不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「ブッダのことば」より。

2017-03-31 00:17:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第四 八つの詩句の章 

            三、悪意についての八つの詩句

783、修業僧が平安となり、心が安静に帰して、
       戒律に関して「わたくしはこのようにしている」といって誇ることがないならば、
       世の中のどこにいても煩悩のもえ盛ることがないのであるから、
       かれは(高貴な人)である、と真理に達した人々は語る。

784、汚れた見解をあらかじめ設け、つくりなし、
       偏重して、自分のうちにのみ勝れた実りがあると見る人は、
       ゆらぐものにたよる平安に執着しているのである。

785、諸々の事物に関する固執(はこれこれのものであると)
       確かに知って、自己の見解に対する執着を超越することは、容易ではない。
       故に人はそれらの(偏執の)住居のうちにあって、ものごとを斥け、
       またこれを執る。


               ~ 感謝・合掌 ~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-30 00:03:54 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第四 八つの詩句の章 

            三、悪意についての八つの詩句

780、実に悪意をもって(他人を)誹る人々もいる。
      また他人から聞いたことを真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。
      誹ることばが起こっても、聖者はそれに近づかない。
      だから聖者は何ごとについても心の荒むことがない。

781、欲にひかれ、好みにとらわれている人は、
      どうして自分の偏見を超えることができるだろうか。
      かれは、自ら完全であると思いなしている。
      かれは知るにまかせて語るであろう。

782、ひとから尋ねられたのではないのに、
      自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、
      自分で自分のことを言いふらすのであるから、
      かれは「下劣な人」である、と
      真理に達した人々は語る。



              ~ 感謝・合掌 ~

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-29 00:06:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
           第四 八つの詩句の章 

       二、洞窟についての八つの詩句

778、賢者は、両極端に対する欲望を制し、
      (感官と対象との)接触を知りつくして、貪ることなく、
      自責の念にかられるような悪い行いをしないで、
      見聞することがらに汚されない。

779、想いを知りつくして、激流を渡れ。
      聖者は、所有したいという執着に汚されることなく、
      (煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行い、
      この世をもかの世をも望まない。


            ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-29 00:06:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
           第四 八つの詩句の章 

       二、洞窟についての八つの詩句

778、賢者は、両極端に対する欲望を制し、
      (感官と対象との)接触を知りつくして、貪ることなく、
      自責の念にかられるような悪い行いをしないで、
      見聞することがらに汚されない。

779、想いを知りつくして、激流を渡れ。
      聖者は、所有したいという執着に汚されることなく、
      (煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行い、
      この世をもかの世をも望まない。


            ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-28 01:16:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
            第四 八つの詩句の章 

          二、洞窟についての八つの詩句

775、だから人はここにおいて学ぶべきである。
       世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、
       それのために不正を行ってはならない。
       「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。

776、この世の人々が、
       諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、
       わたくしは見る。
       下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、
       死に直面して泣く。

777.(何ものかを)わがものであると執着して動揺している人々を見よ。
       (かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる
       魚のようなものである。
       これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。
       ―――諸々の生存に対して執着することなしに。



               ~ 感謝・合掌 ~

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-27 00:07:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第四 八つの詩句の章 

            二、洞窟についての八つの詩句

772、窟(身体)のうちにとどまり、執着し、
      多くの(煩悩)に覆われ、迷妄のうちに沈没している人、
      ―――このような人は、実に〈遠ざかり離れること〉(厭離)から遠く隔たっている。
      実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。

773、欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。
      他人が解脱させてくれるのではないからである。
      かれらは未来をも過去をも顧慮しながら、
      これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪る。

774.かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇(りんしょく)で、
      不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する、
      ―――「ここで死んでから、われらはどうなるのだろか」と。


              ~ 感謝・合掌 ~





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-26 00:07:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第四 八つの詩句の章 

                 一、欲望

769、ひとが、田畑・宅地・黄金・牛馬・(ぬひ)・傭人(やといにん)
        婦女・親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

770、無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち、
        危ない災難がかれをふみにじる。
        それ故に苦しみがかれにつき従う。
        あたかも壊(やぶ)れた舟に水が浸入するように。

771.それ故に、人は常によく気を付けていて、
        諸々の欲望を回避せよ。
        舟のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、
        激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。


               ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-26 00:07:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第四 八つの詩句の章 

                 一、欲望

769、ひとが、田畑・宅地・黄金・牛馬・(ぬひ)・傭人(やといにん)
        婦女・親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

770、無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち、
        危ない災難がかれをふみにじる。
        それ故に苦しみがかれにつき従う。
        あたかも壊(やぶ)れた舟に水が浸入するように。

771.それ故に、人は常によく気を付けていて、
        諸々の欲望を回避せよ。
        舟のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、
        激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。


               ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-25 00:05:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
               第四 八つの詩句の章 

                   一、欲望

766、欲望をかなえたいと望んでいる人が、
      もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

767、欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、
      もしも欲望をはたすことができなくなるならば、
      かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

768.足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、
      よく気を付けて諸々の欲望を回避する人は、
      この世でこの執着をのり超える。


               ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-24 00:05:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察

764、生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、
      悪魔の領主に入っている人々には、この真理は実に覚りがたい。

765、諸々の聖者以外には、
      そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。
      この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、
      まどかな平安に入るであろう。

師(ブッダ)はこのように説かれた。
修業僧たちは悦んで師の所説を歓喜して迎えた。
実にこの説明が述べられときに、六十人の修業僧は執着がなくなって、
心が汚れから解脱した。

〔二種の観察の〕まとめの句
真理(諦)と、生存の素因と、無明と、諸々の形成力と、第五に識別作用と、接触と、
感受されるものと、妄執と、執着と、起動と、諸々の食と、動揺における振動と、
物質的領域と、真理と苦とで、十六である。

〈大いなる章〉第三おわる

まとめの句
出家と、つとめはげむことと、みごとに説かれたことと、スンダリカと、マーガと、
サビヤと、セーラと、矢と、ヴァーセッタと、コーカーリヤと、ナーラカと、
二種の観察と―――
これら十二の経が「大いなる章」と言われる。


              ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-23 00:17:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察

761、自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、
      諸々の聖者は見る。
      (正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。

762、他の人々が「安楽」であると称するものを、
      諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
      他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
      解し難き真理を見よ。
      無智なる人々はここに迷っている。

763、覆われた人々には闇がある。
      (正しく)見ない人々には暗黒がある。
      善良なる人々には開顕される。
      あたかも見る人々に光明のあるようなものである。
      理法が何であるかを知らない獣(のような愚人)は、
      (安らぎの)近くにあっても、それを知らない。



               ~ 感謝・合掌 ~

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-22 00:38:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第三 大なる章 

               12、二種の観察

「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『神々と悪魔と共なる世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・
人間を含む諸々の生存者が(これは安楽である)と考えたものを、諸々の聖者は
〈これは苦しみである〉と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』
―――これが一つの観察〔法〕である。
『神々と悪魔と共なる世界、道の人・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が
〈これは苦しみである〉と考えたものを、諸々の聖者は〈これは安楽である〉と如実に
正しくい智慧をもってよく観ずる』―――これが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している
修業僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

759、有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り、触れられるもの。
      考えられるものであって、好ましく愛すべく意に適うもの、―――

760、それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般に認められている。
      又それらが滅びる場合には、かれらはそれを「苦しみ」であると等しく認めている。


               ~ 感謝・合掌 ~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-21 00:05:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察

「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『神々と悪魔と共なる世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・
人間を含む諸々の生存者が(これは真理である)と考えたものを、諸々の聖者は
〈これは虚妄である〉と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』
―――これが一つの観察〔法〕である。
『神々と悪魔と共なる世界、道の人・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が
〈これは虚妄である〉と考えたものを、諸々の聖者は〈これは真理である〉と如実に
正しくい智慧をもってよく観ずる』―――これが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している
修業僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

756、見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、〈名称と形態〉
      (個体)に執着している。
      「これこそ真理である」と考えている。

757、或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、
      そのものはそれとは異なったものとなる。
      何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。
      過ぎ去るものは虚妄なるものであるから、

758、安らぎは虚妄ならざるものである。
      諸々の聖者はそれを真理であると知る。
      かれらは実に真理をさとるが故に、
      快を貪ることなく平安に帰しているのである。


             ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-20 00:08:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察

「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『物質的領域よりも非物質的領域のほうが、
より一層静まっている』というのが、一つの観察〔法〕である。
『非物質的領域よりも消滅のほうが、より一層静まっている』というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している
修業僧にとっては二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

754、物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
       消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。

755、しかし物質的領域を熟知し、非物質的領域を熟知し、
       非物質的領域に安住し、消滅において解脱する人々は、
       死を捨て去ったのである。


              ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダのことば」より。

2017-03-19 00:09:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察

「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『従属する者は、たじろぐ』というのが、一つの観察〔法〕である。
『従属することのない者は、だじろがない』というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している
修業僧にとっては二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

752、従属することのない人はたじろがない。
      しかし従属することのある人は、この状態からあの状態へと執着していて、
      輪廻を超えることがない。

753、「諸々の従属の中に大きな危険がある」と、
      この禍を知って、修業僧は、従属することなく、
      執着することなく、よく気をつけて、遍歴すべきである。


               ~ 感謝・合掌 ~





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする