浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-05-31 00:16:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三


           太陽の心を実践する


先の続き・・・

人は生活しなくてはいけません。
人の家の前に立って、お茶碗に食べ物を恵んで下さいというのは、
昔の日本でもありましたが、しかし現在の日本では通りません。
正しく仕事をし、生活基盤というものを安定させて、
そして余った時間で隣人に愛の手をさしのべていくのです。
隣人を救い、或いは正しい教えに導くことです。
お釈迦様も、二千五百年前に八正道の中に正しく仕事をせよと、
その項目の四番目に説いていられます。

仕事をすることによって、生活の基盤が安定します。
仕事をしない者は、生活の安定が望めません。
これは当たり前のことですね。
現在であれば、有難いことに土、日曜とお休みの方もありますし、
日曜だけお休みの方もあります。
その時に、どれだけ無償の善き行いを積めるか、
どれだけ無償の愛を施せるか、そのことによって心の中は、
「ああ、良かったなあ、あれだけの人が喜んで下さった、
これだけの方が救われた」という喜びに満たされます。
その喜びは神様から頂いたものです。

お金や物とは違うのですね。
心の安らぎであり、心の中の平安です。
私が夜も寝ないでハードスケジュールで飛び回っている時、
「先生、無理せんといて下さい」と、よく言われますが、
私は、「自分の命を精一杯燃え上がらせて、
燃え尽きてしまいたいと思っています。
自らの命を人さまの為に燃え尽きさせた時、
満ち足りてあの世へ帰れます。
私は自分の命を燃焼させてもらっています」と、
よく話させてもらいます。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-30 00:13:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


         太陽の心を実践する


その為には、日々の生活に、神の子としての使命を果たしていかなくては
なりません。
あの太陽の心をわが心に頂いて、日々の生活で太陽の心を行うことです。
自分を犠牲にしてでも、他に慈悲と愛を与えさせてもらうことで、
これは自らを犠牲にしないと与えられません。
太陽は自らの命を燃え上がらせ、自らを燃焼させます。
私たちも、この肉体を動かしてその労働力によらないと、他に愛は与えられません。
行動、善なる実践です。

この時、太陽の心を自分が行うことができます。
そして差別しないことです。
誰方(どなた)に対しても、好き嫌いがあってはいけません。
好き嫌いのあるのが当たり前ですけれど、これを無いようにするのが修業ですね。
嫌いな人が少なくなるほど、私たちは安らぎます。
嫌いな人が多いほど、私たちは地獄へ行きます。

人の悪口ばかり言っていますと、必ずその人から言い返えされます。
すると、又自分が言わなくてはいけないようになり、これは地獄です。
神を賛美し、神を褒めたたえるとは、汝の隣人を褒めたたえ、自分の身近の
方のすばらしいところを見付けて褒めたたえることで、それは、神への賛美に
なります。

隣人を非難し、隣人をくさし、そして神よ神よと言っても、これは駄目です。
そんなものは神に通じません。
太陽の熱、光は無償の愛です。
一切の報酬をお求めになりません。
私たちも自分の余った時間で、無償の愛を行うことです。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-29 00:07:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 三


      正しい教えを知れば、死は恐くない


この世を去ります時、最期の手向けの水が頂けなかった霊が出てきますと、
「水を下さい、水がほしい、水がほしい」と言います。
「あなたは手向けの水を受けることができなかったのですね」と聞きますと、
「そうです」と言います。

死んだ時に水を口につけてもらって、
あんなものに満足して暗い世界におられます。
もし、その水が無かったら、「水がほしい、水がほしい」と言って、
迷っているのですね。
ところが、ほんとうの帰るべき世界を知り、正しい教えというものを知って
おりますと、そんな水もお茶も要りません。

供えてもらわなくても、自分で作れるのです。
ポッと出てくるのです。
そういうすばらしい世界に帰ることを知ったら、
なぜ私たちは死を恐れる必要がありますか。
すばらしい世界に帰っていくのです。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-28 00:09:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


          ご先祖様への供物は感謝の形


では、お仏壇の前で「さあ、早くご先祖様召し上がって下さい」と言って、
ご仏飯をよそって差し上げましても、一体、あんな小さいご仏飯にご飯粒が
何粒入っていると思いますか。
私たちのご先祖様は、三十代も溯りますと、十何億という数になるそうですから、
「ご飯を召し上がって下さい」と言って、差し上げても、ご仏飯の中に
何億ものご飯粒は入っていません。

よくあっても、何百粒でしょから、これではご先祖様に足りません。
あるお宅へ寄せていただきましたら、お仏壇に、湯呑みが四十数個も供えてあるのです。
それにお茶を入れて、毎日お茶湯(ちゃとう)されています。
またあるお宅へ行きますと、大きな丼茶碗に何杯もお茶が供えてあります。
丼茶碗にです。
なるほど、大きな丼茶碗、或いは四十個もの湯呑みをずうっと並べまして、
お茶をなみなみとついで供えていましても、私たちのご先祖様はそんなに
少なくないのです。

これでは、ご先祖様にはとても足りません。
極楽へ行きますと、ご飯と言えばすぐ出てきますので、何の不自由もしないのですね。
ですから、ご先祖様にお茶を差し上げ、炊きたてのご飯を供えるのは、
「ご先祖様のお陰で、こうして温かいご飯を頂戴できます。
ありがとうございます」と言って、感謝の気持ちを形として表すのです。
ですから、「ご先祖様、食べてください」と言って供えますと、ご先祖様は
難儀されます。
ご飯の取り合いをして、「俺の飯、もうない」と、必ずそういうことになります。
お茶もそうです。
阿弥陀様など三尊様には、一つずつで三つ差し上げたら足りますけど、
ご先祖様にはとても足りません。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-27 00:13:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


         極楽は肉体のない自由世界


では、あの世に帰る時に、皆が体験しなくてはならない死というものを、
どのようにして迎えたらいいか。
それは、一番最初に話させてもらいましたように、この世に生まれた使命、
目的をよく分からせていただいて、それを少しでも多く積み重ねておくことです。
その時、安心して帰ることができます。
もし、行いが不足していたら、これは心配ですね。

「帰った時に魂の兄弟の方に心配をかけるかな、怒られるかな」と思いましたら、
これは心配ですが、まあ、その心配の前に暗い世界へ落ちてしまいます。
そんなことにならないように、日々を充実して、「ああ、今日一日はほんとうに
有意義であった、いい一日を過ごさせてもらって有難かった」という、一日
一日を積み重ねることですね。
その時。死とは見えない隔たりをポッと隣に変えるだけです。
そこには、この世に生きたのと全く同じ自分がおります。
しかも、肉体のない自由な自分ですね。
この肉体とは、不自由なものです。

ここまで来て頂くのに、飛行機に乗っていただいたり、
或いは船に乗っていただいたり、新幹線やローカル線に乗って
ここへ来ていただきますけれど、あの世の意識の世界に帰ろうと思えば、
一瞬にその場所に移動します。
瞬間テレポートを起こします。
地球の裏も一瞬の間です。
想念は光より早いのです。
光は一秒に地球を七回半まわるそうですが、それよりもなお早かったら、
地球上ぐらいアッという間にどこへでも行くことができますね。
それほど肉体のない世界に入りますと、自由な世界です。

しかも極楽は、自分の望むものが何でも即、現れる世界です。
ここに綺麗な花を生けていただいて、そしてあの世に帰ってから、
「あの時、綺麗な花を生けていただいたなあ、もう一度見たいなあ」と思いますと、
この花がパッと出て来るのです。
全く変わらないものが、その場で現象化します。
「あの時のカレーライスはうまかったなあ、あれをもう一度味わいたいなあ」
と思いますと、パッとカレーライスが出てきます。
お饅頭もそうです。
しかし、こういう食べ物だけに心を奪われおりますと、極楽には行けませんが、
譬えてみれば、そういう世界です。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-26 04:52:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


               念仏の功徳


北陸地方に行きますと、あちらは、今でも他の宗教の入り込む隙のないほど、
念仏宗のさかんな所です。
「只一念、念仏申す、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、やっておられます。
この「南無阿弥陀仏」、「只一念、念仏申さば、善人なおもて往生をとぐ、
況や悪人をや」という言葉が「歎異抄」にあるそうですね。
お仏壇の前だけで、またはお寺で、ただナンマイダ―、ナンマイダーと言っただけでは駄目です。
四六時中唱えていると、ご利益があるのです。
他力では救われないという極論もありますけど、それはそれで、救われるのです。
というのは、人間の心はどんな器用な方でも、二つのことを同時に思うことはできません。
必ず一つ一つしか思えないはずです。

