浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-07-30 23:56:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演、四


       示し申すと書く真の「神」はただお一人


昨日の夕べも、
「神様とは一体何でしょう」という話があったのですけれど、
高橋信次先生はよく黒板に、「ゴッドの神」と書かれましたね。
これが、ほんとうの示し申す神〈神の旧字体は「」〉です。
日本には、上の意味の上様もありますし、ペーパの紙様もあって、
ややこしいのです。

何々の大神とか南無妙法蓮華経とか書いたものを置いて、
一生懸命拝んでいる方がありますが、このお札とか掛軸とかは、
ペーパの神様です。
又、祠の中に祀られている神というのは、ほとんど人の上にいた方で、
それを神として祀っている場合が多いです。

昔、その地域に貢献された方とか、その地域を開かれた方とか、豪族の方とか、
その地域の権力者とかを神として、立派なお社の中に祀っています。
ところが、そういう神々は、示し申す神とは全然違って、人の上にいた
「氏の上」つまり氏神様です。
けれども、同じ示し申す神という字を書きますから、ややこしいのです。

示し申す神はただお一人、この大宇宙を支配し、
この地上の万生万物を育む大自然の力、この大自然の力こそ、
神の御業であります。
こういう神様は何人もおられません。
ただお一人だけです。
この神こそ示す申すまことの神ですから、自然の中に、
私たちの生き方をいろいろと教えて下さっています。
自然を通して学ぶのが「正しい法」といえます。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-30 00:03:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演、四


       最も身近なご先祖様は両親である


先の続き・・・

私たちは、幸せになったその姿を、ご先祖様にお供えすることです。
幸せな姿を供えた時、ご先祖様は「ああ、安心だなあ、私の子供たち、
子孫たちがこんなに幸せに暮らしてくれたら、
私は、もう何も思い残すことはない、ああ、私は幸せだ」と言って、
成仏されます。

ご先祖様に、「私はどこそこが悪いから治して下さい。
子供はこうだから良くしてやって下さい」と言って、
お願い事をしますと、これは、大変な先祖不孝です。
死んでしまいましたら、自分の姿はありませんが、心はあります。
子供や孫から頼まれましたら、もう心配するばかりで、
どうすることもできないのです。

「ああ、難儀だなあ、うちの子孫がこんなことでは、
難儀なことがなあ」と言って、お仏壇の中、或いはお墓の中で苦しまれます。
ご先祖様に対しては、絶対に無理なお願い事をしないことです。
お願いをしますと、ご心配をかけます。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-29 00:10:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                講演、四


          最も身近なご先祖様は両親である


今の若い方、私たちも含めてですが、
両親への感謝報恩の行いを忘れている方が案外多いです。
しかし神様は、「あなたの父と母は、私があなたに与えたあなたの父と母である。
故に、私を敬い私を信じ、私の導きに従うがごとく、あなたの父と母を敬い
信じ、その導きに従いなさい」と言われます。

私たちのお父さんお母さんは、神様から与えていただいたお方です。
それを、「私は産んでくれと頼んだこともないのに、自分勝手に産みやがって」
と言って、親に文句を言う人がありますが、これはとんでもないことですね。
自分の両親を尊敬できないことほど、人間として生まれて不幸なことはありません。
私たちをこの世にあらわしめて下さった方こそ、お父さんお母さんです。
この両親に逆らったり、背いたり、心配をかけたりして、
親を粗末にしていながら、自分が幸せになろうとしても、これは絶対にできない相談です。
まず、自分の両親を大事にしなくてはいけません。
これは当たり前のことですね。

親と喧嘩ばかりしていながら、一生懸命お仏壇を拝んでいる人がありますが、
先祖様の中で最も身近なご先祖様は、両親です。
そして祖父母、曽祖父母という順になってきます。
親に心配をかけて親不孝をしながら、一生懸命お仏壇を拝みましても、
これは通じないのです。
なぜかと言いますと、階段も一段一段あがらなくては上へは行けないのと
同じで、その一番肝心の親を飛ばして先祖供養をしても駄目です。
自分が幸せになりたかったら、親を大事にしましょう。
そして、お父さんお母さんに喜んでいただいた時、ご先祖様にも喜んでいただけます。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-28 01:03:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


          講演、四


     自分の幸せの為に隣人を愛しなさい


先の続き・・・

イエスは偉大な光の大指導霊です。
イエスは神の御心を人々に伝えて下さいました。
その神は私たちに、
「幸せになるように、健やかに生きるように」と、
その慈愛の光を注いで下さっています。
人は幸せにならなくてはいけないということを、
神はよくご存知です。

「汝の隣人を愛しなさい」と言って、
自分が幸せになることをお教えになったのです。
自分が不幸になりたければ、
自分の身の周りの人を不幸にしたらいいのです。
必ず自分を不幸にしてくれます。
自分が泣きたかったら、
人を泣かしてやったらいいのです。
必ず泣かしてくれます。


          ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-27 00:06:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演、四


       自分の幸せの為に隣人を愛しなさい


この世に生きさせてもらいますと、いろいろの出来事に出会います。
この出来事を通して、私たちは、自分にとって都合のいい時は満足できますが、
自分にとって都合の悪い出来事に出会った場合は自分の心を苦しめます。
世界中の人類すべてに共通して、誰方も同じ変わらない心というのは、
「自分にとって都合がいいものは、みな好き。都合の悪いものは、みな嫌い」
という心理です。

白人も黒人も私たち黄色人種もみな同じです。
ですから、人様にとって都合のいい自分になった時、
人は必ず自分を好きになって下さいます。
イエスは「汝の隣人を愛せよ」と言われました。
隣人とは最も身近な隣にいてくれる方のことですね。
隣とは、遠くの方とは違います。

家庭の中では夫婦であり親子であり、
職場では隣で働いている人こそが隣人です。
聖書に、「隣家を愛しなさい」とは書いてありません。
「隣り人を愛しなさい」ということです。
では、なぜ隣り人を愛さなくてはいけないかといいますと、
愛してもらうということは都合のいいことですから、
「この人は、私の為に誠心誠意尽くしてくれる。
この方は自分にとって大切な方だから、
私もこの方を大切にしなくてはいけない」といって、
自分が愛することによって、結果として自分が愛されるのです。
愛する方が多くなればなるほど、自分を愛して下さる方が多くなります。
つまり、愛することは自らの幸せにつながるのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-26 03:38:14 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


                講演、四


         調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

「では、あなたは日々の生活の中で、お父さんお母さんに逆らうことなく、
家庭の中で親への孝養を尽くしていますか」と聞きましたら、
付き添ってこられたお母さんが、「この子はもう親の言うことを聞かないで、
心配ばかりかけますから、先生、もっと言うてやって下さい」と、
おっしゃったのですね。

「それ、みなさい。その毎日の不調和な心が不調和を呼び込んだのです。
だから、心の底から当てた人を許させてもらいなさい」と言って、お願いしますと、
「許させてもらいます」と、心から許されましたら、そのムチ打ちが
治ってしまいました。

もう、一人でサッサと歩けるようになりましたね。
心の作用とは、そのようなところまで現れるのです。
ですから、常に自分の心を安らかに持たせてもらうことです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-25 00:35:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演、四


       調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

不調和な心、つまりいらいらしたり、腹を立てたり、愚痴を言ったり、
人を恨んだり、よく、車に追突されてムチ打ち症になる方がありますね。
この世的に見ますと、自分が前を向いて坐っている所へ、後ろから来て
当たるのですから、百パーセント当てた人が悪いと面ますが、しかし、
原因の無いところに結果が現れません。
結果が現れるということは、どんなことであっても、何らかの原因が
あるのです。

