訪問者数=一日平均79人

閲覧回数=一日平均249回

皆様の当ブログへの訪問を心より深く感謝申し上げます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

恩師「長尾弘」先生もきっと天上の世界で喜んで下さって
いることと確信いたします。

ありがとうございました。

管理者





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「独り言」より。

2016-01-27 00:36:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


          現代によみがえるイエスの奇跡


そういう自覚と有り難さと、そして厳かな気持ちから、
非常に満足して喜びと平安に満たされた心でおります。
しかも、その「現象」が実は神の証しである「現証」であるということを
十分に知っています。
だから、神との約束であれば、それを果たしていく以外に生きる道がないようです。
かつては多くの過ちを犯してきたこの身であっても、
厳しい反省を通して悪を止め、善を作ることにより、この世に生を享けた意味と、
お役目ということをはっきりわからせていただきました。
いくら頭で天の理想を理解していても、この肉の身にそれを体現できなくては、
この地上の生活はよくなりません。

雲の上から降りたら、
今度は神様の愛の心を自分の肉体を通して行為として具現していく必要があると思います。
ただ、病気を治すだけではありません。
病気を治すのは、あくまでも方便です。
神癒とは、
私たちの一人一人が生まれてきた目的や心の正しい在り方に気付くために手段の一つであり、
大自然の法則と神の御心に沿った生き方を実践するためのきっかけにすぎません。

最終的な癒しは体だけでなく、心までも安らぎと至福感で満たし、その人の心を救うものです。
心が救われてこそ癒しは成功したと言えます。
神の御心とはどういうものかを述べ伝えていかなくてはならないと思います。
ただ言葉や理論だけでなく、生活の中で神の御心を日々実践し行う努力を続けながら、
自ら人々のお手本として示し現わしていかなくてはなりなせん。
宗教は信じますか、とよく聞かれます。

「宗教は信じません」なぜですか。
「宗教は人が作ったもので神がお作りになったものでないからです」
神は信じますか「神は常に私とともにあられます」
宗教組織はつくりませんか。
「死ぬまでつくりません」後継者はどうしますか。
「私のような厳しい生活を人に強いることはできません」また、誰もできないでしょう。


           ~ 感謝・合掌 ~









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「独り言」より。

2016-01-26 00:12:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


        現代によみがえるイエスの奇跡


不思議なことが起きだしたのは、四十歳の頃でした。
昭和四十年代後半から昭和五十年代にかけて、
医者に見放された人、捻挫で足が腫れ上がって歩けない人、
腰痛で見動きもできない人、骨折した人などが
次々に治り、さらに癌が治った人まで、あらゆる人が癒されていきました。
今日までに国内だけでなく、ドイツ、イギリス、イタリア、フランス、
オーストリア、スイス、オランダ、ポーランド、オーストラリア、
ニュージランド、インド、タイ、台湾、中国、香港、韓国、ヨルダン、
イスラエル、エジプト、カナダ、アメリカ、ギリシャなど海外各地を回り、
たくさんの人々への奉仕をさせていただきましたが、その間に自分でも
驚くような神癒による奇跡を見せていただきました。

目の見えない人が目を開き、もの言えぬ人が言葉を語り、
足の立たぬ人が立ち上がって歩き、また死せる人が生き返る。
まさに聖書の中でイエス・キリストが行ったと言われる癒しの奇跡は
現実であったということを実感しました。
そればかりか、癌の方でも私と何度か逢ううちに、
病院で検査したらいつのまにか癌が消えてしまい、
ご本人もお医者さんもびっくりされたという事例、
また癌を病みながらも一切の苦痛や恐怖を知らず、
感謝のうちにこの世を去っていくというケースなど、
現実に起きている事柄を挙げたら枚挙にいとまがありません。
こうした心身の癒し奇跡も含めた、不思議な事や考えられない出来事の数々を
体験させられてきた人間も、現在の世界にはそんなにおられないと思います。