悲しい時は悲しいだけ、嬉しい時は嬉しいだけの、その一つ一つしか私たちの
心は動いておりませんから、南無阿弥陀仏と唱えている間に、
「あいつをド突いてやろか」と、同時には思えません。
人間の心の構造からして、他の思いが入り得ないのです。
ああ、結構だなあ、ナンマイダブ、ナンマイダブツと唱えていますと、これは
感謝の心にもつながります。
どの宗教も、「感謝をしなさい」と言いますが、
「なぜ感謝しなくてはいけないのか」という、ほんとうの意味を教えてくれません。
しかし、「ありがとう、ありがとう」と感謝しますと、その時間は他のことを
思えないはずで、もし、感謝の時間を一時間持続しましたら、今日の日の
一時間の間は、自分の心の苦しみとなる怒りや憎しみや謗り、愚痴、或いは
恨み、取越し苦労、不安、恐怖、或いは嘘、盗みの心は入ってきません。
「ありがとうございます」と言いつつ腹を立てることはできないはずですから、
その時間が長ければ長いほど、その方の一時間、二時間が喜び、満足に
みたされます。

安らかな喜びの時間が長くなります。
今日という一日は、私たちのかけがえのない一日です。
又、明日がある、明日やればいいと思いますけど、今日という日は私たちの
人生に再びは巡ってきません。
平均寿命七十年、日割り計算しますと、僅か二万五千日そこそこです。
その中の今日の一日です。
二万五千日のうちの今日の一日は完全に消え去っていきます。
余所の方が亡くなったと聞くと、「ああ、若いのになあ」と、まるで人ごとの
ように思いますが、しかし、これは自分の姿です。
やがて自分に訪れるのがあの死の姿ですね。
人ごとではありません。
この世に生まれさせていただいた以上、誰も永遠に生きることは許されません。
必ずあの世に帰っていかなくてはいけないのが、私たちの定めです。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-25 00:06:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


        アモン、アーメン、アーミ、阿弥


闇は、闇の中にあって、その闇の正体を知ることはできません。
しかし、光が当たりますと、必ず間違いは浮かび出ます。
誤っている者は正されるはずです。
高橋信次先生のお説き下さったこの正しい教えを前に溯(さかのぼ)りますと、
これはお釈迦様のみ教えであり、イエス様のみ教えであったのです。
だから、信次先生は最初の頃は、自分の法ではなくて「釈迦、イエスの教えの
原点に帰れ」と説かれました。

法とは、お釈迦様がおっしゃっています。
「私がこの世に現れるずっと以前から、法は存在しているものである。
私が説くのではない。この地球が現れた時、既にこの法は存在していたのである」と、
ただ、法は実在していますけれど、それを説く方が少なかったのですね。
インドでお釈迦様がお説きになりました。
その又何千年も前に北アフリカの、今のエチオピアの辺りに、
アモンという光の大指導霊がお出ましになって、
そのお方は太陽の姿の中に「神」を説かれたのです。

「神を知りたければ、あの太陽を見なさい。太陽は自らの身を燃焼させ、
自らを犠牲にして、その結果現れる熱と光―――これこそが慈悲と熱、
光は一切のものを差別されない、すべてのものに太陽の熱、光は注がれています。
み心とはそのようなもので、神とは大いなる愛と慈悲である。
人を殺す者さえ、自分を謗る者さえ、お許し下さいます。
それが神のみ心である。

この心を知ったならば、私たちは自ら行いなさい。
太陽の姿の中に自らを現わしなさい」と言って、お説きになったのが、偉大な
光の大指導霊アモンで、当時王様だった方です。
このアモンが、「私の教えを東のほうに伝えなさい」とおっしゃって、
イスラエル、ギリシャからインドへと伝わったのが、
お釈迦様の説かれた法のご先祖様になります。
バラモンとして伝わったのです。
そのアモンという方のお名前をイスラエル地方では、アーメンと呼んだそうです。
ギリシャに入ってアーミ、それがインドに入って南無阿弥陀仏のアミの尊称に
なっているそうです。
だから、もうお釈迦様のお生まれになる前に、
ちゃんと阿弥陀様がおいでになったのですね。


~ 感謝・合掌 ~


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「講演集」より。

2015-05-24 00:32:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より>


             講演集、 三


       地球を救うのは私たちの使命


誤った信仰の為に、或いは法を知ることなく苦しんでいられる方は、
いっぱいおられます。
それらの皆さんがどうぞ目覚めて、その過去の約束を思い出して下さいますように
一人でも多くの方を救っていきましょう。
これは使命です。

私たちは日本国中の方がこの法の光をもって、
喜びと調和のある日々の生活を送っていただけるように頑張りたいと思います。
過去も約束し、今生もこうしてほんとうに日本全国から縁ある方が集うて下さいます。
そしてお帰りになりましたら、まず汝の隣人を愛し、
身近な方から愛を実践することですね。

これは日本だけのこととは違います。
いろんな予言者によりますと、現在、地球は大変危険な時期にきております。
この地球を救うのは私たちです。
あのノストラダムスの大予言の中に、一九九九年は、
地球のとって非常に危険な時であると書かれています。
しかし、ほんとうに心から調和されて、平和と安らぎと、そして神への感謝、
そういうものに包まれましたら、この地球は救われます。

それは、神の光に満たされるからです。
何とか、共に頑張って一人でも多くの方が喜びと平安に心が満たされるよう、
そこへ導かれる為に頑張っていきたいと思います。
この教え―――私の話がだんだんと日本の各地に広まりますと、
誤った方たちは、その誤りが表面に現れていくと思います。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-23 00:17:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 三


           求める師に巡り合うご縁


同じく先月のお話会の時、東京から夜十二時頃に着いて、
朝まで家の表で待って下さった方がありました。
私のような者の為に、中にも入らず朝まで外で待っていただいたその方に対して、
ほんとうに申し訳ない、勿体ないことだと、思っておりましたら、
その方から次のような手紙を頂きました。

「―――長尾先生、ありがとうございます。
私は十一月二十二日の講演を聞かせていただいたあの晩、外で待っていた者です。
初めて会うのだから、病気のことなど訴えては厚かましい、
目的は法を聞きにきたのであるから、病気のことは口にすまいと決めていました。
ところが思いもよらず、先生のほうから身体を治していただき、
ほんとうに嬉しかったです。

いつも奇跡は他人のことといったふうにどこか侘しく思っていましたので、
わが身に起こったことは大変な驚きです。
話は前後しますが、前の晩、門前で待っていた時も、寒さはあっても、
苦しいとは思いませんでした。
というのも、寝そべって山門と星空を見上げていたら、
ずっと昔も、師を訪ねたこんな自分があったような、
何か懐かしい思いで胸がいっぱいだったのです。

本当に来たるべくして来たような神秘的な思いでした。
又お会いできる日を楽しみにしています。―――」
このように書いていただいております。 
この方は師を求めて、その昔、中国で師に合うために山門で朝まで待たれた
過去の記憶があったのです。

自ら求める師に巡り合う為には、夜通し外で待っていただいて、
こうして縁を頂く方も多々あるのですね。
私自身、過去は知りません。
しかし皆さんから、私の過去を証明していただきます。
或る時はイスラエルで、或る時はインド、又ギリシャで、中国で、
ご縁のあった心の友が今こうして集うておられます。
すべて過去に深い縁のあった方ばかりです。
いとしい友よ、この見えない糸によって、
この場所にこうして集うているのです。
お互いに、一人でも多くの方を救っていきましょう、
喜びを与えていきましょうと言って、誓い合った仲間です。


              ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-05-22 00:13:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


          お話会での不思議な体験


先きの続き・・・

この白髪の私が、忽ちに黒い髪になり、揉み上げまで綺麗に生えましてね。
鼻の下までこの写真のイエス様と同じになったそうです。
その方は、イエス様とは知らずに、「長尾先生のお写真がここにあります」
と言っていられました。

こういう不思議なことがあります。
お釈迦様の話をさせていただきますと、
いつの間にか顔が丸くなり、耳が長くなって、びっくりされる方があります。
これは、高橋信次先生もご講演の中でよくこのような話をされ、
ご著書の中にも書いていられます。

それは、私たちが法を行じ、人類の偉大なお師匠様の正しい教えを伝えた時に、
その意識が来て下さって、そして変貌してしまうのです。
私自身が変わるのではなくて、尊い偉大なお師匠様に来ていただけるのです。
この間、静岡の会場で「心行」を読ませていただいたのと、
今日読ませていただいたのとでは、全くその波動が違うのです。

静岡では、高橋信次先生の意識が来ていられました。
だから東京の方は、「高橋信次先生が来ていられたのが分かりました」と、
おっしゃっていられました。
尊い方を慕い褒めたたえ、その方のみ教えに従った時、必ず来て頂けるのです。
どこにでも来ていただけるその一つの証しです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-21 00:13:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


           お話会での不思議な体験


先きの続き・・・

白いはずの頭は自然といいますか、二度三度と意識して見ていますと、
額の上から自然に黒い髪になり、そして頬が髭になり黒くなって、
全く別人に変わってしまいます。
どこの国のお方か、日本人でないのは分かるけれども、不思議で不思議でたまりません。
先生の過去世の方でしょうか、と話してみました。
もしかして、他の方にもそんなふうに見えなかったかしらと思ったりして、
聞いてみたい気がして、数日後、長尾先生をお訪ねしたところ、先生の所に私が
見た方の写真が飾ってありました。
私は思わず息をのんで見入ってしまいました。

私はいつか、ここで、この写真を見ていたのだろうか、
それが講演中に重なってきたのだろか、そんな記憶はないけれども、
思わず先生に、『いつからここにこの写真はあるのですか』と尋ねると、
『或るお方が昨日持って来てくれました』とのこと。
やはり、私は見ていなかった、私はこの写真の方を二十二日のお話会で見たのです。―――」

そのお写真というのはここにあります。
イエス様のお写真です。
その方の見られた時には、この写真は無かったのです。
後日こられた時に、たまたまそこに置かせてもらっていたのです。
その方がこられるなり、「先生のお写真がここにあります」と言われるので、
「いや、これはイエス様ですよ」と言いますとね、又びっくりされました。
「―――講演中、先生のお顔が、その写真のお顔に変わっていたのです。
私は思わず何回も先生に問い詰めていました。
他にいられる来客のことも構わずに。

これは一体なぜかしら、確かにこのお顔でした。
いくら目をこすって見ても、このお顔になるのです。
これはイエス様の心霊写真とのことで、又驚きました。
そう言われて、落ち着いてよく見せていただきますと、よく見かけるイエス様
と少し違うようですけど、ちょうどその時、東京から五人の方が来ておられて、
その中のIさんという方が、私もどこかで見たことがあると言われました。
不思議なことがあるものです。

長尾先生とのご縁もまだ僅かな私です。
テープはよく聞かせていただきますが、お話会で皆様と一緒に講演を聞くのは
初めてでしたのに、ただただ、自分でも驚いています。
何かに引き込まれるように、現在、模索中の私です。―――」
このような感想を書いていただきました。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-20 00:17:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三


          お話会での不思議な体験


先きの続き・・・

それは、どんな時に、そういう感じを受けられたのかと言いますと、
「いといと小さき神のみ使い」としての自分を自覚させて頂いた時で、
「光の大指導霊は言われました。
自らの過去を紐といた時、絶対に人に明かしてはならないという重荷を自ら背負いました。
過去の私が今の私に何の関係がありますか、過去がいかに偉大であったとしても、
今の自分が間違っておれば、自分の過去に疵をつけます。

又、私は過去にこんな偉大な人間だったと言いますと、
知らない方はそれによって迷い、又、ああ偉大な人だなあと思ってしまいます。
そのように、人の心に迷いを生じさせるだけで、
皆様にどれほどの利益や喜びを与えられるでしょうか。
迷いだけを与えます」と、私がそういう話をさせていただいていた時に、
この方が次のように書いておられます。

「―――静かな、どこかで聞き覚えのある懐かしさを覚えて、陶酔するような
心地になりました。講演なさっている方は、いつの間にか黒い髪と黒い髭、
私は今どこにいるのだろうかと、思わず我に返りました。
講演なさっている方は、頭の白い長尾先生です。
今までお話をされていた方は誰方かしらと思って、
目を何度も何度も瞬いてみました。

不思議でした。長尾先生の講演を皆様と一緒に聞かせていただくのは、今日が
初めての私です。そして又、話を聞いていると、
髪が黒くなって、別人の顔になるのです。―――」
モーセの十戒の中に、神はモーセに十戒を授け、
「私は天地自然の中にあって、
ただ一人である。私以外の何者をも神として祀ってはならない」と、
おおせられたことが書いてあります。

先月、自らモーセと称して神殿を作っている方があるという話をしました。
そして、自ら十戒を破るような方は贋者(にせもの)ですと話していました時に、
又この方は、次のように書いていられます。
「―――先生は再び黒い髪と黒い髭、本人ではない。
私は何度もハンカチで目をこすってみました。
  
しかし、一瞬、長尾先生に戻っても、その髪は黒に変わり、
高見山関のように揉み上げまでも黒く、鼻の下まで黒い髭です。
なぜだろう。
私は人々にも話せず、あの方は誰方ですかと、頭の中はそれで精一杯、
家族に言っても信じてもらえそうにないので、深く心に思い、
後日、Y様を訪れてご夫妻に話してみました。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-05-19 05:19:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


        お話会での不思議な体験


そういう中で、いろいろと不思議なことを見せていただきます。
先月のお話会で、不思議な体験をされた方がございます。
その方は一番後ろのほうに坐っていられたのです。
今日までに、テープはもう擦り切れるほど聞いていただいたそうですが、
こうしてお話会で聞いていただくのは、初めての体験だったのです。
お話をしていました時に、私の白髪が真っ黒になってきて、
髭が生えてきたそうです。

そして鼻の下まで髭が生えてきて、揉み上げの一本一本まで分かったそうです。
「一体自分は今どこに来ているのかな、今、話をしていられる方は誰方かな」
と思って、目を瞬(しばたた)きながら、ふと我に返りますと、又、白髪の
私がいるそうです。
話をさせていただいていますと、私の格好が全く変わってくるというのですね。
その方が、体験なさったことを書いて下さっているので、ちょっと
読ませていただきましょう。


               ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-05-18 00:09:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


        安らぎは真の教えを実践した証し


今日、九州から来ていただきました方々は、
先にS会に入って勉強なさっていたそうです。
ところが、そこの先生とお会いしても涙が出たことはなかったのに、
私と初めて会いまして、突然涙が出て出て止まらないとおっしゃいます。
そういうふうな現象が起きますのは、
心の奥底で求めていた本当の教えに巡り合ったというその喜びによるのですね。
いろいろな先生方が、その方その方の教えを説いて下さっています。
しかし、心を打つものがなかったら、これは本当の正しい教えとは言えません。
それは言葉ではないからです。

自ら正しい教えを行った時、その証しとして安らぎを与えられます。
その自ら頂いた安らぎは、又他に安らぎを与えていきます。
その安らぎが、ああ、巡り合えて良かったという喜びに変わるのですね。
表面の意識は知らなくとも、
内在した意識がその喜びのこみあげるのを感じるのです。
私自身は未熟者でございます。
他の先生方のような立派な人間ではございません。

日々の生活の中で、皆さんが来られたら、お茶も汲ませていただきますし、
そこらの拭き掃除もいたします。
皆さんの僕となって生きさせていただいております。
ふん反り返って偉そうにいう人間ではございません。
私は神の僕となり、人々の僕となって、生きることです。
高橋信次先生は、自慢しなさい、
偉そうにしなさいとは、一言もおっしゃっていられません。
「神の心をわが心に頂き、わが身をもって神の御心を現わしなさい」と説かれましたが、
つまり、それは法を行なうこと、実践することです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-05-17 00:09:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 三


         「心行」の朗読


高橋信次先生が書き残して下さった「心行」を
毎回朗読させていただいております。
或る方は、この「心行」はもう古臭いと言っておられます。
しかし、神理に変わりはありません。
太陽は東から昇り西に沈みます。
これは永遠に変わることはありません。

しかし誤った指導者の中には、
「私は太陽を西からあげてみせる」と、
こんな愚かなことを言っている者もあります。
もし太陽が西からあがりましたら、
この地球は忽ちにして分解します。
太陽系は即、崩れてしまいます。

太陽系が崩れますと、銀河系宇宙に支障が起きます。
そして、大宇宙の存在が不可能になります。
こんな初歩的なことが分からないで、
法の指導者とは、とんでもないことです。
幼稚園の子どもでも知っています。

ところが、増上慢からこういう間違いが起こってきます。
私たちはこの「心行」を大事にしていきたいと思います。
私は死ぬまでこの「心行」を、
心の糧とさせていただきたいと思っております。
―――「心行」の朗読―――
ありがとうございました。


         ~ 感謝・合掌 ~



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