浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-05-31 00:07:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

             講演集 一

         「黄色い光の現象」


今から七、八年前、泉大津でお話をさせてもらいました時、
或るおじいさんが合掌して迎えて下さるのです。
それに応えて私も「ご苦労様です」と言って
中に入らせてもらったのですが、
「先生から出ている黄色い光(オーラ)が見える」と言われるのです。
「私にはそんな光が出るわけがありません。
そんなことは言わないで下さい」
と言ったのです。他の或る方が「痛くてたまりません。
先生のその光をいただけませんか」と言われましたから、
「どうぞ戴いて下さい」と言ってその方に光を入れました。すると、
その場に警察の署長さんが来ておられて、
「ワァー」と唸り始めましたので「どうされましたか」と聞くと、
私が「神の光を与えて下さい」と言って祈りました時、
この手から光が入っていくのがはっきりと見えたと言われるのです。

その人がびっくりされたのですが、
その時も部屋中に金粉がキラキラと降って来ました。
私も身体中がキラキラになり、
坐らせてもらった周りも金粉で一杯になりました。
その時、あまり勿体ないので、
今後はこういう現象は現わさないで下さいと神にお願いしたのです。
それ以後、私の身体から金が出ることは無くなりましたけれども、
縁ある場所に寄せてもらいましたらやはり辺りに出て来ますね。
不思議なことと言えば不思議、有難いといえば有難いことです。

ただ、日々の生活の行いを正して、
過去に犯した過ちを徹底的に反省していくことです。
今こうして、姿かたちは皆さんと同じことで何の変わりもありませんが、
私が今までに自分の過ちに気付いて流した涙は、
恐らく一升瓶の二本や三本ではきかないと思います。
それ程泣いて泣いて自分の過去の過ちに気付き、懺悔させてもらって、
自分の生活を正していきました時に神の光を十分に戴けます。
先程から話しました心のスモッグを払うことですね。


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「御垂訓

2020-05-30 00:13:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

                講演集 一

          「空中から金粉が舞い降りる現象」


先の続き・・・

お釈迦様は今から二千五百年余り前、
インドの地においてゴーダマシッタルダと言う釈迦一族の王子として
お生まれになりました。
―――この時、会場にキラキラ輝く金粉があちこちから見つかり、
会場中騒然となって金粉探しに全員が熱中して、
先生のお話もしばらく中断―――
私は今、金粉を降らせて下さい、
こういう現象を見せて下さいと言ってひとこともお祈りをしていませんが、
現象の話をさせてもらったら、
神様がこういう現象を現実に見せて下さるのです。
各地に寄せてもらいましても、
その場よって金粉の現象が全く現れない所もあります。

今こういう現象を見せてもらうのは、
皆さんの心が調和されていたからだと思います。
何も無い所から金が降るという話だけを聞きました場合は、
余りにも馬鹿馬鹿しいことですから、
見ない方には相手にしてもらえないのですが、しかし、
現実は否定できません。
これが、私達の心の曇りを晴らした時に起こる現象なのです。
その金粉は持って帰って下さい。
―――尚も会場では金粉探しが続き、
先生は「私が一生懸命お話しても皆さんが聞いて下さらなかったら・・・」と、
言われたので大笑いとなりました。―――
こういう金の現象を見せていただくことも神の大きな慈愛です。
本当にこういうことがあるんだなあ、
これは心を大切にしなくてはいけないなあと、
どうか目覚めて下さい。



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「御垂訓

2020-05-29 00:06:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

                   講演集 一

            「空中から金粉が舞い降りる現象」


お釈迦様はおっしゃいました。
弟子を伝法布教に出させる時、「世の人々の幸福と、人々の利益の為に
その地に赴いて尽くしなさい」と、私達も至りませんけど、
日々の生活にそのように夜も寝ずに実践させてもらっています。
今日、九月の第五日曜日でこちらへ参り、このあと長門市の方へ行き、
夜十二時過ぎまでお話させてもらう予定になっています。

四国へ行きました時もあの万博の千里の方の車に乗って夜中の一時に
四名で出掛けたのですが、他の方は一睡もしていられません。
私は一時間ほど休ませてもらいました。
一日に四百キロも車で走り回り、その晩も寝たのは十二時と過ぎていました。
自分の思いの中から、すべての自我というものを捨て去って、
ただ赴く所の方々の幸福と利益の為に自らの肉体を使わせてもらった時、
必ず神は、仏は、力を見せて下さいます。

そして普通では信じられないようなことですが、
空中から金粉がキラキラと舞い降りて来ます。
よく仏教の儀式の中に蓮の花を象った紙を散華されますね。
あの散華のできた由来は、
私がつかませてもらった現証の中から思いますのに、
尊いお釈迦様が説法をされた時に、
何もない宇宙空間から金が降って来たのだと思います。

そして、ある所では私が歩かせてもらうと、
足の跡に花が咲くように金が出て来て、
その通路がずっと金の絨毯を敷いたように金ピカになってしまいました。
そのような体験から、
仏教であのお釈迦様の御足を頭上にいただいて行われる儀式の意味がよく分かります。
尊い偉大なお方だからです。
私のような者でも、そういう奇蹟を見せていただくのですから、
ましてやお釈迦様では当然のことです。
歩かれたら必ずそこには金が出るし、
またお説法されたらその場に金が降って来たと思います。


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「御垂訓」

2020-05-28 01:45:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~

             講演集 一

         「戒名」について


あの「戒名」ですが、「○○大院殿○○居士」というすばらしい
戒名をつけてもらうと、莫大なお金がかかるそうです。
「あなたも立派な戒名をつけてもらっているでしょう」といいますと、
その殿様は「あれは何にもならんのう」とおしゃるのです。
いくらいい戒名をつけてもらっても、
それは亡くなった方には何の関係もないのです。
分からないからです。
その証拠に、あの世の霊の方と数えきれないほど
お会いさせてもらってお救いさせていただきまいしたが、
そういう方は皆、戒名は何にもならんとおしゃいます。
そして、呼び出す場合に戒名を呼んでも出て来ません。
自分のことだと分からないんですね。
俗名を呼んだら出て来ます。
「おい、はっつあん」と言うたらすぐ出て来ます。
「おい、熊さん」と言うたらすぐ出て来ます。
常にいちばん親しい自分の呼び名を覚えているんですね。
だから戒名なんか呼んでも出て来はしません。
そのようになっております。


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「御垂訓」

2020-05-27 00:07:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

                  講演集 一

          「お茶、ご飯、線香、経文の供養」


さて皆さんもご経験あるかも知れませんが、霊が入って来て、
お茶が欲しいとか、水が欲しいとか、経文を唱えてくれとか言われます。
その殿様ともいろいろと話をいたしましたが、
「わしはお茶が欲しいんじゃ」と言われるのですけど、
「あなたにはお茶は差し上げません。
いくらお茶を召し上がっても、
それによってあなたは救われません」と言ったのです。
「今日まであなたの子孫が、数え切れないぐらいの
お供物をしてくれたでしょうが、
それによってあなたは救われていますか」と言うと、
救われてはいないのです。
「ああ供えてくれたなあ」という一時の心の納得というか、
供えてくれたという思いはあるのですけれども、
いつまで経っても満足を得ることはできません。
この世の物質、物によって救われることはできません。

だからご先祖様にお茶を供え、炊きたてのご飯を供えるのは、
「先祖様のお陰で、こうして今日も熱いお茶やご飯を頂戴できます」
と言って感謝の気持ちを形として表すのです。
それが本当のお供えです。
そうでなくて、「ご先祖様、食べて下さい」と言って供えてはいけませんよ。
多くのご先祖様が取り合いをして「俺の飯もうないわ」と、
必ずそういうことになると思います。
しかし極楽へ行くと「ご飯、お茶」と思えばすぐに出て来て、
何の不自由もないのです。
本当の帰るべき世界、正しい教えというものを知っておりますと、
そんな供物はいりません。