しかし、別に自分のことをみなさんとは違う特別な人間と思ったことは一度もありません。
むしろ、こういう出来事に遭遇するごとに、だんだんと謙虚の大切さが身にしみてきます。
というのも、己れ以外の偉大な神の力というものを思い知っているからです。
神とはコズミックパワーあるいは大宇宙大自然をつかさどる力と言ってもいいでしょう。
とにかく私たちの生命を生かしてくださっている力を本書では神と呼ばせていただいています。
癒しの出来事を前にして、人々は目をみはり、感嘆の溜息をもらします。
呆然自失する方々もあります。
一同感涙にむせぶ場面がよくあります。
このような出来事は常に見せていただきますが、
ただの一度も治したと言ったことも思ったこともありません。
それを為したのはけっして自分自身の力にはあらず、
父なる神の偉大なる御業であるということを誰よりもよく承知しています。


         ~ 感謝・合掌 ~





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「独り言」より。

2016-01-25 00:24:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


         神我の声に耳を澄ませ!


法の伝道のための旅の途上、飛行機の中で瞑想していた時のことです

先の続き・・・

メガロポリスに帯状に集うにぎやかな灯がいくら文明の世を象徴していようと
もはや人々がどのように生きたらよいのかを示し照らす法の灯さえ消え去り
社会に蔓延する悪と跡を絶たぬおぞましき事件は歩むべき道を知らぬ人々に
ますます生への嫌気と不安を与えるばかり
ついに雲上から地上へと降りることを決意しました
泣け叫び苦悩せる愛し子のもとに降り立ち
導きの法灯を点じ 幸せへの道を示そうと思いを定めました
「愛しき我が子よ 愛しき我が子よ
幸せになりなさい 健やかに生きなさい 自らを苦しむることなかれ」

これ以来、 
この創造神の声と私の胸の奥の声とは常に一つになって響いています
我が肉の身を捨てて 父なる神にすべてを捧げた日より
肉体に制限されあれこれと思い煩う自我がいなくなり
神様の御心と一体になった永遠の命なる己れに目覚めたからです
「我が命 この身を父なる神に捧ぐ かくて神我を知れリ
我が命 我が身をもって 父の御心をこの地上に具現せり」
かくして天下り 本体である神我と合体した身辺では
いたち来りて我が膝に遊び 小鳥あまた集い来たりては唄歌い
愛らしく清楚なる花の精との対話に時を忘れ
また行くところ金箔が舞い降り 金粉が湧き出で
講演中に百合の花が垂直の方向を向き
我が言葉に従い 開いたり閉じたりする花々と 数々の現象が起き始め
さらに難病や奇病をはじめ 人々のあらゆる肉体の病苦が癒される
聖書の世界さながらの出来事が起きてまいりました

これらはすべて我が神我を通して働かれる神の御業にほかなりません
盲亀浮木のたとえのごとく この神の御業を理解する人の甚だ少ないのは
偽りの神を信ずる人々が今の世にはあまりにも多く
また霊能的な力を誤用し 人々を迷わせる迷わせ人のあまりにもはびこるが
ゆえです
外に神を求めれば迷い 神にめぐり遭うことはありません
神を信ずる人は多く 神に信ぜらるる人はあまりにも少なく
父なる神は信じうる子を探し求めておられます

神様のお仕事のお手伝いをさせるためです
内に神を求めて 心の奥深くまで反省と悔い改めによって 心の曇りを払い
内なる世界のほうから神の光が来るが如く
この現世に我が身の行いをもって 神の御心な何たるかを伝え
神の御心を我が肉体をもって示し現わしていこうと思います
〔註〕あくまでも私個人の心の中の出来事と現実にあった出来事で、
信じる信じないはご自由です。


            ~ 感謝・合掌 ~




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「独り言」より。

2016-01-24 01:38:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


           神我の声に耳を澄ませ!


