浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2014-04-30 00:31:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真は在り日の浄心庵「心の道場」への正面入り口。


        ~ 恩師のご著書「愚か者の独り言」より ~


            講演集 一


                   「偉大なる光の王に導かれ
                       我が身は動き口は語らん。」
                                     長尾弘


はじめに

この講演集は縁あるお方のご好意とご尽力により、
お話会のテープを文字に起こしていただいきましたものを、
何回分かまとめて一冊の書として世に著したものです。
幼い頃より「神様とは一体どのようなお方だろうか、
人間とは何だろうか、心とはどういうものだろうか」
常にこのような思いから離れることができませんでした。
昭和四十九年十一月、
私は故高橋信次先生のご講演に縁をいただき、
反省することによって己の心を知ることを学びました。
そして人間を幸せにするもの、或いは不幸にするものは、
すべて自分の心の作用によって現れていることが理解できました。
その結果、
今の私はこの世の中で誰よりも幸せ者であると自認しております。

人さまは、私の毎日の生活が、一年中ただ一日の休みもなく、
自分自身の時間が皆無に等しいのを御覧になると、可哀想な奴だ、
自分のことは何もできないで馬鹿な奴だ、と思われるかもしれません。
しかし、そう思うのは思う方の心であって、私の心ではありません。
自分に与えられた環境の中で足ることを知り、
常に感謝に心を切り替える練習を積み重ねた時、
たとえどのような環境の中にあっても私の心の中は
幸せでいっぱいになります。

この幸せを一人でも多くの方々にお伝えしたい、
喜びに満たされてほしい、苦しみから救われていただきたい、
ただこの一念で私の命の尽きるまで
人さまにお伝えさせていただきたいと思っております。
浅学非才無学文盲の愚かな者ですが、
日々の生活実践と自分の体験談を通して喜びに
至る道のお話をさせていただいております。
この書の出版にあたり、
全くの無償の愛の奉仕によってご尽力下さいました皆様に
心から感謝を申し上げますと共に、
この書に縁ある皆様のご幸福を祈念致します。

                                合掌
                                    平成元年一月
                                    長尾弘


            ~ 感謝・合掌 ~




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「心行の解説」より。

2014-04-29 00:37:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


               編集後記

この度「心行」の解説下巻が出来あがり、ここ上・下二冊が揃い完成しました。
平成五年一月「心行」の解説上巻の上梓直後から、お忙しい先生にお願いして、
引き続き同下巻の原稿(ご講演のテープをおこしたもの)に目を通していただけますよう
ご無理を申しあげ、もうこれ以上の催促は控えなくてはと思うほどご多忙の限界の中で、
先生には時間の遣り繰りにご苦心下さり、恐らく寝ずの作業だったと思われますが、
約束の期限に合わせて原稿を仕上げて下さいました。
解説の補足、字句の修正など細々と手を入れて生き生きと活気を帯びるのはまさに
画龍点睛の趣がございました。

お陰様で先生のお教えの原点であり、
核ともいえる「心行」の全行について上・下通して学べる幸せを頂き、
皆様と共に喜び、感謝したいと思います。
今や、長尾弘先生の伝道の旅の足跡はここ数年地球全土に亙り、
正しい法と先生の大きな愛は日本国内はもとより、
ドイツ・オーストリア・スイス・イタリア・フランス・イギリス・香港・韓国・台湾・ブラジル・アメリカ・
イスラエル・インド・中国・オーストラリア・ポーランドへそしてさらにロシアにまで及ぼうとしています。
故高橋信次先生がかつて「正法は世界中に広まるであろう」と予言された通りでございます。

長尾先生が行かれる先々で起こる数々の奇蹟は、それを見たり、聞いたり、
またビデオで拝見する度にその不思議な現象に只々驚き、感動するばかりです。
ことに、ドイツへ行かれて帰国後間もなく、世界中の人が予想もしなかった、
まさかと思うあの堅固なベルリンの壁があっという間に崩壊しました。
また、イスラエルへ行かれた直後には、
積年の複雑な事情による混乱で解決の糸口さえ掴めない状態だったパレスチナとの
和解のきっかけが生じ、現在少しずつ争いを止める方向を模索しつつあります。
さらには、先生がソ連の上空を飛んでおられた時、気中から
「どうぞこの国に安らぎをお与え下さい」と祈られましたら、
下のほうがパッパッと目も眩むほど光ましたそうで、そうすると、ソ連邦は終焉し、
ロシアの誕生という、これまた思いがけない出来事に世界中がびっくりしました。

