浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「ブッダのことば」より。

2016-08-31 00:18:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師「長尾弘」先生のご講演中を学びの友のお方がカメラに
収めたものですが、ご覧のように恩師、講演台、傍に置かれたお花、
後ろの垂れ幕などが まるでカメラがブレたように写っています。

カメラのブレでない証拠として同じ被写体ですが、舞台や聴講者は
少しもブレていないことが視認できるかと思います。
(不思議写真の一枚です)


       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第二 小なる章 

              四、 こよなき幸せ

262、   父母につかえること、妻子を愛し護ること、
         仕事に秩序あり混乱せぬこと、
         ―――これがこよなき幸せである。

263、   施与と、理法にかなった行いと、
         親族を愛し、護ることと、非難を受けない行為、
         ―――これがこよなき幸せである。

264、   悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、
         徳行をゆるがせにしなこと、
         ―――これがこよなき幸せである。


            ~ 感謝・合掌 ~ 

  

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「ブッダのことば」より。

2016-08-30 00:20:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの友の方たちと
イエス様に関係する史跡を訪ねてイタリアを訪問した際のビデオ撮影していた中に
何故撮影されていたのか不明ですがこの映像が写っていました。
(ビデオ撮影者は私ではありません)

この時の旅で訪問・見学した史跡は聖フランチェスコ教会、バチカン帝国、
ミケランジェロ作のピエタの像、ドミネ・クオ・ヴァディス教会
(十二使徒の一人であったペテロの教会=初代のローマ法王) などを見学。

お写真はこの像をビデオカメラに収めたものですが、
ご覧のように炎のような映像がこの像を覆っています。

磔刑の十字架から降ろされたイエス様を膝の上に置かれた聖母マリア様の
右手のみが僅かに写っています。
 (不思議写真の一枚です)


       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
              第二 小なる章 

              四、 こよなき幸せ

259、   諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、
         尊敬すべき人々を尊敬すること、
         ―――これがこよなき幸せである。

260、   適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、
         みずからは正しい誓願を起こしていること、
         ―――これがこよなき幸せである。

261、   深い学識あり、技術を身に付け、
         身をつつしむことをよく学び、
         ことばがみごとであること、
         ―――これがこよなき幸せである。


          ~ 感謝・合掌 ~ 







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「ブッダのことば」より。

2016-08-29 00:10:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真はフランスのサンジルタール修道院を恩師「長尾弘」先生を始めとして
多くの学びの友の方と見学に訪れた時、化粧棺に入れられ安置されている
聖ベルナデッタ様のお写真をカメラに収めたものですが、
ご覧のように青白い光線が写っていました。
(不思議写真の一枚です)


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

  
              第二 小なる章 

              四、 こよなき幸せ

わたくしが聞いたところによると、
―――あるとき尊い師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、
孤独な人々に食を給する長者)の園におられた。
そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころジェータ林を隈なく照らして、
師のもとに近づいた。
そうして師に礼して傍らに立った。
そうしてその神は、師に詩を以って呼びかけた。

258、  「多くの神々と人間とは、幸福を望み、
         幸せを思っています。
         最上の幸福を説いてください。」


            ~ 感謝・合掌 ~








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「ブッダのことば」より。

2016-08-28 03:15:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

先に恩師「長尾弘」先生の幽体離脱のお写真を
投稿させていただきましたが、このお写真も同じ日に
カメラに収められたものです。

このお写真の裏面に次のように記載されていました。
長尾先生に写真の解説をお願いしました。
先生が舞台登場の瞬間!!(光のドームに包まれて)
「新しい契約」の詩を朗読されていらっしゃるとき!!
(幽体離脱)
この曲線は光のドームと言います。
お花の精も踊っていますね。
これは皆さんに私の言うことを信じなさい。
これでもまだ神を信じませんか、これでもか、これでもかと神様が
示して下さいました。
2001年2月25日
「喜びの集い」東京会場にて撮影  埼玉・横浜・東京世話人
(不思議写真の一枚です)


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
             第二 小なる章 

              三、 恥

256、   成果を望む人は、
         人間に相応した重荷を背負い、
         法の喜びの味を味わっている人は、
         苦悩を離れ、悪を離れている。

257、遠ざかり離れる味と平安なる味とを味わって、
         法の喜びの味を味わっている人は、
         苦悩を離れ、悪を離れている。


             ~ 感謝・合掌 ~




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「ブッダのことば」より。

2016-08-27 00:10:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師「長尾弘」先生のご講演中を学びの友のお方がカメラに
収めたものですが、ご覧のように恩師を始めとして前に飾られた花々も
すべて白く発光しています。

後のご講演会の時、恩師はこのお写真をお示しになられながら
”これは私の涅槃像”ですとお話をされていました。
確かに形がインドのクシナガラのお釈迦様の涅槃像に良く似ています。
(不思議写真の一枚です)


