浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2014-10-31 02:15:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


      人間は皆、自己が最もいとおしい


人間といいますのは、今地球上に五十億の人口がありますけれど、この世の中で誰が
一番いとしいかをよく考えてみますと、自分ほどいとおしいものはないのです。
「いや、私はあの人が好きでいとおしくて・・・」といっても、それは嘘です。
「うまいことして、その人と結婚したら、その人はちゃんと食べさせてくれる」
というように、心の底ではまず自分のことを第一に思っています。
「私はこの子供が可愛くて可愛くて」といっても、その子が苦労かけてくれたらどうも
ならんと思いますし、掘り起こしてみると、全部自分のことに帰着します。

「私は主人を命の限り愛しています」といっても、主人がよそへいってお金を持ってきて
くれなかったりすと、主人を憎むようになります。
主人のほうも「私は家内を愛しています。いとおしくてたまりません」といいましても、
心の底を掘り起こしてみると、「この人がいないと洗濯もしてくれない、
めしも炊いてくれない」という具合に結局は全部自分の為です。
お釈迦様は、「自己がいとおしいように、人さまも各自、自己がいとおしい、だから自分を
いとおしむ如く、他をいとおしみなさい」と教えておられます。
これは蚊一匹、蟻一匹といえども自らをいとおしんでいます。
だから私たちは自分をいとおしむように、
他のすべての命あるものをいとおしまなくてはならないのですね。
「自らを愛し、自らを愛するが如く他を愛しなさい」


            ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-10-30 01:20:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二


         得がたい法のご縁


先の続き・・・

この間訪ねてきまして、大学でのテストの話をしてくれたのです。
すごくよくできる子です。
テストでは鉛筆と消しゴム以外は出してはいけないそうですね。
ですが、学生手帳と私の写真も持っていったそうです。
数学の問題を見ましたら、全部はっきり覚えているものだったのに、
その時に限って油断して私の写真を出し忘れたそうです。
それで四問とも全部正解したのですが、0点になったのです。
問題をよく読むと、「この中から二問選択して解きなさい」と書いてあるのを、
出来すぎて四問全部解答したので、0点になってしまったそうです。

「先生の写真を持っていなかったら、えらいことになりました」と笑っておりましたけど、
すごい心の支えになるものですね。
この息子さんの場合のように、ほんとうに短い時間、ちょっとお会いしただけでしたが、
そのようにさっと素晴らしく変わってしまった方もあります。
心や肉体が地獄の底のような生活をなさっていた方で、ここにお見えになった時は全く
恐ろしい鬼婆のような顔をしておられましても、
帰る時には仏様のような顔になって帰られる方があり、それは不思議なことです。
肉体が癒され心が安らぎますと、忽ちお顔の相が変わってしまいます。


             ~ 感謝・合掌 ~






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「講演集」より。

2014-10-29 00:51:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二


            得がたい法のご縁


先の続き・・・

今、来ていただいている或るお方は、以前にただ一度お会いしてね、
忽然と素晴らしいお方に変わっていただきました。
それはもう周りのお方がびっくりされてしまうほどに変わられました。
これはほんとうに奇跡ですね。
自分の心に目覚めれた時、忽ちまちにしてその人間性が変わります。
昨日見えておられたTさんの息子さんの場合も、
一度お会いしてお話させてもらいましたあと、素晴らしい変貌をしてくれました。
大学の四回生ですけど、体が弱くて半年ほど入院されたりして、
長男さんですから可愛いと大きくされた為に、すごくわがままになりまして、
自分のお母さんに対する要素が大変なんです。

