浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-10-31 00:14:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 七

「われら生命意識の修行所なり」

私たちは肉体を持って、
一人の人間となって現れて
おりますが、ほんとうは生命意識、
命を持った、
そしてものを考えることのできる一つの
生命なのです。

「生命意識」とは、命があって、
しかも考える意識を持っているということですが、
その意識は悪い癖、欠点を持っております。
無くて七癖、有って四十八癖というほど、
悪い癖、欠点を持っており、
それを修正してゆくのが
私たちの魂の修行になるのですね。

よく腹が立つ人は、
腹を立てないようにしてゆくのが
修業です。
文句ばかり言う人は、
文句を言わないようにするのが修業です。

嘘つきは嘘を言わないように直してゆくのが、
私たちのこの世に生まれさせていただいた目的です。
ものを盗む盗みも癖です。
これらはすべて悪い癖です。
自分の持っている悪い癖、欠点を正していく場所、
修行するところがこの世です。


  ~ 感謝・合掌 ~



※ ご報告

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トータル閲覧回数は不明です。

たくさんの皆様の訪問ならびに閲覧ありがとうございました。
恩師「長尾弘」先生も天上界で大変喜んでおられることとご拝察致します。
今後とも宜しくお願い致します。



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「御垂訓」

2018-10-30 00:29:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 七

  「現世は生命・物質不二の現象界 
           この世界のことなり」

先の続き・・・

自分の血を供養させてもらうのなら、
納得の上ですからいくら吸っても構いませんが、
くくられて動けないところで、
血を吸われ続けては、
これは叶わないと思います。

話は逸れましたが、生命と物質、
この肉体と心は、
植物にしても虫にしても、すべて形と、
それを動かしている命があるのが、
この現世という世界です。

生命と物質とは切り離なすことが
できないものであり、
形となって現れている世界が現世、
つまりこの世です。

「熱 光 環境 いっさいを含めて 
         エネルギーの塊にして」

この世のあらゆる物質は、
すべてエネルギーによって
成り立っています。
私たちがお日様から頂いている熱、光、
あるいはストーブの熱、ガスの熱も同じことです。
与えてもらっている環境そのものいっさいを含めて、
エネルギーの塊です。
すべてエネルギーによって形となって
現れているのですね。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-29 00:28:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 七

 「現世は生命・物質不二の現象界 
          この世界のことなり」

先の続き・・・

昔、よく禅定をして坐っております時に、
飛んできた蚊にせめてこの時間ぐらいはと、
痒いのを辛抱して、
蚊に血の供養をさせてもらいました。
血を吸うところを観察していますと、
お尻がプーとふくれてきます。
そして満腹になると、飛べなくなってポトッと
落ちてしまいます。

普段はやっぱり痒いと蚊を叩いてしまいますが、
このごろは余り蚊さんも喰らいにきてくれません。
これは香川県のあるおばあちゃんから聞いた話です。
「ああ、先生、それで分かりました」と言って
話してくれたのです。

ある大きなお百姓さんの所へ、
よく畑泥棒が入るのです。
それで、その家の人が泥棒の来るのを
待ちかまえていますと、
そこへ盗みにやって来たのです。
「この餓鬼」と暗闇の中で捕えて、桃の木に
動けないようにくくりつけて、
その夜一晩中くくっておいたのですね。

朝行きますと、蚊のお尻が茱(ぐみ)の実のように
なっているのがそこらにいっぱい落ちて、
そしてその人は死んでいます。
死んだ人の顔を見たら、自分の息子だったのです。
これは現実に四国であったことだそうです。
香川県でね。

それは自分のものを盗まれれば腹が立ちますけど、
一晩木にくくりつけられた息子は、
寄ってきた蚊にたっぷりと血を吸われて、
死んでしまったのです。
山の中で藪蚊に襲われたら、これは叶いません。

どの蚊もみな茱の実のようになって、
その辺に真っ赤になるほど
蚊が落ちていたといいますね。
この悲しい出来事も、そのお百姓さんが、
「これからはこんなことはするんじゃないぞ、
人が一生懸命に作ったものだから盗んではいかん」
と言って逃がしてやったら、わが子を殺さなくて
済んだのです。
その子供は、ご近所に好きな人がありまして、
そこへ自分の家の畑のものを取っては
運んであげていたそうですね。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-28 01:23:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


                 講演 七

     「現世は生命・物質不二の現象界 この世界のことなり」

先の続き・・・

植物も動物も、
たとえば蚊一匹蚤一匹でも私たちと
変わらない生命によって
動かされております。
お釈迦様は、「自分の命がいとおしいように、
他のものも自分がいとおしいのであるから、
自分がいとおしいように他の生命を大事にせよ」と
お説きになりました。

偉い坊さんが、大きな木の先に長い毛のついた、
筆の化け物のようなものをよく持っています。
あれは位の高い人が持つものだと思っていましたが、
お釈迦様のお弟子達はみな持っておられたのです。
なぜああいう筆の化け物のようなものを
持っているのかといいますと、
あれで毒虫が来た時にパッと払ったのです。

柔らかい毛で出来ていますから、虫が怪我しないのです。
虫の命を傷つけないために、
ああいう道具を持っておられたのですね。
蚊やあぶなどが飛んできましたら、あれで払うのです。
馬の尻尾のように、虫を殺さず追い払う道具だったのです。
それほど生命というものを大切になさいました。


          ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-27 00:34:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 七

 「現世は生命・物質不二の現象界 
          この世界のことなり」

過去世とは、
実在界と現象界を体験したその世界であり、
現世といいますのは、
現象界すなわちこの世のことで、今の私たちです。

今の私たちは物質と生命、
つまり私たちの肉の体と、
これを動かしている生命の二つが、
一つになった世界にいます。

先ほどの例でいいますと、お湯の中には
スポンジボールが沈められ、
スポンジボールの中に
お湯が浸透しているようなものですね。
この肉体というスポンジに生命が入って、
その二つが一つとなっております。

生命と物質とが不二というのは、
この二つが切っても切れない、
分けることのできないものだという意味です。
現世というのは、
物質と生命の二つが一つとなって
離れることのできない世界であり、
これは植物についてもみな同じです。

生命があるから花が咲いているのであり、
生け花などもまだ生命が切れていないのです。
水が切れて何日か経ちますと、
この生命がなくなります。
すると枯れてくるのです。
植物は切断されても生命はあるのです。

私たちのこの肉体も腕の切断、
足の切断をしましても、
物質と生命が離れてしまったところが、
光子体(霊体)でちゃんと生命と
つながっております。
だから足の無い方が、
その無いほうの足の先が
痒くなったりするのですね。
何も無いのですけど、無いところが痒いて、
掻いたら気持ちよくて治るそうです。

これは光子体(霊体)が
肉体の中に宿っている限り、
物質の手足は無くても、
神経まで感じるようになっているのですね。
足も無いのに足の先が
痛いのだとかよくおっしゃって、
さすったら治ったとか、
その辺りを掻いたら心地よいとか聞きます。

花もそうです。木の葉なども葉をチョキンと
切りましても、
光子体はもとのままあるのだそうです。
物質は無いのですけど、
光子体はちゃんとつながっているそうです。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-26 00:52:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

トルストイという文豪はオギャーと生まれて
産湯を使ってもらった時、
日本でいえばタライですが、
そのタライの漆の朱が塗ってあったということを
はっきりと覚えておられたそうです。

世界的な文豪となられただけあって
素晴らしいですね。
脳の重さを測りますと、普通の人よりだいぶ
重かったということです。
われわれ凡夫はぼちぼち記憶がありますのが、
せいぜい三歳か四歳ぐらいからです。

それ以前の幼い時のことはなかなか分かりません。
私は二歳ぐらいのよちよち歩きの頃まで記憶が
戻っております。

今日は来ておりませんが、
私の母が私の二つ下の弟を
おんぶして、よちよち歩く私の手を
引いてくれていた時の記憶が戻ってきましたら、
その大きなお母さんの暖かい手に
私が手を上に伸ばして、

そして上から握って歩かせてもらった
場面が、はっきりと見えてきました。
もっと、もうすこし奥に行きますと、
お母さんのお腹の中にいた時のことまで
分かるそうです。
そして、さらにもっと奥へ行きましたら、
前世のことが分かるそうですね。
まあ、そのようなものでございます。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-25 00:09:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

過去世といいますのは、
私たちがこの世に生きて過去に体験した
現世のことを言うのではなくて、
前世において生きた世界と、
その後、実在界に帰って生きた
世界のことを言うのです。

