浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-02-27 23:32:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        現代によみがえるイエスの奇跡

そういう自覚と有り難さと、そして厳かな気持ちから、
非常に満足して喜びと平安に満たされた心でおります。
しかも、その「現象」が実は神の証しである「現証」であるということを
十分に知っています。
だから、神との約束であれば、
それを果たしていく以外に生きる道がないようです。
かつては多くの過ちを犯してきたこの身であっても、
厳しい反省を通して悪を止め、善を作ることにより、
この世に生を享けた意味と、
お役目ということをはっきりわからせていただきました。
いくら頭で天の理想を理解していても、
この肉の身にそれを体現できなくては、
この地上の生活はよくなりません。

雲の上から降りたら、
今度は神様の愛の心を自分の肉体を通して行為として具現していく
必要があると思います。
ただ、病気を治すだけではありません。
病気を治すのは、あくまでも方便です。
神癒とは、
私たちの一人一人が生まれてきた目的や心の正しい在り方に
気付くために手段の一つであり、大自然の法則と神の御心に沿った
生き方を実践するためのきっかけにすぎません。

最終的な癒しは体だけでなく、心までも安らぎと至福感で満たし、
その人の心を救うものです。
心が救われてこそ癒しは成功したと言えます。
神の御心とはどういうものかを述べ伝えていかなくてはならないと思います。
ただ言葉や理論だけでなく、生活の中で神の御心を日々実践し行う努力を
続けながら、自ら人々のお手本として示し現わしていかなくてはなりなせん。
宗教は信じますか、とよく聞かれます。

「宗教は信じません」なぜですか。
「宗教は人が作ったもので神がお作りになったものでないからです」
神は信じますか「神は常に私とともにあられます」
宗教組織はつくりませんか。
「死ぬまでつくりません」後継者はどうしますか。
「私のような厳しい生活を人に強いることはできません」また、
誰もできないでしょう。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2018-02-27 00:24:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

      現代によみがえるイエスの奇跡

不思議なことが起きだしたのは、四十歳の頃でした。
昭和四十年代後半から昭和五十年代にかけて、
医者に見放された人、捻挫で足が腫れ上がって歩けない人、
腰痛で見動きもできない人、骨折した人などが
次々に治り、さらに癌が治った人まで、あらゆる人が癒されていきました。
今日までに国内だけでなく、ドイツ、イギリス、イタリア、フランス、
オーストリア、スイス、オランダ、ポーランド、オーストラリア、
ニュージランド、インド、タイ、台湾、中国、香港、韓国、ヨルダン、
イスラエル、エジプト、カナダ、アメリカ、ギリシャなど海外各地を回り、
たくさんの人々への奉仕をさせていただきましたが、その間に自分でも
驚くような神癒による奇跡を見せていただきました。

目の見えない人が目を開き、もの言えぬ人が言葉を語り、
足の立たぬ人が立ち上がって歩き、また死せる人が生き返る。
まさに聖書の中でイエス・キリストが行ったと言われる癒しの奇跡は
現実であったということを実感しました。
そればかりか、癌の方でも私と何度か逢ううちに、
病院で検査したらいつのまにか癌が消えてしまい、
ご本人もお医者さんもびっくりされたという事例、
また癌を病みながらも一切の苦痛や恐怖を知らず、
感謝のうちにこの世を去っていくというケースなど、
現実に起きている事柄を挙げたら枚挙にいとまがありません。
こうした心身の癒し奇跡も含めた、
不思議な事や考えられない出来事の数々を
体験させられてきた人間も、現在の世界にはそんなにおられないと思います。

しかし、別に自分のことをみなさんとは違う特別な人間と思ったことは
一度もありません。
むしろ、こういう出来事に遭遇するごとに、
だんだんと謙虚の大切さが身にしみてきます。
というのも、己れ以外の偉大な神の力というものを思い知っているからです。
神とはコズミックパワーあるいは大宇宙大自然をつかさどる力と
言ってもいいでしょう。
とにかく私たちの生命を生かしてくださっている力を本書では
神と呼ばせていただいています。
癒しの出来事を前にして、人々は目をみはり、感嘆の溜息をもらします。
呆然自失する方々もあります。
一同感涙にむせぶ場面がよくあります。
このような出来事は常に見せていただきますが、
ただの一度も治したと言ったことも思ったこともありません。
それを為したのはけっして自分自身の力にはあらず、
父なる神の偉大なる御業であるということを誰よりもよく承知しています。


         ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2018-02-26 00:00:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           神我の声に耳を澄ませ!

