浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2023-03-31 03:46:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

     自分の為に相手を「許させていただく」

先の続き・・・

そのお母さんにも言ったのです。
「主人は外で女の人をつくり、子供までできた、
これを絶対に許せないとおっしゃるのですけど、
許しというのは、
主人を許すのとは違うのです。
許させてもらうとことによって、
あなたご自身が救われることを知って下さい。
腹が立つ時、うれしいですか。

主人を恨んでいる時、あなたの心は安らかですか。
憎しみのある時、あなたの心はどんなですか。
それは全部自分の心を苦しめているのです。
いとしい自分の為に、その苦しみから救われる為に、
過ぎたことは帰らないことを悟って、ご主人を許しなさい、
許させてもらいなさい」すると、
賢いお方で、理解が良かったのですね。
「先生、私の為ですね。許させて貰うのは私の為ですね。

主人の為と違いますね。私が幸せになれるのですね。
私の為だったら、許させてもらいます」と言ってくれました。
過ぎた過去は帰りません。
しかも相手のその女の人は、
幸いにして子供を連れてちゃんとした所に
お嫁に行ったそうですから、
こんなに有難いことはありません。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-30 01:29:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

     自分の為に相手を「許させていただく」

先の続き・・・

左手はどうにか治ったのですが、右手は全然動かないのです。
女の子ですから、花嫁修業で家では炊事もするでしょうが、
動かない手をこんなふうにして野菜を刻んでいたのです。
それがね、「どう、ちょっと見せて下さい」と言って、
触れさせてもらったら、すうっと治ってしまって、
お医者さんが
「もう手術をしても治らないからどうしようもない」と言っていた手が、
見せて下さいと触れただけで治ってしまったのです。

連れてきてくれた方というのは、同じ会社の方で、
結婚前のお譲ちゃんが可哀そうだから、
家には内緒にして連れてきたということです。
それがパッと治ったものだから、その連れて来た人が泣き出して、
その当人も
泣き出して今度はびっくりしてお母さんが私のところに来たのです。
そしてお父さんも来て、お母さんがその主人の悪口を言い、
告発をしてくれたのですね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-29 00:07:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

     自分の為に相手を「許させていただく」

先の続き・・・

ご主人は「鍵っ子だ」と言って、
いつも自分のポケットに鍵を入れて持ち歩いており、
自分で鍵を開けて家に入るのです。
そういう具合ですから、奥さんは、
主人の食事の世話から風呂の世話まで何もせず、
勝手にしなさいといって知らん顔です。

まあ、男もこうなったら哀れなもので、
ほんとうにみじめです。
何回目かの時、ご主人もいっしょに見えたのです。
「そこにパジャマあります」と奥さんが言いますと、
大きなご主人が、「ハイ、ハイ」と言っているのを見て
、何かおかしな夫婦だなと思っていたのです。
不思議なことで、親がこんなふうにやっていますと、
子供さんにやっぱり不調和が出てきます。
両手を腱鞘炎で手術されたのですね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-28 00:08:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三

        自分の為に相手を「許させていただく」

先の続き・・・

もう、死んで二十五年も経っている主人に対してです。
その人が、「よう分かりました。
ほんとうに許させてもらうということは、
自分の思いだということが良く分かりました。
憎む相手はもうこの世におらないのですね。
もう、今日からは心から許させていただきます」と、
懺悔されました。
許させていただくのですね。

またある方は、ご主人が会社の部長さんで、
そのご主人が九州のほうに単身赴任なさっていた時に、
女の方ができたのです。
飲み屋の女の方だそうです。
そして、その人との間に子供ができて、
それがばれてしまったのです。
さあそれから、奥さんは堪らないのですね。

それで、私の所にご縁があって来ていただいたのです。
「一度聞いて下さい。主人は絶対許せません。
外に子供まで作っていました」と。
それは、ショックが大きいと思います。
しかし、その許せないという心の為に、可哀そうにご主人は、
もう悔い改めているのに、奥さんから許してもらえないのです。
家に帰っても、自分で鍵を開けないと、家に入れない。
普通なら「ああ、お帰りなさい」「ああ、ご苦労さま」と、
奥さんに迎えてもらうところです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-27 00:57:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三

        自分の為に相手を「許させていただく」

先の続き・・・

以前、この話をさせてもらいました時、
或る六十代の女の方が言われたのです。
ご主人がもう好き放題で、ギャンブルはするわ、
女道楽はするわ、酒は飲むわ、好き勝手のやり放題で、
大きな借金を残して、他の女性の家でぽこっつと死なれたのです。
その奥さんは、苦労して残された二人の子供を育てて二十五年過ぎた今、
まだ借金を払い終わらないそうです。

子供さんはちゃんと片付いて、今は一人で住んでおられます。
ところが、普段は忘れているのですが、食事を頂いている時、
そのほっとした時に、ご主人のことを思い出してきたら、
もうこの心の持っていきどころがなくなるそうです。
さあ、ご飯をいただいている時、お茶碗の御飯が入っていても、
お汁が入っていても、とにかくぶっつけて叩き割らないと、
この心がおさまらない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-26 03:01:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

     自分の為に相手を「許させていただく」

許させていただくのは、自分の為です。
その許すことを知らない限り、自分が許されませんが、
有難いことに、時間と共に私たちは忘却します。
これも神の愛です。
経験したことが全部頭に詰まっていたら、
コンピューターが爆発しますから、
適当に忘れさせてもらえるのも神の慈愛です。

しかし忘れたと思ってもおりましても、縁に触れた時、
つまり、憎い人の噂が出たり、
また誰かが憎い人を褒めたりした時、
「あの人は私をえらい目に遭わせた、
あの時はああだった」と、
その時の苦しみがそのまま再現してきて許せないのです。
許させていただくとは、自分が救われることです。
憎しみが大きいほど、その人を許させてもらった時、
自分の安らぎが大きいのです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-25 02:54:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

     自分の為に相手を「許させていただく」

「あんたは、前にあんなことをした。
私をあんな目に遭わせたではないか」と言って、
いつまでも根に持っている人、
これは、その人の心から過ぎた過去が消えないのですね。

「許し」も愛です。
神は絶対の許しもって私たちを許して下さっているのですから、
許されている自分を知って、私たちも人さまを許さなくてはいけません。
しかし、憎い人を許すのは、これは大事業です。

辛い目に遭わされたり、痛い目に遭わされた人を許すのは、
大変なことです。
しかし、これは、その人が憎いから許すのであり、
この許すというのは相手を許すのとは違います。
私たちは相手を許すと錯覚していますが、許すということは、
許させていただくことによって、
自分自身が怒り、憎しみ、恨み、という苦しみから、許されるのです。
自分が許されるのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-24 00:10:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 三

    今の一瞬の行いと思いを大切に

「ああ、申し訳ないことだった。
私は至りませんでした」と言えるような方の心は、
安らいでおります。
「私は正し。私は間違いない。あなたが悪い」と言う人の心は、
地獄界を展開しています。そして、その思いがやがて肉体を去った時、
苦しみの世界へと自ら入っていくのです。
「人は今を生きるものである。過去に生きるものではない。
また未来に生きるものでもない」今現在生きているのです。
今のこの一瞬一瞬に、私たちの人生が展開しているのですね。

今悲しんで苦しめば、この続きが未来の姿です。
そして、今もし悲しい苦しいことがありますと、
その元は過去にあるのです。
原因があって、結果が現れているだけですね。
そして今が原因となって、未来が展開します。
だから、今現在がいかに大事かということを知ることですね。
私たちの人生の時間は限られており、しかも過ぎた日は取り返すことは
できないのです。