さて、先程の話のように霊がかかりますと、
熱いお茶を丼に二杯三杯は見る見る飲み干してしまいます。
意識なしにです。
或る場合は線香が欲しいと言って、煙を外に逃がさないようにして
皆吸ってしまったりします。
臭くて煙たい線香を嗅いで自己満足するのですね。
でもお茶も線香も救われる為には何の役にも立たず、
そういう迷っている方は何回も出て来られます。
「お坊様の唱える経文の供養によって救われましたか」と聞きますと、
「あれは何にもならん。意味が難しくて訳がわからんわい」とおっしゃいます。
だからいくらお経をあげても何にもならないのです。
お経文の有難いのは、その意味を理解して、
そして日々の生活にそれを実践してこそ、経文の功徳があるのです。


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「御垂訓」

2020-05-26 00:11:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

              講演集 一

         「八百年地獄に迷った霊」


平家の一族で大宮家一族という方々が八百年から経っているのに、
一族皆で苦しんでおられました。
縁あってお会いした大阪のAさんに向かって「どうぞこの方を 
支配しなさい」と申しますと、殿様が出て来られたのです。
「誰が我を、このような所に呼び寄せたか、我を誰がこのような所へ・・」
と、Aさんに憑依して言われるのです。
そこで「あなたを救う為に私が法の力をお借りして地上の世界へ
あなたを呼びました。
あなたはどのような世界におられるのですか」と聞きますと、
「我のいる所はのう、真っ暗で穴倉のような所におるぞ」と言われます。
「それはどこかご存じですか」と聞くと、
「それは真っ暗で見動きもできず何も分からん」と言われのですが、
そこは地獄です。
墓の中に意識があるのです。
だから真暗で身動きができないのです。
「あなたも地上での生活を振り返って、よく反省してみて下さい。
そして過ちに気付いたら心から神にお詫びをしなさい。

その時あなたは救われることができますよ」と言いましたら
「我一人じゃないぞよ、我のあとに幾百人もおるぞよ」と、
昔の殿様ですからね。
そうおっしゃっいますから、
「幾百、幾万の方がおられても構いません。
私がいちどにお救いしましょう」と言うと、
「受けることができるかな」とおっしゃる。(笑い)
「受けられるか受けられないかは、
やってみなくては分かりません、
私が間違いなしに皆さんをお救いしましょう」と言いましたら、
「では、もし受けられん時は、如何に致すか」と言われます。
「それではあなたに縁ある諸霊の方すべてをこの場所に呼びなさい。
あなたに縁ある諸霊は、あなたが呼びなさい」と言いますと、
「者ども、この場に控え!」大きな声で言われるのです。

その時、ちょうど私の弟子、いえ弟子ではなくて心の友ですが、
縁によって過去世、未来の霊視のきく方がその場にいて見ておられたのですが、
ずうっと無数のお侍さんが私の前に並んだそうです。
傑作なのは「者ども、この場に控え!」と言っていたその殿様が、
自分ひとりさっと私の側に飛んで来て「助けてくれや、助けてくれや」
と私にしがみついたのです。
いくら殿様は武将だといっても、いざ助けてもらう段になったら、
「者ども先に救うてもらえ、わしは後から救うてもらうぞ」と
いうような立派なのではなくて、自分が先に救われようとして、
しがみついて来るのですね。
「よろしい、救ってあげましょう」と言って殿様をお救いし、
次に家来の皆さんをお救いしましたら、
みなありがとうございましたと手を挙げて行ってしまわれたのです。
すると面白いことにAさんがバタンと倒れてしまったのです。
意識が無くなってしまったのですね。