法の伝道のための旅の途上、
飛行機の中で瞑想していた時のことです。

身は機上にあり 心 天界にありました
そこは地球の成層圏内の雲海というより、
紫雲海とも呼ぶ天上の世界です。
金色燦然と輝く世界から放たれる光を浴びつつ
雲海からのぞく遙かな下界を見下ろすと
悠々の大河は地表をうねり 
山の峰々は連綿として連なっておりました
しかしそれはどこまでも大自然そのままの姿を
とどめているのではありませんでした

人間たちが愚かなる小智才覚でもって
山を崩し 川を堰き止め 海を汚し 森林を伐採し
父なる創造神から与えられた自然を破壊して
顧みない哀れな惑星の姿でありました
この人類が恩恵をこうむりながら住んでいる星そのものが
生命の祖(おや)である神の御神体だということも
忘れたかのように人類はこれを傷つけ傷つけられ
変わり果てた惑星は
痛ましい姿をさらしながらもただ黙って人類の行為を
見守っておられます。

広大な大自然の覆う地球から見れば 
人類の住む場所のなんと小さいこととか
山間や川のほとりに沿った狭隘(きょうあい)な場所に 
また海辺に開けた小さな扇状形の平野に群がって
それぞれの集落をなし 
日々の暮らしをつましく営む人間たちの夕ともなれば 
人家からこぼれる生活の灯が 
また乱立する高層ビル群の谷間に蝟集(いしゅう)する
車や人間たちの蠢(うごめ)く

巨大都市から溢れる極彩色のネオンの灯が
雲の上を飛ぶ自在の眼には悲しく映りました
ここに六十億の人間の命が息づいている
その時 愛し子たちの地上生活をじっと見つめておられる
父なる神の視線を同時に感じておりました
心の眼には苦悩の渦中で惑い苦しみ泣き叫ぶ
数知れぬ人々の心の姿が映じてまいりました。


        ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-02-24 23:45:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

私たちの心の中には肉体の五官により湧き起こる煩悩がつくる
想念帯という心の曇りの場所があります。
それが破れてしまう時、
五官の感覚がまったくなくなってしまいます。
これは後でわかったことですが、
その時の心の状態はこういうふうになったのだなと
知ることができました。
その時の心境は、見るもの見るものすべてがいとおしくて、
いとおしくてたまりません。
そこらに生えている草、大地に生えている苔に腹ばいになり、
ああよかったなあと苔や草に頬ずりをし、
樹に抱きつて頬ずりをして喜びました。
それはなんとも言えない喜びでした。

私たちは通常でも、心の中になんのわだかまりもない時、
晴れやかな気持ちになります。
徹底して反省をし、
心の奥の奥の塵芥まですっかり洗い流すように意識の光で
すみずみまで照らしたなら、
このように喜びあふれる体験が誰にでもやってくると思います。

ああ、私は自然の一部であり、自然と私は一体であったのだ。
私は神の一部であり、神と私は一体であったのだと強く感じました。
また、まことの道を歩み続けたなら、
やがてなんの包み隠しもない心となり、
喜びと感謝の気持ちで本当に神様に向き合うことができるところまで
行けるはずです。
この時、ついに心に法灯をいただくことができたと思いました。

私は光である、法である、私は道であるという自覚を得ました。
それは素晴らしい喜びであり、法の喜びであります。
それは口や言葉ではとても言い表すことのできない喜びです。
私は自分自身の信念と直観にしたがい、
誰がなんと言おうと自らの決心をもって山にこもり、
そこで何日も坐り反省をいたしました。
これは反省の実践を真剣にやることが、
こんなにもありがたい結果を生み出し、
自分の心を楽にしてくれるのだということを、
身をもって体験させていただきました。

この時、反省とはありがたいものだなあとつくづく
思わせていただきました。
今この世にある自ら尊師、霊能者、占い師を名乗る方々でも、
どんな大神殿や大教会におられる教祖様でも、
その真偽を見通す能力も与えられました。
人の心の中も同じことです。


                ~ 感謝・合掌 ~



※ 下記は小生が管理・更新しています恩師「長尾弘」先生の
   ブログです。

新規開設(2017-12-18)しました浄心庵・長尾弘先生悟りへの道
「悟道」も最近時では毎日沢山の皆様のご訪問を頂きまして
軌道に乗ってきました。

「垂訓」のブログにおきましては、毎日100名以上の皆様に
ご訪問を頂き、閲覧数も一日500回以上が常でございます。
恩師(故)長尾弘先生も天上界で大変喜んでおられることと
ご推察申しあげます。

なおいっそう皆様に喜んでご訪問いただけますように
ブログの更新・管理をしていく所存でございますので、
今後とも宜しくお願い申し上げます。

◆印のブログは日々更新しています。

◆①「悟道」(最近時新規開設)
http://blog.goo.ne.jp/eikawa-masato
◆②「法話」
http://blogs.yahoo.co.jp/tenzenhana
◆③「垂訓」
http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 
④「神癒の奇蹟」
http://blog.goo.ne.jp/kaminoiyashi 
⑤「光の天使様」
http://blog.goo.ne.jp/minraianko 
⑥ 御著書「思いの中に生きる」 等。
http://blog.goo.ne.jp/omoinonakani
⑦ 「心行の解説」「講演集1・2・3」等。
http://blog.goo.ne.jp/eikawa-tenzen 

沢山の皆様のご訪問をお待ちしております。
ありがとうございました。





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「御垂訓」

2018-02-23 23:51:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

    幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

行きたい、行きたいと思うのです。
ところが、そこへどうしても行けない。
稲束を渡す役目をしなかったら叱られますから、
その場から逃げることができないのです。
これと同じようにどうすることもできないことが、
十代であれば十代においてあり、あるいは二十代であれば二十代で、
同じようにしがらみの中で涙を流しながら、
精一杯生きている己の姿をみせられ、心の底に焼き付けられました。
あまりにも哀れな自分の姿を短い間に全部見せていただきました。
思わず「かわいそうだったなあ」と、
自分に対して涙がとめどなく流れてきて、
こういう厳しい中でよく頑張って生きてきたなあという思いが
溢れてきました。
そして、その時にやっとこう思いました。

「反省みたいなもの、できてもできなくてもいい。
心に法灯みたいなもの、いただいてもいただかなくてもいい。
そんなものは関係ない。
とにかく私自身を赦してあげよう。
これほど精一杯生きた己自身に対して赦しを与えてあげよう。
己にやさしく人に厳しいという生き方なら法に背くけれど、
そうではなかったのだ。
もう法も何もない。

とにかく、私は私自身を赦すことだ」と思って、
自分を赦そうと決めました。
「あなたはこの厳しい人生でつらい中、
苦しい中をよく頑張りましたね。
私はあなたのすべてを赦させていただきます」と、
泣きながら心の中で自らに向かって語りかけていたのでした。
ところが、この時です。
心がフワッと軽くなったのです。
心が広がって、光り輝く自分をその時自覚しました。
自分を赦した時、どれほど自分が楽かということを
悟らせていただいたのです。
肉体の五官の感覚が完全に消えてしまいました。

意識ははっきりしていますが、頭、手、足、胴はどこにもなく、
何も感じないのです。
肉体はなく、ただ自分が胸のあたりを中心として
光り輝いているのです。
こんなことは生まれて初めての体験ですから、
「あら、私の体がなくなってしまった。
私はどこかへ行ってしまった」と思いました。
身が軽いというようなものとはまったく違います。
完全に肉体の感覚が消えてしまいました。
まさに肉体の五官の感覚の消滅です。
私は自分がどこかへ行ってしまったらえらいことだと
思いましたから、
顔、頭、胸、手足をしっかりつかんで確認しました。
すると、やっぱり感じがあることが確かめられました。
全身を探り、「ああ、やっぱりついていて」と思ったのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



※ 下記は小生が管理・更新しています恩師「長尾弘」先生の
   ブログです。

新規開設(2017-12-18)しました浄心庵・長尾弘先生悟りへの道
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⑥ 御著書「思いの中に生きる」 等。
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⑦ 「心行の解説」「講演集1・2・3」等。
http://blog.goo.ne.jp/eikawa-tenzen 

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「御垂訓」

2018-02-22 23:38:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

      幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

小学校一年の秋のことです。
取り入れで稲刈りをして干し、乾燥すると田圃の真中にゴザを敷いて
脱穀をするのです。
干してある稲束を脱穀する場所まで運ぶと、
父が足踏み機でギコギコ脱穀しては済んだ藁を後ろに
放っていくのですが、
その時、積んである束を父に渡すのが私の役目でした。
この稲束を父が最も受け取り易いように一つずつ渡すと、
父はザアーツと脱穀してパッと後ろに放ります。
すると、次の束を渡さなくてはいけないのですが、
父の手許の受け取り易いところへ持っていかないと、
「何をしているのか」と怒られます。
父のしやすいように次々と渡していくのです。

こうすれば、一つ一つ取る時間が節約できるわけで、
父の体も少しは楽になります。
その田圃のすぐ近くは堤防でその上は平地になっており、
友達が来てワイワイ遊んでいるのです。
その中に好きな女の子がいたのです。
私はちょっとおませでして、小学校一年でもう好きな
女の子がいました。
「あの子、かわいらしいなあ」と、まあ私の初恋です。
その子もいっしょに遊んでいるので、
行きたくて行きたくてたまりません。
「男女の愛は苦しみである」とはよく言ったものです。
神の愛につながる純粋に精神的な愛、
アガペの愛には苦しみはありません。
しかし、幼い男女でさえも、男女の愛には苦しみが
つきまといます。

女の子のそばに行きたいけど行かれないというつらさ、
そして、友達が楽しそうに遊んでいるのに、
稲束を父に渡さないといけない。
その時のつらかったこと。
そのうち、だんだんと日が暮れてきます。
友達は帰ってしまいます。
私の好きな子も帰ってしまいました。
私は涙をポロポロ流しながら、稲束を渡していたのです。
すると、父が、「お前は何を泣いているのか」と言うのです。
私の気持ちなどわからないから言うのです。
もし、私の心を知ったら、
お父さんは腰を抜かしたかもしれません。
小学校一年生で好きな子がいるなんて。
私は泣きながら叱られながら、稲束を渡したものでした。
夜、暗くなるまで続きました。


          ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2018-02-22 00:32:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

どうしても自分を赦すことができないという心の壁の前で、
もうどうすることもできないでおりました。
人知では越えることのできない心の壁です。
人はどうすることもできなくなると、苦しい時の神頼みになってしまいます。
「もし、私の中に守護指導霊がおられるならば、
どうぞこの反省を正しくお導きください。
私の力ではこれ以上、どうすることもできません。
できることなら、この突き当たっている心の壁を打ち破ってください」と、
必死でお願いしました。

すると、この時、考えられない不思議なことが起きました。
右手前方の手の届くあたりに、幼い頃から四十半ばまでの人生のすべてが、
次々と出現したのです。
立体的に現実に自分の人生がそこにあるのです。
どれくらいの時間が過ぎたのかわかりません。
あまり長い時間はかかっていなかったと思います。
まさに意識の世界は時間、空間、距離などいっさい関係がないということが
はっきり確認できました。
そこに写し出された自分の姿は、またなんとも言えない哀れな、
悲しいものでありました。
自分に与えられた環境の中で、「ああしたい」「こうしたい」と思いながらも
どうすることもできない、人生のしがらみにがんじがらめになりながら、
必死に生きている姿を、まざまざと見せられました。


             ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2018-02-20 23:58:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第五章 心の曇りをとるための反省

       自分を赦すことの難しさ

先の続き・・・

どうにもならない心の壁に突き当たってしまいました。
どうしても破れない心の壁でした。
とうとう最後にあきらめざるをえなくなりました。
私のような者が心に法灯をいただくとか悟りを得るとかいう、
大それたことができるはずがない。
それは偉大なる魂をお持ちの尊い方にして初めてできることであって、
私のような凡夫のできることではないのだと気づき、
もうこれ以上はやめようと決心しました。
あきらめて山の木々の間に仰向けになって寝転んでいました。
長い時間が過ぎていきました。
この時、梢の間から差し込んでくる光を見たのです。
もし、光、法灯、悟りというものがあれば、
やはり私も欲しいという思いが、心の中から持ち上がってきました。

むっくり起き上がって、再び座って反省にとりかかりました。
そして、己と向き合いました。
何時間かが過ぎていきましたが、どうすることもできません。
後になってわかったことですが、私たちはこの世に生まれた後に、
環境、教育、思想、習慣、時代の条件の中で、それぞれの人格をつくり、
人生をつくっていきます。
「人に寛大、己に厳しく」これも私の受けた教育でした。
その結果、自分の思想をつくっていたのです。
その自分のつくった思想によって、
自分自身をがんじがらめに縛りつけておりました。
「人に寛大、己に厳しく」は人間の理想であり、道徳的観念であって、
法とは別のものだと思いました。
法においては、ある意味において、己にも寛大でなければなりません。
でなければ、悟ることもできません。


            ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2018-02-20 00:06:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

       自分を赦すことの難しさ

先程の私の幼少時の反省の話しに戻りますが、
わるいのは親に嘘をついて怪我をしたことばかりでなく、
その嘘のために友達の家で勉強してくると名前を利用された友達のほうも、
もしこの事実を知れば迷惑したであろうと思います。
自己を追及した時、本当に数々の罪、過ちを犯してきたことが
浮かび上がってきます。
嘘、盗み、人の悪口、非難、中傷、恨み、憎しみ、
数えてみればきりがありません。
幼い頃につくった数々の過ちが私の人生を大きく支配していたことが
よくわかってきました。
幼い頃から常に「自分に厳しく、他に寛大に生きなさい」と、
父母から教えられてきました。
また、学校の先生からも教えられました。
これが正しいことであると信じてきました。

その後、道を説く書物の中にも、道を説く方々の教えの中にも、
よく出て来る言葉です。
ですから、このことは自分の人生の一つの目的でもあり、
指針でもありました。
常に己に厳しく生きてきたつもりです。
それだけに、私の人生も厳しいものでした。
また、人にできるだけ寛大に生きる努力をしてきました。
それがある意味では、人に甘え心を与えていたかもしれません。
とにかく、己に厳しく生き、己れを甘やかせてはならないという思いが、
私の信条でもありました。

この思いにより、どうしても自分を赦すことができませんでした。
自分を赦すことは、自分に寛大にならなければできません。
しかし、そうすることで、かえって自分を甘やかすことになると
思っていました。
これでは教えにそむくことになってしまいます。
このような思想を持っていましたから、
どうしても自分を赦せなかったのです。
赦せない結果、自分に対して責め裁くこと以外、できません。
どう考えても、どう思っても赦せないのです。
何回、何十回と反省しても、堂々巡りの繰返しです。
これから先へ進むことができませんでした。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2018-02-18 23:54:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

       父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

親の自愛は、自分を捨ててでも子を守ろうとし、
自分は食べなくても子に食べさせようとし、
自己を犠牲にして子を育てようとしてくださいます。
これこそが「神の御心」です。
「あなたの父と母は私があなたに与えたあなたの父と母である。
ゆえに、あなたの父と母を敬い、尊び、その言葉にしたがう者は、
私を敬い、尊び、私の言葉にしたがうものである」と、
神様はおっしゃっているそうです。
親に逆らうことは神に逆らうことになりますから、
それでは当然ながらうまく行きません。
常に両親は神様であると思わせていただくのがいいのです。

私が反省させていただき、幼い頃のことを思い出しますと、
やはり三歳以前の私にとっては、お父さんは男の神様、
お母さんは女の神様でした。
これはみなさんもそうです。
反省して三歳頃までさかのぼりますと、
幼い心でそのことを知っているのがよくわかります。
だんだん成長していくにつれ、自我が働き、
親の言うことを聞かくなります。
ところが、親に背いて幸せになった人には、
あまりお目にかかれません。
ある時期は幸せのように見えても、
心や環境に苦しみを味わっておられるのは、
神様に背いてきたからです。

たとえ親が「烏は白い」というふうに、
黒いものを指して白いと言われたとしても、
「ああ、白いですねえ」と、子は受けるべきなのです。
無茶苦茶を言っている親を子が受け容れた時、
親は必ず反省してくださいます。
親に背くから親子の喧嘩が起きるのです。
両親は神様だと思わさせていただいたら、間違いないと思います。
「ああ、そうですか」と、受け容れた時、親は改めてくれますから、
親の値打ちを上げるのも下げるのも子供の言葉、想念、行為、
生き方の中にあります。
親に喜んでいただくように生きた時、
「親バカ」という昔からある言葉のように
もう自分のことのように親は喜んでくれます。


            ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-02-18 00:17:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


   第五章 心の曇りをとるための反省

   父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

次に揚げる「父母恩重経」には、
親の無条件の愛がどういうものかが説かれております。

吾が腹から心せよ。
山より高き父の恩。海より深き母の恩。
知るこそ道の始めなり。
子を守る母のまめやかに、吾がふところを寝床とし、
かよわき腕を枕とし、骨身をけずる哀れさよ。

美しかりし若妻も、幼な子一人育つれば、
花の芳せいつしかに、衰えゆくこそ悲しけれ。
身を切る如き冬の夜も、骨さす霜の暁も、
乾ける処に子を廻し、濡れたる処に己れ臥す。
幼き者の頑ぜなく、懐汚し背を濡らす。

不浄を厭う色もなく、洗うも日に日に幾度かや。
己は寒さに凍えても、着たるを脱ぎて子を包み、
甘きは吐きて子に与え、苦きは自ら食らうなり。
幼な子乳を含むこと、百八十石を越すとかや。
まことに父母の恵みこそ、天の極まり無きが如し。

父母は吾が子のためならば、悪行作り、罪重ね、
よしや地獄に落ちるとも、少しの悔いも無きぞかし。
もし、子遠くに行くあらば、帰りてその面見るまでは、
入りても出ても子を想い、寝ても醒めても子を想う。
髪くしけずり、顔ぬぐい、衣を求め帯を買う。

美しきは皆子に与え、父母は古きを選ぶなり。
己れ生あるそのうちは、子の身に変わらんこと思い、
己れ死に行くそのあとは、子の身を守らんこと思う。
寄る年波の重なりて、いつしか頭の霜白く、
衰えませる父・母を、仰げば落つる涙かな。
ああ、有り難き父の恩。子はいかにして報ゆべき。
ああ、有り難き母の恩。子はいかにして報ずべし。


     ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2018-02-16 23:58:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

      父母の恩を知り孝養を尽くすき

人生航路はなかなか厳しいもので、晴れた穏やかな日もあれば嵐の日もあり、
それにともない凪いだ海もあれば、荒れ狂う海もあります。
私たちはそうした海を航海していかなくてはならないわけですが、その際に
必要な人生の進むべき方向を示す指針を与えてくれるのが航海で言えば
羅針盤にたとえられると思います。
何をするにつけても、親が喜んでくれ、
その親の喜びの大きいほうを取っていきますと、
人生は間違いなく進むことができます。
長い人生では右か左かと迷い悩む局面も多々あります。
その時に親の喜ぶ道を選ぶという羅針盤を持っていない方は、人に頼ります。
つまり、拝み屋さんに頼ったり、自分の崇拝者に依存してしまったり、
あらゆる宗教の門を叩くうちに変な教団にひっかかってしまったりします。
何もそんなものに頼らなくても、両親の喜ぶほうへ進めば、間違いはないし
不幸になることもありません。

なぜかと言いますと、この世の中で誰よりも父母は常に子の幸せを思ってくださり、
その後ろには神がおいでになるからです。
私の父はよく「八人の子の中でお前の所に来た時がいちばん心が安らぐ」と
言ってくれたものです。
父が何度も同じことを私に話しても、
今はじめて聞かせてもらったかのような顔をしてそのまま受け容れていたので、
父としては居心地がよかったのではないかと思います。
しかし、実際に常に新しい気持ちで聞いたのです。

こちらが耳にタコができるほど聞かされても嫌な顔はいっさいしないで、
何回でも気持ちよく聞くものですから、きっと心が休まるのでしょう。
何回同じことを聞いても損をするわけでもありませんから、
逆らわないようにさせてもらっていますと、親はすごく喜んでくれました。
朝までしゃべってくれて、私は寝ながら「さようか」「さようか」と、
聞かせてもらったことがありました。
「そうですか」と父の相手をするべき母も、「ようあれだけ話しがあったものだ」
とあきれていました。
親に対してはそのように尽くすべきだと思います。
私たちは、お父さんお母さんのご縁をいただかなかったら、
この世の存在は許されませんが、
両親は生まれた時からずっとそばにいてくださり、あまりにも親しすぎて、
親のありがたさが認識できないのです。


             ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-02-15 23:17:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

     反省してはじめてわからせていただいた母親の愛

先の続き・・・

もし、羽があれば鳥のように飛んでいって、
土下座してでも母にお詫びをしたいという気持ちが湧き上がってきました。
しかし、そうもまいりませんから、山を下り家に帰り着くと、
すぐに電話させてもらいました。
電話の向こうで「もしもし」という母のなつかしい声を聞いたとたんに、
心は幼な子に帰っていました。
私は子供の頃、母を「おかちゃん」と呼んでいたのですが、
電話で母の声を聞くと、
「おかちゃん、堪忍してや、堪忍してや」と言ったまま、受話器を持って
ワンワン泣いてお詫びしていました。
母親の愛とはありがたいものです。

突然の電話からの私のただならぬ声を耳にして、「お前、頭は大丈夫か。
頭がどうかなったのと違うか」と気遣ってくれるのです。
「僕は幼い頃から親不孝ばかりしてきました。
どうか赦してください」と言うと、「頭は大丈夫か」と尋ねられたのです。
「私の言っていることは頭がおかしいように聞こえますか」と聞くと、
「いや、別におかしゅうはないけどな、いい年をしてそんなに泣くな」と
言われました。
子は親の心配をありがた迷惑に感じたりして、
親の生きている間はなかなか親の愛の本当のありがたみはわからないものですが、
まことに親というのは、子の身に何か一つでもあれは心配してくださいます。
取越し苦労という面はあったとしても、

そこまでこまやかに愛を注いでくださるのはこの世では親だけです。
そして、その無私の愛は神様の愛に通ずることを知りました。
父母への感謝ができなかったならば、どうして神様への感謝ができましょうか。
しかし、この尊さを知るには、私たちにとって親の存在はあまりにも近すぎて、
改めて意識することはありません。
これは空気や太陽や水によって生かされながら、
その有難みをつい忘れ、当然のごとくに毎日を送っているのに匹敵すると思います。
では、どうしたらこの「慣れ」を克服して、感謝と報恩の心に目覚めさせて
いただけるのでしょうか。
そこで、反省が必要となってきます。
魂の自覚によって、人は神の分け御霊の名に恥じないように立派に生きていけます。


              ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2018-02-15 00:50:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第五章 心の曇りをとるための反省