これは単なる偶然と思う人、また先生とは縁なく関知せぬ人も多いことでしょうが、
知る人ぞ知る、間違いなく長尾弘先生の比類を超えたパワーの発露によって
世界中が大きな調和に向けて確実に胎動し始めていることを認めないわけにはまいりません。
イスラエルで、聖母マリア様の前に立たれた先生が掌を合わせて語りかけられると、
大理石の象はまるで生きた人のようになり、眉が動き御目から涙が溢れ出て、眼の中の
血管まで見える不思議なマリア様のお姿がビデオに写されております。
インドの仏陀の涅槃像の前で祈られました時は、日本の五百円硬貨よりも大きな金箔が
まるで花びらのように無数に舞い降りて同行の方々が驚かれました。
また、生まれつき聾唖の方が先生の愛を頂いて、
当然知るはずもない言葉をだしぬけに発せられたという事実も、
驚異というほか言い表しようもございません。

インドでは、マザーテレサ女史と親しくお会いになり、
インド大統領に招かれて官邸での歓迎を受けられ、
イタリアのミラノでは市の名誉市民賞も受けておられます。
先生は、「人間はみな等しく内に神を宿しており、
私たちは一人ひとり神の具現者である」と教えて下さいます。
長尾先生ほどの、神そのもののお姿にまで達することは至難であるとしても、せめて、
先生の足許に近寄ることができますように、日々地道に善を積んで悪をとどめ、
常に心の曇りを払う実践に努めて、魂を向上させていきたいと思います。
国内において身近に阪神・淡路の大地震を経験しました今は、
なおのこと一瞬一瞬を大切に生きなくてはとの思いを新たにしております。
ここに、長尾弘先生のお導きに対し心からの尽きない感謝を捧げて、
御著書編集の後記とさせていただきます。

               合掌

                      平成七年七月


              ~ 感謝・合掌 ~






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「心行の解説」より。

2014-04-28 01:44:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

「心行」のお話は先月で終わっているのですが、日々の生活において、
法を常に実践した時、神仏の光が頂け、
迷いから抜け出ることができるということを各自銘記して下さい。
「この教えは世の果てるまで変わることのない神理である」
と書いていただいております。
日々の生活の師として、何かあった時には読み返して、
「そうだなあ」とかみしめて下さい。
「反省しなさい」
と書いてあるから反省してみようかと思っていただいた時には、

守護霊さんがご協力ご指導して下さると書いてあります。
また、宇宙の存在とか、太陽系の存在についても、
何回も何回も読ませていただいたら分かり易く書いてあります。
私も「心行」から学ばせていただきました。
常に日々の生活の中でこの「心行」をお師匠さんとして
学んでいきたいと思っています。
正しい法とは、どれほど時代が変遷しても、人の心が変わっても、
同じように変わることのないものです。
この「心行」に説かれている神理はいかに時代を経ても、
社会の環境が変化しても変わることはないということです。
ですから大事に学んでいきたいと思います。

合掌


            ~ 感謝・合掌 ~ 




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「心行の解説」より。

2014-04-27 02:56:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

例えば、「汝、人の血を我が内に受け入れることなかれ」と聖書に書かれています。
「血」と書いてあって、「血液」とは書いてありません。
「血」とは、その人間が持っている癖、欠点、業のことです。
それを血液と間違えて受け取って輸血すれば助かるものを、
教えに背くと自分のいとしい子を殺してしまった方があるのですね。
また、自ら輸血を否定して死んだ人のことも新聞に載っていました。
こんなことをして、ほんとうの神様がお喜びになるでしょうか。
誤まった教えのためにわが子を死なせてしまった時、
父なる神は絶対にお喜びにならないと思います。

しかしこのことについて、誤った信仰の方たちは「これは殉教である、
すばらしい行為である」と称えております。
いとしい子の命を救ってこそ神は喜んで下さるはずなのに、
可愛いわが子の命を奪って、
いったい誰が褒めてくれますか。
教えによって、
ほんとうの真実が曲げられていることはたくさんあります。


