浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-12-31 00:00:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

        人々の喜びが無限のエネルギー


私は常に全国を飛び回っております。
先週は山口県で、小郡と山口市と日本海側の長門市を回らせてもらいました。
休ませていただくのは、たいがい夜中の二時前後ですね。
その前の週は徳島で、夜中の三時半ぐらいまでお話させてもらってから五時に
起きて、こちらに送ってもらい、河内の国分に行かせてもらいました。
夜はMさんのお宅へ寄せてもらい、帰宅したのはもう十時を過ぎていましたね。
私は自分の身を、自分の生命を燃え上がらせております。
燃え尽きてしまいたいと思っております。
燃え尽きたら、あの世に帰らせてもらえばいいのですね。

精いっぱいこの命を燃え上がらせて、その結果として一人でも多くの方から
「会えて良かった」と、喜んでいただけたら、私の使命を果たしたことになります。
法には命をかけて実践させていただいております。
命などは要りません。

だから、無限のエネルギーが与えられます。
こんなことが人間としてできるのかというようなことを平気でやらせていただきますね。
お招きいただきますと、どこへでも飛んでいきます。
その時は、ただご奉公、一切の報酬は求めません。

せめてその時間だけでも、神の子に成りたいと思って、神の御心通りに自分が行い、
そのように生活しております。
求める心があれば、もし頂けない場合は、腹も立ちます。
たださせていただく気持ちでやれば、もともと頂かない気ですから、
どこへ行っても心安らかです。
癒しの方が何十人、何百人おられても構いません。
私の体が潰れるまでご奉公します。

この間、東京に招いていただきました。
まあ、たくさんのお方にいっぱい取り巻いていただきまして、汗だくになり、
もう帰らせていただく時間ギリギリまでお話をしました。
手で書いているズボンを穿かせてもらい、シャツを頭からかぶせてもらい、
走って飛び出したのです。

どこへ行かせてもらいましても、初めての所ではお茶一杯、
タバコ一服吸わせてもらう時間もいただけません。
しかし、又不思議なことに全く疲れることはないのです。
いくら大勢の方に会わせていただいても疲れません。
皆さの喜びによって却って元気が出てきます。

これは正に、見えない世界からのご協力を戴いているのだと思います。
しかし、全然水一滴要りません。
初めから最後まで同じように声が出ているそうです。
場所によると、ご飯もいただきません。
ずっと喋りっぱなしの時もあります。
自分でも、なぜか分からないのですが、そのようにできるのです。


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「御垂訓」

2020-12-30 00:04:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
   
    恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

         聖書に説かれた深い意味


先の続き・・・

自分の可愛い子供、
その子供にできた可愛い孫を殺して私の所に持ってきなさいという親が、
どこの世界にあるでしょうか。
親を信じるのだったら、子供を殺して持ってきなさいなんて、
そんなひどいことの言える親は、あるはずがないです。
表の意味だけを見ますと、「神様って恐い人だなあ、アブラハムにわが子を
殺して連れて来いとおっしゃった」ということになってしまいます。
しかし、文字の底に秘められた意味を理解することが大事です。
文字の底にある言葉を読み取らないと、とんでもないことが起きます。
神様とは、幼な子に注いでいただくお母さんの心です。

自分を燃え上がらせ、自分が犠牲となって、その子の為に尽くそうとする
母の心がそのまま神の心です。
「山より高き父の恩、海より深き母の恩、いつしか頭(こうべ)の霜白く、
衰えませる父母に、子は如何にして報ゆべき、幼な子一人育つれば花の
顔(かんばせ)色あせて、いつしか頭の霜白く」と、
「父母恩重経」にありますように、ほんとうに子供一人育ていただくのに、
お母さんはどんなに苦労されるか分かりません。
その無償の愛こそ、神様の心と思わせてもらって間違いありません。


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「御垂訓」

2020-12-29 00:08:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より

               講演集、 三

           聖書に説かれた深い意味


「汝の隣人を愛せよ」と、イエスは説かれました。
隣人とは隣家と違います。
家庭の中で、或いは職場の中で身近な隣にいる方達です。
その方達の為にたださせていただくことです。
なぜ愛さなくてはならないかというと、それは愛することによって、
自らが愛されることになるからです。
愛さない者を誰が愛してくれますか。