        反省してはじめてわからせていただいた母親の愛

先の続き・・・

この母の大きな愛に対して幼い私が大きな嘘をついてだましている。
そして母の愛を裏切っているこの姿を見た時、「ああ、痛かったやろうなあ。
かわいそうになあ。つらかったやろう」
「友達のお母ちゃんはなんであんばいしてくれんじゃったろう」と
言ってくれたそのことを、ずっと反省させていただきました。
不思議なもので、三日も四日も一つのことを追求し続けていくと、
その時の場面が本当にそのまま出て来るのです。
足の肉が裂けた時の感覚がはっきりと再現されます。
真剣に反省に取り組めば、その当時の状況が詳しく思い出され、
肉体の感覚までありありとよみがえってきます。

相手の立場に立つということは、
この場合、母の立場に立って自分の行為を反省してみることですが、
まず母は幼い我が子に対してどのように思ってくださったか追求します。
母は足の怪我を見た時、すぐに友達の家で怪我をしたのではないことくらいは
わかったはずです。
血止めの草をすりつけた足の傷をボロ布で巻いているのですから、
これはおかしいなと思ったことでしょう。
にもかかわらず、
そんなことよりも「ああ痛かったやろうな。かわいそうになあ」という
思いのほうが強いのです。

私のついた嘘を取り沙汰して善悪の理非を正すより、
母親の愛のほうが偉大であったとわかりました。
間違いを犯した時に叱って云い聞かせる厳しい父性愛とは違って、
お母さんの愛というのは、たとえ口では小言を言ったとしても、
赦しの心でやさしく包んでくれます。
煩悩を戒め、降魔の剣で厳しく断ち切ってくださる忿怒相(怒りの表情)の
不動明王に対して、衆生の悩み苦しみの声を聞いて救ってくださるご慈愛深い
観世音菩薩のような役割です。
その神様のような観音様のような愛を持ったこの世でたった一人の母に対して、
私は嘘をついて畑に行かず遊びに行ってしまったうえに、
粗相をしでかして大怪我をし、親に心配をかけている。
七歳の当時のその自己の心と行いの姿をよく見つめ直した時に、
「ああ、本当に申し訳ないことをした。
お母さんの愛を裏切って幼い頃から嘘をついてきた私をどうぞ赦してください!」と、
泣いて泣いてお詫びさせていただきました。


              ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2018-02-13 23:35:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第五章 心の曇りをとるための反省

    反省してはじめてわからせていただいた母親の愛

先の続き・・・

たいへんなことをしてしまったと思った私は、
田舎育ちで薬草や血止めの草の知識があったので、
傷口に血止めの草をぐっとしぼってつけました。
そして、その上から血止めの葉で押さえて急斜面を下の道まで降りて来て、
道端に落ちていたボロ布をひろい、それで患部を縛りました。
「えらいことをしたなあ。なんと言って言い訳しようかなあ」と、
七歳の幼い頭で一生懸命に考えたのですが、いい考えは浮かびません。
もし、嘘などつかずに畑にいつもどおりに出て仕事をしていて怪我をしたなら、
「お母ちゃん、えらいことした。なんとかして」と言えるのですが、
嘘をついて隠れてわることをしたのですから、
本当のことを言うこともできません。
そこでまず、血が出ないように応急処置をしました。
私の家と隣家との間が一メートルほど空いていて、
冬の間は田の稲を干す長い木が使わないでかこってあるのですが、
その隙間に入って、「どうしようか。そうしようか。

どう言って親に言い訳しようか」と思いあぐねていました。
他人様の山に竹を取りに行って、自分の足を切ったと言えば怒られますから、
なんとか逃れる方法はないものかと考えているうちに、
だんだんと時間が過ぎて外が暗くなってきました。
そこで、勇気をふるって家の入口から「ただいま」と言って入ったのです。
「遅かったなあ。今迄何してたのや」と母が聞くので、
「友達の所で勉強していて怪我をした」と、私は言いました。
その時、母は「ちょっと見せてごらん」と言って、」「こんな汚い布でどうして
向こうのおばちゃんに言ってあんばいしてもらわなかったのや。
こんなえらいことになってるのに。痛かったやろう」と薬を塗り、
新しい包帯をしてくれたのです。
その時の母の手の温もりがあたたかい感触として、
私の足にありありとよみがえってきたのです。


          ~ 感謝・合掌 ~




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