そこで「どうかこの方の意識に光を与えて下さい」と祈り、
しっかりしなさいと言いますと、ポッと起き上られました。
実は殿様の一族を全部お救いさせてもらった後で、
その人の家来だった方でたまたま野外で用足しをしていた霊がおられたのです。
亡くなっても、生きている時と同じ思いでおられますからね。
この霊は殿様が「この場に控え!」と言われた時に留守をしていて、
あとから出るということがありました。
迷える霊が救われる為には、「ほんとうに自分の心の曇りを払って、
自分の心に神仏の光をいただきなさい。
そして自分の過ちを悔い改めなさい。
その時あなたは必ず救われます」と言って教えてあげます。
そしてその方が悔い改めた時に即、救われます。
今日までに余りにもそういう体験が多いので、
これは自信を持って言うことができます。



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「御垂訓」

2020-05-24 00:12:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

           講演集 一

       「心のスモッグを払う方法」


先の続き・・・

幸せになる為には、まず日々スモッグを出さないことです。
腹を立てないことです。
「私は腹を立てたくないのだけど、周りの者が立てさせます」と
言いますが、仮に周りの者が腹を立てさせたとしても、
腹を立てているのは自分自身です。
苦しいのは自分自身です。

だから何としても自分を苦しめることは、
もうお断りしなくてはいけませんね。
でも、辺りの人々を見ますと、過去にスモッグをたくさん出しながら
自分が苦しいものだから、どの宗教に入ったらいいだろうか、
どこの神様に参ったらよく聞いてもらえるだろうかと、
今朝の新幹線の中の方のように宗教にすがり、
そして「一生懸命拝んでもご利益はありません」ということになります。

私は「ご利益などあるわけはありません」と言ったのですが、
自分がスモッグを現に出しながら、
ついつい苦しいものだから滝に打たれて行をしたり、
あの信仰をしたら救われるのだとか、不幸から
逃れられるのだとか言って次々に自分が心のスモッグを出していたら、
苦しみがとれることはないわけです。

まずこの心のスモッグを止めて、払ってしまえばいいのです。
そして、先に出したスモッグを消していくことです。
ではどうして払えばいいかと言いますと、
神の光を自分からお断りした世界ですから暗くて苦しい、
その暗い世界を一つ一つ反省して、
自分が過去にスモッグを出した原因を一つ一つ反省して、
神にお詫びをし、悔い改めた時に、その苦しみが払われます。


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「御垂訓」

2020-05-24 00:12:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

                講演集 一

          「心のスモッグを払う方法」


だから、できるだけスモッグを作らないように、
以前に出してしまったスモッグは消さなくてはいけません。
これが私達の修行です。
これは初歩の話ですが、ピカピカに磨いたコップに奇麗な水を汲んで来ますと、
これは透明で綺麗なものです。
これが赤ちゃんとしてこの世に生まれさせてもらった時の私達の心です。

ところが怒り、愚痴、貪欲に足ることを忘れた欲望によって、
ちょうどインクをスポイドでもってポトンポトンと綺麗なコップの水の中に
落としているように、心を汚しています。
そのインクも最初はうす青くても、たくさん入って濃くなると真っ黒になってしまいます。
もう何も見えません。
そのような真っ黒になった心を、どうすれば綺麗な水に戻せるかと
言いますと、まず実践しなくてはいけないことは、インクを注ぐのを止めることです。
怒り、妬み、愚痴の無い綺麗な水を一滴一滴注ぐこと、時間はかかってもよろしい。

休みなしに注ぎましたら、やがてまた元の綺麗な水に戻ってきます。
常に水を注ぐと言いますのは、折にふれてこういう話を聞かせてもらうことも、
これも綺麗な水の一つです。
さらに、こうしなければいけないと言って努力することが次の一滴です。
この法則に従って常に努力してもらわねばなりません。
「ああいい話を聞いたなあ」と言って外に出たらもう忘れてしまったのでは、
何のご利益もありません。


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「御垂訓」

2020-05-23 00:12:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

             講演集 一

        「心のスモッグが幸せの光を遮る」


先の続き・・・

その前に、先ほど言いました地獄ですが、
「地獄なんかほんとうにあるかどうか、
見たこともないから、あるやらないやら分からない」と
言われますが、私は地獄界も天上界もちゃんと見て来ました。
地獄も一つだけとは違います。
喧嘩する地獄、
或いは我さえよければ良いという畜生のような世界の地獄、
有っても有っても欲しいという地獄の世界などいっぱいあります。
怒り、妬み、憎しみ、謗り、愚痴、
こういう思いが強くて自分の周りを心のスモッグで真っ黒にした人は、
この世の肉体を去ってあの世に帰って行きますと、
怒り専門によって神の光を遮った場所があり、
この中に勝手に類は類をもって集まる法則で、
この怒りの世界に入って行きます。
仏教では阿修羅といいます。

そこへ行くと、
お互いに腹の立て合いをして喧嘩ばかりして生きて来た人は、
餓鬼界に入って欲しい欲しいの塊となっています。
そういう世界にいる方がなぜできたかと言うと、
人間として生まれて、自ら神の光、仏の光を遮って、
そしてこの世を去った方の思いによって、
光を遮った為の闇の部分、影の部分ができ、
その思いの同じ世界へと引き込まれて行くからです。
それではあなたは地獄を見て来たのか、
その証拠はあるのかと言われますと、
それは数限りない程の証拠があります。

例えばそういう方が、
この地上の人間に縋って来るのを憑依と言うのですが、
その霊に命じますと、すぐに現実の人間の中に入って来て、
あの世の世界のことを全部報告されます。
また光の世界、あの元のふるさとにお帰りになった方は、
その当時地上で住んでおられた国の言葉でお話されます。
イスラエル、或いはインド、中国などその国の言葉で話をされ、
私は当時こういう名前で、こういう仕事をしておりました。
あなたとはこういう縁生でございましたと報告をしてくれます。


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「御垂訓」

2020-05-22 00:20:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

                講演集 一

        「心のスモッグが幸せの光を遮る」


これは何かと言いますと、自分の心です。
心の中に常に安らぎと感謝を持ち、
人の為に奉仕する行いを実践した時、
自分の心の中にああ良かったなあ、
人に助かってもらったという喜びが与えられます。
その満たされた、幸せだなあ、
良かったなあという思いが光なのです。
反対に、心の苦しみの原因を作りますのは怒り腹立つことですね。
それから、妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、足ることを忘れた欲望、
これらはまさしくスモッグを出しています。
心の中からスモッグが吐き出されているのです。
今から十年ぐらい前、大阪の堺辺りは石油コンビナートができて、
あちこちの煙突からガスが吹き出しましたから、毎日のように
スモッグ警報が出されていました。
あれは企業が設備をつけると高くつくので、公害設備なしに、
ガスを空に吐き出せば影響は無いと思って、自分が儲ける為に
どんどん出したので、やがてこの広い空さえも覆う程のスモッグが
できたのですね。

その層も厚くなってきましたら、熱い太陽の光さえも通してくれません。
それと同じことで、私達の心も本来は光に輝いていました。
大層安らかな光輝いた魂でした。
その証拠に幼い赤ちゃんの顔は、どんな赤ちゃんでも、鼻の高低、
目の大小に関係なくかわいく何とも言えない愛らしさで、殊に目
などは澄みきっています。
あれは何故かと言いますと、
何の汚れもない心を持ってこの世に生まれ出て来ているからです。
やがて五歳、十歳と年を重ねてこの世の風に当たると、
自らの心からスモッグを吐きだして、
私らのようなこんな顔になってくるのです。
これも各自顔の個性を持っていますけれど、それぞれが今日まで生き
させてもらった間の体験の積み重ねが顔に看板として出ているのです。
本来は私達も光輝いた魂を持ってこの世に産んでいただいたのですね。
生きて来た間に、怒り、謗り、愚痴、憎しみ、欲望に囚われて足る事を忘れ、
その積み重ねによって心にスモッグを作ってしまったのです。
本来は真ん丸い心で光輝いていたのです。