イエス様の説かれる愛とは、「私たちが幸せになる為に、
他を愛しなさい」ということです。
そうすることによって、自分が幸せになるからです。
なぜ「汝の敵を愛せよ」なのかと言うと、
愛することによって敵がなくなるからです。
相手という対象を通して自らを愛することになるのです。
イエスは言っていられます。
「他の血をわが内に受け入れることなかれ」と。

聖書の中にあるこの言葉の表の意味だけをとって、
聖書研究会の方は、輸血を断っていとしい我が子を
亡くしてしまったという例がありました。
又、輸血をすれば助かるものを、
「聖書にはこう書いてあるから、輸血は拒否します」と言って、
死んでしまった方もありました。
とんでもないことです。
イエス様がそんな馬鹿なことをおっしゃるはずがありません。

しかし、「血」とはその方の因縁、宿業、その人のカルマのことで、
欠点、悪い癖を、自分の心に受け入れてはならないと
おっしゃたのであり、それを「血」という言葉で表わされたので。
間違えば命とりです。
ですから、血液と書かないで血と書かれてるはずです。
旧約聖書の中に次のような話があります。
アブラハムが神様と話された時、神様から
「あなたは私を信じることができますか」
と尋ねられて、「私は信じます」と答えました。

「では、どのようなことがあっても信じますか」と念を押されて、
アブラハムが「はい、信じます」と言うと、
「それではあなたの子イサクを、
私の生け贅として供えなさい」と神様が言われたと、
そのように書かれています。

神がこんなことをおっしゃるはずはありません。
アブラハムが、もう七十、八十歳になってからできた、
そのいとし子を殺して
私に供えなさいなど、そんなことを言うのは、
神でなくて悪魔です。
しかし、聖書には言葉としてはそのように書かれています。

それは、自分の可愛い子供より以上に神を信じる、
それほどの思いをもって
神様を信じなさいという譬えです。
丸呑みをしてはいけません。

しかし、それを信じて堂々と説いている指導者もありますね。
とんでもないことです。
盲信、狂信の世界に人を引きずり込みます。


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「御垂訓」

2020-12-28 00:24:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より

           講演集、 三

       神の心を私たちが具現する


私たちの内なる良心の囁きこそ、神の囁きです。
又、神とは大いなる大生命です。
私たちのこの肉体には生命が宿っております。
この生命こそ、神の御子の証しです。
すべては神の御子です。
神の御子であることに目覚めて、
自らが神の御心をこの肉体をもって具現することです。
その時、すべての人は神の御子として、
神様は平等に力を注がれます。
この肉体をもって神を現わすとは、
神の御心を自ら行うことです。
神は一切の差別をなさいません。

自分のところにくる者だけに光をやる、
自分から離れたら光が無いなどというのは、真っ赤な嘘です。
そして、神は罰をお当てになりません。
本当の神様は絶対に罰をお当てになりません。
罰を当てる神様は悟っておられない霊です。
曾て肉体をもっていた者で悟っておられない霊が
罰をお当てになります。
神は自らの身をその愛の故に燃え上がらせて、
自らの身を犠牲にして、
すべてを生かそうとされるその大いなる愛の力です。

私たちも日々の生活で、その神の御心を
現わしたらいいのですね。
差別してはいけない。
自分を犠牲にしてでも、他を生かさなくてはいけない。
そして報酬を求めてはならない。
たださせていただく、それを行ったらいいのです。
その時、神様はこうおっしゃいます。
「あなたは私のいとし子としてよく目覚めてくれました。
私は愛の故にその身を滅した者である。

私のいとし子として生まれたあなたが、
わたしの思いをよく行ってくれました。
ありがとうございました」と、神様が感謝して下さいます。
神様は、助けてあげたい、幸せにしてあげたい、
と思っていて下さいます。
しかし、その御姿はありません。
では、その神様のしてあげたいという御心を、
私たちがさせていただいたらいいのですね。