その後また現象界に現れて、
その土地の言葉を学び、
その他のことを学んできた体験が
私たちにはあります。

その中にあって自分の魂を磨き、
霊格を高めるために、
この世に生まれさせてもらうのですが、
肉体を頂くと、
この世で魂を磨くという
目的が分からなくなるのです。
オギャーとこの世に生まれたとたんに
記憶が全部消えてしまうそうです。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-24 00:48:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・
私たちの過去世といいますのは、
「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」
と説かれていますが、自分が過去世で体験した
スポンジと、スポンジの中の
お湯の生活を指しています。
これが私たちの過ぎ去った過去です。

ですから、
実在界と現象界の体験をしているということで、
前世においては、どこかの地に生まれて
生活をしていたという意味です。
高橋信次先生にご縁を頂きましたいちばん最初に、
先生はあの世から生まれ変わる転生輪廻の
証明をして下さると聞いたのです。

「どのようにしてなさるのですか」と聞きますと、
この世の日本で習ってもいない、勉強もしていない
外国の言葉が、心の窓を開かれたお方の口から出て
来るというのです。

習いもしないのになぜ外国の言葉が出て来るかというと、
前世の過去において住んでいた記憶が戻ってきて、
そして習いもしない言葉でお話ができるということです。
「これは素晴らしことだなあ」と思いましたので、
先生にご縁を頂いたのです。

まさにその通りでございまして、
その見も知らないお方が集まられまして、
習いもしないその国の言葉でもって、
いろいろとお話をなさっておられました。
そういう場面をよく見せていただいたものです。
これは、転生輪廻の一つの動かし難い証明ではないかと
思います。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-23 00:47:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 七

過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

このことをお風呂にたとえて、
たびたび説明させていただいております。
お風呂の湯船にいっぱい
お湯をはったとします。

そこへスポンジボールを
漬けたとしましょう。
スポンジの中へ水が浸透してきます。
お風呂のお湯が実在界であって、
スポンジボールが現象界としますと、
現象の世界のスポンジの中に
お湯が浸透しているように、
この世の現象界の中に
実在界が浸透しているのです。

ですから、現象界と実在界が
重なっているわけですね。
スポンジボールをお湯の中に漬けまして、
「これはスポンジですか」と言いますと、
「いや、中に水が入っています」、
「これは水ですか」と言えば
「いえ、スポンジでしょう」
というようなもので、不二一体、

見えないものと見えるものが、つまり、
実在界と現象界が一つとなって
現れる世界が、この世なのですね。
このスポンジボールから
うまく思いを離して、
スポンジの外に出て、
実在界へ帰った人が
成仏なさった方です。

そして湯垢のように
スポンジボールに付着して
「ここは住み慣れたところだ、
このスポンジが好きだ」と言って、
くらい付いている人が迷える霊です。
この実在界こそ、
私たちがほんとうに帰るべきふるさとで、
そのふるさとへ帰らなくてはいけません。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-22 01:28:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

実在界とは、ほんとうにある世界、
私たちの目に見えない心であり、
意識であり、そして魂であり、霊であって、
この世界こそ実在しているのですね。

ですから、肉体生命が終わりましても、
この私たちの本体である霊は
滅することがないのです。
肉体から外へただ出ただけです。

これも上手に外に出ないと、
いつまでもこの肉体に
しがみついて、
死にたくないという執着を持ったり、
肉体の死への恐怖を
強く持ったりしておりますと、
肉体からうまく外へ出られません。

私たちの本体である霊が、
肉体から離れることが
できません。
これが執着ですね。

執着を持ちますと、死体が硬直し、
冷たくなって恐ろしい姿に変わります。
肉体というものは必ず
滅びるものであり、
死というものは必ず訪れるもので、

死が来た時には、
この肉体からきれいさっぱりと
思いを離して、
さあ、これから本当の自分になって
ふるさとに帰らせてもらうのだ、
そのように思わせていただいた時に、
肉体から心はさっと
離れることができるのです。

離れた時には肉体が
硬直することはありません。
暖かくて、柔らかくて、
生きている時よりもなお綺麗な
姿に変わります。
これは私たちの本体である
霊魂といいますか、
それを悟った時に
離れることができるのです。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-21 00:43:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

地球がこの世に現れまして、
今日まで四十五億年経っているそうです。
この四十五億年という
宇宙的時間から私たちの
生きさせていただく五十年、
百年という長さを見ました時、
電子顕微鏡で見ても
見えないほどの、
アッという間の出来事でしかないのです。

しかし、
地球は現実に四十五億年経っております。
そして私たちは五十年、百年のうちに必ず
消えていきます。
消えなければならないのが
この世の定めですね。
そしてこの世はなぜ現象界かといいますと、
必ず消えてしまうから、
象(かたち)となって現れている
世界と書いております。

実在界とは、
ほんとうは象(かたち)の無い
世界のことを言っております。
象がないからこそ、
永遠に実在しているとう見方です。

私も正法にご縁を頂きました当時、
この言葉の理解が難しくて、
大体の理解はできるのですけれども、
私はこの世にあるものは
実在だと思っておりまして、
そして見えない世界、
消えてしまっている世界は
実在ではないと思っておりました。

             
     ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-20 01:24:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

「やっぱり先生、よく当たっていました。
言ってもらった通りでした」と言っておられました。
「なぜ見付からなかったのですか」と質問を
頂きましたから、「それは大きな神の愛を
与えていただいたのかも分かりません。

もし、腐る最中にそんな場所で見つかったら、
気持ちは悪いし、臭いし、耐えられないです。
それが綺麗な骨になってから人の目に見付けて
もらったのは、大きな自然の愛を
与えてもらったのだと思います。

また亡くなったご本人も腐ってうじが湧いて
ずるずるになった醜い己の姿を人に見られたら、
これも辛いことです。
しかし綺麗な骨になっていたら、
まだ辛い中でも救いがあったかも分かりません」と、
お話させてもらいました。

このように、この世に形あるものとして生まれた限り、
必ず消えていかなければならない宿命のもとにあります。
頂いたお饅頭がトイレに行ってそのままお饅頭で
出てきましたら実在ですけど、そういうことは
あり得ません。
必ず形が変わってしまい、
お饅頭の生命は頂いた時その場で消えるのですね。


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「御垂訓」

2018-10-19 00:48:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

九月にまた寄せていただきますと、
私が行く十日ほど前に、
死んでおられるのが分かったそうです。
山の中で、電波の届きにくいところですから、
山の高いところに共同のアンテナを建てて、
そこから各家庭に引いており、雷とか風とかで
アンテナがよく倒れるので、
それを修繕しにちょいちょい皆で山に登るそうです。

そのアンテナのある少し下にお宮の社があって、
もちろん神主さんのおられない社で、木
格子を組んだお堂があるのですね。

それまでに何回も、そのアンテナを直しに四人、
五人と連れだって、
上がっておられたのに気付かなかったのですが、
たまたま私が寄せていただく直前に
アンテナ修理に山に登った方が下りて来る時、
ひょいと社(やしろ)の中を覗きましたところ、
「うわー、えらいものがある」と言って知らせ、
皆が行ってみますと、その社の中で首をくくって
亡くなっておられるのが分かったのです。

えらいもので、発見された時は、
骨だけになっていたそうです。
肉は全部無くなり、白骨化してしまっていたのですね。
ちょうど六月で、これから暑くなるという時期から
七月、八月を経て、もう八月末ぐらいにもなれば
放っておいてもちゃんと骨になるのですね。


      ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-18 01:01:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

六月に四国の徳島へ行きました時、
ある方が蒸発してちょうど二週間ぐらい
経ったところだったのですね。
村の方が総出で探されたそうです。
徳島県といいましても、勝浦郡というのは、
四国の小松島港から車で約一時間
ぐらい山奥のところです。

行方不明になられた方について、
「先生、この人はいったい
生きているのでしょうか、
死んでいますか、いったいどの辺りに
いるのでしょうか」と言って、
村の方が相談されましたから、
「私は知りませんが、案外皆様の目に
届きやすいところで
亡くなっておられと思います。

あれ、こんなところにと思うような場所で
亡くなっておられます」と、
そのように言っておいたのですね。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-10-17 00:17:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


         講演 七

「過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり」

先の続き・・・

自分は生かされているのであり、
この肉体はただの借り物、
神様からお借りしているだけです。

そのお借りした肉体の中に私たちの心があり、
心のもっとも奥へ行きますと、
神の分け御霊が与えられており、
その分け御霊こそ私たちのこの生命です。

ですから、その分け御霊が肉体から離れますと、
もうたちまちにして肉体は動かなくなります。


    ~ 感謝・合掌 ~


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