法の伝道のための旅の途上、飛行機の中で瞑想していた時のことです

身は機上にあり 心 天界にありました
そこは地球の成層圏内の雲海というより、紫雲海とも呼ぶ天上の世界です
金色燦然と輝く世界から放たれる光を浴びつつ
雲海からのぞく遙かな下界を見下ろすと
悠々の大河は地表をうねり 山の峰々は連綿として連なっておりました
しかしそれはどこまでも大自然そのままの姿を
とどめているのではありませんでした

人間たちが愚かなる小智才覚でもって
山を崩し 川を堰き止め 海を汚し 森林を伐採し
父なる創造神から与えられた自然を破壊して
顧みない哀れな惑星の姿でありました
この人類が恩恵をこうむりながら住んでいる星そのものが
生命の祖(おや)である神の御神体だということも忘れたかのように人類は
これを傷つけ傷つけられ変わり果てた惑星は痛ましい姿をさらしながらも
ただ黙って人類の行為を見守っておられます

広大な大自然の覆う地球から見れば 人類の住む場所のなんと小さいこととか
山間や川のほとりに沿った狭隘(きょうあい)な場所に 
また海辺に開けた小さな扇状形の平野に群がってそれぞれの集落をなし 
日々の暮らしをつましく営む人間たちの夕ともなれば 
人家からこぼれる生活の灯が 
また乱立する高層ビル群の谷間に蝟集(いしゅう)する
車や人間たちの蠢(うごめ)く

巨大都市から溢れる極彩色のネオンの灯が
雲の上を飛ぶ自在の眼には悲しく映りました
ここに六十億の人間の命が息づいている
その時 愛し子たちの地上生活をじっと見つめておられる
父なる神の視線を同時に感じておりました
心の眼には苦悩の渦中で惑い苦しみ泣き叫ぶ
数知れぬ人々の心の姿が映じてまいりました


        ~ 感謝・合掌 ~




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「独り言」より。

2016-01-23 00:10:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省


   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる


先の続き・・・

私たちの心の中には肉体の五官により湧き起こる煩悩がつくる想念帯という
心の曇りの場所があります。
それが破れてしまう時、五官の感覚がまったくなくなってしまいます。
これは後でわかったことですが、
その時の心の状態はこういうふうになったのだなと知ることができました。
その時の心境は、見るもの見るものすべてがいとおしくて、いとおしくてたまりません。
そこらに生えている草、大地に生えている苔に腹ばいになり、
ああよかったなあと苔や草に頬ずりをし、樹に抱きつて頬ずりをして喜びました。
それはなんとも言えない喜びでした。

私たちは通常でも、心の中になんのわだかまりもない時、晴れやかな気持ちになります。
徹底して反省をし、
心の奥の奥の塵芥まですっかり洗い流すように意識の光ですみずみまで照らしたなら、
このように喜びあふれる体験が誰にでもやってくると思います。
ああ、私は自然の一部であり、自然と私は一体であったのだ。
私は神の一部であり、神と私は一体であったのだと強く感じました。
また、まことの道を歩み続けたなら、やがてなんの包み隠しもない心となり、
喜びと感謝の気持ちで本当に神様に向き合うことができるところまで行けるはずです。
この時、ついに心に法灯をいただくことができたと思いました。

私は光である、法である、私は道であるという自覚を得ました。
それは素晴らしい喜びであり、法の喜びであります。
それは口や言葉ではとても言い表すことのできない喜びです。
私は自分自身の信念と直観にしたがい、誰がなんと言おうと自らの決心をもって山にこもり、
そこで何日も坐り反省をいたしました。
これは反省の実践を真剣にやることが、こんなにもありがたい結果を生み出し、
自分の心を楽にしてくれるのだということを、身をもって体験させていただきました。
この時、反省とはありがたいものだなあとつくづく思わせていただきました。
この時、反省とはありがたいものだなあとつくづく思わせていただきました。
今この世にある自ら尊師、霊能者、占い師を名乗る方々でも、どんな大神殿や
大教会におられる教祖様でも、その真偽を見通す能力も与えられました。
人の心の中も同じことです。