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「御垂訓」

2020-12-26 23:57:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より

          講演集、 三

      救われたい「迷える意識」――竜の話


先の続き・・・

それでもその方は、「まだ何かいるみたいです」とおっしゃいますから、
「いや、もうおりません。あなたは三年間もお付き合いをしていたから、
そんな気がするだけで、もう安心しなさい」と言ってあげました。

そして、鏡を持ってきて、「一度お顔を見なさい」と言って鏡を見せますと、
「まあ、これ誰ですか」って。
自分の顔を見て、マアーと驚いておられます。
いっぺんに顔が変わってしまいました。

自分の顔を見て、「誰ですか」というほど豹変して、顔の相が変わりました。
「あなたが自分の顔を見てびっくりするほど変わっているのですから、
あなたに憑いていた人はもおうおらない証拠です。

自信を持ちなさい」と言いますと、だんだん自信がでてきまして、
「来てよかった。ほんとうに来てよかったです」と、喜んでくれました。
そのように顔の相まで、いっぺんに変わってしまいます。
まあ、こんな不思議なこともありますけど、これは見えない世界の、
しかも救われたいと思っている迷える意識の一例です。




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「御垂訓」

2020-12-25 23:59:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より

              講演集、 三

        救われたい「迷える意識」――竜の話


先の続き・・・

その方に、約束してもらおうと思いまして
「では私が、この場であなたに憑いている竜を救い上げたら、
あなたはS宗教を止めますか」と言いますと、
考えこんでいます。
「じゃあ、どうぞそのまま帰って拝んで取ってもらいなさい」と言うと、
「いえ、取って下さい。私、もう止めます」と決心して、おっしゃいました。
「では、取ってみましょう」と言って、その方に入れますと、
最初はなかなか口を切らなかったのですが、
「はい、口を支配しなさい。この方を支配しなさい。

口を通して語ってみなさい」と言いますと、
竜が乗り移ってきてこう言いました。
「この女は、ものすごく信仰厚いから、この女に憑いていたら、
わしはお経文をいただいて救われると思っておりました」と、
今日までまる三年取り憑いていたというのです。
「では、あなたは救われましたか」と尋ねると、
「なかなか救われない」と言います。
それはそのはずで、お経文によって救われることはありません。
なぜ救われないかというと、お経文の意味が理解できないからですね。
難しい中国の漢文である上に、当時のお経文です。

いくら読んでも、意味を理解しない限り、百万遍唱えても功徳はありません。
意味を理解して、そして日々の生活に実践してこそ、経文の功徳は現れます。
その竜さんに話しました。
「あなたは、よく自分自身を振り返ってみなさい。
今あなたはそういう竜の姿です。
しかし、ようく振り返ってみなさい。あなたも、私たちと同じように
この地上において生活をした同じ人間のはずです。あなたはこの世に生きた時、
あまりにも物事に強く執着しました。如何ですか」と聞きますと、
「その通りでございます」と言います。

そこで、「この世に生きた時、怒り、妬み、謗り、愚痴、或いは取越し苦労を
してみたり、恨んだり、憎んだり、そういう思いはいかがですか」と言いますと、
突然鼻汁をバーッと流してきまして、汚い汚い鼻汁がいっぱい出ます。
そして涙をぶるぶるこぼして、そういう間違いの生活をしていたことを
自ら認められました。
そして、その人生を悔い改め、神にお詫びをされました。
そこで、「あなたの帰る世界に帰りなさい。私がお送りしましょう」と言って
送りますと、その方から抜けましたから、
突然、すごく可愛い顔になってしまったのです。


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「御垂訓」

2020-12-25 00:28:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

           講演集、 三

    救われたい「迷える意識」――竜の話


先日、沖縄へ寄せてもらった前夜のことです。
今夜はちょっと早めに休ませてもらおうと思っておりますと、
七時過ぎに富山県から電話がありました。
S宗教を十何年も信仰されている方だそうです。
その方が、ある拝み屋さんに拝んでもらったところ、
そこに竜の掛軸がかけてあって、
その拝み屋さんがエイーヤーとやりますと、竜がポッとその人に
飛び込んでしまって、それ以来、その人のおなかの中やら、
胸の中やらを這い回るそうです。

そして、首は蛇のように動くし、目はつり上がってくるし、
顔は表面が引きつって、鬼の顔ではないかと思うほど恐ろしくなって、
その方は自分の顔を鏡で見るのもこわいとおっしゃっています。
五十歳前後のご婦人ですけど、昔は嫁ぐ時三面鏡を持ってきてますね。
その三面鏡が古くなると、自動的に開いてきます。
蝶番が甘くなって自然に開きます。
開いた鏡の前を通って、自分の顔が映るのが怖いから、
閉じて紐でぐるぐる巻きに縛っているそうです。

そして、体の中を何やらぐにゃぐにゃ回るのが自分で分かると言われます。
電話を戴きましたから、「いや明朝、沖縄に寄せていただきますので、
明日は留守です」と言いますと、「まあ、困りました。
これから行くから何とかして下さい」と言って、お見えになりましたのが、
もう十一時を回っていました。
「何やら体の中を這いまわるのが分かる」と人に話すと、
「そんな阿呆なことはない、あんたは気違いだ」と言われるたそうです。

精神病院に何ケ月か入院して調べてもらったけれど、
どこも悪いところはないと言われる。
ところが、本人は、そういうふうに思うし、顔は変わってしまって、
見るのも恐ろしいとおっしゃいます。
その方は助かりたいが為に、S宗教の信者さんに何十人と集まってもらって、
何時間もその方を前に置いてお題目を唱えて拝んでもらったそうです。
何千回も拝んだけれども、取れなかったのですね。


恩師「長尾弘」先生の下記のブログを再開しました。
http://hiromuneeikawa.livedoor.blog/
皆様のご訪問をお待ちしております。


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「御垂訓」

2020-12-23 23:59:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より

               講演集、 三

            救われた霊の報恩


A町内に、Uさんと言いまして、
えらいお金持ちさんがおられます。
自分が育った家を、お父さんが勝負事が好きで、
その為に家を売ってしまったのです。

しかしその後、Uさんは大成功をして億万長者になられ、
自分の育った家を買い戻されたのですが、
その家にはS宗教の偉い人達が住んでいたのです。
事あるごとに皆さんが集まって闘争闘争と言って、
祈っておられました。

そして、その家を売ってよそへ出ていかれたのを、
今度買い戻されたのですね。
折伏、闘争の中に安らぎがあるはずがありません。
闘争は破壊を呼びます。

それだけならいいのですが、
あの宗教は現世利益を願う教えです。
健康になる、金持になる、商売繁盛する、
拝んだら拝むほど良い、という教えです。
拝んでうまくいくはずはありません。

もっと拝んでいたらと思って、夜も寝ず拝むとしたら、
今度は死んでしまいます。
拝んで幸せにはなれません。
恐いのは、我欲の世界の念によって見えない我欲の
世界のものが集まってくることです。

念によって、我欲の故に迷う想念が、
その場所に集結して来て不調和起こします。
その人達を救うて下さいと頼まれて、
その家に行きました時に、まず光を
頂いてからその場所に行きますと、
足許から数え切れないほど多くの迷える
者が寄ってくる気配がするのです。

何とか這いずり上がろうとする想念ですね。
そこで数え切れない想念をお救いさせてもらいました。
その後、Uさんの奥様のお里で家を建てている間、
ここの家に入られたのです。

すると、商売をなさって以来、最高の売上があったそうです。
それは、救われた諸霊が報恩の行為をするのです。
救われてくれますと、光となって注がれてきます。
浄化されて綺麗になるだけではなくて、
今度は喜びの光が注がれますから、
大変有難いのです。

私はどこへ行きましても、そのあと、
その家は商売繁盛するし、お金が
儲かってしようがないようになりますから、
「先生は福の神様だ」と言っていただきます。
ただ行かせていただくだけです。

私と言う人間は未熟な至らない存在ですが、
私の存在を通して、
神の大いなる御業が示されます。
いといと小さき神のみ使いを自覚しております。
いくら小さくても、神のみ使いとして生きさせて
いただきたいと思っています。


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「御垂訓」

2020-12-23 00:29:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より
           
              講演集、 三

            土地の因縁、地神様


先の続き・・・

次に、その場所に、曾(かつ)て神として祀られ、
或いは仏として祀られていた意識があり、
うっかりしてその上に便所を建てたりしますと、
えらいことになります。
さらに家を建てるなど、
とんでもないことをした為に不幸になる方があります。
怖いのは、目に見えないので分からないことです。

曾て神として、仏として、祀られたご神体と称するもの、
これが土に中に埋まっている場合災いをするのです。
探知機をもってきても見えませんが、
有難いのは、そこに住まわせてもらう
人間が、常に光に満たされて、感謝し、喜び、
そして安らかな生活をして、
もしもそのようなものがありましたら、
「どうぞ、私のように幸せになって下さい。

この幸せになるにはどのようにしたらいいと思われますか」と言って、
話させてもらったら、皆救われて下さいます。
新しい土地に家を建てるような場合は、
「縁あってこの土地に住まわせていただくことになりました。
曾てこの土地を所有して、ここに思いを残しておられる方がありましたら、
よく聞いて下さい。

神として仏として祀られておられた皆様も、共に聞いて下さい。
私たちは本来あの光り輝く天上の世界からこの地上の世界に自らの魂の修行に
来ております。
この地上の修行が終われば、又あの光り輝く天上の世界に帰ってこそ真の
成仏ができます。

この地上の思いを残しますと、その思いが執着となって救われることはできません。
この地上界から一切の思いを放して下さい。
そして、この地上において生活をなさいました五十年、百年を、
よく振り返ってみて下さい。
私たちは、この肉体の故に、或る時は怒り、妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、
足ることを知らぬ欲望に捉われて、自らの心を苦しめてきました。
その苦しみが錘となり、あの光の世界へ上がることができません。
真の神、仏は言われます。

私たち人間に対して、『いとしき我が子たちよ、そなたたちは幸せに生きよ、
健やかに生きよ、おのれ自身を苦しめること勿れ、己を大切にし、
己を大切にするがごとく他を大切にせよ」と言われます。
自らの心を苦しめることは、神のご意志に背きます。
神のご意志に背いて、何者も救われることはできません。
その過ちに気付けば、自らのこの世での生活をよく振り返り、
自らが作った過ちに気付けば、今、心を素直にして、
自ら作った過ちの一つひとつを真の神に
お詫びしてみなさい。

その時、あなたの心は安らぎ、必ず天上の世界へ救われます。
よく反省しなさい。
神よ、光をお与えください。
願わくば、調和と安らぎをお与え下さい。
諸霊の意識に光をお与え下さい。
諸霊の罪をお許し下さい。
あの光の世界へお救い下さい」と言って、祈らせてもらいますと、
救われて下さいます。
皆様も是非私の真似をして下さい。
その時、その地上界は清められ、自らの住む場所が清められます。
災いは起きてきません。
そして、救われた方は必ず喜びのご恩返しをしてくれます。


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「御垂訓」

2020-12-22 01:14:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

               講演集、 三

            土地の因縁、地神様


よく、土地をお払いしてほしい、事故が起こるのを止めてほしい、
幽霊が出ないようにしてほしい、それはそれはいろいろ言ってこられます。
が、それは必要に応じて全部与えられます。
望み通りにしていただけますね。
土地の因縁の中には、いろいろ種類があるのです。

よく拝み屋さんに頼みますと、
地神さんがいられるから祀りなさいと言います。
あの地神さんというのは、人の執念です。
低級な霊能者が見ますと、人の執念が蛇に見えるのですね。
それを地神様というのです。
土地というのは、次々持ち主が変わっています。
先祖代々からずっとその土地を持っておられる方というのは、
恐らく一軒もありません。

天皇様でさえ、都を次々に変えておられます。
今は東京におられますが、
京都に奈良に或いは近江(滋賀県)におられました。
ましてや、我々一般庶民は先祖代々ずっとその土地を持っている例など
恐らく一軒もありません。
先祖から大きい財産を譲り受けても、仕事をせず遊んでばかりいますと、
全部売ってしまうことになります。