思い通りにしてもらえないとひどいことをするのでほとほと困られまして、
「先生、なんとか一回お話を聞かせてやって下さい」といって連れて見えました。
僅か三十分か四十分ぐらいしかお話できなかったのですが、もうここの玄関を出る時から
態度が変わり、帰りの電車の中、夕食への感謝と、
お母さんは腰が抜けるほどびっくりして電話を下さったのです。
「あれからずっと、それを守ってくれています。いや、うちの子はほんまものですわ」と。
この守るべきことというのは、怒り・妬み・謗り・愚痴・恨み・憎しみ・不要の心配や
取越し苦労・不安・恐怖・嘘・貪欲を無くすことだと言って話しましたら、
その息子さんは学生手帳に中にこの項目を書き込みましてね、持って歩いているのです。
そしてそれを実践して素晴らしい変貌をしてくれました。


              ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-10-28 01:41:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二


         得がたい法のご縁


見えない世界にいる苦しい方も、正しい教えによって即、救い上げます。
見えない世界の方はこの世に生きる人間よりもなお、悟りが早いです。
なぜ霊の方は悟りが早いかといいますと、それは肉体、つまり目・鼻・耳・口・皮膚の
五官がないから、悟り・目覚めが早いのですね。
しかし不幸にして法にご縁がございませんと、
永遠といってもよいほどの長い時間を苦しんでおられます。
それは気付くことができず、目覚めを与えられないからです。
昨夕も、ほんとうに有難いことで、わざわざ富山県から、
そして新潟県からおいでになっていただきました。
今日お集まりの皆さまは関東の皆さまでございますね。
ほんとうによく来ていただきました。
ありがとうございました。

ご縁というのはまことに得難いもので、
この私のご近所にあっても縁のない者は近づくこともできません。
しかしご縁のある方はご近所からもこうして熱心に来ていただけますし、
遠い県外からも集うていただけます。
「正しい教えに縁を得ることは、
片目の亀があの太洋の真ん中で一片の流木に巡り合うよりもなお難しい」、
つまり太平洋の真ん中に流れて来る一片の板切れは、
見つけようとしても、なかなかどうして見つかりません。
そして二つの目を持つ亀が片目ということは、世界が半分しか見えないということです。
その亀が流木に巡り合うよりもなお難しいというほど、ほんとうの教えに巡り合うことは
難しいそうです。
しかし、こうしてご縁を頂いて巡り合えるというのは、
それほど尊いご縁によっているのであり、まことに得難いご縁です。


             ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-10-27 00:43:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二


       無償の行為とそれに伴う現象


先の続き・・・

他の地方でも正法を説いている先生がおられまして、
その方は私を非難されます。
「あれは現象ばっかりだから駄目だ」と。
しかし現象が現れるのは、正しい行いを行ったから現象が現れるのです。
だからこれは理論的に証明することができます。
また、私は書いたものをまだ本に著わしておりません
(『愚か者の独り言』第一集はこの講演後に刊行)。
そうしますと、「正しい教えとは、文証・理証・現証がなくては駄目、
あれは文証がないから駄目です」と、
私のことを私のいないところで人さまの前で注意をしてくれます。

しかし自分が書かなくとも、縁があれば人さまに書いていただけます。
現に山口県でお話させてもらいますと、
このお話させていただいたものを全部そのままテープから文字に移して清書し、
全国に送ってもらっていただいております。
ほんとうに有難いことです。
またそのコピーを読まれた方々が泣けて泣けて、そして病気が癒されたと言って、
喜んで下さる方もいっぱいおられます。
現証はその行いによって現れますから、行いがあれば理論的に証明できます。
文証も自分がしなくとも、周りがして下さいます。
文証・理証・現証、これは正しい教えについて回るものです。


             ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-10-26 00:26:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二


        無償の行為とそれに伴う現象


先の続き・・・

又、よく金が現象として出て来ますね。
昭和五十二年七月に泉大津の市民会館でお話させていただきましたら、
その会場一面に金が降りました。
私の体などはキラキラになりまして、その時見えた方は、
皆合掌してひれ伏しておられました。
その会場にいた一人が、自称偉いお方の所に迷い込んだのです。
そこで「大阪の長尾先生という人からこんな金が出ます」いいますと、
偉いお方は、「いや、それは動物霊です」と言ったのです。
そして、その人が又私のところに、
「いや、あんな金がでるのは動物霊だと言われましたよ」と告げにくるのです。
だから私はその人に言ったのです。

「そうです。動物霊もそれぐらいのことはできます。
しかし私をよく見て下さい。私が動物のような生活をしておりますか。
もし私が動物のような生活をしておって、こういう現象が現れたのなら、
それは動物霊の力です。
私がもし、見ていただいて間違いが少なく、良き行いを積んでおりましたら、
私に現れる現象は神の力です。
私の行いを見て判断してください。
私の生活はいかがですか」とその人に聞きましたらね。
「それはそうですな」と言って帰られました。
このように、その人の行いを見て、その人に現われる霊的現象が正しいか、
間違いかを判断したいいのですね。
そうすれば、はっきりと分かります。


           ~ 感謝・合掌 ~






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「講演集」より。

2014-10-25 01:55:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 二


         無償の行為とそれに伴う現象


先の続き・・・

それはみな、その行動、行為に対して見えない世界からご協力を頂くからです。
それがエネルギーとなって私の体を運んで下さいます。
だからよく新幹線で山口や広島に行かせてもらうのですけど、
その道中、自分一人で静かに列車の中で瞑想しておりますと、
ほんとうに自分というこの肉体が、今、神様のご指示によって、
その目的地に運ばれているのだなあということがはっきり分かります。
私の意志ではなしに、神のご意志によって私の肉体を運んでいただいている、
これは、至らない私ですけれど、その私の想念行為によって、
神様が私を使って下さっているのです。

そして、行く先々で信じられない現象を現わしていただきます。
講演の時に会場一面に金が降ってきたり、或る会場がピカピカになったり、
あるいは生けて下さったお花が全部、
突然にしてパアーッと一度に開いてくれたりという現象が起こります。
これは私にできることとは違います。
神様がして下さるのです。
その法の正しさ、その教えの正しさの証明として、信じられないようなそういう現象を
現わして下さいます。

過去世の名称にとらわれて、今生に自分を見失っている方がありますけど、その方に、
ある人が私のことを尋ねたら、「ああ、あれは霊的なことばかりやっているから駄目です」
と言われた、とって私に話してくれました。
過去世の名称にとらわれることが霊的である、と気が付かないでいるのです。
しかし私はお話の中で、霊的なことに囚われてはなりませんといつも言っております。
この世の中で私ほどあの世の世界の方との体験を豊富にさせてもらった者も数少ないと思うほど、
いろいろと体験させてもらっています。
迷っている霊の方をこの世の方の中に入っていただて、
その方と皆さまの前でお話をして救い上げます。
しかしそんなものに囚われてはなりません。


              ~ 感謝・合掌 ~



恩師のご命日に当たり当ブログの開設(2008年11月11日)より
本日(2014年10月25日)現在までの当ブログへの訪問者数ならびに
閲覧回数を御報告させて頂きます。
訪問者数:138,719 (63/日)
閲覧回数:357,929 (165/日)
たくさんの訪問ならびに閲覧を頂きました事、心より感謝申し上げます。
これを励みとして今後も尚一層精進してまいります。
これから後も宜しくお願いします。




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「講演集」より。

2014-10-24 01:09:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二


     無償の行為とそれに伴う現象


先の続き・・・

世の中には天からの啓示、又は霊示を受けて、
次から次へと無限に言霊が出て来る方もあります。
又霊が乗り移って話す人もあります。
私は、そういうものはいっさいないのでございます。
全くの凡夫でございますので、私の場合は天からも教えてくれませんし、
違う世界からも教えを受けることができません。
又声を聞くこともできません。

自分のこの肉体を使って、求める心なしに、
この肉体を最大限に使わせていただいて、人さまの為に生きさせてもらった時、
その実践を通していろいろなことを学ばせていただけます。
人との出会い、そこに起こる出来事の中から学ばせていただく、
これが実践を通して学ぶということですね。
自分の体を動かして良き行いをすることです。
私の一年間にはたった一日のお休みもございません。
しかも、昼夜一睡もしないで飛び回ることもあります。
これが不思議でございまして、私と一緒に行っていただきますと、
その方々も疲れが出ないのですね。