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
             第二 小なる章

 
              三、 恥

253、   恥じることを忘れ、また嫌って、
         「われは(汝の)友である」と言いながら、
         しかも為し得る仕事を引き受けない人、
         ―――かれを「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。

254、  諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、
         ことばだけ気に入ることを言う人は、
         「言うだけで実行しない人」であると、
         賢者たちは知りぬいている。

255、  つねに注意して友誼の破れることを懸念して(甘いことを言い)、
         ただ友の欠点のみ見る人は、友でない。
         子が母の胸にたよるように、その人にたよっても、
         他人のためにその間を裂かれることのない人こそ、友である。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「ブッダのことば」より。

2016-08-26 00:18:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は大阪岸和田の浄心庵「心の道場」で瞑想・禅定をされている
恩師「長尾弘」先生ですが、ご覧のように道場全体が綺麗な紫紅色に
輝いています。(不思議写真の一枚です)

恩師が学びの友の方と「心の道場」で「自己をみつめる」の反省・禅定をしていた際、
一年間ほどは天来の音楽が聞こえ皆さんがこの世では聞くことのできない
天来の音楽を楽しまれたことや、ある時にはUFOが飛来してきたのではないかと思うような
「ゴー」というような音を聞かれたこと、また、ある時にはどこの国の言葉か分からないのですが
とてもおごそかな声でお説法をされているのではないかと思うような
お話が聞こえたきたとか・・・等々不思議な出来事をご講演会でおっしゃっておられました。

これらの出来事は恩師だけではなくその場におられたすべての皆さんが体験されたそうです。


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
              第二 小なる章 

              二、 なまぐさ

251、   以上のことがらを尊き師(ブッダ)はくりかえし説き給うた。
        ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれを知った。
        なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、
        跡を追い難い聖者(ブッダ)は、
        種々の詩句を以ってそれを説き給うた。

252、  目覚めた人(ブッダ)のみごとに説き給うた―――なまぐさを
        離れ一切の苦しみを除き去る―――ことばを聞いて、
       (そのバラモンは)、謙虚なこころで、全き人(ブッダ)を礼拝し、
        即座に出家することをねがった。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「ブッダのことば」より。

2016-08-25 00:46:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真はイスラエルに建立されている聖墳墓教会内に安置されている
聖母マリア様です。

恩師「長尾弘」先生がこの聖母マリア像に光を送られて、
そして心の対話をされた時、聖母マリア様が涙を流されました。

聖墳墓教会はその昔、
イエス様が磔刑に処せられたその場所(ゴルゴダの丘)に建っています。

この聖母マリア様の像は丁度向かってイエス様の磔刑に処せられたものを
模倣して建てられた十字架の右横に飾りケースに入れられて安置されてあります。

お写真ですからあまりクリアではありませんが、
聖母マリア様の瞼のあたりをよくご覧下さい、
涙で瞳が潤んでいるのが視認できるかと思います。

勿論、この像の材質は現地の石灰岩かその類の物で造られています。
(不思議写真の一枚です)


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
              第二 小なる章 

              二、 なまぐさ

248、   これら(生けるものども)に対して貪り求め、
         敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は、
          死んでからは暗黒に入り、
         頭を逆さまにして地獄へ落ちる、
         ―――これがなまぐさである。
         肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

249、  魚肉・獣肉(を食わないこと)も、
        断食も、裸体も、剃髪も、塵垢にまみれることも、粗い鹿の皮(を着ることも)、
        火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、
        不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、
        季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、
        その人を清めることができない。

250、   通路(六つの機官)を守り、機官にうち勝って行動せよ。
        理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、執着を去り、
        あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞したことに汚されない。」


              ~ 感謝・合掌 ~ 



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「ブッダのことば」より。

2016-08-24 00:18:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師「長尾弘」先生が学びの友のお方から贈られた
白衣を付けられてカメラで撮影されたものですが、
ご覧のように腰の辺りに白い光線(?)のようなものが出ています。
  (不思議写真の一枚です)


      ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

   
              第二 小なる章 

              二、 なまぐさ

245、   怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、
         極端の高慢、不良の徒と交わること、
         ―――これがなまぐさである。
         肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

246、  この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、
         法定で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々、
         ―――これがなまぐさである。
         肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

247、   この世でほしいままに生ものを殺し、他人のものを奪って、
         かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、
         ―――これがなまぐさである。
         肉食することが〈なまぐさい〉のではない。


               ~ 感謝・合掌 ~


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「ブッダのことば」より。

2016-08-23 00:16:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は先に投稿しましたインドのクシナガラに
建立されているお釈迦様の涅槃堂にて恩師「長尾弘」先生が
お祈りされた時に空中からヒラヒラと舞い落ちた金箔です。

