浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-10-14 00:13:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より

              講演集、 二

        その人の長所を見付けて礼拝する


先の続き・・・

家庭の中で、或いは職場の中で人様を礼拝させてもらえばいいのです。
私のところに来ていただきましたら、
「有難うございました」と合掌して迎え、
治療させてもらっても、
「ああ、有難うございました」と合掌してお礼を言わせてもらいます。
その方の仏性に礼拝するわけですね。

どの方もみな神の心、仏の心を持っておられ、
素晴らしい面を持っておられます。
「あの人にはあんな素晴らしいところがある」
「この人にはこんな素晴らしいところがある」と見付けて、
それを褒め称えるのです。

それを、いいところを見ないで、悪いところばかり見付け出して、
文句を言って喧嘩をしています。
新しい畳でも叩けば埃が出て来るように、
過ちの無い人間は一人もありません。
過去を振り返ってみましたら、
どんな方でも「私はいまだかって過ちを犯したことはありません」と
言える人は、一人もいないはずです。

今は犯していなくても、過去において犯しているかも分かりません。
ですから、人の過ちを掘り下げるのだったら、
自分の過ちをせいぜい探すといいのです。
人の過ちを探している暇があったら、自分の過ちをしっかり探して、
自分の間違いを掘り起こせばいいのです。
これが反省です。

自ら法の後継者と称しながら、「私は一度も過ちを犯していないから、
今迄一度も反省をしたことがない」と講演をして
威張っている指導者もあります。
今日来ていただいているこの若い方は、この間から一週間、
奈良のY先生の内観道場に行き、
その帰りにここへ寄ってくれたのです。
一週間よく頑張ってくれました。

本当に御苦労さまでした。
私たちは自分自身の心を見詰め、
内観或いは反省することなしには、
自分の過ちに目覚めることができないのです。
反省、内観は神の与え給うた大きな慈愛です。
私も反省させていただくまでは、すべて自分が正しく、
人が間違っていると思っていました。



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