栄枯盛衰、これは避けることのできないこの世の習いですね。
土地を自分のものにする為には、大変努力して、爪に火をともすようにして、
食うものも食わずに働いてやっと自分の土地にするのです。
その土地を自分のものにするのに苦労した人が、「私は死んでもこの土地は
離さない」という執念をもってこの世を去りますと、
その方の思いがその土地に残ります。
それが蛇の姿となって残っている巳さんです。
これが一つの因縁です。


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「御垂訓」

2020-12-21 00:16:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

        見えないものの存在


死んでから、蛇の姿になり、
或いは狐の姿になって迷っている方がいっぱいあります。
ほんとうは蛇とか狐とか或いは狸とか、そういうものは、
人を化かしたり祟ったりはしないのです。
そういう意識になり下がった人の意識が災いを起こします。
そういうことが分からないものですから、「これはえらいことだ、祀れ」
「これは供養しなくてはいけない」ということになるのです。
地神さんというのは、大体蛇の姿を見せます。

それは人の執着です。
これをゴミに譬えてみますと、拝み屋さんが来て、
「ここを祀りなさい」と言って、地祀り或いは棚祀りをすることは、
ゴミを掃除してゴミ箱に入れて、
屋敷の側に置いているのと同じことです。
うまいこと管理しないとまた出てきます。
神主さんが来て、「祓い給え、清め給え」とやったら、
塵叩きでゴミを払っているようなもので、
その時は、なるほど綺麗になるけれど、
また、そのゴミはそこへ落ちます。

一番いいのは、掃除機を持ってきて、
バーッとゴミをみな吸い取ってしまって、
然るべく処置をしてしまうことです。
こうすれば、もう出てきません。
私の場合は、
掃除機でそういうゴミを全部吸い上げてしまいますから、
後がうまくいきます。
私たち人間は、この世に生きさせていただいて、
肉体或いは物質の中で、
ただこの世だけが総てだと思って暮らしてきましたが、
この世だけではないということです。

目には見えない世界があります。
目には見えないから、
「この空間に何かあるのですよ」と言いますと、
「この空間には何もない」と普通は言います。
しかし、目に見えないこの空間の中にも、
ラジオの電波、テレビの電波など、
いろいろな電波が飛び交っています。

私たちの目に見えないだけで、現実にはあるのですね。
もっと分かり易いのは、部屋を閉めて、夏にクーラーをかけますと、
もうどんどん水が出てきます。
この空中に水がいっぱいあるのです。
水と言えば語弊があります。
水の原子(H2O)が、もういっぱい充満しているのです。
熱作用によって水が分散して軽くなって、
空中にいっぱいあるのです。
ところが、私たちはそれを見ることはできません。

それと同じように、見えない世界に、
私たちのこの肉体が無くなった後の意識、
その人がもっている心があるのです。
本当なら、「成仏」と言いまして、
生まれてくる前に住んでいた世界に帰らなければならないのです。
そこは極楽或いは天上の世界と言います。
ところが、そこへ帰れないで、この世に残しているその思いが、
見ることはできないけれども、霊として現実にいっぱいおられるのです。

病院などへ行きましても、もし自分の心ができていないのに、
霊視してそういう世界が見えますと、
もう恐ろしくてそこにはいられないはずです。
病院には死んで迷っている人がいっぱいおられます。
病院は自分を助けてくれる所、ここにいれば、病気を治してくれると
思ってそこで死んだ人が、「ここにおったら助かるのだ、
治してもらえるのだ」と思って、ウロウロしているのです。

ところが、普通は見えません。
触れることもできません。
だから、どこの病院に行きましても、必ず怪奇現象の起きる部屋が
二つや三つはあるはずです。
部屋へ入ったら、誰かが枕元に立ちにくるとか、ドアを開けに来るとか、
そういうことはどこの病院にでもあるのです。
それは皆、亡くなった人の意識が残っているからです。


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「御垂訓」

2020-12-20 00:02:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

         「振り返ってはならない」


この世を去る時、
「振り返ってはならない」ということについて、
これは聖書を三十年来勉強されている方が、
聖書の中に書いてあるとおっしゃています。
私は聖書を知りませんが、
旧約聖書のソドムとゴモラの話の中にちゃんと
書かれてあるそうです。
昔、物質文明の栄えた都があまりにも退廃して、
この都を地上に残しても人の為にならないから、
これは滅ぼしてしまわねばならないと判断された神が、
都を沈めてしまうことをお命じになったのです。

すると、ロトという方が「何とか、
せめて五十人心正しい方があったら、
どうか都を助けてほしい」と申し出ました。
神様が、「それでは助けましょう」ということになったのですが、
「心正しき人が三十人でも助けていただけますか」と、
さらに神にお願いしますと、

「三十人でも都を滅ぼさないでおきましょう」と
言われましたので、「では、
十人でも助けて下さいますか」と改めてお願いして
神様から許可をもらったロトは、
十人の心正しき人を探しに、その都へ一族を連れて旅をされたのです。
ところが、正しい話をしますと、人々は皆馬鹿にして、
もう退廃の限りを尽くした生活をしており、
どこにも一人として心正しい方がいなかったのです。

そこで、ロトが神様に、
「あの都には心正しき方は一人もおりませんでした」
と報告しますと、神様は「一族を連れて一刻も早く
この場所から立ち去りなさい。

どのようなことが起きても振り返ってはならない。
一時も早く立ち去りなさい」と言われたのです。
ロトはその通りにして都から離れ、丘を越えて遠退(とおの)
いていかれたのですね。

丘の上まで来ますと、後ろのほうで大音響、阿鼻叫喚が起こりました。
しかし、神様から言われているから、一目散に逃げましたが、
その時、ロトの奥さんがふっと振り返られたのです。

すると、そのまま、塩の柱となって、その場所に固まってしまいました。
その塩の柱が溶けて陥没した所に流れたのが今の死海だ、
と書かれてあるそうです。
「振り返ってはならない」は、聖書の表面的な文章をもって
綴られていますが、

その奥底で何を説いておられるのかと言いますと、私たちが、
あの神様の御胸の中に帰らせてもらう時、
絶対にこの世を振り返ってはならない、
振り返ると、その場所に心が留まってしまう、その譬えとして、
聖書に塩の柱の話しが書かれているのです。

この肉体を去りますと、私たちは「思いだけの世界」に入ります。
「思いの世界」は、自分が思えばその場所に意識が
行くようになっているのです。
死んでお墓とかお仏壇に入ってはいけません。
そこへ入ると思っておれば入るのです。

「そんなこと言っても、死んだら終いだ、
そんなことはあるはずがない」と
思っておりましても、
現実にはお仏壇やお墓の中に入っていられる方は、
いっぱいあります。


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「御垂訓」

2020-12-18 23:55:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

        法に背いて法を説いても駄目


一番悲しいことは、高橋信次先生が地獄へ落ちられたと言ったり、
極端な場合は、先生を悪魔呼ばわりしている方があることです。
しかも、自らは正法を説いていると思っています。
そのような方は、昔から言いますように、人を阿呆だと言うのは、
言うその人が阿呆なのであり、人を悪魔と言う人は、
その人が悪魔なのです。
人が地獄に落ちているかどうかの真偽も分からないで、
もし人の前でそういうことをおっしゃいますと、
その方は必ず地獄へ行きます。
これは避けられません。

「霊的に、私が地獄を見てきたら、先生がいた」と
いう方がいますが、
そんな話は当てになりません。
何人の証明者がいるでしょうか。
その方ただお一人の自分の感じです。
他に証明のないことは信じてはならないと聞きましたね。
又、「私は先生の弟子だ」と言いましても、
「私は先生のただ一人の弟子である」と、
人に高言を吐きましも、
人の悪口をいっぱい言っておりますと、
それは弟子とは違います。

先生はおっしゃいました。
「自らを正当化する為に、他を非難し中傷してはならない」と。
この教えに背き、法に背いて法を説いても駄目です。
自らを正すことですね。
まず自分を正して、自分が法を実践させてもらい、そして、
その結果を皆さんに報告してこそ、法は広がっていきます。
自分が苦しんでいながら、人さまにどんないい話しをしても、
それは駄目です。