            ~ 感謝・合掌 ~ 




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「心行の解説」より。

2014-04-26 02:43:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はインド・クシナガラに在る涅槃堂に安置されているお釈迦様の像です。
    恩師の祈りによってお釈迦様に掛けてあるカバーに金粉・金箔が沢山降って降きました。


         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

二回目、三回目と来られた時、
「主人も子供たちもぜひ先生にお目にかからせてほしいと言っています」とおっしゃるから
「あなたが想像されたような立派な格好をした人間ではないと、
ちゃんと伝えて下さいよ」とお願いしました。
「それは間違いないように言うておきます」。
次の時、「どんなふうに言うてくれましたか」と聞きますと、
「お百姓のおじちゃんが、今肥たごをおろして入ってきたような人だといっております」
「それなら間違いないでしょう」と言ったことがありますが、
キリスト教でも、イエス様がご苦労なさって、命がけで人の命を救われた姿と、
今の教会の奥におられる牧師さんとか神父さんとかは、とてもかけ離れた方が多いです。

イエス様のようなお方は一人もおられませんと言えば怒られますが、
そういう方は砂の中からダイヤモンドを探し出すほどしかおられません。
お坊さんも同じです。
お釈迦様のように生きておられる方はごく稀で、殆どありません。
これは、長い時間のうちに、人間の知識と思いが、時の権力者の欲望も入りまじって、
正しい教えを間違ったものに変えてしまったのです。
ですから仏法を学ぶのであれば、その原点を学ぶことであり、
キリスト教を学ぶのであれば、イエス様がどのようにして生きられたのか、
どのようなことをおっしゃったのか、
それを求めて聖書をほんとうの意味を学ぶことです。
イエス様が教えられたことは、表面の言葉としての意味と、
文字の底に沈められている深い意味とがあります。
文底の秘文といって、文の底に沈められている意味を学ばなくてはいけません。
</FNT>

            ~ 感謝・合掌 ~ 




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{心行の解説」より。

2014-04-25 02:12:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はインド・ナーランダ佛教大学遺跡の寝台址。
    学僧が使用していた学生寮のベッドと言われています。


       ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

以前、山口で話をさせていただいた時、
お話のテープを文字に起こしてそのプリントを
たくさん送っていただきました。
それを熱心なクリスチャンのご夫婦が、
ヨーロッパへ行く飛行機の中で詠まれて、
「ああ聖書の中に書かれていることをそのまま話しておられる、
ひょっとしたら、イエス様が日本にお生まれになったのと違うだろうか、
日本に帰ったら早速お訪ねしたい」と思われ、
奥様が何をおいてもと、ここへ来てくれたのです。

ご主人の聖書を見せてもらうと、
どのページも全部赤線が引いてあるほど、
熱心に信仰なさっている方です。
凄くハイカラな方でモダンなスタイルで来られましたが、
私はランニングシャツとステテコ姿でいたのです。
「先生おられますか」と言われるので、
「先生みたいなものはおりません」と言うと、
「山口で講演された長尾弘先生です」。

そこで「それは私です」と言うと、びっくりなさっていました。
立派な方が奥からしずしずとお出ましになられると思っておられたそうです。
その時の「ヘエ―」と言って驚かれた顔が今も目の前に浮かぶようです。
あまりびっくりなさっていたので、今のお話をさせていただいたのです。
「あなた達が最も尊いと尊敬なさっているローマ法王のような格好を、
イエス様はご存命中に一回でもなさったと思いますか。
弟子は先生のように生きるのが、弟子としての姿です。
先生が着たこともないような立派な衣を着るのは
弟子のとるべき態度ではないはずです」「それもそうですね」と。
いろいろお話して、よく理解していただいたのです。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「心行の解説」より。

2014-04-24 01:11:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はお釈迦様の生誕地ルンビニにて
     初体験の像乗りを楽しまれる(?)恩師「長尾弘」先生。


          ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

お釈迦様の死が近づいた時、側に仕えて世話された阿難さんが、
「仏陀が亡くなられた後の
なきがらはどのようにしたらいいでしょうか」と尋ねると、
「そんなものはそこらに放っておきなさい。肉体は在家の者が適当に処置するであろう。
肉体にかまうよりも、しっかりと法を精進しなさい」とお釈迦様はおっしゃったのです。
今お坊さんのする葬式というのを当時は在家の者がしたのですね。
それが仏教の原点だったのです。
今の仏教というと、お線香をあげて、難しいお経をあげるものと思っていますが、
ほんとうの仏教というのは、今は無いのです。
形の変わったものが仏教だと思っているだけです。

高橋信次先生は、「仏教の原点を学びなさい」と言われました。
学ばせていただくと
「なるほどそうか、お釈迦様がお説きになったものと今の仏教とは
それほどまでに変わっているのか」ということがよく分かります。
キリスト教についても同じことがいえますね。
今はローマ法王の姿がキリスト教の偉い方だと信じていますが、
イエス様はああいう豪華な姿をいつされたでしょうか。
その生涯にあって一回もそういうことはありませんでした。
一般の我々と全く変わらない同じ姿をされ、
生活も同じようにふるまわれて多くの人を救われたのですね。
あらゆる病を癒されたと書かれています。


            ~ 感謝・合掌 ~



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「心行の解説」より。

2014-04-23 01:03:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はお釈迦様が瞑想・反省をされている所へ悟りを妨害するために
   マーラがお釈迦様を誘惑にきたものを壁画として描写されたものです。


         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

今の数えきれないほどの多くの宗教は、
お釈迦様がお説きになった教えとは似ても似つかないものに変わっております。
今の仏教とは、まず京都のお寺などで見られるような、
お客がお金を払って入る観光寺院と、
もう一つ、私たちに切っても切れないお葬式です。
お坊様といえば葬式、葬式といえばお坊様が必要不可欠の存在になっています。
まず人が死ねば枕経、葬式のお経、火葬場でのお経、お骨をあげに行った時のお経、
お骨をあげてお寺へ帰ってきてからのお経、死後七日ごと四十九日までのお経、
むかわりのお経、そして、あくる年がまわってきて三年のお経、七年のお経と続きます。
「お前死だらわしゃうれしい、七日七日に米五合、むかわり三年、また七年」といわれています。
一人死んでくれたら次々とお布施が入るわけで、昔はお布施は米五合を供えたのですね。
四国へ行かせてもらった時、そこの主人はお坊さんとよくカラオケに行くそうです。
そのお坊さんが、「どうも不作でいかん。もう少し死んでくれないかなあ」といつも
言っているというのです。死んでくれないと収入がないのです。
お釈迦様の当時はこんなことは絶対になかったのです。
お葬式に出家された方がお参りするということは絶対にありません。
お坊さんはお葬式とは全く関係がない存在だったのですね。


             ~ 感謝・合掌 ~




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「心行の解説」より。

2014-04-22 01:33:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はお釈迦様が大悟される前に菩提樹の木の下にお坐りになられて反省・瞑想された
     菩提樹の末裔にあたる現在の菩提樹です。〔ブッタダガヤ〕


         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

このようにはっきりといっぺんに治るという現象として現れた場合は、
「ああ本物だなあ、救われてくれたなあ」と分かりますが、
何の証明もなかったら信じることはできませんね。
そういう宗教に限って何も証明ができません。
なぜかというと、嘘か本当か分からないものに何十万円、何百万円と取って、
不当なるお金を集めているようなものに、
神が力をお与えになるはずがないからです。
神はたださせていただく時にのみ、神の御業を現わされます。
欲の曇りで神の光は遮られるのです。
欲を持たず、ただ救われてくれたらいいと思って尽くす時には
何の曇りもありませんので、神様の光がすうーっと通っていくのです。
ところが、そんな法外な大きなお金を取っているようなところへは
欲の曇りで光が止まってしまうのです。