後ろから車を当てられるのも、何らかの原因があるから当てられたのです。
当てられたご本人にも原因があります。
或る方がムチ打ち症になられました。
もう強度のムチ打ちで、平衡感覚を全部やられましたから、自分一人で歩く
ことができなくて、四カ月入院していたのですが、全然治りませんので、
当てた人を、「憎い、あいつは許せない、当てられなかったら、私はこんな
えらい目に遭わなくてすんだのに」と言って、相手の方を怒り、憎しみ、
恨んでいられたのですね。

三十過ぎの男の方ですが、たまたまご縁があって、
病院から私の所へこられた時は、お母さん弟さんなど、
三人ほど付き添って見えました。
一人では全く歩けないのです。
「あなたは車を当てた人をどう思っていますか」と聞きますと、
「あんな悪い奴はいません。わたしをえらい目に遭わせやがった」と言って、
恨んでいました。

そこで、「今日、その方を心から許させてもらいなさい。心の底から許させて
もらって下さい」と言いますと、「そんなもの許せますか。私の車が前を向いて
止まっている所へ、後ろから当てたのだから、あいつが全部悪い。
そんな者を許せません。
私が百パーセント悪くない」とおっしゃるのですね。
しかし、当てられるには当てられる原因があって、結果として当てられたのです。
それを、「私が一体どんな悪いことをしたというのですか」と、怒りを
向けてこられたのです。


                ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-24 00:43:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


           講演、四


     調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

この見方からしますと、交通事故が起きた時、
目に触れた花さえ見ることができないのですから、
ましてや、心が向いていなければ、
遠い所にある信号などは目に入りません。
朝、でかける前に夫婦喧嘩をしたとします。
「ほんとうに腹が立つなあ」と、
心が喧嘩のほうにいっていますと、信号は
見えないし、車も見えません。

アッと気が付いた時は、事故を起こしています。
交通事故のほとんどは、
心が集中していないことによって起きていますから、
特に車に乗る時は、しっかりと心がここにあるように、
心を他に持っていかないようにして、運転することです。
そうしましたら、事故は案外起きません。

私が車を運転させてもらいます時、三車線の道路でしたら、
どれほど混んでおりましても、
前方の車が一台もない所を走っているのと同じ状態になります。
この前、O様が私の所に車で来て下さったのですが、
「あの混んでいる東名高速道路を、
ほとんど車のない所を帰ってきました。あれは奇跡です」と。
おっしゃっていました。

常に自分の心を調和させておきますと、車に乗っていて、
仮に後ろから車がつっ込んできましても、
当たる寸前になりますと、キーッとブレーキがかかって、
その車のほうがひっくり返ってしまいます。

こういう体験も、何回かさせてもらいました。
なぜ、こんな現象が起きるのかといいますと、
「光の中に闇は入れない」という原理によるのです。
光の中に闇は入ることができません。
調和された心、安らぎの心は「光」です。


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「講演集」より。

2015-07-23 00:05:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演、四


      調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

今からもう七、八年前のことですが、
私は「さつき」が好きで、たくさんのさつきを植えていました。
丹精こめて育てていますと、花もその愛に応えてくれて、
見事な花を咲かせてくれます。
花がいとおしくて、玄関から座敷、庭まで
鉢に咲いた花をいっぱい並べていたのです。

その時、車のセールスの方が、車を勧めにきてくれたのですね。
玄関の花の咲いたさつきの鉢をいっぱい取り入れていたのですけれど、
その花の前で一生懸命車を何とか一台買ってもらわなくてはならないと思って、
その方の心は車を売ることに集中しています。
その方が、姿勢を変えて用紙に必要事項を書いたりしますと、
肘が花に当たりますし、お尻の位置を変えますと、
お尻が枝のところにいったりします。

私はもう花が落ちないかな、枝が折れないないかなと思って、
ハラハラして見ておりましたが、ご本人はそんなことには全く気が付きません。
やっと書類が出来あがりまして、
「判こを下さい」と言って、書類に判を押した時、
初めて、自らの意識に返られたのですね。

「ありゃー、綺麗な花が咲いていますね」とおっしゃたのです。
「あなた、今までこの花が見えなかったのですか」とたずねますと、
「全然見えませんでした」と言われるのです。
すばらしい花の中にあっても、その花さえ見ることができないことがあります。
これは現実にあったことです。
なるほど、心ここにあらざれば、目にしても見ることができません。


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「講演集」より。

2015-07-22 00:11:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


           講演、四


     調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

しかし、私たちは今日まで平気で自分の心を苦しめてきました。
つまり、怒り、妬み、謗り、愚痴、人の悪口、陰口、恨み、憎しみ、
不要の取越し苦労、不安、恐怖などに捉わえれて、
自分の心を苦しめてきました。

この、自分で作った心の苦しみが、
自分の環境や肉体に上に苦しみとなって形をなし、
現象化してきただけのことです。
すべてがすべてそうだとは言いませんが、
例えば交通事故にしましても、ちょっとした不注意によって、
とんでもない事故に遭い、
一生の苦しみを背負う方がたくさんあります。

「心ここにあらざれば、目にして見えず、耳にして聞こえず」と言いますが、
こんなすばらしい花を生けてもらいましても、心を向けることがなければ、
花の美しさを見ることはできません。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-21 00:03:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


         講演、四


    調和された心、安らぎの心は「光」である


こんな拙い私の話でございますけれども、
私の話を通して肉体が癒される方もございます。
又、心の苦しみが払われる方もございます。

なぜかというと、それは「安らぎ」によるのです。
心に安らぎが与えられることによって、
病が癒されていきます。
正しい心の持ち方を知らないが為に、
私たちは何でもないことに腹を立てています。

しかも、自分が勝手な見方をしていて、
勝手に腹を立てたりします。
心を学ぶ私たちにとって一番いけないことは、
自分の心を苦しめることです。
自分の心を苦しめて、幸せになれるはずがありません。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-20 00:14:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演、四


        組織を持たず「共に学ぶ心の友」として


神という言葉がよく使われますが、
私たちの学びは宗教ではありません。
私自身、死ぬまで組織を作るつもりはありません。
組織を作りますと、組織には必ず業がついております。
カルマですね。

まず組織を拡大しなくてはならないので、会員さんには、
新しい会員さんを獲得するために、
「布教しなさい、伝道しなさい」或いは「折伏しなさい」
という業が生じてきます。
又、組織を運営しなくてはなりませんから、
お金が必要になり、
その為に会員さんからお金を徴収しなくてはならないという業も生じます。

そして、せっかくの自分の会員さんになってくれた方々を逃がしてはならないので、
「去っていく者には罰が当たる」とか、「去っていく者は魔にやられた
サタンである」とか、又ひどいのになりますと、「あなたの魂を抹殺します」
というような、恐ろしいことを言う方もあり、そういう業が生じます。

神はいとしいわが子である私たちを、どうして抹殺されるでしょうか。
神でさえ抹殺されないものを、どうして人間が、宗教家が、自分の会員さんを
抹殺できるのですか、そのようなことはできるわけがありません。
そんな誤った信仰に振り回されてはいけません。
誤った信仰に振り回されてしまいますと、「お金を上げなさい」「伝道しなさい」
ということが生じます。
これは、全部人の苦しみ、つまり業です。
業を背負って幸せになれるはずはありません。
ですから、私は組織は作らず、「共に学ぶ心の友」として、
全国の心ある方々と共に勉強していきたいと思っております。



            ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-07-19 00:26:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


             講演、四


     初めての東京講演、まさに天上界のお計らい


先の続き・・・

全国からいろいろとお手紙やお電話を頂き、
講演に来てほしいとか、お話を聞くにはどうしたらいいのですか、
という問い合わせをたくさん頂きました。
その中で静岡のMさん、今日もお見えになっていますが、
この方は或る宗教を熱心に勉強なさっていましたところ、
身体が不調和になって苦しくて苦しくて
堪らなかったそうです。

たまたまS先生の紹介を見て、私の所へ電話をかけてこられました。
「そういう苦しみなら、すぐに楽になっていただけます」と言って、
電話でお祈りさせていただきますと即、身体が調和されたそうですね。
そのご縁で静岡の皆さんとご縁を頂きました。
その後、Mさんの学びの友であった東京のO様とご縁がありまして、
今日の運びとなりました。

皆さんは、道は違いますが、心を求めて熱心に勉強なさっていた方々ですから、
理解がものすごく早くて、すばらしい方々です。
そして実践力もあります。
今日、この場所にご縁を頂きましたのも、去年の十二月半ば頃、
今お見えになっているY様がこの会場にこられましたら、
たまたまこの会場がキャンセルされておりまして、
早速貸して頂くよう取り計らっていただきましたそうです。

こういう会場は半年前からお願いしても、予約でいっぱいになっていると
いうこの会場を、夢のように「空いています」と言って、
貸していただけましたのは、まさに天上界からのお計らいだと思います。
空いていないはずの場所が、このように空けていただけたのです。
神は必要に応じて必要なものを与え給います。


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「講演集」より。

2015-07-18 00:06:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演、四


       初めての東京講演、まさに天上界のお計らい


先の続き・・・

先生のお声が聞きたければ、ちゃんとテープも残していただいていますし、
教えを詳しく知りたければ、ご著書も十数冊残していただきました。
これを頼りにして、他を頼ることなく生きさせてもらう以外には何もないのだ、
ということに気付かせてもらいまして、
私の命が絶えるまで、この教えを一人でも多くの方に、
枉げることなくお伝えさせてもらわなくてはいけないということを、
その時に誓いました。

その後は、私のグループの三、四十人に方たちが集まって、
先生が生きておられた時と全く同じように、
生きる喜びと安らぎのお話会をずっと続けてきました。
去年の二月十五日、横浜へ招いて頂きました時、
たまたまS先生ご夫妻がお見えになっていられました。
最初からS先生が来ておられると聞いていましたから、

私などは話させてもらう立場と違いますので、
遠慮させてもらったのですけど、
お話が始まって十分ほどしておいでになったので、
私は全く知らないで、そのままお話していたのです。
休憩時間に「Sでございます」と挨拶していただいて、
びっくりしたのですが、
実はそれがご縁で、S先生の会報に、私のことを紹介して下さったことが
きっかけとなりまして、全国に広まってしまいました。


                ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-07-17 00:45:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演、四


       初めての東京講演、まさに天上界のお計らい


先の続き・・・

今日、ここにお集まりの皆様のほとんどが、
高橋信次先生にご縁のあった方だと思います。
先生は、「身近にあっても、遠き弟子、遠くにあっても、身近な弟子」と、
このように説いて下さいました。
私は信次先生にご縁のありました当時、名もない一会員でございまして、
先生から直接ご指導を受けたことは一回もありません。

しかし、先生がお亡くなりになりました時は、
三日間気が狂ったように泣き叫びました。
泣いて泣いて、泣き叫んで、家族の者は気が狂ったと思ったそうです。
それほどお慕い申し上げておりました。
「身近にあった弟子の方でも、そのような方はありませんでした」と
、昨夜お話した方は言って下さいました。

遠く離れておればこそ、余計にお慕い申し上げていたのだと思います。
先生がお亡くなりになって、
「せっかく、今生めぐり合った先生が、突如として
あの世へお帰りになってしまい、私はこの先どうしたらいいのか、
どのようにして生きたらいいのだろか」と、
心の支えを全部失ったように思いました。

お釈迦様がお亡くなりになった時、
最期までお側にお仕えになった阿難さんが、
だんだん身体の弱っていかれるお釈迦様に、
同じようなことを泣いてお願したそうですね。

その時、お釈迦様は「この老いた身を見て何を嘆くか、
私のこの肉体は、
すでに革紐の助けを借りなくては動かない古い車輪のようなもので、
この肉体はやがて滅んでいくものである。
私のこの肉体に捉われることなく、私の説いた法を拠り処としなさい。
自らを拠り処として、他に頼ることなかれ」とおっしゃったのですね。
このお言葉が心の底から湧き上がってきました。


               ~ 感謝・合掌 ~





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