                ~ 感謝・合掌 ~



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「独り言」より。

2016-01-22 00:10:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省


    幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる


先の続き・・・

行きたい、行きたいと思うのです。
ところが、そこへどうしても行けない。
稲束を渡す役目をしなかったら叱られますから、その場から逃げることができないのです。
これと同じようにどうすることもできないことが、十代であれば十代においてあり、
あるいは二十代であれば二十代で、同じようにしがらみの中で涙を流しながら、
精一杯生きている己の姿をみせられ、心の底に焼き付けられました。
あまりにも哀れな自分の姿を短い間に全部見せていただきました。
思わず「かわいそうだったなあ」と、自分に対して涙がとめどなく流れてきて、
こういう厳しい中でよく頑張って生きてきたなあという思いが溢れてきました。
そして、その時にやっとこう思いました。

「反省みたいなもの、できてもできなくてもいい。心に法灯みたいなもの、
いただいてもいただかなくてもいい。
そんなものは関係ない。
とにかく私自身を赦してあげよう。
これほど精一杯生きた己自身に対して赦しを与えてあげよう。
己にやさしく人に厳しいという生き方なら法に背くけれど、
そうではなかったのだ。
もう法も何もない。

とにかく、私は私自身を赦すことだ」と思って、自分を赦そうと決めました。
「あなたはこの厳しい人生でつらい中、苦しい中をよく頑張りましたね。
私はあなたのすべてを赦させていただきます」と、
泣きながら心の中で自らに向かって語りかけていたのでした。
ところが、この時です。
心がフワッと軽くなったのです。
心が広がって、光り輝く自分をその時自覚しました。
自分を赦した時、どれほど自分が楽かということを悟らせていただいたのです。
肉体の五官の感覚が完全に消えてしまいました。

意識ははっきりしていますが、頭、手、足、胴はどこにもなく、何も感じないのです。
肉体はなく、ただ自分が胸のあたりを中心として光り輝いているのです。
こんなことは生まれて初めての体験ですから、
「あら、私の体がなくなってしまった。私はどこかへ行ってしまった」と思いました。
身が軽いというようなものとはまったく違います。
完全に肉体の感覚が消えてしまいました。
まさに肉体の五官の感覚の消滅です。
私は自分がどこかへ行ってしまったらえらいことだと思いましたから、
顔、頭、胸、手足をしっかりつかんで確認しました。
すると、やっぱり感じがあることが確かめられました。
全身を探り、「ああ、やっぱりついていて」と思ったのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「独り言」より。

2016-01-21 00:43:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省


      幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる


先の続き・・・

小学校一年の秋のことです。
取り入れで稲刈りをして干し、乾燥すると田圃の真中にゴザを敷いて脱穀をするのです。
干してある稲束を脱穀する場所まで運ぶと、
父が足踏み機でギコギコ脱穀しては済んだ藁を後ろに放っていくのですが、
その時、積んである束を父に渡すのが私の役目でした。
この稲束を父が最も受け取り易いように一つずつ渡すと、
父はザアーツと脱穀してパッと後ろに放ります。
すると、次の束を渡さなくてはいけないのですが、
父の手許の受け取り易いところへ持っていかないと、「何をしているのか」と怒られます。
父のしやすいように次々と渡していくのです。

こうすれば、一つ一つ取る時間が節約できるわけで、父の体も少しは楽になります。
その田圃のすぐ近くは堤防でその上は平地になっており、友達が来てワイワイ
遊んでいるのです。
その中に好きな女の子がいたのです。
私はちょっとおませでして、小学校一年でもう好きな女の子がいました。
「あの子、かわいらしいなあ」と、まあ私の初恋です。
その子もいっしょに遊んでいるので、行きたくて行きたくてたまりません。
「男女の愛は苦しみである」とはよく言ったものです。
神の愛につながる純粋に精神的な愛、アガペの愛には苦しみはありません。
しかし、幼い男女でさえも、男女の愛には苦しみがつきまといます。

女の子のそばに行きたいけど行かれないというつらさ、そして、
友達が楽しそうに遊んでいるのに、稲束を父に渡さないといけない。
その時のつらかったこと。
そのうち、だんだんと日が暮れてきます。
友達は帰ってしまいます。
私の好きな子も帰ってしまいました。
私は涙をポロポロ流しながら、稲束を渡していたのです。
すると、父が、「お前は何を泣いているのか」と言うのです。
私の気持ちなどわからないから言うのです。
もし、私の心を知ったら、お父さんは腰を抜かしたかもしれません。
小学校一年生で好きな子がいるなんて。
私は泣きながら叱られながら、稲束を渡したものでした。
夜、暗くなるまで続きました。


          ~ 感謝・合掌 ~




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「独り言」より。

2016-01-20 00:15:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省


   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる


どうしても自分を赦すことができないという心の壁の前で、
もうどうすることもできないでおりました。
人知では越えることのできない心の壁です。
人はどうすることもできなくなると、苦しい時の神頼みになってしまいます。
「もし、私の中に守護指導霊がおられるならば、
どうぞこの反省を正しくお導きください。
私の力ではこれ以上、どうすることもできません。
できることなら、この突き当たっている心の壁を打ち破ってください」と、
必死でお願いしました。

すると、この時、考えられない不思議なことが起きました。
右手前方の手の届くあたりに、幼い頃から四十半ばまでの人生のすべてが、
次々と出現したのです。
立体的に現実に自分の人生がそこにあるのです。
どれくらいの時間が過ぎたのかわかりません。
あまり長い時間はかかっていなかったと思います。
まさに意識の世界は時間、空間、距離などいっさい関係がないということが
はっきり確認できました。
そこに写し出された自分の姿は、またなんとも言えない哀れな、
悲しいものでありました。
自分に与えられた環境の中で、「ああしたい」「こうしたい」と思いながらも
どうすることもできない、人生のしがらみにがんじがらめになりながら、
必死に生きている姿を、まざまざと見せられました。


             ~ 感謝・合掌 ~





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「独り言」より。

2016-01-19 00:12:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第五章 心の曇りをとるための反省


         自分を赦すことの難しさ


先の続き・・・

どうにもならない心の壁に突き当たってしまいました。
どうしても破れない心の壁でした。
とうとう最後にあきらめざるをえなくなりました。
私のような者が心に法灯をいただくとか悟りを得るとかいう、
大それたことができるはずがない。
それは偉大なる魂をお持ちの尊い方にして初めてできることであって、
私のような凡夫のできることではないのだと気づき、
もうこれ以上はやめようと決心しました。
あきらめて山の木々の間に仰向けになって寝転んでいました。
長い時間が過ぎていきました。
この時、梢の間から差し込んでくる光を見たのです。
もし、光、法灯、悟りというものがあれば、やはり私も欲しいという思いが、
心の中から持ち上がってきました。

むっくり起き上がって、再び座って反省にとりかかりました。
そして、己と向き合いました。
何時間かが過ぎていきましたが、どうすることもできません。
後になってわかったことですが、私たちはこの世に生まれた後に、
環境、教育、思想、習慣、時代の条件の中で、それぞれの人格をつくり、
人生をつくっていきます。
「人に寛大、己に厳しく」これも私の受けた教育でした。
その結果、自分の思想をつくっていたのです。
その自分のつくった思想によって、
自分自身をがんじがらめに縛りつけておりました。
「人に寛大、己に厳しく」は人間の理想であり、道徳的観念であって、
法とは別のものだと思いました。
法においては、ある意味において、己にも寛大でなければなりません。
でなければ、悟ることもできません。


            ~ 感謝・合掌 ~



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「独り言」より。

2016-01-18 00:36:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省


           自分を赦すことの難しさ


先程の私の幼少時の反省の話しに戻りますが、
わるいのは親に嘘をついて怪我をしたことばかりでなく、
その嘘のために友達の家で勉強してくると名前を利用された友達のほうも、
もしこの事実を知れば迷惑したであろうと思います。
自己を追及した時、本当に数々の罪、過ちを犯してきたことが浮かび上がってきます。
嘘、盗み、人の悪口、非難、中傷、恨み、憎しみ、数えてみればきりがありません。
幼い頃につくった数々の過ちが私の人生を大きく支配していたことがよくわかってきました。
幼い頃から常に「自分に厳しく、他に寛大に生きなさい」と、父母から教えられてきました。
また、学校の先生からも教えられました。
これが正しいことであると信じてきました。

その後、道を説く書物の中にも、道を説く方々の教えの中にも、よく出て来る言葉です。
ですから、このことは自分の人生の一つの目的でもあり、指針でもありました。
常に己に厳しく生きてきたつもりです。
それだけに、私の人生も厳しいものでした。
また、人にできるだけ寛大に生きる努力をしてきました。
それがある意味では、人に甘え心を与えていたかもしれません。
とにかく、己に厳しく生き、己れを甘やかせてはならないという思いが、
私の信条でもありました。

この思いにより、どうしても自分を赦すことができませんでした。
自分を赦すことは、自分に寛大にならなければできません。
しかし、そうすることで、かえって自分を甘やかすことになると思っていました。
これでは教えにそむくことになってしまいます。
このような思想を持っていましたから、どうしても自分を赦せなかったのです。
赦せない結果、自分に対して責め裁くこと以外、できません。
どう考えても、どう思っても赦せないのです。
何回、何十回と反省しても、堂々巡りの繰返しです。
これから先へ進むことができませんでした。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「独り言」より。

2016-01-17 01:34:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省


        父母の恩を知り孝養を尽くすべき


先の続き・・・

親の自愛は、自分を捨ててでも子を守ろうとし、
自分は食べなくても子に食べさせようとし、
自己を犠牲にして子を育てようとしてくださいます。
これこそが「神の御心」です。
「あなたの父と母は私があなたに与えたあなたの父と母である。
ゆえに、あなたの父と母を敬い、尊び、その言葉にしたがう者は、
私を敬い、尊び、私の言葉にしたがうものである」と、
神様はおっしゃっているそうです。
親に逆らうことは神に逆らうことになりますから、
それでは当然ながらうまく行きません。
常に両親は神様であると思わせていただくのがいいのです。

私が反省させていただき、幼い頃のことを思い出しますと、
やはり三歳以前の私にとっては、お父さんは男の神様、お母さんは女の神様でした。
これはみなさんもそうです。
反省して三歳頃までさかのぼりますと、
幼い心でそのことを知っているのがよくわかります。
だんだん成長していくにつれ、自我が働き、親の言うことを聞かくなります。
ところが、親に背いて幸せになった人には、あまりお目にかかれません。
ある時期は幸せのように見えても、心や環境に苦しみを味わっておられるのは、
神様に背いてきたからです。

たとえ親が「烏は白い」というふうに、黒いものを指して白いと言われたとしても、
「ああ、白いですねえ」と、子は受けるべきなのです。
無茶苦茶を言っている親を子が受け容れた時、親は必ず反省してくださいます。
親に背くから親子の喧嘩が起きるのです。
両親は神様だと思わさせていただいたら、間違いないと思います。
「ああ、そうですか」と、受け容れた時、親は改めてくれますから、
親の値打ちを上げるのも下げるのも子供の言葉、想念、行為、生き方の中にあります。
親に喜んでいただくように生きた時、「親バカ」という昔からある言葉のように
もう自分のことのように親は喜んでくれます。


            ~ 感謝・合掌 ~




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