二、三年前、私のところのK先生と一緒に岐阜・愛知と回らせていただきました。
土曜日の朝から出まして岐阜に先に行かせてもらい、
それから愛知の大山に行きましてお話をしました。
その夜中に変な迷える霊の方が出て来まして、
そういう方を救わせてもらったりしていますと、もう夜中の二時です。
さあ、これから帰りましょうかといって、車に乗って帰ってきました。
ちょうど栗東あたりで夜が明けて、岸和田へ七時頃に帰り着いたのですね。
同行の方は一睡もされていないのですが、その足で奈良の当麻に牡丹を見に車で走られました。
私はお人が見えましたから、少し遅くなってお昼前から出掛けまして、
当麻でお話会をさせてもらいました。

こうして全く一睡もしないで飛び回っているのです。
ところが眠たくもなければしんどくもなりません。
ひどい時は三日間で三時間ぐらいしか寝ない時もありましたね。
あちらこちら飛び回っていますと、寝ている間がないのですね。
それでも次に迎えにきて下さる方が「先生の目は欄々と光っていますね」と言われます。
一睡もしていないのに欄々と光ってくるのです。


             ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-10-23 00:44:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


        無償の行為とそれに伴う現象


先の続き・・・

今、皆さまの心に「ああ、私は幸せだ、私には何の苦しみもない、
本当に幸せだ」という方がおられますと、
その幸せは結果として現れていますから、過去に喜びの原因をお作りになっていて、
今がその喜びの中にあるのです。
では、不幸にして今、苦しい、なぜ私は苦しいのだろう」という人がございましたら、
それは苦しみの原因を過去において積んだから、今、結果として苦しいのです。
原因があるから、結果が現れております。
ただ、させていただくのみ。一切の報酬を求めないで、
ただ、させていただくことです。
世の中に偉いといわれる人は数多くおられますが、
自らを捨てて他を生かそうと実践されている本当の偉い人は、
砂の中からダイヤモンドを捜すようなもので、なかなかお見かけできません。

神理、正法を口にはしましても、思いにおいて、言葉において、行いにおいて、
何とかして会員を増やそう、会員が減らないようにしよう、
或いはお金に困っているから寄附をしてもらいたい、長生きしたい、
などと言ったり思ったりしておりますと、これはもう正法
神理とは違います。「私こそ法の後継者、正法を伝えるのは私一人だ」と
自分のことを自分で先生、先生と言ったり、はっきりと嘘とわかっていて、
知らない会員を騙したり自らを正当化する為に人さまを非難中傷しながら、
「私は悪口は言ったことがはない」などと言っておれば、これはもう帳消しですね。
教えの中にも誤りが出て来ます。
行いが間違っておりますと、正しい教えは説けません。
自分を捨てた、自己を犠牲にした、他の人への奉仕、
その行為の中に正しい教えが沸き上がってきます。


            ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-10-22 00:57:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


      無償の行為とそれに伴う現象


そこで間違ってはならないことは、人さまの為に尽くさせていただいて、
一生懸命心底から尽くした時に、人から裏切られた場合です。
この時、私たちは自分の心を傷つけます。
「ほんとうになんという憎い人だ。あれだけしてやったのに、あの恩知らず。
ようあんな恩知らずの人があったものだ」と言って、
自分が尽くした人の裏切りによって、夜も寝ないで苦しんでいるのですね。
この苦しみが、せっかく良い行いをしながら自分を不幸におとしいれている
一つの大きな原因となっています。

「あの人は神か仏のような方で、あんないい人がなぜあんな不幸な一生を送ったのか、
あんないい方がなぜあんなえらい病気になったのだろうか」と思うような方がたくさんおられます。
それは全部、自分の心を苦しめたという原因が、
苦しみという不幸な結果として現れているのですが、案外このことに気が付いていません。
「裏切った人が悪い、私は一生懸命尽くしたのに、あの裏切り者が悪い」と言って、
人を恨みます。
しかし苦しんでいるのは自分の心です。
恩を忘れて裏切った人の心は苦しんでいません。
裏切られた人は夜も寝られないで腹を立てて怒っていますが、
裏切った当人は、そんなことには関係なくぐうぐう寝ています。


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「講演集」より。

2014-10-21 00:26:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


        良心(神我)とエゴ(偽我)


神様は、人間をお造りになった時、
「ああ、私の最高傑作ができた」と喜んで下さったそうです。
自分に似せて、その心まで私たちに注いで下さったのです。
しかし肉体というものを頂きますと、この肉体から沸き上がる心は、
自己保存、自我我欲です。
自分のこの肉体をまもらなければならないと思い、病気をすれば痛い、
苦しいので、何とか救われたいと思って、自分をかばう心が出て来ます。
それがだんだん高じますと、他の人はどうでもいい、
自分さえ良ければいいという心になってきます。

そして神から与えられた心、それは神我(良心)です。
どんな立派なお方の心の中にも、必ず神と悪魔、或いは仏と邪気が住んでおります。
そしてどんな小さなことをしようと思いましても、
心の中で神我(良心)と偽我(エゴ)の葛藤がおこります。
一番分かり易いのは今日ここへ来ていただくのに、肉体から沸き上がるエゴの心は、
「暑いのにもう止めておこうか。
あんなところに行くよりも、家でゆっくり休むほうが楽でよい」と思います。
しかし神からの心は、「いや、やっぱり行って法の話を聞いたほうがいい」と思い、
心の中で葛藤しているのですね。
行こうか、止めておこうかと、一時葛藤します。
そして「いや、やっぱり行こう」と心に決めてくださった時、皆さんの肉体はここへ向かいます。
しかし自分本位、肉体本位のエゴの心が勝ってしまいますと、「ああしんどい、もう止めた」
と言って、ここへはお見えになりません。

そのように朝起きるにも、早い話が「もうちょっとゆっくり寝たいなあ」と思うのがエゴです。
「いや、はやく起きてご飯の支度をしなくてはいけない、
皆に迷惑をかけてはいけない」と思うのが良心です。
ちょっとの間戦いまして、そしてエゴの勝った人もあります。
その人は行いがどうしても自分勝手なものになっていきます。
自分勝手な生き方をした時、周りに迷惑をかけます。
迷惑をかけるから嫌われます。
ところが人さまの為に生きさせてもらいますと、
昔から「働く」ということは「はたを楽にする」といいますように、
他の人を楽にすることができます。

楽にしてもらうと、してもらった人は喜んでくれます。
「ああ、あの人は良い人だ、良くしてくれる。
あの人の為に、私も良くさせていただかなくてはいけない」といって、
自分のところに幸せが返ってきます。
エゴの生活をするのも、良心の生活をするのも、これは全く自由です。
神様からその選択の自由を与えられています。
どちらにしてもよいけれど、しかしそれは「その結果として自分が収穫するもの」ですね。
エゴの生活をしますと必ず不幸になるということです。
そして良心の生活をすると必ず幸せになれます。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-10-20 00:16:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 二


       神理は時空を超え且つ人は進化する


「正しい法、神理の法は実践の中に生命が宿ることを知れ」と、
「心行」の中に書かれていますが、
「正しい教え、正しい神理の法」を自分が実践すれば、必ず功徳が現れます。
自分が行えば即、現れます。
例えば、人様に優しい言葉をかけた時、その方から即、喜びの表情、喜びの態度が返ってきます。
逆にもしその人の心を傷付けるような言葉を口にしますと、
それは行為にしなくても言葉として出しただけでも、
その人は大変な苦しみの中にはまってしまいますね。
神理、正法というものは、いつの時代においても適応するものです。
しかも、人間は真理、正法のもとに時代と共に進化の過程にあることも事実であります。
私たちの意識も、大きくなれば、やはり法の深さも異なります。
それは理解度が違ってくるからです。

理解度に応じて私たちの毎日に神理、正法が示されてくるわけであります。
高度なものが突然私たちの前に来ることは決してありません。
あくまでもその法が理解できる範囲以内に限られます。
ほんとうの宗教も、本来の私たちも、一日一日が進化の過程の中にあります。
その過程こそが神の完全さの現れであります。
したがって、一日一日実践を通して、その秘密が私たちの前に示されるのです。
こんな素晴らしいことはございません。
毎日毎日あらゆる万象万物は進化しており、一日たりとも休日というものはありません。
すべてが進化の真っただ中にあります。
正法を実践する者は、実践することによってのみ、
法の理解度が深まることを忘れてはなりません。
私たちの意識はいくらでも大きくすることができ、際限というものはないのです。
なぜならば、神は自分の姿に似せて人間をお造りになりました。
同じように意識も神に似せて無限大なるものを持たせて下さいました。
神様が私たち人間を造って下さる前に、万象万物をお造りになりました。
空も海も陸も草も木も動物も、或いは目に見えない空気も、
神様がお造り下さったのですね。


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「講演集」より。

2014-10-19 00:56:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 二


   人は生まれにより、その行いによって尊さが出る――イエスの生誕


先の続き・・・

結婚前に身重になってできた子は「神のみぞ知る」であって、
普通の人々は何と言ったでしょう。
恐らく父なし子不倫の子呼ばわりをしたはずです。
婚約者ヨセフは貧しい大工左官の職人だったそうです。
イエスは世のあざけりとさげすみの中で成長されたのだと思います。
逃避と苦難の成長期に間違いありません。
後にイエスは言われました。
「私は世の人々のすべての苦しみを理解することができる。
それは、私はそのすべてを体験してきたからである」と。

人間イエスは生まれた時から、
普通の我々の味わい得ない苦しみ悲しみの十字架も背負っておられました。
生まれは貧しく、非難中傷を受け易い環境を選ばれ、
その中であらゆる苦しみ悲しみを体験して、愛を学んでいかれたのです。
自然界の法則では、
天と地と、プラスとマイナスと、陰と陽、雄と雌、男と女が縁に触れて和合し、
初めて種の保存が成立するようになっています。
尤も最下等の動物では雌雄両性を持つものもあり、雌雄どちらにも変性するものもあり、
細胞が分裂して種の保存をするものもありますが、自然の法則では、人間は男女の縁に
よって子供が授かるのが当然です。
ゴータマ・ブッダ釈迦牟尼仏が摩耶夫人の腋の下からお生まれになって、その場で七歩
歩かれて、片手を天上に挙げられ片手は地を指して「天上天下唯我独尊」とおっしゃった
と仏典に書かれています。

これも普通の常識では考えられないことです。
では、なぜこんな非常識なことが仏典や聖書に書かれているのでしょう。
洋の東西を問わず遠い昔から、
人間離れした偉大なるお方は普通の人間のような生まれ方はされないという言い伝えがあり、
偉大な方を神格化する思想がありました。
人々は皆そのように思っていたのです。
そこで、その思想のままに書き残されたものだと思います。
信じる信じないは人それぞれの自由です。
しかし自然が神のみ姿であり、自然が神御自身であれば、
自然に背いて神の御使いが現れるはずがありません。

このようにしてイエスは、
人間社会において最も厳しい環境を自ら選んでお生まれになりましたが、
その生涯を通して、思いにおいて、言葉において、行為において、
神御自身の愛をお示しになりました。
人は生まれによって尊いのではなく、
その人の生きざまによって尊いのであることがよく分かります。
私たち人間は生まれによって尊いのではありません。
その人の行いによって尊さが出て来るのですね。
だから、たとえ総理大臣であろうと、
この世のどんな素晴らしい家柄に生まれた方であろうと、
その人の行為、想念、言葉が正しくなかったら、その人には何の尊さもありません。
逆にどんなに貧しい家柄に生まれても、処女懐妊でも非処女懐妊でも関係なく、
その方が神の愛を行った時、その行為がその人を尊くします。
「法は実践の中に生命が宿ることを知れ」です。


             ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-10-18 00:58:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

              恩師のご著書「講演集」より


                 講演集、 二


     人は生まれにより、その行いによって尊さが出る――イエスの生誕


イエス様の生誕についてよく質問を受けます。
「聖書には処女懐妊と説かれていますが、現実はどうだったのでしょうか、
母マリアはヨセフと婚約をしていたが、
まだ一緒にならない前に聖霊によって身重になった、と書かれています。
先生はどう思われますか」と。
信じる信じないはその人その人の自由です。
皆様もよくご存じことと思いますけれど、聖書について、ちょっとお話をしましょう。

その時代のエルサレム統治者ヘロデ王の代にユダヤのベツレヘムでイエスがお生まれになりました。
東方から博士たちがエルサレムに来て、「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおられますか。
私たちは東のほうでその星を見たので、その方を拝みに来ました」
と聞いて回ったので、人々の噂がヘロデ王の耳にも入ったのです。
王も人々も不安を感じすにはおれません。
自分が今、王として君臨しているのに、
予言者の書にベツレヘムにユダヤの王が生まれると書かれてあることを知り、
自分の地位が危なくなると思ったのでしょう。
なんとかしてその子を見つけ出して殺してしまおうと思ったのです。
そこで、東方の博士たちを呼んでその子をうまく捜し出すように命じます。
博士たちは星に導かれて、ある家に入りました。

そこで母マリアとそばにいる幼子に会い、ひれ伏してその御子を拝み、贈り物をささげて、
そのまま他の道を通って自分の国へ帰ってしまいました。
マリアの夫のヨセフは身の危険を感じ、マリアと幼児を連れてエジプトへ逃げてしまいました。
ヘロデ王はその子が見つからないので、ベツレヘムとその地方の二歳以下の子を全部殺してしまえば、
王といわれる子も殺せると思い、実行してしまったのです。
これは、自己保存の恐ろしい心の現れといえます。
自分を守ろうとして幼い男の子を全部殺したとしても、時が来れば人は死ななくてはなりません。
ヘロデ王が死んだ後、ヨセフは家族でイスラエルへ帰って来ますが、王の息子アチラオが
ユダヤを治めていることがわかり、イスラエルから離れたガリラヤ地方のナザレの町に住み着くことになります。
この話の中で、何度か神の使いが導いています。
しかし現実の人間社会の中で、ヨルダン川でヨハネよりバプテスマ(洗礼)を受けるまでのイエスを、
神の御子と誰が信じたでしょうか。


                ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-10-17 02:20:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二


    「心行」の朗読


先生が書き表して下さったこの「心行」を、
毎回お話に先立ちまして朗読させていただいております。
これはたいへん心が休まります。
では読ませていただきます。


心行

心行は 宇宙の神理 人間の心を言霊によって表現したものである
それゆえ心行は拝むものでも暗記するものでもなく
これを理解し行うものである
正法は実践のなかにこそ生命が宿ることを知れ
われいま見聞し正法に帰依することを得たり
広大なる宇宙体は万象万物の根元にして
万象万物相互の作用により転生輪廻の法に従う
大宇宙大自然界に意識あり意識は大宇宙体を支配し
万象万物をして調和の姿を示さん

万象万物は、広大無辺な大慈悲なり
大宇宙体は意識の当体にして意識の中心は心なり
心は慈悲と愛の塊にして当体意識は不二なることを悟るべし 
この大意識こそ大宇宙大神霊・仏なるべし
神仏なるがゆえに 当体は大神体なり
この現象界における太陽系は大宇宙体の小さな諸器官の一つにすぎず
地球は小さな細胞体なることを知るべし
当体の細胞なるがゆえに細胞に意識あり
かくの如く 万物すべて生命にして
エネルギーの塊なることを悟るべし

大宇宙体は、大神体なるがゆえにこの現象界の地球も神体なり 
神体なるがゆえに 大神殿なるべし大神殿は 万象 魂の修行所なり 
諸々の諸霊 皆ここに集まれり諸霊の輪廻は三世の流転
この現象界で己の魂を磨き
神意に添った仏国土・ユートピアを建設せんがためなり 
さらに 宇宙体万象が 神意にかなう調和のとれた世界を建設せんがため
己の魂を修行せることを悟るべし 
過去世 現世 来世の三世は生命流転の過程にして
永久に不変なることを知るべし 
過去世は 己が修行せし前世すなわち
過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり 

現世は、生命・物質不二の現象界この世界のことなり
熱 光 環境 一切を含めてエネルギーの塊にして
われら生命意識の修行所なり
神仏より与えられし慈悲と愛の環境なることを感謝すべし
来世は次元の異なる世界にして
現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり 
意識の調和度により 段階あり
この段階は神仏の心と己の心の調和度による
光の量の区域なり 
神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満ち実在の世界にあって
諸々の諸霊を善導する光の天使なり

光の天使 すなわち諸如来 諸菩薩のことなり 
この現象界は神仏より一切の権限を光の天使に委ねしところなり 
光の天使は慈悲と愛の塊にしてあの世 この世の諸霊を導かん
さらに 諸天善神あり
諸々の諸霊を 一切の魔より守り正しき衆生を擁護せん 
肉体を有する現世の天使は諸々の衆生に正法神理を説き
調和の光明へ導かん
この現象界におけるわれらは過去世において
己が望み 両親より与えられし肉体という舟に乗り
人生航路の海原へ己の意識・魂を磨き
神意の仏国土を造らんがため生れ出でたることを悟るべし
肉体の支配者は 己の意識なり己の意識の中心は心なり
心は実在の世界に通じ己の守護・指導霊が
常に善導せることを忘れるべからず

善導せるがために 己の心は己自身に忠実になることを知るべし
しかるに 諸々の衆生は己の肉体に 意識・心が支配され
己が前世の約束を忘れ自己保存 自我我欲に明け暮れて
己の心の魔に支配され 神意に反しこの現象界を過ぎ行かん 
また 生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり
その原因は煩悩なり 
煩悩は
眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が根元なり 
六根の調和は 常に中道を根本として己の正しい心に問うことなり 
己の正しい心に問うことは反省にして反省の心は
己の魂が浄化されることを悟るべし 
己自身は孤独に非ず意識のなかに己に関連せし
守護・指導霊の存在を知るべし 
守護・指導霊に感謝し さらに反省は
己の守護・指導霊の導きを受けることを知るべし 
六根あるがゆえに 己が悟れば菩提と化すことを悟るべし 
神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
神意なることを悟るべし

肉体先祖に報恩供養の心を忘れず両親に対しては孝養を尽くすべし 
心身を調和し 常に健全な生活をし平和な環境を造るべし
肉体保存のエネルギー源は万象をふくめ 動物・植物・鉱物なり
このエネルギー源に感謝の心を忘れず
日々の生活のなかにおいて己の魂を修行すべし
己の心、意識のエネルギー源は調和のとれた日々の生活のなかに
神仏より与えられることを悟るべし己の肉体が苦しめば 心脳乱し
わが身楽なれば 情欲に愛着す
苦楽はともに正道成就の根本にあらず
 
苦楽の両極を捨て 中道に入り
自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし
一切の諸現象に対し
正しく見 正しく思い 正しく語り 正しく行い 正しく生き
正しく道に精進し 正しく念じ 正しく定に入るべし 
かくの如き正法の生活のなかにこそ
神仏の光明を得 迷いの岸より悟りの彼岸に到達するものなり 
このときに神仏の心と己の心が調和され心に安らぎを生ぜん
心は光明の世界に入り三昧の境涯に到達せん 
(この諸説は末法万年の神理なることを悟り、
日々の生活の師とすべし)


        ~ 感謝・合掌 ~






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