浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-03-31 01:36:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


         「振り返ってはならない」


この世を去る時、
「振り返ってはならない」ということについて、
これは聖書を三十年来勉強されている方が、
聖書の中に書いてあるとおっしゃています。
私は聖書を知りませんが、
旧約聖書のソドムとゴモラの話の中にちゃんと書かれてあるそうです。
昔、物質文明の栄えた都があまりにも退廃して、
この都を地上に残しても人の為にならないから、
これは滅ぼしてしまわねばならないと判断された神が、
都を沈めてしまうことをお命じになったのです。

すると、ロトという方が「何とか、せめて五十人心正しい方があったら、
どうか都を助けてほしい」と申し出ました。
神様が、「それでは助けましょう」ということになったのですが、
「心正しき人が三十人でも助けていただけますか」と、さらに神にお願いしますと、
「三十人でも都を滅ぼさないでおきましょう」と言われましたので、「では、
十人でも助けて下さいますか」と改めてお願いして神様から許可をもらったロトは、
十人の心正しき人を探しに、その都へ一族を連れて旅をされたのです。
ところが、正しい話をしますと、人々は皆馬鹿にして、
もう退廃の限りを尽くした生活をしており、
どこにも一人として心正しい方がいなかったのです。

そこで、ロトが神様に、「あの都には心正しき方は一人もおりませんでした」
と報告しますと、神様は「一族を連れて一刻も早くこの場所から立ち去りなさい。
どのようなことが起きても振り返ってはならない。
一時も早く立ち去りなさい」と言われたのです。
ロトはその通りにして都から離れ、丘を越えて遠退(とおの)いていかれたのですね。
丘の上まで来ますと、後ろのほうで大音響、阿鼻叫喚が起こりました。
しかし、神様から言われているから、一目散に逃げましたが、
その時、ロトの奥さんがふっと振り返られたのです。

すると、そのまま、塩の柱となって、その場所に固まってしまいました。
その塩の柱が溶けて陥没した所に流れたのが今の死海だ、と書かれてあるそうです。
「振り返ってはならない」は、聖書の表面的な文章をもって綴られていますが、
その奥底で何を説いておられるのかと言いますと、私たちが、あの神様の
御胸の中に帰らせてもらう時、絶対にこの世を振り返ってはならない、
振り返ると、その場所に心が留まってしまう、その譬えとして、
聖書に塩の柱の話しが書かれているのです。

この肉体を去りますと、私たちは「思いだけの世界」に入ります。
「思いの世界」は、自分が思えばその場所に意識が行くようになっているのです。
死んでお墓とかお仏壇に入ってはいけません。
そこへ入ると思っておれば入るのです。
「そんなこと言っても、死んだら終いだ、そんなことはあるはずがない」と
思っておりましても、
現実にはお仏壇やお墓の中に入っていられる方は、いっぱいあります。


             ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-03-30 00:17:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


        法に背いて法を説いても駄目


一番悲しいことは、高橋信次先生が地獄へ落ちられたと言ったり、
極端な場合は、先生を悪魔呼ばわりしている方があることです。
しかも、自らは正法を説いていると思っています。
そのような方は、昔から言いますように、人を阿呆だと言うのは、
言うその人が阿呆なのであり、人を悪魔と言う人は、その人が悪魔なのです。
人が地獄に落ちているかどうかの真偽も分からないで、もし人の前でそういう
ことをおっしゃいますと、その方は必ず地獄へ行きます。
これは避けられません。

「霊的に、私が地獄を見てきたら、先生がいた」という方がいますが、
そんな話は当てになりません。
何人の証明者がいるでしょうか。
その方ただお一人の自分の感じです。
他に証明のないことは信じてはならないと聞きましたね。
又、「私は先生の弟子だ」と言いましても、
「私は先生のただ一人の弟子である」と、人に高言を吐きましも、
人の悪口をいっぱい言っておりますと、
それは弟子とは違います。

先生はおっしゃいました。
「自らを正当化する為に、他を非難し中傷してはならない」と。
この教えに背き、法に背いて法を説いても駄目です。
自らを正すことですね。
まず自分を正して、自分が法を実践させてもらい、そして、
その結果を皆さんに報告してこそ、法は広がっていきます。
自分が苦しんでいながら、人さまにどんないい話しをしても、
それは駄目です。

先生は、まず自分が幸せになれとおっしゃいますね。
先生の声がちゃんと意識の中に聞こえてきます。
先生の思いになって先生が一番喜んで下さる行為をした時、
先生の意識は伝わります。
背いている者にどうして伝わるはずがあるでしょうか。
伝わるわけがありません。

「私の悪口ばっかり言っている。私が地獄に落ちたと言っている」と、
先生は笑っていられます。
そんなことはないはずです。
そして、地獄に落ちていられるなら、
自分がお救いさせてもらったらいいのです。

ところが困ったことに、「私は先生を天上界にあげてやった」と、
何人もの人が言うのです。
先生が何人いられるのか分かりませんが、
これはとんでもない間違いだと思います。
それよりも、自分が地獄に落ちないように、しっかりすることですね。


            ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-03-29 02:01:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 三


      身近な問題を分かり易く日本語で説く


私は毎回お話をさせてもらっていますが、求める心は何もありません。
この尊いご縁によって、心の糧、心の喜びとしていただいたら、
これ以上の幸せはありません。

幸せになってほしい、どうぞ苦しみの原因を作らないでほしい、
その為にものの見方、考え方を各方面に切り替えていただけるよう、
できるだけ理解し易く身近な問題の中に法を説かせてもらっています。
難しいことを学びましても、私たちは理解できません。
難しい言葉を並べ、難しい哲学用語を駆使して、それに通訳が付かねば
分からないようなお話は、この日本では通用しません。

横文字を頻(しき)りに使う先生方もおられますね。
私は、当初から、日本で法を説くならば、分かり易い日本の言葉で説くべき
だと思わせていただいております。
お釈迦様はインドの言葉で法をお説きになりました。
よその国の言葉は使っておられません。

イエス様はイスラエルの言葉で法をお説きになったはずですし、
日本に出られた光の天使は、日本語をもって法を説かれるはずですね。
難しい横文字をお使いにはなりません。
それは、難しい言葉をお使いになることによって、いい格好をつけてみたり、
自分は知識が豊富だということを見せる為に、
いろいろな言葉を使われるのですけど、
そんなことは必要のないことです。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-03-28 01:07:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


         テープ、機械、おやつの喜捨


明日はお仕事があるので、四時には帰られますが、
こんな短い時間の出会いの為に東京から来て夜通し寒いのに
家の外で待っていただいて、
ほんとうに感謝と申し訳なさとでいっぱいです。
ほんとうに有難いことです。
先程、ついテープのことを忘れまして、一生懸命お喋りしていました。
次からはちゃんと九十分で止めますから、
又忘れていたら言ってください。

この度A様から皆様の為にと、
大変高価な放送設備とダビング設備の尊いご喜捨を頂きました。
至らないお話をこうして次から次からテープにとり、
それを買っていただいて、
しかもすばらしい機械ですから、声は抜群です。
「先生、いい声ですねえ」と言われますが、
私の声は良くないのです。
機械が良いのです。

有難いことで、今お話させていただいたのが、
次々とダビングしていただけます。
これもみなA様と、
ダビングに無償のボランティアをしていただく皆様のご好意です。
今日は初めて集まって下さった方も多いことですので、
ちょっと説明させていただきます。

この会場に集まっていただいた方から五百円ずつ頂戴しました。
私も毎回皆様と同じように五百円出させていただいております。
この五百円は会計さんがちゃんと管理して下さって、
年末の助け合い運動その他に使っていただきます。
この機械代と最初の一回目のテープを買っていただくようにしてもらっています。
私が会費を集めて儲けているのではありません。
どうぞ、その点はご安心下さい。

私のポケットには一銭も入らないシステムになっております。
では、このおやつはどこから出るのかと言いますと、
心ある方々からご喜捨いただいております。
毎回五十人から二百人分用意させていただくのですが、
今日も嬉しいことに、その数が足りませんということで、
ご迷惑をおかけしたかと思います。
次回からもっと買わなくてはいけませんが、人さまの善意です。
喜びを捨てていただく教えそのままに実践していただいております。


          ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-03-27 00:55:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


             法の功徳


今この上をハンカチで覆ってしまうと、
この中に何が入っているのか分かりません。
しかし、覆ったものを払いのけて見ますと、
ああ本だったのだなと、忽ち分かります。
そして、「倒れたる者を起こすが如し」つまり、
倒れた者を起こせば、ああ起きたなと誰にでも分かります。
「暗い室に松明をかざすが如し」つまり法の功徳とは、
そのようなものであるということです。
即ち功徳があらわれるということです。

心の向け方をちょっとこちらから、あちらに移しただけで、
地獄から極楽の世界へ変わります。
日々の生活で、
心の向きをうまく変える訓練を絶えず心掛けておりますと、
苦しみが喜びとなります。
私は、
「私ほど苦しみの少ない人生を生きた人間は今日まで他に誰もいない」と、
自信を持っております。

喜びに満たされた人生だったと思います。
しかし、私の母に言わせますと、「お前ほどの苦労人は無い。
兄弟の中の出来事や、
人さまの苦しみに命がけで立ち向かっているお前ほどの苦労人はいない」のだそうですが、
しかし私の心の中は喜びばかりです。
私は、自分で解決できるやらできないやら分からない、
いろいろなご相談を人さまから受けますが、自分はたださせていただくのみです。

その方の幸せの為にたださせていただきますと、
その時、相手の方が幸せに変わってくれまして、望む心なしにたださせていただくと、
喜びの結果が与えられます。
もちろん、難しい問題を解決するには、それなりの苦労もあります。
自分が精いっぱい立ち向かった時、
「ああ、良かったなあ、お陰様でこんなにうまいこといった、
お陰様で人さまをこんなに救わせてもらいました」と、
その喜びが与えられます。
それは、自分が行ったから与えられるのです。
自分のベストを尽くしてさせていただきますと、
その時、見えない世界から必ずご協力があります。


               ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-03-26 00:47:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三


           「私は世界一の幸せ者」


私たちは、人との出会いによって起こる出来事で、運命が左右されます。
左右されるのは、その人が出来事をどう受け取るかによって、不幸になったり
幸せになったりするのです。
今日も、私の母の妹に当たる叔母さんが朝早くから来てくれました。
この人は、何でも「結構や」「私は世界一の幸せ者や、私ほど幸せな者はない」
と話しています。

幸せと言っても、普通の家庭ですから、心配事もありましょうし、悩みのある
場合もあると思いますが、それを良いほうに取って、私は幸せや幸せやと言っています。
私の母が、「お前も苦労があるのに、私は世界一の幸せ者やなど言っていたら、
人に笑われるよ」と言っていました。
その人に与えられた環境とか、或いはその人の病気とかを見て評価するのは、
人の自由です。

しかし、人がどう思おうと、その苦しみの中にあっても、その苦しみを良いほうへ、
喜びのほうへ思いを変えて、ああ、私は幸せだと喜んでいられるのは、
その人自身の心の問題です。
人が不幸だと言おうと、可哀そうだと言おうと、そんなことは関係ありません。
自分が感謝し、喜びに満たされていれば、自分自身の心は安らいでおります。
人の評価など関係ありません。

人生は思い変えの訓練が大事です。
今日は来ておりませんが、私の弟の悪口をちょっと言いましょう。
今は明るい性質ですが、この弟の小さい頃の渾名は「泣き虫」と言いまして、
もういつでも泣いていたのです。
その子が笑っても、顔は泣いており、泣筋が発達していました。
私はいつでも嬉しい顔をして笑っていますから、笑筋が発達しています。
困るのは、悲しみ事で挨拶に行く時ですね。
「ご愁傷さまでございます」とお悔やみを言っても、顔は笑っているから、
精一杯悲しい顔をしようと思っても、顔は笑っているのです。
いつも笑っていましたら、そんな顔になってしまうのです。


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「講演集」より。

2015-03-25 01:04:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


        法事よりも生きた方の方が大事


私は、普段は乞食のような格好をしております。
今日はちょっといい格好をさせてもらっています。
ちょうど父の法事があって、その服を着たままでおります。
今日は私の亡くなった父の十三回忌でございます。
親戚縁者が集まっておりますが、私だけ朝お参りをして、
失礼させてもらってきました。

まあ、何と親不孝な奴だなあと、お父さんは思っているかもしれません。
しかし、死んだ者が大事か、生きた方のほうが大事か、
たとえ親であっても、
死んだ者の前で分からない経文を唱えるのを一緒に聞いて、
ご馳走を頂いて―――というのは、
亡くなった方でけのものですね。

一方、
これだけ大勢の生きた方々が今日の日を楽しみにして
遠い所から来て下さっており、私はこのほうが大事ですから、
「これで失礼させてもらいます。
あと、よろしくお願いします」と、お断りを言ってきました。
私たちは、生きた人さまの中で生きさせていただくのです。
私の親しくしていただいいた友達が去年亡くなりましたが、
そのお葬式がちょうどよそでのお話会と重なりました。

お通夜は行かせてもらいましたが、
お葬式には行くことができませんでした。
しかし、ほんとうのことを思うのであれば、
一人でも生きた方が救われてくれるほうがありがたいですね。
たとえそちらを犠牲にしても。
だから、その重さを計ってみて、重いほうへ行きます。


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「講演集」より。

2015-03-24 00:24:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三


       「真実」は目に見える「形」ではない


形の中にほんとうの真実があるのとは違います。
一休和尚さんが檀家の法要を頼まれて、墨染の衣を着て出かけていくと、
「お前のような乞食坊主を誰が呼んだか、帰れ帰れ」と言われて、
家に入れてもいただけなかったのに、
お寺に帰って金襴の衣に着替えて出かけますと、
今度は「よくおいで下さいました。どうぞ奥へ、大和尚さま」と言って、
奥に通されたそうですね。一休さんは仏壇の前にその衣を脱いで、
そこへ置いて帰ってこられたのです。

「そんなものを置いてくれても困ります。
お経をあげてもらわねばどうにもなりません」と、檀家の方が言われますと、
一休さんは、「私がさっき来ました時は、
家にも入れていただけなかった。ところが、衣を替えてきたら、
どうぞどうぞと入れてくれたのですから、
あなたが有難いのは、衣なのです。

だから、衣に拝んでもらって下さい」と言って、
ご自身は帰えってこられたそうですね。
これは、形に囚われているから、こういう間違いを起こすのです。
形の中に真実はありません。
流行歌にもありますように、
「ボロは着てても心は錦」、心に錦さえ着ていれば、
服装など姿形は関係ないのです。


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「講演集」より。

2015-03-23 01:19:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


       癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

この体験を通して、病気というものについて学ばせてもらったのです。
ある宗教では、病気は心の影であると説いています。
心の影が肉体に病気として現れているというのも真理だと思います。
しかし、心の影が完全に消えた時、その人の病気は完全に消えたはずです。
それが骨に何の黒いところもないように変わってしまったのです。
そのように心が完全に浄化されますと、どんな病気もみな消えてしまいます。
では、なぜ死んだのか、ということになりますけど、人間は有限のもの、
限りあるもので、その限界を越えたら、いくら病気が治っても、
有限の肉体の命は消えます。

この方と同じ時期に、有名な大僧正と言われるお坊さんが癌にならました。
こんなに偉いお坊さんだったら、「あなたは癌だ」と知らせても大丈夫だと
思って、お医者さんが正直に癌であることを知らせますと、
「わあ、わしは死にとうないんや、死にとうない」と言って、
八十歳のお坊さんが気が狂ったようになって、自殺してしまったというのです。
これは醜いです。
しかも、この世的には大僧正です。
そんな僧職でなくても、僧衣を着ていなくても、又頭に毛が生えていても、
四十半ばで自らを悟って安楽往生された方が現実にあるのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-03-22 00:35:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


      癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

ちょうど同じ時期に、同業者の一人が癌で亡くなられたのですが、
この方は又とてもひどい苦しみようで息を引き取られたのですね。
「同じ癌といっても、こんなに違うのかなあ、あのSちゃんにはかなわん、
あいつ、さよならと言うて死によった」と、しばらくの間は、近所で評判だったそうです。
「さよなら、これでお別れやで」と、にっこり笑って、あの世に帰られたのです。
死後、八時間ぐらい経って、身体が硬くなるといけないので、着物を着せ替え
させようとしますと、身体が少しも冷たくなっていなかったそうです。

生きている人と全く変わらず、ふっと起こして着せ替えさせて、
その晩は布団に寝かせてお通夜をし、二日目は納棺してお通夜をなさったのですね。
子供さんが夜通し、お父ちゃんは起きているのと違うかと言って、
棺桶を開けにいったということです。
交替で子供さんが見にいき、「やっぱり死んではるわ」。
すると、又別の子供さんが見に行くということで、
亡くなられて三日間は全く冷たくならなかったそうです。
もちろん、死後硬直は一切おきません。

そのお顔の安らかなことは、たとえようもないほどの美しさだったそうです。
お葬式が終わって、お骨あげにいきました時、火葬場の係りの方が、「この
人は一体どこが悪かったのですか、交通事故だったのですか」と、聞かれたそうです。
実は全身癌でしたと言いますと、「そんなことはない、わしらは骨を見たら、
どこが悪かったかは全部分かる」と言ったそうです。
まあプロですね。
病気をして悪かったところの骨は色がついて変色するそうです。

その方はどこも悪いところが無くて、
頭の先から足くびまで白くて綺麗なお骨だったということです。
私はこういうことを聞かせていただいて思いました。
何も知らない私が、教えてもらった通りをお伝えして、
私自身何もできておりませんのに、聞いて下さった方がそれを真剣に行じ、
教えの通りにしてもらった時、その方は悟られました。
お伝えした私は何も分からないのです。
よく話を聞かせてもらいますと、「この『心行』を読ませてもらうと、
涙が止まらなくなります」と言われるのですが、
私はちっとも涙など出ないという状態の時に話させてもらって、
それを聞いた方が真剣に命がけで反省に取り組んで下さったのですね。
その方は悟られました。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-03-21 00:21:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


      癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

初めて寄せてもらった時、奥さんが外まで見送って下さって、
「実はお医者さんからもうはらわたがみな腐っているので、
よくもって一か月、悪かったら今日か明日か分からないと言われています。
そんな状態でも助けていただけるのですか」と言われるので、「よう助けません、
人の命はこれは神様が持っていられるものであって、そんなものを動かすことはできません。
人はそれぞて何歳までの寿命と神様と約束して生まれさせていただいております。
寿命は宿命です。

これを避けることはどなたもできません。
もし助かって下さったら、それは、ご主人に寿命があったからです。
助からなかったら、寿命が無かっただけのこと、それを助けることはようしませんが、
時どきこうして寄せてもらいますと、死ぬ時に苦しみが無いそうです」
とお答えしました。
すると、「そんな結構なことはございません。
癌で死ぬ時は七転八倒の苦しみをしなければ死ねないのが相場のようです。
その苦しみなしにお迎えいただけるのでしたら、こんな結構なことはありません。
もうそれで十分ですから、先生どうぞ来て下さい」ということで、
電話を頂いたらすぐ出かけていたのです。

行きますと、或る時はもう大声をあげて泣いていられます。
自分の過ちを知って流れる涙は法の雨です。
「この法の雨は心の曇りを洗い流していただけるから、精いっぱい泣きなさい、
泣いて泣いて泣ききりなさい」と言いました。
或る時は、声を出さずに、涙を流して泣いておられました。
そんな生活が約半年続きました。
「もう一か月もたない」と、お医者さんがおっしゃっていられた方がです。
そして、或る日行きまして「Sちゃん、どうですか」と言葉をかけますと、
「もうどこも苦しくない。ありがたいことです」とおっしゃるのですね。

しかし、からだを見せてもらえば、相当弱っていられます。
「全然苦しみがなくなりました。ほんとうにお陰様です」と言われて、
それから二日目の朝、実はこうこうでしたと、電話がかかってきました。
「一昨日行った時は、あんなに元気だったのに」と言いまして、
すぐお悔やみに寄せてもらいました。
「申し訳ありません。お役に立てませんでした」と挨拶させてもらいますと、
「先生、それは違うのです」と、奥さんがつぎのように話されました。
昨夜十時頃に、親戚の者を呼んでほしいということで、
ご主人の兄弟、奥さんの兄弟の全部を呼ばれたそうです。
その一人一人に「ありがとうございました。
ほんとうにお世話になって心からお礼申し上げます」、

夫婦仲の悪い兄弟の方に対しては、
「夫婦の仲が良いところに幸せがあるのだから仲良くしてくれ」、
子供の心配のある兄弟の方には
「子供に対してはこのように思ってやらなくてはいけない」、
そして「おおきに、おおきに」と皆さんにお礼を言われて、
一番最後に奥さんに向かって、「長いことお世話になり、
ありがとうございました。
私が心残りなのは、あなたをしんから幸せにしなかったことだけど、
心からお礼を言います。これで最期だよ」と言って、
自ら合掌なさったそうです。
まだ笑っていて元気そうだし、安らかな話し方をされているので、
奥さんが何を言われのですかと、
その合掌されている手をパッと払った時もまだ笑顔をしておられ、
あんなことを言ってと、こちらを向いた時に、
息が切れたのだそうです。


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「講演集」より。

2015-03-20 00:30:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三


     癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

人間は生まれますと、その人その人の器があるそうです。
ものすごく心の広い方、反対にすごく心の小さい方がありますが、
器以上にどれほど欲を盛っても入ることはできないのです。
一旦は自分のものにしましても、一合の容器なら一合しか入りません。
どんなに欲呆けして、一旦手に入れましても、残るのは自分の心の器の量だけです。
「叔父さんはあなたの財産を売って、それを持っていられますか」と尋ねますと、
「全部使って贅沢三昧をして、今は何も残っていない」と言われますから、
「叔父さんは兄貴のものを取ってしまっても、
その方の心の器分だけしか残っていないはずです。

気の毒ですが、
又あなたもお父さんの財産を受け継ぐだけの心の器を持っていなかったのです。
心の器が広ければ、必ず自分に入っていたはずです」と、話したのです。
そして、「叔父さんが財産を取ってしまったという恨みや憎しみを持つよりも、
自分が幼い頃から叔父さんにしてもらったこと、自分がお返しできたことに
ついて、一度反省なさってみられたらどうですか。
されたことよりも、自分がしてもらったことに心を向けたら如何ですか。

そして、幼い頃、お母さんからしてもらったこと、自分がお母さんにお返しできたこと、
又、心配をかけなかったか、口答えしなかったか、
或いは親に嘘をつかなかったかなどを反省の出発点として、
生まれた時から十歳頃までのことを振り返ってみて下さい。
そして自分がお母さんに対してどれだけのお返しができたかを、
思い出せる限りずっと振り返って下さい。
お母さん、お父さん、次にご兄弟、成長したら夫婦の愛について徹底的に、
今は時間があるはずだから、養生しながら一度振り返ってみて下さい」と話し、
この高橋信次先生の「心行」を一冊差し上げまして、読んでいただいて、
過去を徹底的に振り返っていただきました。

その方は法のご縁、救いがあったのでしょう。
まことに真剣に取り組んで下さいました。
この「心行」を読んで大声でワンワン泣いておられました。
奥さんは何のことか分かりませんから、「お父さん、
その本を読んでそんなに悲しいのだったら、読むのを一服さらたらどうですか」と、
止めたそうです。
ご主人は、「今まで、私はこういうことを知らなかったけれど、
自分を振り返った時、私ほど罪の深い者はいないということが分かってきた。
よく今日まで罰も当たらず生きさせてもらったことだった。

申し訳ないことだった」と泣き続けておられて、一週間もお目にかからないと、
「主人が会いたがっていますから、一度来てやって下さい」と、奥さんから
電話がかかってくるのです。
それでハイハイと自転車で走っていくのですね。
「如何ですか」とききますと、「先生に会いたかった―――」と言われて、
私もいろいろ話をさせてもらって帰ってくるのです。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-03-19 00:35:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 三


      癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

それはどういうことかと聞かせてもらいますと、
そのご主人の家は、幼い頃、T町指折りの財産家で、
お父さんは町長もしておられたのです。
ところが、幼い頃にお父さんが亡くなられました。
道路をはさんで向かい側にお父さんの弟さんに当たる
叔父さんがやはり大きい家に住んでいて、Sちゃんの家、
つまり本家の財産管理をされたのです。
そのご主人は幼い頃から叔父さんの家の織屋の下働きをして
大きくなったのですね。

ところが、つい身内の者だから、人使いも荒く、
ひどい目に遭ったそうです。
その上、財産管理をなさった叔父さんがつぎつぎとSちゃんの家の
財産を売っていかれるのです。
本来なら、Sちゃんが引き継ぐ財産ですね。
それを叔父さんが勝手に売って栄耀栄華な暮らしをするものですから、
Sちゃんにしたら、その都度、腹が立って腹が立って、
叔父さんを憎み、「死んでも、わしは恨んでやる、
恨みを晴らさない限りは死んでも死にきれない」と、
ずっとおっしゃっていたそうです。

無理もありません。
自分の財産を人が売って、それを好き放題に使うのですから、
誰でも腹が立ちます。
ときによると、もう夜も寝ないで恨み、憎しみ、
お腹に固い塊ができてとれなかったと言われましたね。
それが癌になってしまったのです。
私との縁ができる二年前に胃癌の手術をされたのですが、
夜もよう寝ないで叔父さんを憎み、恨み骨髄に徹していられたわけです。
私にも一度だけ経験があります。

ああ、憎らしいなあとすごく憎みますと、胃のあたりに塊ができて、
それは痛かったです。
そんな思いを常に繰返しておりましたから、その方は癌になってしまわれて、
手術をなさいました。
私とご縁があった時は、もう全身に転移していました。
私は、習いたてのホヤホヤの正法をその方にお伝えしたわけです。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-03-18 01:29:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


           講演集、三


癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

その頃、私の商売の同業仲間の方が病気になられたのです。
私と同年輩ですから、当時四十半ばの方です。
最初、Fさんという織屋さんが私に頼みにこられました。
「長尾さん、Sちゃんの足、えらいことになってるんやで。
象の足のように腫れて。あれを細うしてやって貰えないか」と。
それで、「変わった病気ですな。
治るか治らんか分からないけど行ってみようか」
と言って、行ったのです。

すると足は腫れ、睾丸がまるで提灯のようになっているのです。
その為、足が重くて歩くこともできないありさまです。
癌の末期で、もう亡くなる直前だったのですね。
有難いことに、足はお祈りさせてもらいますと、見る見る細くなってきました。
もっと傑作なのは、大きく腫れた睾丸のことです。
「えらいことになったなあ」と言ったのですが、
パンツも穿けなくて腰巻をされていましたのを、
「一回見せてえ」と言って睾丸を見ますと、もうごっつい
ごっつい提灯のようです。

それに手を当ててお祈りしていましたら、風船の空気を抜くようにシューと
凋んでしまったのです。
さあ、喜んでいただきましてね。
その方の喜びはもちろん、奥さんから家族の方達皆がびっくりなさいまして、
えらい不思議なことがあるものだなあと言って喜ばれ、ご本人は立ち上がって、
「もう歩ける」と言って、歩いてくれたのですね。
しかしお顔を見せてもらうと、もう相当弱っておられます。
「今、肉体は救われましたけど、心が苦しんでおられますと、
又肉体にも苦しみが起きてきます。

ですから、心と肉体と共に救われてもらわねばなりません。
どうか心が救われて下さい」と言いますと、
「心が救われるには、どうしたらいいのですか」と、質問されました。
やはり、この方はご縁が深かったのですね。
その頃、私は「教え」にご縁を頂いてからまだ半年も経っていなかったので、
私自身反省もできていませんし、正しい教えについての理解も浅かったのです。

しかし、反省の仕方は教わっていましたので、習いたてのホヤホヤの私が、
「心を救われるには、腹を立ててはならない、愚痴を言わない、
人を悪く思ってはならない、憎しみとか恨みとかそういう思いを持ってはならない。
又、苦しみの原因になると思っていなかった中に、要らない取越し苦労をしたり、
不要の恐怖に自分の心をゆだねるということがあります。
これらは、全部苦しみの原因になっていますから、そういう思いがあれば、
私たちの心が病気をしてしまいます。

これを持たないように頑張って下さい」と、そのように話しますと、側から
奥さんが「まあ、うちのお父ちゃんはみんな持っています」と、おっしゃるのですね。
それで、「いえいえ、私も全部持っております。
人間として生まれたら全部持っている思いです。
しかしそれを持つことによって、人間は苦しみの中にもだえます」と言いますと、
うちのお父ちゃんは特別に強いとおっしゃいます。


             ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-03-17 00:43:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


      癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

私が高橋信次先生に御縁を頂きまして約半年ぐらい経った昭和五十年のことです。
その頃、この忠岡にSちゃんという方がおられました。
私はもともと織屋をしていまして、機械を置いてガチャガチャと毛布を織って、
問屋に卸していたのです。
過去の私は、何とか儲けて少しでも人より儲けを上げようと銭の亡者となって
走り回っておりました。

その愚かさに対して、信次先生から「あなたは足ることを知りなさい」という
言葉を頂いてから、足ることを知らないが為に、
こんなに苦しまなくてはいけないということ知りました。
決心すれば早いです。
すぐ実践に移し、事業のほうを十分の九ほど縮小しまして、外注をやめ自分の
所だけでするようにしました。
すると、十分の一以下になるのですね。
過去の仕入れで約一年間は原料を仕入れなくてすむのです。
そして、今まで十倍の製造をしておりました製品がありますから、
その製品を売れば、お金はどんどん入ってきます。

仕入れなくても売れるから、お金は余ってしようがないという状態でした。
「はあ、足ることを知るとはこんなことか」と思いまして、
もう過去のことですから白状しますけど、たくさん儲けさせてもらいました。
他の織屋さんは「ああ、あかん、あかん」と難儀していられる時に、私だけは
どんどん儲けさせてもらいました。
「私は頭がいいのだなあ、腕がいいのかなあ」と思っておりましたら、
何のことはない、ほんとうは天上界から今日の日に動けるようにちゃんと天の蓄えを
与えていただていたのです。
それは、すべて目に見えない世界からの導きであったことが、
あとから分かりました。


             ~ 感謝・合掌 ~




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