浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2024-03-31 23:55:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第五章 心の曇りをとるための反省

       母娘の確執が消えた反省の功徳

先の続き・・・

娘さんも「今迄の親不孝を赦してください。
私は今迄言えなかったのです。
これからは本当の親孝行をさせて下さい」と言って、
親子で抱き合って泣いて詫び合ったそうです。
このことがあって、
お母さんから電話がかかって来ました。

「心の中の芯が抜けてしまったようです。
しかし有難いです」とおっしゃっていました。
この子は嫌らしい子だ、
敵の生まれ変わりだという一心だったのが、
自然に消えて、
なんとも言えないと泣いておられました。



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「垂訓」

2024-03-31 00:02:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第五章 心の曇りをとるための反省

       母娘の確執が消えた反省の功徳

先の続き・・・

あなたの幼い頃に抱いてあげることも
遊んであげることもできず、
寂しい思いをさせてしまったのではないかと、
泣いて話されると、
娘さんもワンワン泣きだしてこう言いました。

「私だけなんで上に姉さんのように
してもらえんのかと思って、
ずーっと寂しかった、辛かった」
お母さんは「かわいそうなことをした。
堪忍して」と詫びました。


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「垂訓」

2024-03-30 00:10:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第五章 心の曇りをとるための反省

       母娘の確執が消えた反省の功徳


先の続き・・・

「ああ、あの子を抱いて育てることがなかったなあ」
という思いがしみじみとお母さんの心の中から
湧き出てきたというのです。
上に子二人は我が腕に抱いて育てた。
しかし、あの子は抱くこともできなかった。
それでも、自分は姑さんの看病精一杯尽くしたんだから、
これでいいのだと思っていたそうですけれど、
あの子の立場に立ってみれば、
どんな思いをしたことだろう。

母親に抱かれることもなく、さぞ寂しく辛かったであろう、
と気付きが訪れてきたそうです。
しまった!かわいそう、でかわいそうで、
涙があふれ出して止まらなかったそうです。
すると、そこへ娘さんが帰って見えたので、
お母さんは仲のわるい娘さんの前に
手をついて詫びられたのです。


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「垂訓」

2024-03-29 00:09:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第五章 心の曇りをとるための反省

       母娘の確執が消えた反省の功徳


先の続き・・・

夕方雨が降ってきて、洗濯物が干しっ放しでした。
娘さんは宗教の教会に出かけていて、いませんでした。
お母さんは、ああこれを取り込んでおかないと
また娘に叱られると思い、取り入れていました。
すると、ふと娘さんの幼少の頃のことが思い出されてきました。
お子さんは三人おられ、上の二人の娘さんはすでに他家へ嫁ぎ、
下の娘だけが養子をとって現在跡継ぎとして同居していたのでした。

この方が幼い時はちょうどお姑さんが病気で
具合がわるくて看病に明け暮れていました。
それで、この末の娘さんは女中さんに
まかせっきりになっていたということです。


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「垂訓」

2024-03-28 00:07:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第五章 心の曇りをとるための反省

            母娘の確執が消えた反省の功徳


先の続き・・・

この苦しみから逃れるには、
前に述べたように常に自分を離れ、
まず相手の立場に立って見ることです。
それから善意なる第三者の立場、
さらには私たちを守り生かしてくださる
神様の立場に立って、
自己と相手とを観察していくことです。

自分を反省して相手の立場に立って見直してみると、
とんでもない迷惑を相手に対してかけていた自分が
自覚されてくることがあります。
自分よりも相手はどうだったかと思う癖を
常につける訓練をした時に、
ものの見方は変わってきます。
そのような話しをさせていただきました。
その翌日のことです。


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「垂訓」

2024-03-27 00:31:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第五章 心の曇りをとるための反省

            母娘の確執が消えた反省の功徳

先の続き・・・

自己を中心として見た時、必ず苦しみが生まれます。
見たり、聞いたり触れたりという五感を通して
何もかも見ることになるからです。
それらにはどうしても自己保存を第一とする働きがあります。

すると、内部と外部、自と他という分離が生じてしまい、
自分以外のいっさいは己の自我と対立するものになってくるのです。
これではもう正しい見方はできません。
必ず自己保存と自我我欲によって目が雲らされた「煩悩」に
とらわれた見方しかできなくなってしまうのです。





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「垂訓」

2024-03-25 23:57:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

          母娘の確執が消えた反省の功徳

先の続き・・・

よく相談に来られて嘆かれていましたので、
「その娘さんが信仰に行っていたら、
お母さんもいっしょに行ってあげなさい」といいますと、
「妙な霊に憑かれると怖い」とのことでした。

「娘さんを救ってあげるためにも、
自分を捨てて共に行ってあげるのが真の愛じゃないでしょうか」と、
お話させてもらったのです。
しかし、「そこまではようしません」とおっしゃいます。
そこで、自分はいつも正しいと思うから苦しみが生まれるのです。
という話をさせてもらいました。


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「垂訓」

2024-03-25 00:07:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

          母娘の確執が消えた反省の功徳

先の続き・・・

お母さんが言うには、
この娘は前世の敵が自分の腹を借りて
生まれて来たのかと思うほどに
親のことをいじめるのだそうです。

箸がこけたのまでお母さんの心がけが
わるいからだと言って責める始末です。
その娘さんは妙な信仰に凝って、
お母さんのすることなすことから出かけた先までを逐一、
その宗教の教会へ行き、報告するのだそうです。
すると、宗教の神様が「そりゃ、お母さんがわるい」
と言うので、それをまた
家でお母さんを責める材料として使う。
お母さんにしたらたまらないでしょう。



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「垂訓」

2024-03-23 23:58:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

          母娘の確執が消えた反省の功徳

一度入ったら今度は出口がわからないほどの
お城のような大邸宅があります。
ふだん使うのは門から百メートルほど
離れた所にある勝手門です。

お屋敷には土塀がはりめぐらせてあります。
そんな大きく立派なお宅ですが、
そこに住んでいる母と娘は敵同士のように
仲がわるいのです。
60歳代ぐらいのお母さんと
40前の三人姉妹の末娘さんですが、
その娘さんが養子をもらって住んでおられるのです。
お孫さんは小学生です。


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「垂訓」

2024-03-23 00:44:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第五章 心の曇りをとるための反省

      反省とは自分を離れてものを見る訓練

先の続き・・・

なかなか感謝できないのは、いつも何か欲しいとか、
期待したことが起きることを望んでいたりするからで、
結局は自己中心的な思いの中にいて、
外側の現実を見ようとするからです。
自分の欲望のほうに合わせて現実を切り取ろうとすると、
必ず過不足が生じてしまい、常に不平不満、愚痴、
怒りで心が占められることになります。

そして、
ガラクタばかりが詰まった部屋のごとくに新しい物事を迎え入れ、
感動するための余地、空っぽなスペースがなくなってしまうのです。
こうしたことにならないためには、できるだけ自分から思いを離し、
できれば
神様の目から自分を含めた全体を眺めることが必要となります。
それには、反省の訓練によって日々瞬々刻々、
天地万物いっさいに感謝できる自分にならせていただくことが
大切であると思います。



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「垂訓」

2024-03-22 00:02:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

       反省とは自分を離れてものを見る訓練

先の続き・・・

相手の立場に立ったら、奥さんはご主人より早く起きて弁当をつくり、
ご主人や子供を送り出し、今度は掃除、洗濯、買い物をして、
夕食を用意して、と、たいへんな一日のはずです。
女の人はその一日の間にこれだけのことをしてくれるのだなあ、
と奥さんの苦労や努力がわかったならば、
ご主人の口からは「ああ、女の人も御苦労さんだなあ。
あんた無理せずに、適当に一服しなさいよ」と、
いたわりの言葉も出て来るものです。
また、奥さんのほうも、「私は家の用事をバタバタと精一杯しているのに、
帰ってきたら洗濯物くらいちょっと取り入れてください」と言って、主人を
こき使おうとしますが、これが御主人の身になって考えますと変わってまいります。
「男が一歩家をでたら、外に七人の敵がありで、ずいぶんと御苦労さんなことです。
毎日会社に通うてもらって、
そのおかげさんで私たちはこうして生活させてもらって有難いことだなあ」と思えば、

ご主人が帰って見えたら、「ああ、御苦労さんでございました。
お疲れさまでございました」という言葉が出てくるはずです。
自分を中心にして見ると、お互いに不平不満ばかりを言い合うことになります。
常に相手の立場に立って見させてもらう訓練を日々怠らないことが大切です。
そうすると、感謝の思いが出て来るようになってまいります。
人間の心は一つのことを同時に思えぬ構造になっています。
喜びの思いと怒りの思いは同時に存在できません。
この法則を利用して自らの心を苦しめないようにするには、
常に感謝の心でいることです。
感謝している時は、自らを苦しめるあらゆる想念が入ってこなくて済むのです。
感謝は光ですから、その中で心のスモッグである業の思いも消されてしまいます。
何事にも感謝せよとは、すべての宗教の教えるところですが、
その理由は実はここにあったのです。


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「垂訓」

2024-03-21 05:19:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第五章 心の曇りをとるための反省

         反省とは自分を離れてものを見る訓練

先の続き・・・

ですから、「させていただく」という態度を
常に忘れなければ大きな間違いはありません。
こうした謙虚さは、いつも感謝に満ちた心で
いることにもつながってきます。

ご夫婦の間でもそうです。
ご主人は一生懸命に働いて稼ぎ、奥さんは結構に暮らさせてもらって、
それでいながら、
「私は嫁さんだから主人が養ってくれるのは当たり前」と、
感謝をしないでいると、
ご主人がありがたい存在だということを忘れてしまいます。
もちろん、ご主人にも同じことが言えます。
奥さんが家庭の中で掃除、洗濯などの家事、
そして留守中のおつきあいなどいっさいをやってくださり、
ご主人はそれに大いに助けられているのに、
それを「おれが働いて不自由な目にも遭わせず養ってやっているのに、
毎日何をしているのか」などと奥さんに対して
好き勝手な言葉を吐いたらどうでしょうか。


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「垂訓」

2024-03-20 00:04:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第五章 心の曇りをとるための反省

         反省とは自分を離れてものを見る訓練

先の続き・・・

この時は自分の思いを離れて、第三者的な目から見て判断し、
神様に自分の想念をあずけて心静かに祈り、
その中から出て来る正しい直感にしたがうのが最もいいでしょう。
自分がなんとかしなくてはという焦りや力みがあれば、
必ず間違います。
そして、せっかく助けてあげたのに、
あの人はなんて恩知らずなんだなどと
不平不満や愚痴が出て来ます。

どうしても私たちは自分中心でものを考えがちですが、
肉体の五官にとらわれた見方から、
自己を離れた正しい見方に変えていく訓練を積むことが大事です。
常に「してあげる」とか「してやる」というにではなく、
「させていただく」とか「させてもらう」という心で行うことです。
「あげる」「やる」ではたとえ善いことをしても、
文字どおり徳を逃がしてしまいますが、
「いただく」「もらう」という心構えだと、
善い行いは自分自身の徳として積まれることになり、
それがまた自分の霊格を高め、
運命としてもいいことが万倍にもなり、
自分に返ってくることになります。


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「垂訓」

2024-03-19 03:59:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

         反省とは自分を離れてものを見る訓練

先の続き・・・

なぜ、ここまで行く必要があるかと言いますと、
たとえばあまり情けが深すぎて相手に感情移入しすぎても、
かえってその同情が仇となり、冷静な状況判断を誤り、
相手の人ともろともに滝壺の中へ、
などということになりかねないこともあるからです。
何しろこの世は厳しく危険な修行場ですから、
ちょっと油断したすきに波にさらわれかねません。

相手の言うに言われぬ悲しみや苦労を聞いてあげ、
受け止めてあげるやさしさは必要ですが、
どうにも簡単には脱することのできない
深い業因縁の渦中に相手の方がいる場合などは、
自分までいっしょにその中に入ってしまってはなりません。
だいたいに神様がおやりになることを
自分がしてあげるなどと思いあがり、
下手に手を差し延べる日には、
とんでもないことになりかねません。
相手が一日も早くそこから脱して幸せになるのを心から祈り、
できることはさせていただくしかありません。


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「垂訓」

2024-03-18 00:00:14 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

         反省とは自分を離れてものを見る訓練

私たちがどれほど「私は間違っていない、私は正しい」
と主張したとしても、
肉体の五官を持って生活している以上、
最初から現実を見る目に色眼鏡が
かかっているのは避けられません。

ということは、自己保存と自我我欲の目で見る為に、
ありのままには現実が見えてこないということです。
では、どうしたらこの自己中心的な
視点をもたらす色眼鏡を外せるのでしょうか。
それは相手の立場に立って見ることによってです。

そして、善意の第三者の立場から相手と
自己を客観的に公平に見ることです。
そらに、天の立場、神の目からあらゆる物事を
見られるところまで行くように、
練習を積み重ねていきます。



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