手の平に乗せてお示しになられているのは恩師ご自身です。
この涅槃堂を恩師は七~八回ご訪問になられていますが、
その度毎に金粉・金箔が沢山降ってきます。

・・・と、説明文と写真をアップロードしました。

今回投稿のものはその涅槃堂に頭北面西右脇臥に安置されている
お釈迦様の像に掛けられた衣の上に金箔が
沢山舞い降りている写真です。
写真のためクリアではないですが、金箔が舞い降りているのが
視認できるかと思います。
   (不思議写真の一枚です)


       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
              第二 小なる章 

              二、 なまぐさ

242、   「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、
          詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、
          ―――これがなまぐさである。
          肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

243、  この世において欲望を制することなく、
          美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、
          不正の行いないをし、頑迷な人々、
          ―――これがなまぐさである。
          肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

244、   粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、
          極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんびとにも与えない人々、
          ―――これがなまぐさである。
          肉食することが〈なまぐさい〉のではない。


                 ~ 感謝・合掌 ~ 




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「ブッダのことば」より。

2016-08-22 00:14:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は不思議写真の一枚として先に紹介しましたモーセの
御足を慕っての恩師「長尾弘」先生の旅でモーセの教会を
見学して後、バスでカイロ国際空港に移動中の車窓を通して
アラビア文字がこの旅に同行された学びの友の方の カメラに
写りました・・・云々と説明しましたが、
これと全く同じアラビア文字がご覧のように透明の紙に
書かれたようにしてカメラに写っておりました。
背景に雲が見えますから空に向けてシャッターを切った時に
写ったものと思います。(よく覚えていませんが・・・)
アラビア文字の意味は先の投稿でも紹介しましたが、
”何かが出現する”と云う意味です。
その何かと云う何かは何であるのかはよく分かりません。ただ・・・
恩師「長尾弘」先生=救世主とすれば、救世主が現れるとの意味で
違和感がありませんが・・・このへんは皆さんの想像にお任せします。
       (不思議写真の一枚です)


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

   
             第二 小なる章

 
              二、 なまぐさ

239、   「稷(きび)・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・蔓の実を
          善き人々から正しいしかたで得て食べながら、
          欲を貪らず、偽りを語らない。

240、  よく炊がれ、よく調理されて、
         他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を舌鼓うって食べる人は、
         なまぐさを食うのである。
          カッサバよ。

241、   梵天の親族(バラモン)であるあなたは、
          おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、
          しかも(わたくしはなまぐさものを許さない)と称している。
          カッサバよ、わたくしはあなたにこの意味を尋ねます。
          あなたの言う〈なまぐさ〉とはどんなものなのですか。」


               ~ 感謝・合掌 ~ 




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「ブッダのことば」より。

2016-08-21 00:13:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師「長尾弘」先生が中国の黄山を登山された時にカメラに撮られた
ものですが、ご覧のように恩師の左胸のあたりに十字の光が見えます。

また、この黄山では雨雲のために景色が殆ど見えなくて、
恩師が手にしておられた登山用の木の杖を天に高く上げられ”開け!”と
叫ばれたら一瞬にしてその雨雲が払われて、山水画に出てくるような、
あるいはそれ以上の大変綺麗な自然(神)が作り出した山水画の景色を
見ることができたそうです。

恩師が後日の講演会でそのようにお話しされておられました。
      (不思議写真の一枚です)


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
             第二 小なる章 
 
       
               一、 宝

237、   われら、ここに集まった諸々の生きものは、
          地上のものでも、空中のものでも、
          神々と人間とのつかえるこのように完成した〈教え〉を礼拝しよう。
          幸せであれ。

238、  われら、ここに集まった諸々の生きものは、
          地上のものでも、空中のものでも、
          神々と人間とのつかえるこのように完成した〈つどい〉を礼拝しよう。
          幸せであれ。



             ~ 感謝・合掌 ~

  

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「ブッダのことば」より。

2016-08-20 00:30:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真は恩師「長尾弘」先生のご講演中のものを
   カメラに収めたものですが、現像した一番始めは光だけで恩師を
   確認することはできなかったそうです、
   光をだんだん絞っていってやっと恩師の頭と肩の部分がかすかに
   視認できるようになったそうです。
   (この写真を撮られた方のお話です)(不思議写真の一枚です)


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

 
             第二 小なる章

           
             一、 宝

234、   勝れたものを知り、勝れたものを与え、
         勝れたものをもたらす勝れた無上の人が、妙なる教えを説き給うた。
         この勝れた宝が〈目覚めた人〉(ブッダ)のうちに存する・
         この真理によって幸せであれ。

235、  古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。
         その心は未来の生存に執着することなく、
         種子をほろぼし、それが生長することを欲しないそれらの賢者は、
         灯火のように滅びる。
         この勝れた宝が〈つどい〉のうちに存する。
         この真理によって幸せであれ。

236、  われら、ここに集まった諸々の生きものは、
         地上のものでも、空中のものでも、
         神々と人間とのつかえるこのように完成した〈目覚めた人〉(ブッダ)を
         礼拝しよう。
         幸せであれ。


               ~ 感謝・合掌 ~ 




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「ブッダのことば」より。

2016-08-19 00:33:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はインドのクシナガラに建立されているお釈迦様の
  涅槃堂にて恩師「長尾弘」先生がお祈りされた時に空中から
  ヒラヒラと舞い落ちた金箔です。
  手の平に乗せてお示しになられているのは恩師ご自身です。
  この涅槃堂を恩師は七~八回ご訪問になられていますが、
  その度毎に金粉・金箔が沢山降ってきます。
   (不思議写真の一枚です)


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
                 第二 小なる章          
 
                   一、 宝

231、   〔i〕 自身を実在とみなす見解と
          〔ii〕 疑いと
          〔iii〕外面的な戒律・誓いという三つのことがらが少しで存在するならば、
          かれが知見を成就するとともに、それらは捨てられてしまう。
          かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。
          このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。
          この真理によって幸せであれ。

232、  またかれが身体によって、ことばによって、またはこころの中で、
          たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。
          隠すことができないということを、究極の境地を見た人は説き給うた。
          そのすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。
          この真理によって幸せであれ。

233、  夏の月の初めの暑さに林の茂みでは枝が花を咲かせたように、
          それに誓うべき、安らぎに赴く妙なる教えを(目覚めた人、ブッダが)説き給うた、
          ―――ためになる最高のことがらのために。
          このすぐれた宝が目覚めた人(ブッダ)のうちに存する。
          この真理によって幸せであれ。


                  ~ 感謝・合掌 ~ 




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「ブッダのことば」より。

2016-08-18 00:31:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真は恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの友の方たちと
   イエス様に関係する史跡を訪ねてイタリアを訪問した際の
   ビデオ撮影していた中に何故撮影されていたのか不明ですが
   この映像が写っていました。(ビデオ撮影者は私ではありません)
  (バチカン帝国、ミケランジェロ作のピエタの像などを見学)
       (不思議写真の一枚です)
恩師と行動する時は世界中のどこであっても難病・奇病が即時に
治癒されることは勿論ですが、常にこのような奇跡を見せて頂きました。 


        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
             第二 小なる章 

          
             一、 宝

228、   ゴータマ(ブッダ)の教えにもとづいて、
         堅固な心をもってよく努力し、欲望がなく、
         不死に没入して、達すべき境地に達し、代償なくして得て、
         平安の楽しみを享けている。
         この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。
         この真理によって幸せであれ。

229、  城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、
         四方からの風にも揺るがないように、
         諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は、
         これに譬えられるべきである、とわれは言う。
         この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。
         この真理によって幸せであれ。

230、  深い智慧ある人(ブッダ)みごとに説き給うた
         諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、
         たとい大いになおざりに陥ることがあっても、
         第八の生存を受けることはない。
         この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。
         この真理によって幸せであれ。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「ブッダのことば」より。

2016-08-17 00:28:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ このお写真の裏面には次のような説明書きがありました。

         “愛の光”の不思議

福岡市内のお寺のご住職の叔母さん(アメリカ在住)が
由緒あるご本尊(室町時代作阿弥陀如来像)の写真を持参しました。
長尾先生が浄心庵から“愛の光”を送り尋ねたところ
電話に出た姪の方が ビックリして
「大変!!ご本尊様がお風呂からあがり、光輝いています・・・!!」
“愛の光”の後(向かって右) “愛の光”前(向かって左)
前後の“輝き”の差をご検証下さい。
   (不思議写真の一枚です)


       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


   
            第二 小なる章

          
              一、 宝

225、   心を統一したサキヤムニは、
          (煩悩の)消滅、・離欲・不死・勝れたものに到達された、
          ―――その理法と等しいものは何も存在しない。
          このすぐれた宝は理法のうちに存する。
          この真理によって幸せであれ。

226、  最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
          ひとびとは「〔さとりに向かって〕間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
          この〈心の安定〉と等しいものはほかに存在しない。
          このすぐれた宝は理法の(教え)のうちに存する。
          この真理によって幸せであれ。

227、  善人のほめたたえる八輩の人はこれらの四双の人である。
          かれらは幸せな人(ブッダ)の弟子であり、施与を受けるべきである。
          かれらに施したならば、大いなる果報をもたらす。
          この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。
          この真理によって幸せであれ。


              ~ 感謝・合掌 ~ 





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