先生は、まず自分が幸せになれとおっしゃいますね。
先生の声がちゃんと意識の中に聞こえてきます。
先生の思いになって先生が一番喜んで下さる行為をした時、
先生の意識は伝わります。
背いている者にどうして伝わるはずがあるでしょうか。
伝わるわけがありません。

「私の悪口ばっかり言っている。
私が地獄に落ちたと言っている」と、
先生は笑っていられます。
そんなことはないはずです。
そして、地獄に落ちていられるなら、
自分がお救いさせてもらったらいいのです。

ところが困ったことに、「私は先生を天上界にあげてやった」と、
何人もの人が言うのです。
先生が何人いられるのか分かりませんが、
これはとんでもない間違いだと思います。
それよりも、自分が地獄に落ちないように、
しっかりすることですね。


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「御垂訓」

2020-12-17 23:52:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

           講演集、 三

      身近な問題を分かり易く日本語で説く


私は毎回お話をさせてもらっていますが、
求める心は何もありません。
この尊いご縁によって、心の糧、
心の喜びとしていただいたら、
これ以上の幸せはありません。

幸せになってほしい、
どうぞ苦しみの原因を作らないでほしい、
その為にものの見方、考え方を各方面に
切り替えていただけるよう、

できるだけ理解し易く身近な問題の中に法を
説かせてもらっています。
難しいことを学びましても、私たちは理解できません。
難しい言葉を並べ、難しい哲学用語を駆使して、
それに通訳が付かねば
分からないようなお話は、この日本では通用しません。

横文字を頻(しき)りに使う先生方もおられますね。
私は、当初から、日本で法を説くならば、
分かり易い日本の言葉で説くべき
だと思わせていただいております。
お釈迦様はインドの言葉で法をお説きになりました。
よその国の言葉は使っておられません。

イエス様はイスラエルの言葉で法を
お説きになったはずですし、
日本に出られた光の天使は、
日本語をもって法を説かれるはずですね。
難しい横文字をお使いにはなりません。

それは、難しい言葉をお使いになることによって、
いい格好をつけてみたり、
自分は知識が豊富だということを見せる為に、
いろいろな言葉を使われるのですけど、
そんなことは必要のないことです。



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「御垂訓」

2020-12-17 00:00:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より

            講演集、 三

         テープ、機械、おやつの喜捨


明日はお仕事があるので、四時には帰られますが、
こんな短い時間の出会いの為に東京から来て夜通し寒いのに
家の外で待っていただいて、
ほんとうに感謝と申し訳なさとでいっぱいです。
ほんとうに有難いことです。
先程、ついテープのことを忘れまして、一生懸命お喋りしていました。
次からはちゃんと九十分で止めますから、
又忘れていたら言ってください。

この度A様から皆様の為にと、
大変高価な放送設備とダビング設備の尊いご喜捨を頂きました。
至らないお話をこうして次から次からテープにとり、
それを買っていただいて、
しかもすばらしい機械ですから、声は抜群です。
「先生、いい声ですねえ」と言われますが、
私の声は良くないのです。
機械が良いのです。

有難いことで、今お話させていただいたのが、
次々とダビングしていただけます。
これもみなA様と、
ダビングに無償のボランティアをしていただく皆様のご好意です。
今日は初めて集まって下さった方も多いことですので、
ちょっと説明させていただきます。

この会場に集まっていただいた方から五百円ずつ頂戴しました。
私も毎回皆様と同じように五百円出させていただいております。
この五百円は会計さんがちゃんと管理して下さって、
年末の助け合い運動その他に使っていただきます。

この機械代と最初の一回目のテープを買っていただくように
してもらっています。
私が会費を集めて儲けているのではありません。
どうぞ、その点はご安心下さい。

私のポケットには一銭も入らないシステムになっております。
では、このおやつはどこから出るのかと言いますと、
心ある方々からご喜捨いただいております。
毎回五十人から二百人分用意させていただくのですが、

今日も嬉しいことに、その数が足りませんということで、
ご迷惑をおかけしたかと思います。
次回からもっと買わなくてはいけませんが、人さまの善意です。
喜びを捨てていただく教えそのままに実践していただいております。


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