浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「心行の解説」より。

2014-02-28 02:00:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
    このお写真も恩師のご著書「真理を求める 愚か者の独り言」に紹介されています。
    恩師の御講演中の時に撮影されたものですがご著書に紹介されていますように、
    全てが燃えるように白色となっており、しかもその輪郭はお釈迦様の涅槃像のようです。
    恩師も浄心庵の御講演のなかでこれは私の涅槃像みたいだ。とおっしゃっていました。


         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

「インマニエル・イエス・キリスト 我 神と共にあり」
インマニエルとは「我 神と共にあり」という意味です。
イエスさんだけの名前とは違うのです。
イエスこそイエス様の固有名詞です。 
キリストとは代名詞で、どなたでもキリストさんです。
そのようにキリストのごとく生きたら、皆さんがキリストになることができます。
田中さんでしたら「インマニエル・田中・キリスト様」です。
どなたでも内なる神我に目覚めた生活をなさる方は、キリストです。
「癒しの油を注がれし者」として生活した時、必ず癒しの力が与えられます。
癒しの油によって癒されます。
神様を受け入れる器になることです。
その中にはいっさいの自我を持ってはなりません。

自我の中にカルマを背負いますから、
私が私がという偽我をいっさい捨てて、たださせていただくことです。
イエス様の教えを真剣に話させていただいた時、イエス様はこの場所に即、お見えになります。
お釈迦様のお話を真剣にさせていただきますと、お釈迦様の意識がその場所へ来られるのです。
「私はイエスである」と言わなくても、ちゃんと肉体を通してその方が語り給うのです。
実践のないものにそのようなことは起きません。
今「高橋信次霊言集」という本がたくさん出ているそうです。
信次先生の霊が言っておられます。
「わしゃ、苦しい、苦しい」。
信次先生がそんなことをおっしゃるはずがありません。

乗り移るということは、何が乗り移るか分からないということです。
信次先生が、「もうだめだ、もうだめだ、何とかしてくれ」などとおっしゃるはずがないのですが、
それが理解できなくて、信じる人は心から信じているようで、信じる方があるから、
あの本もまた売れるのです。
ただ私は、尊い先生が「僕はもうだめだ、何とかしてくれ」などと、
そんななさけないことはおっしゃらないと信じています。

先生は、この世において、この歳までの間にお会いした方の中で、私の最も尊敬し、
お慕いしている方です。
まさに、男が男に惚れたというに値する、ほんとうにすばらしい方で大好きです。
私は先生が亡くなられた時、
実践をもってどなたよりも先生の身近な弟子にさせていただこうと決心しました。
ただ行えばよいのですからこれなら誰にも邪魔されません。
先生と私たちとの間の何段階の組織の壁などは問題ではありません。
遠く離れていても日々の生活の中で実践した時に先生のもっとも身近な弟子になれます。


                ~ 感謝・合掌 ~




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「心行の解説」より。

2014-02-27 01:49:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。


   このお写真の裏面にコメントがありましたので原文のまま下記します。
   長尾先生のお言葉 「天上界でしょうか・・・」
   偉大なる光の天使は、天上界ではそのお姿を拝むことが出来ないといわれております。
   光の中の中央に先生の後頭部がかすかに見えております。
   2月の東京講演会にて光のドームと幽体離脱が撮れて、今回再度光のドームと逆ドームが現われ
   上下の調和・陰陽の調和・全ての調和をみせて戴けた様に思います。
   共に喜んで戴ければ幸いです。 (スタッフ見解)
   2001年く9月16日  東京講演会にて  撮影 細野


〔ブログ管理者の私見〕
   恩師が光にすっぽり包まれて僅かに恩師の後頭部とスーツを着た肩が微かに視認できます。
   このお写真のことについて恩師が浄心庵の御講演会で次のように説明をされています。
   このお写真を撮影された方は一番最初にフィルムをカメラ屋さんで現像して戴いた時にはただ光だけで、
   映像は何も写っていなかったそうです。
   でも写された方は確かに長尾先生を撮影されたのに写っていない筈はないとの思いで光をだんだん暗くして
   現像していただいたそうです。
   そうするとこのお写真のように恩師の体の一部が現像されて来たとのことでした。


         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

どこへ行かせていただいても皆様が大歓迎をして下さると思っておりました。
たださせていただくだけで、皆さんにいっさいのご負担をかけないように心がけていますから、
相手にとっては都合がいいし、嫌われるはずがないと思っておりましたが、
この前、鹿児島で講演内容や治った方の追跡調査をアンケートにまとめて本にして下さいました中に、
「来年も来てほしいか」という質問に一人だけ、来てほしくないというのがあったそうです。
これは他宗教の支部長とか、役員とかをしている人が約十五人来ていたそうで、
正しい法を疎外する妨害者が入っていたのですね。
追跡調査の回答では九十パーセントは癒されているということでしたが、
これはお医者さんよりすごいです。
お医者さんであっても九十パーセント癒されることは少ないと思います。
いかに正しい法をお伝えし、全く己を滅して神の御心を実践させていただいても、
神に逆らう心を持つものも、やはり居るということです。

これは誤った信仰がいかに恐ろしいかということです。
正しい神の教えさえ否定しようとかかります。
神の御心とは、自らを犠牲にして他を生かし給う無限の愛です。
ほんとうの神様とは、
ただ与え給うのみの存在であることを私が自分の心の中にはっきりと掴ませていただいた時から、
私の運命、人生が変わりました。
例えば、車の運転をしていて、横から人が飛び出したり、
車に追い越されたりして冷や汗の出るようなことはいっさいなくなりました。
だんだん神様への理解が深くなりましたら、私が車のハンドルを握りますと、
車の前方がみな空きますし、赤信号にかかることはほとんどありません。
これはほんとうの神様は常に私たちを守って下さっているということです。
神様といっしょにおらせていただいてるのに妙なことが起きるわけがないと、
そのように思えてくるのです。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「心行の解説」より。

2014-02-26 01:18:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
    このお写真は恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」の中にも紹介されていますが、
    十戒でご存じのモーゼの泉を見学した帰りバスの車窓から見える夕空に浮かび上がったアラビア文字です。
    ご著書には「何かが現れる」という意味であると翻訳されています。


                   ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

以前、腰が痛くて身動きもできなかった方に、
あまりお気の毒なので光を入れさせていただくとたちまち治ったのです。
するとその方は自分が治っているのに「あら、おかしい、こんなことあるはずがない」とおっしゃるのです。
今まで痛くて身動きもできなかったのが治って自由に動けるようになっていても
「こんなあほなことはない」と怒り、帰り際には「こんなもの、
信じなさいというのは無理です」と捨てゼリフを残して行かれました。
ほんとうにその通りでして、普通は信じることはできません。
しかしイエス様はあらゆる病を癒され、人に道を教えられました。
しかも二千年昔の物語ではなく、現実に今こうして目の当たりに見せていただいているのです。
至らない未熟な存在ですが、私という肉体を通して、目に見えない力つまり神ご自身がお働き下さるから、
信じられないことが起きるのです。
神様は私たちの肉体を通してご自身を現わそうとして、常に待ち構えておられます。
神様と人間との媒体、パイプのようなものをどなたも持つことができます。
イエス様はどなたにもなれる法をお説きになりました。

「キリスト意識に目覚めなさいキリストに自分の肉体を預け、委ねなさい。
その時、キリストがその業をなされるであろう」と。キリスト意識とは、
私たち一人一人が持っている心の内なる神我のことです。
一人一人がキリストに目覚めた時、神はその人を通して神の御業を示されます。
己という自我があったら、神はお働きにならないのです。
近頃はだんだんと強いパワーを頂きまして、昨夜は十時を過ぎてから八人もお見えになり、
残業をさせていただきました。
八人が皆、足が痛い、お腹が痛いとおっしゃっていましたが、
「治りなさい」と言えばみなすぐに治ってくれましたね。
時間外手当を貰わなくてはいけません(笑い)。

まだ痛みのしつこい方から、名刺に光を入れてくださいと言われまして、
入れましたら、「あれ、治った」とおっしゃって、信じられないことが起きるのです。
実践の数が多くなればなるほど、そのパワーは強くなってきます。
私も当初は一人の方に治ってもらうのに、三十分、一時間もかかった時期がありました。
今でしたら「治りなさい」とひとこと言えばすぐ治ってくれます。
しかし皆が皆は治りません。全部治ったら、私は神様です。
人間ですから受けてくれる方の気根にもよります。また信じる信じないの度合いにもよります。
さきほどお話した方は、腰痛がパッと治ったのですが、
よそえ行って「こんなあほなことはない」と言ったとたん痛い痛いと戻ってしまって、
「これは不思議だ」と、おっしゃったそうです。
「汝の信仰、汝癒せり」といって、信じる力が、神の徳を頂くのです。
疑う方はなかなか治りません。癒されても、そんなことはないと否定しましたら、また痛みます。


                        ~ 感謝・合掌 ~




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「心行の解説」より。

2014-02-25 04:43:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
   先に紹介しました「幽体離脱」の不思議写真と同じ時に撮影されたもので、
    お写真の裏面には「光のドーム」と、説明文が記載されていました。

         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

九月に西ドイツへ寄せていただきまして、
いろいろと奇蹟を見せていただきました。
ちょうど私が行かせていただいている時に、
東ドイツからたくさんの人が脱出してきていました。
帰国しましたあと、あの頑固な東西ベルリンの壁が取り払われました。
不思議なことだなあと思います。
ある人は偶然というかもしれませんが、
しかし聖書には「東方より光が来たりて、
世を照らすであろう」書かれています。
まさに日本は東方の国であり、東から西へ光が伝わり、世を照らすであろう、
聖書に書かれているような全く同じような出来事が起きております。
「何を言うているのか、お前のような者が行って鉄のカーテンが開くものか」と、
一般の方はそのようにおっしゃると思います。
「あいつは頭がおかしいのではないか」とも思われるでしょう。
しかし正しい法を地球の裏へお伝えさせていただきますと、
多くの方が東から神様が来てくれたと言って下さり、まさにドクター、
神様と何人もの方から言っていただきました。

思い方はその人その人の自由ですが、ドイツを訪れた結果、平和が訪れてくれますと、
やはり私は神様を信じたいと思います。
寄せてもらった国が、神の光に満たされましたら、こんなにうれしいことはございません。
年が明けましたら、韓国のほうへ是非来て下さいと招待されております。
香港、オーストリア、ドイツ、フランスと、これはまたえらく忙しくなりまして、
身体は一つしかないのにどうしようかと思っています。
しかし肉体の続く限り一人でも多くの方が幸せになって下さったら、
私に与えていただいた使命が果たせると思っています。
ほんとうに不思議なことで、想像もできないようなことを現実に見せていただくのですね。
先々月もお話しましたが腕を骨折して三角巾で吊った大学生の側へ行って
ほんの一分足らず祈らせていただいたのです。
「どうぞ骨に光をお与えください。
骨の細胞集団は不調和を起こしてはいけません。
あなたは約束を果たしなさい」と祈りまして、「腕を動かして下さい」と言いますと、
その場で治ってしまったのですね。

それをビデオにきれいに撮っていただいているそうです。
そのビデオをお母さんが見て下さったのですけど、お父さんは
「そんな馬鹿なことはない」と、現実に映っていても、それが信じられないのですね。
ビデオに映っており、現実に目をもって見ても、普通の者では信じられないのです。
しかしイエス様はおっしゃいました。
「見て信ずる者は幸いなり、されど見ずして信じる者はなお幸いなり、
目に見てなお信じない者は幸せうすき者なり」と、神様がせっかくこうして見せて下さり、
今は有難いことにビデオに残していただけますから、この場にいる方だけでなく、
遠くへ持っていってもそのまま見ていただけるはずですが、それを信ずることができないのです。
我々が今日まで持ってきた既成概念によって、ほんとうの神様の姿さえ、見失うのです。


             ~ 感謝・合掌 ~




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{心行の解説」より。

2014-02-24 02:07:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
    このお写真をお持ちのお方様も多いかと思います。
    恩師の「癒しの御手」にたくさんの金粉が見てとれるかと思います。
    どなた様かがおっしゃていたそうです。 先生! 「この手は総合病院ですか!」・・・と、    
    何故かと言いますと、この御手をもってあらゆる病気、難病・奇病を癒されていたからです。



        ~ 恩師の「心行の解説」より ~


     「自己保存・自我我欲の煩悩を捨てるべし」


これが大変難しいですね。
繰り返しお話しますが自己保存と自我我欲は肉体に付いているものですから、
これがなかったら人は生存できません。
自分を守ろうとする心がなかったら、もし水の中に落ちた場合、
放っておけば沈んでしまいますし、火の中に入った場合も、
構わず放っておけば焼け死んでしまいます。
また自我我欲とは、自分さえよければいいという自我の欲で、
なるほど人間は自分さえよければいいのです。

人のことは放っておけばいいのだし、
自分のことだけを考えていれば楽でいいですね。
人間は楽なほうへ楽なほうへいこうとして、それが昂じますと、
いいものを食べたい、いいものを着たい、
いい家に住みたいというように欲望はどんどん広がっていきます。
この世というのは物質に限りある世界ですから、
際限なく欲望が広がりますと、求めても与えられない仕組みになっています。
皆が「私は地球が欲しい」と言いましても一個しかありませんから、
一人がとってしまえばほかの人には当たりません。
取り合いをして喧嘩するのが戦争です。


           ~ 感謝・合掌 ~






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「心行の解説」より。

2014-02-23 00:26:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
    お写真には 長尾弘先生 九州地区 宮崎講演会 長尾先生御講演中の素晴らしい現象です。
    平成十五年十一月九日 宮崎市民プラザ「オルブライトホール」と記載されています。


     ~ 恩師の「心行の解説」より ~


     「苦楽の両極を捨て中道に入り」


お釈迦様は「不放逸」という言葉をお使いになられました。
この言葉は日本の仏教ではなじみの少ないものです。
放逸とはつまり遊び惚ける、酒を飲み惚ける、
パチンコをしい惚けることです。
人は惚けてはいけないのです。
怒りは放っておくと、すごく腹が立ってきて
相手を殺してやろうかというところまでいきます。
そこまでいってはなりません。
怒り惚けない、愚痴惚けないことで、
これは「中道」を行きなさいということですね。

人は余り極端に怒ってしまうと、何をするか分からないし、
また我慢し辛抱するといって腹の立つのを抑えて
心に詰め込んでいましたら、これは苦しみになります。
腹の立つことが起きて当然ですが、放逸にならないように、
一時も早く怒りを捨てるのが正法の修行です。
あまり苦しみの中にはまっても、
またあまり楽な目をしても中道にはずれてしまいます。
中道とはどちらへも片寄らず、バランスがとれていることです。
「和」というのも、「中道」というのも、バランスのことですね。
毎日の生活で常にその中ほどを実践することです。


         ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-02-22 00:48:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
    恩師が御講演されている最中、生けてあったユリの花が垂直になり一斉に咲きました。
    「恩師のお話しの通りであると、ユリの花(自然)が賛同してその証をされたものである。」
     と、恩師は御講演の中でお説き下さっています。


          ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

見えない世界は、何重にも重なっていてはっきりした確証を掴むことは大変難しいものです。
過去世が誰であったとか、今、何々様が私の身体を通して語りますとかいいましても、
それにははっきりとした証明がありません。
ただそのようにしゃべっているだけで、証明のないものは、いってみれば幻のようなものです。
幻のようなものは、あると思えても消えてしまいます。
そういう幻を信じては間違いのもとになるということですね。
私たちは今頂いている肉体をもって、例えば私でしたら、長尾弘という人間を通して、
日々の生活に神の子として恥ずかしくない生活を努力することです。
神の御使いとして間違いのないような生活をすることです。

過去世のようなものは関係ありません。
自分の言葉と行いをもって「これは神の御使いだなあ」と、人様から言われるように、
身を持って証明したらいいのです。
お一人お一人がそうです。
常に神様に恥じないような言葉を使わせていただき、神様の御心を実践し、
この体験を多く積みますと、自分の心の中にまことの神が働いて下さっていることが分かります。
私たちを生きさせて下さっている生命そのものが、
現実に私たちのこの心臓を通し命となって与えられています。
死は肉体という衣を脱ぐだけで、衣を脱ぎましても生命そのものはちゃんとあります。
この生命を霊といっております。
私たちは悟る、悟らないとは関係なくすべてのものは生命であり、霊なのです。
肉体という衣を脱いだ時、霊はもとのふるさとへ帰らなくてはいけません。


            ~ 感謝・合掌 ~



恩師「長尾弘」先生の関連ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tenzenhana 「神の御心」
http://blog.goo.ne.jp/minraianko 「光の天使」
http://blog.goo.ne.jp/kaminoiyashi 「神癒の奇蹟」







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「心行の解説」より。

2014-02-21 01:52:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
   舞台で何人かの方が恩師より癒しを受けているところが撮影されたものですが、
   すべての方が白色化【癒しの光に包まれているのかも?】しています。
   (先に紹介しました恩師お一人のものと同じような現象ですが、
    何故白色化しているのかは小生の知る限りでは恩師はお説き下さっておられません。)


           ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

京都から電話がありまして、「私はある法華宗の僧侶でございます。
私なりの修行をしてきましたところ、
突然クンダリ二(ヨガのチャクラの内の一番下のところ)が開いてしました。
今日も朝から二つの法事をさせてもらったのですが、
その法要中にも、その現象が出てくるのです。
今のこういう状態から解脱する方法について是非教えていただきたい」というのです。
自分の心について、生まれて以来今日までについて徹底的に追求することなく、
精神統一したり、瞑想したり、禅定に入りますと、そういう現象が起きます。
そして自分で自分がコントロールできなくなるのです。
徹底的に反省して自分はどういう人間なのか、
今日までどれほどの過ちや罪を作っていたかに目覚めて、
その上で許されていることを知り、人を許すことを実践して、
心が安らかな状態になったのであれば、これはほんものですが、心が不安定で、
心に安らぎがないまま霊的現象が起これば大変危険です。

その方にお会いして、そのようにお話させてもらったのです。
よく霊動が開くといいまして、過去世のことを話される方があります。
この前、神戸から来られた十五、六人の中には、
何人もの方が過去世を語られるということでした。
「あなたは自分の心に問いかけてみなさい。
あなたの心は綺麗ですか」と、聞きますと、
「いや駄目です。自分の心はきたない」と、言われます。
きたないままで、そういう霊動が開きますと、
光の世界からも来ていただきますし、また一つ違えば即、
闇からも入ってくるわけです。
心の状態によって異なります。
ものすごく素晴らしい光の天使がお入りになって正しい法をお説きになったとします。
しかし、肉体を通して語っておられたお方が、その時もし増上慢になったり、
また怒りや貪欲に捉われたりした時は、たちまちにして闇の世界からのものが、
その方に入ってきます。

もっとも危険なことは、
例えば「私はミカエルでございます」と言ったとしても、この場合、
ほんとうの光の世界のミカエル様がお入りになった場合も、闇の世界から入ってきた場合も、
全く同じように「わ・た・く・し・は・ミ・カ・エ・ル・で・ご・ざ・い・ま・す」と言われることです。
ご本人の心の状態によって入れ替わっていても分かりません。
しかも質が悪いのは、同じ名前を使い同じ言葉を使うということです。
ですから霊的に捉われますといかに危険であるかということを自覚したいと思いますね。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-02-20 01:08:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
     恩師が中国の黄山に登られた際に撮影されたお写真の
            恩師の左胸のところに光の十字が輝いています。

            ~ 恩師の「心行の解説」より ~


この前、三十過ぎの女性の方が、ふとしたご縁で訪ねてこられて、
この方はああ言えばこう言うし、こう言えばああ言うという方で、絶対にうんと言われません。
お顔を見れば苦しみを一杯背負った顔をしています。
あなたは幸せにならなくてはいけません」と言うと、「いや、私は幸せです」
「しかし、あなたのお顔は幸せとは違います。心の中にいっぱい苦しみを持っています。」
「そんなこと、あなたに分かるはずはありません」「いや、よく分かります」
こう言う具合で、何を言っても受け入れません。
この方はヨガの有名な先生についておられて、二十代の頃、
高橋信次先生のご講演を何回も聞いているのです。
その後ヨガの先生に質問したそうです。
「腹が立ったり、愚痴を言ったり、貪欲になったりしてはいけないと、
信次先生に学びましたが、そのように思ってはいけないのですか」そうすると、
ヨガの先生が「ばかやろう!」と怒鳴ったそうです。
「人間だったら腹を立て、愚痴も言え、貪欲になれ」と言ったのですね。
そして「大勢の前でばかやろうと怒鳴られて、わしの言う事が気に入らなかったら、
わしを恨め、憎め」と言ったのだそうです。

まあ、えらい先生があったものだと思います。
その方はもう亡くなっておられますが、有名なヨガの先生です。
お釈迦様の教えに全く反したことを教えておられます。
私たちはいわば荒れ果てた山と同じことです。
大きな木もあれば石ころもある原野、
つまり愚痴もあれば怒りもある荒れ山を良き畑にするには、
怒りの根を切り、愚痴の石ころを取り出し、貪欲の根っこを掘り返し開墾して、
もののできる畑になります。
畑ができて初めて良い種が播けるのです。
それを「腹の立つ時は腹を立てろ、貪欲を離すな」と言えば、
苦しみの木をどんどん成長させているようなものです。

これでは幸せになることは難しいと思います。
私たちの学びは、聖なる学びであり、聖なる実践です。
お釈迦様のお説き下さった心の安定を追求するものです。
怒り、愚痴、貪欲を持っておれば、心は絶対に安らぐことはありません。
つまり不調和な生活が現れてきますから、イライラした不安定な生活をするようになります。
人間の幸せは心の安らぎです。
安らぎを得るために私たちはそれなりの努力をしなければなりません。
真の安らぎとは、他に喜びを与え、
その時の他の喜びによって「ああよかった」という喜びを持つことで、
それが、大いなる安らぎに繋がるのです。奉仕です。無償の奉仕、愛の実践によって、
初めて大いなる安らぎが頂けます。


              ~ 感謝・合掌 ~





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{心行の解説」より。

2014-02-19 02:31:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
    恩師が少年を癒しているのですがお花も恩師も先に紹介しました幽体離脱と同じように写っています。
    特に少年の場合は少年の衣服しか写っていません。


             ~ 恩師の「心行の解説」より ~


    「己の肉体が苦しめば心脳乱し我が身楽なれば情欲に愛着す
                 苦楽はともに正道成就の根本に非ず」


私たちの肉体がくるしめば心は乱れます。
痛いところがあると、ああ痛い、苦しいと、肉体の支配者である心が悩み乱れます。
肉体の健康は、幸せに欠くことはできません。
また、あまり肉体が楽で、おいしいものを食べ、時間もある、お金もあるという場合は、
まともなことを考えないものです。
情欲に捉われたりします。

ところがそのような苦しみやまた快楽は、正道成就の根本ではないのです。
お釈迦様は両親、妃、子供、お城のすべてを捨てて出家をされ、厳しい肉体行をお求めになりました。
お城の中では栄耀栄華を極めた思いのままの生活をなさり、これは「楽」に相当しますが、
その中で心を悟ることはできませんでした。
何かと心を悟らなくてはと、道をお求めになり、
厳しい肉体行の先生について修行されましたがやはり悟ることはできなくて、今度は
ご自身で厳しい肉体の行をなさったのです。
飲むものも食べるものを何日も断ったり、焼けつくような岩の上で何日も耐える修業をなさったのですが、
それほどの苦行を通しても自分を悟ることは出来なかったのですね。
これは、肉体を苦しめては心が乱れるということです。
例えば氷を割った中に漬かってお経をあげていましても、冷たいという感覚があり、
肉体が痛みますから悟ることはできないのです。
また護摩といって火を焚いて汗を流してエイヤーとやっていますが、火の側へ行けば熱いのが当たり前で、
「ああ熱い」と思っていては心が乱れて悟れません。
あまり楽な生活に走ってもいけないし、またあまり肉体を厳しく傷めても、正しい道を成就できないと、
お釈迦様がご自身のことをいっておられます。

お釈迦様は今まさに自分の命の灯が消えようとしていた時に、川上のほうから聞こえてきた少女の歌声によって
「調和・中道」ということを悟られたのですが、日頃から聞いておられた民謡の今まで気付かなかった意味を、
「なるほど」と悟られたのですね。
お城での栄耀栄華の生活は、歌のことばでいえば絃がゆる過ぎたのであり、
今の苦行の状態はあまりにも絃を強く締めていたために、命の切れる寸前まできていたのだとお悟りになって、
いっさいの苦行を放棄されました。
快楽も苦行も共に捨ててしまわれて、あの菩提樹のもとに吉祥草を刈ってきて、
それを厚く敷いて心地よい場所を作られ、ご自分の生まれて以来今日までの反省に入られたのです。
反省・禅定に入られた時、いろいろと悪魔が攻め襲ってきたと、仏典には書かれています。
悪魔は外部から襲ってきたのではなく、自分の心の中から湧きあがってくるのです。
静かに反省していると、国に置いてきた妃のことが思いうかぶのです。
今ふうに言えば「家内はどうしているだろうか」、ということです。
信次先生のご著書の中には、
「妃がその春を売るようなポーズをしてきたので、悪魔といって追い払われた」と書いてあります。

自分の心の中に現れるのです。
静かに過去を振り返った時、「妻は今、何をしているだろうか、
城で共に暮らしていた時はこのようなこともあったなあ」という思いが湧いて、
もとの生活に自分の心が向きそうになるのですが、これは思って当然です。
しかしお釈迦様は「悪魔よ去れ」と、自分の心の中の魔を追い払われたのです。
そして、あの偉大な悟りをお開きになりました時、
「私の悟った教えは、世の常に逆らうものである。逆らうのが真理であった」とおしゃっています。
世の常とは、人のこの世的な常識です。
「出すのは嫌い、貰うのは大好き」というのは世の常です。
しかし出さなければ入ってこないということをお釈迦様は気付かれたのですね。
原因、結果の法則をお悟りになったのですが、普通の我々凡夫は、腹が立つ時には怒らなくてはしょうがない、
愚痴が言いたい時は愚痴を言ったらいいと思うわけです。


                  ~ 感謝・合掌 ~



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「心行の解説」より。

2014-02-18 00:37:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
   お写真は聖墳墓教会内に安置されている聖母マリア像に恩師が祈りを捧げ、光を送られると
   お顔が何とも表現しようのない悲しみの満ちたものに変貌され御覧のように涙を流されました。


             ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

家庭の中では「ああ有難いなあ」と、心満たされて、家族の皆さんが心配することもなく、
仲良く暮らすことです。
高橋信次先生はよくおっしゃいました。
「家庭の中にハ、ハハ、ホ、ホホといって笑いの絶えないような、そういう環境をつくりなさい」と。
これが調和のとれた日々の生活のはずです。
家の中でもめごとや争いごとがあっては、絶対に幸せにはなれません。
いちばん安らぐべき場所である家庭に安らぎがなったら、幸せになる道理がありません。

また、満たされた環境を頂いておりながら愚痴や不足ばかり言っておられる方もあります。
あまりにも結構すぎて、それが当たり前だと思ってしまうのですね。
私たちが最も注意しなくてはいけないのは、「当たり前と思ってはならない」ということです。
当たり前と思うと、感謝を失っていきます。
調和のとれた日々の生活であるためには「三つの幸せの根元」といえるものがあります。
一、健康   二、足ることを知った経済の力   三、心の安らぎ
つまり肉体の調和と、調和した経済と、心の調和です。
この中のどれが欠けてもほんとうの幸せは掴めません。
これらが調和された時は心が穏やかですからエネルギーが失われることもありません。
神仏からは心のエネルギーを与えられ、心が安らかで何の心配ごともなく、
腹を立てることもなく、恨む人もいない、憎む人もいない、こういう時はとても楽に生きられます。
その楽な状態にあるから心に活力があり、また次の喜びを得て、
この喜びを人様にわかたなくてはいけない、お伝えしなくてはいけないという気持も湧いてくるはずです。
それにはまず自分自身が救われることが先決です。


                ~ 感謝・合掌 ~



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「心行の解説」より。

2014-02-17 01:44:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
     恩師が全くの白色となって写っています。
     富山御講演会の時とか浄心庵の御講演で恩師はおっしゃっていました。


            ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

私たちが忘れていた心の持ち方について高橋信次先生は「心行」に書き残して下さいました。
ほんとうに小さい冊子ですけれども偉大な光が秘められており、
この世を卒業された方に読んで聞かせてあげますと、その方が救われる場合も多いです。
こんなものを読んだだけで大丈夫かなという思いでは駄目です。
心から信じて、
今、姿を見ることはできなくても必ず救われるという強い信念をもって読んであげてください。
必ず現証を見せていただけます。
肉の目で見ることはできませんが、心の目をもって見ますと、ものすごい光が出ているそうで、
その光をご覧になった方は何人もおられます。

また私の「愚か者の独り言」(講演集)も、置いてあればものすごい光が出ているそうです。
何が光っているのかと思って側に行きますと、
あの本が光っていたという報告をたくさん頂いております。
「歌集」も同じことですね。
手に持てばあたたかくて、それが体に伝わってくるとおっしゃる方もよくあります。
あまり自分の本の宣伝をしておりますと笑われますが、
ほんとうの正しい真理であれば、それは当然なことです。
心を苦しめ自分を不調和にしておりますと、心のエネルギーを失い、消耗していきます。
その上、神仏からも与えられないのですから、だんだんと肉体の支配者がエネルギー不足になって、
いくらおいしいものを口に頂いても身につきません。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-02-16 00:28:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。」
   このお写真の裏面に次のようにコメントが記載されていましたので原文のまま下記します。
   長尾先生にお写真の解説をお願いしました。
   先生が舞台登場の瞬間!!(光のドームに包まれて)
   「新しい契約」の詩を朗読されていらしゃるとき!!(幽体離脱)
   私が上昇しているのは幽体離脱と思って宜しいでしょう。
   お花の精も踊っていますね。これは皆さんに私の言うことを信じなさい、
   これでもまだ神を信じませんか、これでもか、これでもかと神様が示して下さいました。
   2001年2月25日
   「喜びの集い」東京会場にて撮影  埼玉・横浜・東京世話人

   このお写真について恩師は浄心庵の御講演の折り説明されておられましたが、
   カメラのブレでこのようになったのではない証拠として机だけがブレておりません。
   (確かにカメラのブレであれば、被写体すべてがブレるはずですね。)


          ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

私たちの魂のふるさとを心に描いて下さい。
今、目を閉じて、私たちがこの世の生まれる前に住んでいた、
調和されて光に満たされた緑したたるすばらしい世界を心に描いて下さい。
この世の修行が終わった時、間違いなくあの光り輝くふるさとへ帰りたいと思います。
そのふるさとへうまく旅立ったか、そうでないかは、死んだ時の姿によって分かります。
もし不幸にして死後の体が硬くなっておられたり、冷たくなっておられたら、
気の毒ですが天上界には帰っておられないということがはっきりと分かります。
先日、ある方がお礼に見えました。
「母が亡くなってドライアイスをいっぱい入れました。
普通なら冷たくなって当たり前ですが、それが全く冷たくなっていませんでした。
またその顔の美しさは言葉では表現できませんでした」と。
ドライアイス漬にしてあっても温かいという信じられないような現象を、
成仏された形として見せていただけるのです。

正しい法とは、学ぶことによってそのような功徳を頂くことができます。
昔から、「金儲けと死病とはおろそかにできない」といいます。
金儲けは辛いもので、苦労しなければできないものですし、
死ぬのもちょっと苦労しないと死ねません。
これが大体の相場らしいですね。
しかし、この法にご縁を頂いて、常に自分の心を苦しめないようにして、
もし苦しむことが起きても一瞬のうちにこれを捨て去る努力をすることによって
安定した心の状態で生活し、常に感謝と平安に心を満たしておりましたら、
俗に言われるような死病もそれほど苦しむことはないと思います。
その証拠に、悟られた偉大なお方は、坐ったまま極楽往生なさっておられます。
こうしてお話をしながらスーッとこの世を去られるお方もあるそうです。
そういうお方は、心に苦しみが少なかったと思いますね。


            ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-02-15 01:40:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 不思議写真の一枚。
   お写真は恩師が御講演中のものですが、後ろの垂れ幕の字や恩師のお顔、
   それに着ておられる衣類が金色に変色しています。


           ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

高知から来ていただいたおばあちゃんは、ある信仰をなさっていて、
ご縁の信者さんがたくさんあるそうです。
しかし信者さんのことでいろいろ心を苦しめ、
このままでは死んだら地獄へ行くかもしれないから、
何とか地獄へ落ちない方法を教えて下さいとのことで、
お話させてもらっていたのです。
その宗教では、前世の因縁によって、
あなたは今こういう苦しみを受けているとか、
過去世のカルマによって今このような裁きを受けているとかいう「前世論」という教えを
説いています。しかし前世論では人は救われません。
私たちは前世で何をしたのか今の自分には分からないです。
どれほど前世で悪いことをしたのか、善いことをしたのか私たち自身、分かりません。
その分からないものによって今生が苦しいのだとしたら、苦しむ方があまりにも可哀想です。
苦しんでいる方を諦めさせるしかないことになります。

前世のカルマというのは、私たちが前世でもし過ちを犯しますと、その過ちの世界へ必ず落ちます。
そして長い時間、この世的三次元的にいいますと地獄という刑務所のようなところにいるわけです。
そこで何年も何年も罪の償いとして苦しみます。
長い時間が経ってのち、自然治癒能力、自然浄化作用という神の愛を受けて、
自然に浄化されて天上界へいったん帰ってから、また両親の縁を頂いてこの地上に生まれてきます。
前世で失敗した方は、再び失敗は繰り返えしたくない、何とかあの時の失敗を修正しようと、
この世の厳しい環境に生まれてきます。
この世で善い行いをして心安らかに徳を積んだ方は、亡くなりますとすぐ天上界へ帰ります。
そしてまたこの地上に生まれてきます。
地上での修行が終われば、そのまま天上界に直行してこそ、ほんとうの浄化ができるのです。
五百年、千年、もっと長い時間、暗闇の世界で苦しむ方もありますが、
いつか時が経てば必ず天上界に帰りますから、前世の因縁というのは、
それほど大きくは受けないはずです。
もちろん因縁を少しは持ってこの世に出てきます。
そしてこの世に生まれてから、
その上にさらに過ちを積んでいき、苦しみを作っていきます。

すばらしい天上の世界から、私たちは魂の修行に生まれさせていただき、
修行が終わればまた、あの光の世界に帰らなければならないことを常に信ずることですね。
絶対なる信心を持つことですね。
まあ死んだあとのことは皆あまり分かりません。
しかし亡くなった時のあの安らかな姿、硬直も起きず、今お化粧したような綺麗なお顔で、
生きている時よりもすばらしい姿となってこの世を去られと時は、
たしかに光の世界というのはあるのだなあということが分かります。
私たちの仲間の方、或いは直接私にご縁がなかった方でも、私のテープを聞いたり、
「明来暗去」の名刺とか光を入れたハンカチなどを与えてもらうだけで、
その方が極楽往生なさったという報告をたくさん聞いております。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-02-14 02:04:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真は恩師が山上の垂訓の丘(祝福の教会前)でその昔イエス様が
     八つの垂訓を説かれたと言われている同じ八つの垂訓を読誦して下さいました。


             ~ 恩師の「心行の解説」より ~


    「己の心・意識のエネルギー源は調和のとれた日々の生活のなかに
                      神仏より与えられることを悟るべし」


私たちの肉体保存のエネルギーは、食物によって与えられますが、では心のエネルギーは
どこから頂くのかというと、それは調和のとれた生活をした時神仏より与えられます。
日々の生活が不調和でしたら、心のエネルギーを頂くことはできません。
生活が不調和とは常に、怒り、妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、取越し苦労、不安、
恐怖、人の悪口、貪欲、或いは足る事をしらない欲望、
このような思いに心が捉われ心を苦しめることによって調和を欠いてしまうことです。
私たちはこの教えにご縁を頂きますまでは、平気で自分の心を苦しめてきました。
そして日々の生活を不調和にしていたのです。
このように聞きますと、ごく簡単でございます。

この簡単な教えを私たちは日々の生活において、一つでも二つでもいいから、行うことです。
ただ実践と聞きますと、何か行動を起こすことだと思いますが、高橋信次先生にご縁を頂きまして、
心の面での反省という実践が大事であることを教えていただきました。
私の場合、行動の面では、よくお話しておりますトイレのスリッパを揃えることから始め、
心の面では腹を立てないようにしようと、毎日の生活の中でこの実践に努力しました。
そして怒り、妬みという十項目余りが、努力によって自分の心から消えていった時、
調和されて心が安らかになっていきます。
そうなりますと、別に神様にお願いしなくとも、心にエネルギーが注がれます。
逆に怒り、妬みの思いを持つと、心のエネルギーが消耗され失われていきます。
「私も心が安らかになった、これなら心を苦しめることはもうない」と日頃は思っておりましても、
何かの縁に触れた時に、たちまちにして自分の持っている悪い癖、欠点がむくむくと頭をもたげてきます。
しかし、欠点が出て来ても肉体を持っておればこそで、これは致し方のないことです。
ただその時、いかに早く捉われの思いを捨てるかが、私たちの修行であります。


                ~ 感謝・合掌 ~





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