恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第三章 天上界への道
◆完全無欠の神様が私たちの中に命として生きていてくださる◆
神様は私たちの目には見えません。
しかし、目には見えなくても神様を知る方法はあります。
それを神様ご自身が教えてくださっているのです。
そのことは、
神様のおおせられる御言葉によってよくわからせていただけます。
我は姿あって姿なし
姿あっては天地自然・万象万物の中に我が姿を見よ
姿なくては生きとし生けるものを生かさんその生命を見よ
汝らを姿あるものとしてこの地上に生じせしめ
姿なき汝らの神我となりて、我は証しせん
二行目の天地自然・万象万物とは、山や川や草木や動植物、
そして星々や月や雨や風など、あらゆる自然、命あるもの、
天象の一切を言います。
たとえば、初夏の青々とした稲田のひとつにしても、
ある人はその美しさを俳句に詠み、
また或る人は私たちの命を育んでくれるお米とそれを作る人々に
感謝をしたい気持ちに駆られることでしょう。
その美しいなあと思う心とありがたいなあと思う心と同時に、
私たちはその美しさやありがたさを与えてくれる稲田の奥に神の御心を
見出すことができます。
「なんだ、ただの田圃じゃないか」と、
それを見てもなんとも思わないことだってできるわけです。
しかし、美に感動し、生命の糧に対し深い感謝の念を抱けるほどの微妙な
波動の心になれば、自ずとそこに目には見えないけれども、いや、
目に見えないからこそ、それだけ厳かな気持ちとともに、
尊い神の存在というものを感じないわけにはまいらなくなるのです。
雨の音に神の足音を聞き、風の中に神の声を聞く。
形あるものをただ形あるものとして見ることができないうちは、
神を知ることも難しく、この世の表面の出来事とかお金などに引き回され、
翻弄されて生きなくてはならないので、
人間はなかなか救われません。
~ 感謝・合掌 ~