一回見てもらって二十万円というような宗教もあります。
そこへ行って治ったというお方はごく稀です。
治らなかったといって後から苦情を言われないように、
前もってちゃんと誓約書を書かされるそうです。
「もし治らなくても、お金を返してくれとは言いません」そして、判を押すのです。
「やっぱりだめです」と言って、よく私のところへ来られます。
これらの宗教を偽物だと見抜けない限り、本物に巡り合うことはできません。
そしてほんとうに巡り合えるご縁というのは、どれほど難しいものかということですね。
私たちは今、ほんとうに正しいご縁を頂きました。
ほんとうに正しい教えとは、高橋信次先生を縁としての正法だったのです。
先生は講演の時、大きな縦長の垂れ幕を垂らして、「釈迦・イエスの教えの原点に還れ」
と書かれていましたが、釈迦・イエスの教えの原点こそ正法だったのですね。


          ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-04-21 00:58:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はお釈迦様が大悟されたブッダガヤに建立されている大菩提寺の
     入り口正面に安置されている全身黄金に輝く仏像です。


         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

この宗教を信仰しているおじいちゃんとおばあちゃんがあって、
おじいちゃんに、「あなたの亡くなった先妻さんと、お母さんが憑いている」と言って
その宗教で二人分二十万円をあげてご供養してもらわれたのです。
「それで、取れましたか」と聞くと、「分かりません」と言われるのです。
「分からなかったら何にもなりません。
どうして憑いているということが分かったのですか」と聞くと、
おじいちゃんは年をとってヨボヨボしていますから、
おばあちゃんとその娘さんとが、「何ぐずぐずしているの」と聞くと、
「ああ、お母さんがいてくれたらこんな目に遭わないのに」と言って
泣くから憑いていると思ったというのです。

「では先妻さんが憑いているのは、どうして分かったのですか」と聞くと、
おじいちゃんがコンコンと咳をする、
先妻さんは胸を患って死んだので常に咳をしていたから、
それがおじいちゃんに憑いて咳をさせているのだと決めたそうです。
そこで二十万円を供えてご供養してもらって、
結果は何も良くなっていないというので、
私は言ったのです。「そんな供養をしてもらって、
おじいちゃんの病気が治ってああ良かった、
いいことが起きてよかったという証明がなかったら、
供養されているのかされていないのか分かりません。

私なら供養代は一銭も要らなくて証明してみるから、
おじいちゃんを連れてきなさい」、
そこでおじいちゃんを連れてきましたから、
「おじいちゃんどうですか」と声をかけると、
「わあ、わあ、ああ」とものを言うのも通じないのです。
おばあちゃんに通訳してもらって、
「おじいちゃんにお母さんや先の奥さんが憑いたら叶わないから、
私が今日お救いしましょう」と言って、
憑いているおられる方をお救いしてあがってもらったのですね。

そうすると、おじいちゃんがいっぺんに治ってしまって、
今までグニャグニャと言って死にかけたようになっていたおじいちゃんが、
「ここは結構なとこです。まあ、どうぞお上がり下さい」と言って、
来られたお客さんの受付をしてくれました。
見ていた方達がびっくりして「今死にかけていたおじいちゃんが受付してますよ」と
知らせてくれたのですが、そういうことが起きています。


         ~ 感謝・合掌 ~



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「心行の解説」より。

2014-04-20 01:20:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はインド北部アーグラに建立されている総大理石の墓廟タージ・マハル。
    世界一に美しい建築物と言われています。
    ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンが1631年に
    死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設。


         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

そのことを人間の肉体が教えてくれています。
まぶたは上から下へ下がった時、目の前は真っ暗になります。
家庭の中で奥さんが主人のいうことを聞かないでいたら、
目の前が真っ暗になってしまいます。
女は陰の存在、男は陽の存在で、陽は上に陰は下にあります。
私たちの顎も下から上に合わせるようになっていて、上に顎は絶対に動きません。
それで私たちの肉体が保存できるようになっています。
下が上に合わせるようになっており、そうすれば家庭も調和します。
女は下から上の男の人に合わせていくものであって、
逆らったら口が開いたまま飯が入らないようになっているのです。
瞼が上から下へ下がると真っ暗になるように下(女)が上(男)を下げさせると
家庭が暗闇となってしまいます。

今の宗教の中には、教えることはすばらしくても、
その実践において家庭の破壊や親不孝を実践させる教えもあります。
そういう信仰をしていると、いつの日か必ず苦しみとなって現象化してくるのです。
ある宗教では、一つのものに三万円、五万円、十万円とあって、同じ買うなら十万円が
有難いといってみな一番高いものを買うそうです。
それに向かって毎日拝んでいたら救われていない霊が出て来るので、
難儀なことだと思って本部へ行って供養のお願いをするのです。
すると一霊ご供養してもらうと十万円要るのです。
五人の霊が出てきたら五十万円供えなければならない、
こうして拝んでもらっているうちにまた三人出てきて、
さらに三十万円持っていかなくてはいけなくなるのですね。

全国的組織を持つ宗教ですから、信者さんがいっぱいで、
大広間には「何日供養します」といって受付けますが、
その教祖様は生神様のように偉い人ですから出てきません。
係の人が「誰々さん、只今ご供養が終わりました。
ご霊様何名様終わりました」と報告をすると、
その大広間にいる皆さんがパチパチと手を叩いて拍手をするのです。
そして次にまた、
「誰それさん、ご先祖様何名のご供養、終わりました」と言うと、手を叩いて、
朝から晩まで拍手が鳴りっぱなし、こうして拍手のたびに何十万円と入るのです。
これは現実です。


           ~ 感謝・合掌 ~







 

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「心行の解説」より。

2014-04-19 00:25:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はお釈迦様好んで法を説かれた場所の一つと言われいる
     霊鷲山山頂にて我らの恩師もお祈りして下さいました。


      ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

この日本には二十万というたくさんの宗教があり、
みな人が幸せになるためのいいことを教えています。
しかし教えていることと実践面が逆になっている場合が多いですね。
お釈迦様は「幸せになりたい人、
福徳を求めるバラモンは時々如来といわれる方に献花の
供養をしなさい」と教えられました。
時々花を捧げることによって心が広く豊かになるからで、
心が大きくなれば徳が入ってくる、
法施・財施という教えを説いておられます。
出家なさった方は、在家の者に法を施して下さる、
だから在家の者は出家された方に対して財を施すという、
「法施・財施の教え」を説いておられます。
今の宗教はその点、「あげなさい」と言い、また、物を売っています。
百貨店ほど物を売っている宗教があります。

家の屋敷も全部供えなさいというのもありますし、
お賽銭は硬貨でなく音のならないお札をあげなさいという宗教もあり、
少しでも供えたら徳があると教えています。
ひどいのになると、
「男は腹が小さいから、主人に内緒でお金をあげなさい」というのもあり、
「今、お金がありません」と言うと「サラ金で借りてあげなさい」という、
ひどいのが現実にあります。
それを信じて主人に内緒で一生懸命あげたのがばれて
離婚された方もたくさんあります。
家の中で内緒事をしたら絶対にいけません。
不調和になります。
主人に逆らったら幸せになれないのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「心行の解説」より。

2014-04-18 01:43:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はお釈迦様大悟の地ブッダガヤの大塔が建立されている傍の園内の一部。


        ~ 恩師の「心行の解説」より ~


「心行」の解説を私なりに、ここ二年半に亙ってさせてもらいました。
今日をもって「心行」の解説を終わらせていただきます。
いよいよ最終回でございます。
神仏の光明を得ることは、正法の生活の実践の中にあります。
正法の生活とは、調和された日々の生活ですね。
この生活実践の中に神仏の光明を頂くことができます。
迷いの岸である此岸から、迷いのない川の向こうの岸、
彼岸へ到達することを悟りの世界へ至るといっています。

向こう岸へ至るためには何も厳しい行をしたりお経を唱えたり
特定の修行をしなくても、
調和された正法の生活をすれば到達できるのです。
神仏の光明が与えられます。

正法の生活とはどういうことか、と追求させてもらいますと、
やはり、自分の心を波立たせないこと、
貪欲によって心を曇らせないこと、愚痴から離れることです。
愚痴によって正しくないものを間違いと思う愚かな智恵から離れることです。
ぐちぐちと嫌なことをいうのが愚痴だと思いますが、
ほんとうの意味は「愚かな智恵」ということです。
この愚痴から離れない限り「本物」を知ることができません。
間違ったものを間違っていると認識しない限り「本物」を知ることができません。
間違ったものを間違っていると認識しない限り、
ほんとうの正しいものには巡り合えないということです。


         ~ 感謝・合掌 ~



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「心行の解説」より。

2014-04-17 03:30:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真は天上天下唯我独尊のポーズをとられた生誕直後のお釈迦様の立像が
   安置されているルンビニに在る旧の麻耶堂を見学された恩師「長尾弘」先生です。


           ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

人間には、「私がしてやった」と、恩にきせたがる心があります。
これも凡夫の心です。
恩にきせられたら、どんなにいいものを貰ったとしても有難くないものですが、
ましてや小指の先ほどの苺や出荷した後の小さいへた芋を人にやって、
「あそこの家へやった」と言いふらしているのは、そんなものでさえ恩にきせたがる
凡夫の心を見る思いがします。
「させていただく」と、「してやった」という心では、全く天と地ほどの違いがでてきます。
私たちは、数えきれない方々の働いて下さったお陰を受けて、生きさせていただいています。
米一粒、住む家一つみても、どれほど多くの方々の汗と労力を頂いているか分かりません。
私たちが死ぬまで精一杯人様のために働かせていだたいても、
なお返しきれないほどの恩恵を受けているのですから、
「してやる」のではなく、
その万分の一でもお返しをさせて頂くという気持ちで人様のために尽くさせていただく時、
恩にきせることはなくなると思います。

恩にきせる心こそ私たちを苦しめる大きな原因となっています。
してやった、してやった、
といい恰好をして自己保存・自我我欲に捉われる煩悩を捨てることが大事かと思います。
日々の生活において煩悩から離れた思いを学び、精進努力していきたいと思います。
長い年月をかけて「心行」の解説をさせていただきましたが、
私ごとき未熟者がとても解説しきれるものではありません。
「心行」解釈の一端として皆様の参考にしていただければ幸甚でございます。
縁生の友の皆様が幸せになっていただくことが私の幸せであり、
皆様の苦しみは私の苦しみです。
日々に精進努力して共に幸せになっていきましょう。


             ~ 感謝・合掌 ~




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{心行の解説」より。

2014-04-16 00:35:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はガンジス川のメイン・ストリートに当たる場所。
   ここでは昇陽を拝する人、沐浴する人、体を洗う人、洗濯する人、
    物売りする人、これらを見学する人などで大変賑やかなところです。


          ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

自分さえ良ければ人はどうでもよい、人に尽くすこともなく、人に親切にすることもない、
こういう人は裏切られることはないから案外心を苦しめることもなく、却って
幸せのように思えます。しかしこういう生き方をすれば何らかの形でその家庭は破壊して
いきます。他に冷たくて思いやりもなく、人に後ろ指をさされなが隆盛にいっていたとしても、
親子三代続いたという家は一軒もないはずです。
なぜかというと、人々と互いに手を取り合って助け合い、調和を目的として生まれてきた者が、
目的を果たさず、神仏との約束を果たしていないのです。
だから、そんな生き方をする者はいつまでも続かないようになっているのです。

「親の因果が子に報い」というようになっています。

そこで、よいことをして不幸にならない方法は、徹底して善い行いを積ませてもらって
「これは私を通して神様がして下さっているのだ」と思うことです。
そうすれば、腹の立つ部分も少なくなります。
もしも、善き行いをしながら自分の心を苦しめた方は、その結果を必ず自分が受けます。
しかし、神様が自分を通して相手を助けて下さったと思わせてもらった時は、
たとえ相手が裏切ったとしても、その裏切りの行為は神様に対して通じていくわけです。
途中で自分が腹を立てたら、神様のところへ行かないで、自分が苦しみを受けるから
不幸になってしまいます。

いっさいの望む心を持たないことですね。
相手のお礼の言葉、喜びの笑顔を求めても得られない時は自分が苦しいです。
いっさいを求めず、自分の善き行いは他に委ねること、つまり、神様が私を通して
善き行いをさせていただいたのだと思えばいいのですね。
その時、人は案外裏切らないそうです。
それは神の愛を受けるから裏切らないのです。


             ~ 感謝・合掌 ~




関連ブログ(こちらも御覧ください)
http://blog.goo.ne.jp/minraianko 「光の天使」・ブッダのことば
http://blog.goo.ne.jp/kaminoiyashi 「神癒の奇蹟」・心身の神癒




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