自然界のすべてのものは、自然の力によって生かそう生かそうとし、
また用事が済めば消滅させよとして、
自然の力の中に私達は生きさせてもらっています。
言葉は換えれば、太陽は光です。
この太陽の光の中に私達は本来ならば満たされているのですね。
自分の心のスモッグを払いました時に、神の光は願うことなしに
私達の心の中に燦然と輝いていただけます。
ところがいろいろと生まれた環境、受けた教育、考え方、思想、
習慣の中に、在る時は腹を立ててスモッグを出します。
憎めばたくさんのスモッグが出ます。
そして心の周りをスモッグで囲ってしまうと、神仏の光は遮られてしまいます。
神の光を遮ってしまうと、光がいただけないから苦しみが現れてきます。
ではこのスモッグをいかにして出さないようにするか、
これが大事です。


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「御垂訓」

2020-05-21 00:06:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

                  講演集 一
  
        「成仏されると墓所・仏壇は明るく光る」


先の続き・・・

その後で山へ登って行きますと、
今まで電灯をつけないと見えなかったその山の中がちょうど木陰を
歩いているような明るさで、
こんなに明るい所へなぜ電灯を持って来たのかですかと尋ねるくらい、
今度は明るいのです。
それは、私達の心の曇りが、幼い頃に、仏教で地獄と教えられた、
神社の光を遮った世界、つまり自分の心の曇りによって神社の光を遮り、
光の届かない暗い世界を作っていたからです。
地上に執着を残し、自分の心の曇りのスモッグを持った方がいっぱいおられますと、
自然界さえも暗くなるのです。
この暗い想念の世界こそ地獄の世界です。

よくあちらこちらのお仏壇にお参りさせていただきますが、
言葉の要らない意識の世界ですけど、
「どうかこの仏壇から思いを離して下さい。
そしてほんとうの世界へ救われて下さい」と言って話させてもらいますと
、つまり真理を伝えますと、あの真っ黒になっていたお仏壇が
忽然として光ってきます。
古くて字の読めないような位牌なども忽ちに文字が浮かび出て来ますし、
金を塗った古い位牌でしたら、
新しい位牌と変わらないように見てる間にきれいに曇りが消えていきます。

これは位牌の中に意識を留めておられた方が、ほんとうに悟って救われて下さり、
位牌から抜けて行かれるから、光ってくるのだと思います。
あの山に登るのに、電灯が不要になったのと同じことで、
お仏壇もお位牌もきれいに明るくなります。
極端な場合は、
お仏壇の掛けてある阿弥陀様のお軸が黒く墨を塗ったようになっていても、
未成仏様が成仏されますと、サーッとそのお姿が現れてきまして、
家族の方が並んで見て居られるうちに、
「わあ、阿弥陀様のお顔の眉が見えてきた」という具合で、
しまいには後光が射してきます。
こんな不思議なことも見せてもらいます。


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「御垂訓」

2020-05-20 00:58:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~

             講演集 一

    「成仏されると墓場・仏壇は明るく光る」


先日田舎のお墓をきれいにして欲しいと頼まれて四国へ参りました。
不思議なことがあるもので、昼の日中にそのお墓に行きましたら、
鬱蒼としていて懐中電灯を持って皆お参りしているのです。
では凄い深山かと言いますと、そんなことはないのですね。
平地があって国鉄が通っており、二百メートル程離れた所から
山地になっているのです。
この山はひどく急な山ですけど、ご先祖様というのは亡くなったら
自分の家を見下ろせるようなお墓で、
常に家を身守りながらあの世にいたいという思いがあったのですね。
各宗派によって、いろいろですが、その思いの場所にお墓があります。

そこで私は真の神様に向かって
「どうかこの地域に神の光をお与えください。
この地域に調和と安らぎをお与え下さい」とまず祈らさせてもらいました。
次に霊たち向かって「この山のお墓に執着をもって、このお墓が自分の
住処であると思っておられる諸霊たちよ、よくお聞きください。
私達は本来あの光り輝く天上の世界から地上のこの世界へ自らの
魂の修行に生まれて来ております。しかるに、
この地上に肉体を戴きましたら、
私達はこの肉体の故に数々の過を犯して来ました。
或る時には腹を立て、愚痴も言い、人を謗りもします。
自分にとって具合が悪いと恨んだり、憎んだり、足ることを忘れた
欲望にとらわれて、自分自身の心を苦しめてきました。

しかし、私達は自分の心を苦しめてしまえば苦しめた分だけ
心が重くなります。また心が重くなりますと、その曇りの故に
ほんとうのふるさとへ帰ることができません。
ほんとうのふるさとは、あの光り輝く天上の世界です。
地上に生まれる前に住んでいた世界へ帰ってこそ本当の成仏です。
この地上のお墓とか、仏壇の中とかに心を残されては、
あのほんとうのふるさとへ帰ることはできません」と話させてもらい、
更に「皆様はどうかこの地上から思いを離して、
あの輝く世界に上がって下さい」とお祈りをして経文を唱えますと、
諸霊は皆、天へ上がって下さいました。




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「御垂訓」

2020-05-19 00:09:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の御著書「講演集」より ~

         講演集 一

        「喜捨・奉仕」


これを話すと、私は損をするのですけれど、
皆さんの為ですから損をして言わせてもらいます。
私はこの三十年間、毛布の生産をしていた間、
二十歳代からずっと私よりも恵まれない不幸な方の為に、毎月、
または溜めておいて年に一回、喜捨をさせてもらってきました。
毛布をトラック一杯積んで、施設に配らさせてもらい、
これはずっと続けてきました。
現在も年末の助け合い運動とか、
何かの折には気持ちだけ喜捨させてもらっています。

ただ残念なことに、
こういうことを自分で話しますと自慢たらしく聞こえます。
ただ一つ良い行いをして一人にしゃべっても、帳消しになるのですから、
百人にしゃべったら九十九の赤字です。
こんな大損害ですけど、
皆様の為に天の蔵から放出する気持ちで、そのコツを話しております。
良い行いは常に隠れて積むことです。
表に出したらもう天の蔵には入らないのです。
隠れた徳「陰徳」を積み重ねることですね。その時、
見えない世界の天の蔵には宝物がいっぱい詰まってきます。
そして私達の、その時その時の必要に応じて、
天の蔵からまた出てくるのです。
つまり預金をしているようなものです。そして、
喜捨した何十倍、何百倍のものを自然から報酬として私の所へ
与えてもらいました。

常に人様の為にさせていただくということ、これは実践ですね。
心にほんとうに平和が欲しかったら、心に安らぎが欲しかったら、
勿論、目を閉じて禅定瞑想をして静かな時を持つことも大事ですけれど、
それよりも両目をしっかり開いて、
まず扉を開いて人の為に奉仕しなさい。
人の為につ尽くしなさい。
その時に必ずあなたの心に平和が訪れて来ます。
キリスト教ではこれを隣人愛と言っていますね。
「隣の人々に奉仕をしなさい。
その時あなたの心に平和が訪れて来るでしょう」と、
その通りであって、自分を捨ててはいけないけれど、
人の為に尽くし、自分を生かして下さい。


下記URLに恩師「長尾弘」先生読誦の「父母恩重経」を投稿しております。
https://www.facebook.com/37sun4970/videos/169408024477143/
皆様の訪問をお待ちしております。



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「御垂訓」

2020-05-18 00:12:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

                講演集 一
 
           「自然の法則と私達」


先の続き・・・

私達の呼吸を見て下さい。
私は息を出すのは嫌だと言うてみなさい。
息が詰まります。
思い切って全部吐き出しますと、自然にたくさん入って来ます。
私達は自分のものを、自分より恵まれない方に使っていただく為に出す、
この行為を喜んで捨てる、つまり喜捨といいます。
例えば、十万円あればそのうちの一万円を恵まれない方に喜捨させていただく。
一万円出せば損をしたなと思いますが、一万円を出したら、
この一万円は生きていますから、必ず形の違った所から入って来ます。
自分の中に取り込むばかりだったら、もう入って来ません。
この法則を私達はつい忘れるのです。

この肉体一つ見ましても、出すことは不要といってお尻のほうも前も蓋をして、
大・小出さないようにしたら、
もう上からは食べ物が入らないようになってしまうのです。
下から出してもらうからこそ、上から又おいしいものがいただけるのですね。
すべて出せば入る法則を私達はつい見落として、
取り込むほうへまわろうとするのです。
その時、自然の法則から離れた分だけ自分が苦しみを受けていきます。
ある宗教で、お金を上げなさい、家も土地も全部はたいて上げなさい、
主人に内緒でも上げなさい、というのがあります。
その宗教に入って、おじいさん、おばあさん達の全く素朴な信仰をされる方が、
自分のお小遣いを始末し、食べるものも始末してその教団に捧げておられますが、
そういう素朴な方は亡くなった時に、安らかな往生をされています。

しかし、だんだん教団の上へ上へとあがりまして、
今度はお金を集める立場に立っていかれます。
例えば分教会、中教会、大教会となっていきますと、
そういう方の家庭は必ず不調和です。
病気があるか、家の中に心配事があるという場合が多く、
そして亡くなる時には、業病をもって亡くなって行かれる方が多いのです。
心当たりをずっと見渡されたら、そのようになっておられる筈です。
では、なぜそうなるかと言いますと、出させていただくというのは心豊かです。
出すという行為は自分の心に良かったなあという安らぎが得られます。
しかし、自分が取り込むという立場に立った時、自分の心が卑しくなっていくのです。
取り込む生活を積み重ねますと、この世を去る時に、この世の総決算が出て来ます。
つまり業病を患って亡くなる場合が多いのです。
出す側は自分の心が豊かであり、取り込む側は自分の心を貧しくする。
心を貧しくすると苦しみを味わうことになります。


下記URLに恩師「長尾弘」先生読誦の「父母恩重経」を投稿しております。
https://www.facebook.com/37sun4970/videos/169408024477143/
是非訪問下さい。



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「御垂訓」

2020-05-17 01:56:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

              講演集 一
  
         「自然の法則と私達」


私たちは自然の法則の中に生きさせてもらえば苦しみはないのです。
ところが人は自然の決まりについ背くのでね。
この自然の法則の中には「循環の法則」、
つまり回って止まらない法則があります。
仏教では転生輪廻とか霊魂不滅とかいうふうに説きます。
また、作用を起こせば必ず反作用する「原因と結果の法則」があって、
この法則から何ものも逃れることはできません。
自分が幸せになりたかったら、周りを幸せにしたらよいのです。
人を幸せにしたら、必ず自分が幸せになれます。

与えられるのです。
その代わり自分が不幸になりたかったら、
人を不幸にしてあげたらいい。
必ず自分を不幸にしてくれます。
自分が泣きたかったら、人を泣かせらいいのです。
これは原因・結果の法則です。
原因と結果は一つであると知ったら、この原理がはっきり分かります。
与えなさい。
与えたら必ず入って来ます。
与えない者にどうして与えられましょうか。
「出せば入って来る法則」です。



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