悲しい、苦しい、辛い、或いは喧嘩して憎い、腹が立つ、
こういう思いをしておりますと、
貴重な今日一日が苦しみの中に消えてしまいます。
もう再び帰りません。
いや、明日もあるわいと思いますが、
明日の日もまた消えるのです。
絶対に取り返すことのできないその得難い時を、
今生きているのですね。
一瞬一瞬をどれだけ大切にするかです。
泣いて暮しても、一日は過ぎます。
腹を立てて文句を言って暮らしても、
一日は過ぎていきます。
同じ取り返すことのできない一日であれば、
この一日を喜びに、感謝に、
安らかに過ごせば、
私たちの人生を幸せにしていくことができます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-23 00:00:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

        今の一瞬の行いと思いを大切に

私たちは自分の心を拠り所として生きたらいいのです。
そして、法を実践することですね。
行うことなく、智識で得たものをどれほど
理屈をこねて喋ってみましても、
その行いがなかったら、何のご利益も現れません。
行いの中に、その法の力が現れます。
ものすごく簡単なことです。
笑顔をもって接してみなさい。
忽ちにして、笑顔というその行為によって
相手の方に安らぎを与えます。
即、現れます。

その代わりに、怒りの思いをもって接しみなさい。
相手の方が、忽ち怒りの相を現わしてくれます。
毎日の生活で、私たちは人によって
苦しめられると思っておりますが、
しかし苦しみの原因は、自分が作ったのです。
人が悪いのとは違います。
地獄に落ちて迷える諸霊方は、自分が原因を作って、
その結果の苦しみが自分に現れているのですが、
全部「私が正しい」と主張します。
「私が悪うございました」と言う人は、地獄に落ちていません。
これは、肉体のある私たちにしても同じです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-22 00:01:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

        苦しみは神のご意志に背く

神様は、すべての人間が自分の子や孫がいとしいように、
神様の目から見ましたら、
私たちがいとしくていとしくてたまらないみ心でいられます。
「我がいとし子よ、どうぞ幸せになってほしい、
健やかに生きてほしい、
健やかに幸せに生きてほしい、
その為には自分を苦しめないでほしい、
自分を大事にしなさい」と、
私たちが自分をいとしいように、神は私たちを
いとおしんで下さいます。

そして、この世の中で誰が大事か、
誰がいとおしいかと究極的に問い詰めましたら、
自分ほどいとしいものはないのです。
なぜかと言うと、それは神の子だからです。
そして、その自らがいとしように、
他の方も皆さん自らがいとしいはずです。
まず自分を大事にして、そして他を大事にしていくことですね。
これが神のご意志です。
私のグループの「心の友」では、「神様という言葉を使っても、
これは宗教ではありません。心の勉強会です」と言って、
そのような気持ちで学んでいます。
組織とか宗教に片寄らないことが大事だと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-21 00:14:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

        苦しみは神のご意志に背く

人の悪口もそうです。
或るはい自分を良く見せる為に人を陥れるような行為、
これも自らを苦しめます。
人の悪口を言っている時の自分の心はサタンです。
また人を憎んでもなりません。
恨んでも、或いはまだ来ていない未来を
思い煩う不要の取越し苦労、
怖いと思う不安とか恐怖も嘘も
心を苦しめる中に入っています。
それから、盗む、足ることを知らぬ欲望、
つまり貪欲、このような思いも、
すべて神のみ心に背く行為です。

しかし、これを分かり易く説く指導者が、
今まであまり出ておられません。
苦しみの原因はここにあるのです。
なぜ苦しむかというと、
神のご意志に背くから苦しむのです。
神のご意志とは、自然の法則ですね。
自然の法則に背いて自然の中に
生きることはできないのです。
苦しみとなって現れてきます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-20 00:09:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 三

        苦しみは神のご意志に背く

私たちは毎日生活させていただく中で、
自分の心を苦しめないこと、どのような出来事が起きても、
自分の心を苦しめないようにすることが大事です。
喧嘩をしたら、必ず苦しいです。
親子喧嘩、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩そして友達との喧嘩、
こんな時はもう自分の心をものすごく苦しめます。
仲良くしている時は、たいへん心安らかです。

「仲良きことはうるわしきかな」で、
仲が良いのは側で見ていても気持ちのいいものです。
しかし、喧嘩をしておりますと、
傍目にも嫌ですし、本人も苦しいです。
神は自分の心を苦しめてはならないとおっしゃっています、
なぜ神の子である私たちが自分の心を
苦しめて神に背くのですか。
どんなことがあっても、
神の意志に背いては絶対に幸せにはなれません。
怒りもそうです。
愚痴もそうです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-19 00:59:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三

             「法」に生きる日々

先の続き・・・

そして、六時前まではお客さんが治療に見えていましたし、
「六時十五分から約一時間禅定の為に坐らせてもらいますので、七時半には
出られると思いますから、七時半に迎えに来て下さい」と言いまして、
皆さんに待ってもらったまま、お客さん全部を放っておいて、
私はちょっと用意をさせていただき、お茶漬けをこそこそ頂いてから、
病院に行かせてもらいました。

すると、嘘のようによく休んでおられたのですが、パチッと目を開かれて、
「ああ、長尾先生ですか」と言われます。
「分かりましたか、ここの苦しいの如何ですが」と胸をさすりましたら、
「何の苦しみをありません」と言ってくれました。

熱も三十八度ぐらいまで下がってきましたので、
「よかった、よかった」と言って、すぐ送ってもらって、飛んで帰りました。
しかし、家のほうには入らず、すぐまた今度はお客様のほうに飛んでいきまして、
十時までお話させていただいたのですけど、
今日、こちらの寄せていただくのに用意もしなくてはいけませんし、先に失礼したのです。
皆さんは、そのあと十二時過ぎまで話し合いをしていただいたそうです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-18 00:01:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三

             「法」生きる日々

先の続き・・・

せっかくお見えになっていますのに、
お愛想もできないのです。
ほんとうに申し訳ないことだなあと、
心からお詫びいたします。
というのは、交通事故に遭われた方が、
約一か月ほど植物人間のようになって
しまわれて、熱が四十一度にも上がったそうです。
物は吐く、うわ言を言う、胸が苦しい苦しいと、
苦しまれたそうです。

その日のお昼、ご主人から電話を頂いて、
「先生、何とか家内を助けて下さい。
助けて下さい」と言われたので、
「私は、今たくさんの方が見えていて、病院に
行くことができないのです。
しかし、祈ることはできます。ご主人、あなたも
心から祈って下さい。
私もこちらで心の中は自由に動かしてもらえます」と
言って祈りました。

ご主人にも、四十分ぐらい祈っていただいたのですね。
そうしますと、熱が下がって、それから四日間、
奥さんが突然スースーと眠られたそうです。
それまで、目をむいたまま一睡もできないでいた方がです。
ところが、このことを知らないで、
今度はご主人のお母さんから
「先生、助けて下さい。助けて下さい。
触らず、何もできなくていいから、
病院に来て下さい。
病院に来てもらえませんか」
と泣いて頼まれたのです。
ところが、昨夕は運悪く
禅定の日に当たっておりました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2023-03-16 23:59:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三

             「法」生きる日々

先の続き・・・

自分の心に目覚めてほしい」それだけです。
そして今、日本国中に招いていただいておりますが、
一切の制約―――
こうしなさいとか、研修会があるとか、
そんなものは何もありません。
もし私の心に、これぽっちでも、
望む心、或いは自分の名声、地位、
お金への思いがありましたら、
これはもう「法」ではないのです。
法とは、自らを犠牲にして他を生かす行為です。

自分自身を犠牲にして他の幸せの為に奉仕することが、
法の実践ですね。
その行為を少しでも真似させていただくのです。
私も、完成された立派な人間とは違いますが、
しかし真似ぐらいはできます。
お陰様で三百六十五日ただの一日も休みをいただけません。
ゆうべも東京からお客様が七人来て下さいました。
私にとりましたては、大事なお客様です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする