浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2019-09-29 23:03:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                 神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

私の住んでいる近くに火葬場がございます。
一昔前まで、
低気圧の時などはむくむくと煙が出て地を這って流れますから、
皆「気持ちが悪いな、いやだなあ」とおっしゃいます。

しかし人間が自然界へ帰った時はあの煙といっしょに空気中に
水蒸気をなって上がっていき、それが万遍なく広がりますと、
私たちはその空気を呼吸しますし、
またその水分が雨となって大地におりてきますと、
その水を頂いて生きてもいきます。

いってみれば人間の共食いをやっているわけです。
そんなことはないといいましてもこれは事実です。
燃やせば必ず空気中に帰りますし、
それが水として大地に帰ってくるというように、
循環の法に従っています。


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「御垂訓」

2019-09-28 23:28:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は今を去ること二千五百有余年前にお釈迦様が好んで衆生に
「法」をお説きになられ、瞑想されたと言われているたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)
の山頂の同じ場所で恩師「長尾弘」先生が瞑想されているとことです。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
               神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

この水もそうですね。
有難いことに蛇口をちょっとひねりますと、
ジャーと水を出していただけます。
しかしこの水が無かったら生物の生存は絶対に許されないのです。

人間の肉体は七十パーセントが水分でできていると聞いています。
円心分離機にかけますと七割は水になって出ていってしまいます。
水そのものも自然界の中の一物質として
この世に生存を許されています。
水そのものも七十パーセントはH2Oの原子に帰ります。

もちろん脂肪とか蛋白質とかいろいろの他の物質もありますが、
これらも全部原子に帰ります。
人間は死ぬと燃やして灰にしてしまって何も無くなってしまったなあと
思うのですけれども、人間の肉体は、
焼き場で燃やしてもらうと熱の作用によって七十パーセントの水は
全部炎と煙といっしょになって蒸発するのですね。
自然の中に帰るのです。

土の中に埋めますと時間はかかりますが、
やはり水となって土に帰っていきます。
しかし物質そのものは変わることなく、
水は水として現実に残っているのですね。



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「御垂訓」

2019-09-27 23:39:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                 神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

日々の生活の中でもそうですね。
両親にいていただき、夫婦がお互いに生きさせていただき、
子供さんにいていただいて、しかもそれで当たり前と思っています。
当たり前と思う中から感謝を忘れていきます。

もしいなければどれほど淋しいか、どれほど不自由であるか、
そのことが分からないのです。
ですから、神様への感謝ということが、
法の生活をする上では一番大切な基本です。
見るもの触れるものすべてに感謝の心を持たせてもらうことです。

「神仏の大慈悲に感謝し」と書いていただいておりますが、
自然界に現れたすべてのものが神様の現れです。
すべてのものに感謝するということが神様への感謝につながります。


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「御垂訓」

2019-09-26 23:11:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


            講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
              神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

またあのお日様から私たちの最も生きやすい熱と光を
頂いておりながら、お日様に対しても感謝を知りませんでした。
もし光が無かったら大変ですし、
熱が無かったら地球はたちまちにして凍ってしまいます。

この熱と光をカロリーに計算しますと、
一秒間に石炭二百万トンも燃焼させるだけのものになり、
それをこの地球だけが頂いているそうです。
一秒間で二百万トンもの石炭は十秒間では二千万トンですから、
一日経ちましたらもう計算することもできません。

これをお金に換算しまして、
もし請求書が来ましたらこれはもう大変なことです。
地球の全財産を持っていっても足りません。
これほど巨大な熱・光を頂いており、
しかも一銭の請求もなさいませんから私たちは
あって当たり前と思っています。


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「御垂訓」

2019-09-26 02:14:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は大阪岸和田に建立されている浄心庵の正門に
朝日が差し込んでいる様子をカメラにと収めたものです。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
             神意なることを悟るべし」

「私は自分の家の神さんにだけ感謝します」という人がありますが、
こういう神様はほんとうの神様ではありません。
真の神様とは宇宙の隅々までもその愛をもって支配なさる
計り知ることのできない巨大なエネルギーであって、
この神様であれば素直に受け入れることができますね。

私たちが毎日の生活でこうして生きさせていただくには、
動物、植物、鉱物を頂いています。
そして感謝したこともなく、
その有難さを味わったこともない空気というものを
私たちに与えていただいています。

しかもその空気の中には私たちが生きさせていただくのに
ちょうど都合の良い量の酸素を入れていただいているのですのですね。
もし酸素が無かったら、私たちは三分か四分のうちに全部窒息します。
それにもかかわらず空気に対して私たちは
感謝することさえ知りませんでした。



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「御垂訓」

2019-09-24 23:17:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はお釈迦様のご生誕地ルンビニにある法華ホテルの中庭に安置された天上天下の
ポーズをとられたお釈迦様の像を前にして「法」を説かれている恩師「長尾弘」先生です。


 ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
             神意なることを悟るべし」

私たちは日々の生活でこの神仏の大慈悲に感謝することを
忘れてはいけません。

私たちは神仏のお陰で生きさせていただいています。
神仏といいましても肉体を持たれて、
そこらを歩いておられるような神様とは違うのですね。
神様とは、大宇宙の隅々までもその愛をもって支配し、
小さくいえばこの地上界の万象万物を育てはぐくむ大自然の力です。
この力こそほんとうの神であり、また法の仏です。

法そのものが仏の体なのです。
神という言葉はすべてを生かしすべてをはぐくむことを表し、
神ご自身がその大宇宙の中に、
また自然の中にご自分の姿を示されております。
それはお互いに持ちつ持たれつという姿です。
万象相互の調和の心です。



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「御垂訓」

2019-09-23 23:34:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 六

キリスト教にしましても、
イエス様がご存命中法をお説きになりました時と今とでは、
たいへんかけ離れたものになっています。
イエス様は着のみ着のままです。

私は今日は良い服を着せていただいていますが、
イエス様はこんないい恰好はなさいませんでした。
皆さんと同じ服を着て日々の生活のままの姿をもって
法をお説きになりました。

ローマ法王が頭にかぶられる王冠は七、八千万もするものだと
聞いています。
ビロードのガウンを着て金の錫杖をついておられます。
イエス様がいつそんな姿をなさいましたか。

イエス様は「私の肉を食べなさい。
私の血を飲みなさい」とおっしゃったはずです。
肉を食べるといってもイエス様を殺して食べたら大変です。
あれはイエス様の御教えを素直に私たちの肉体の中に、
心の中に入れなさい、
そしてイエス様のごとくイエス様と一体となって生きなさい、
一人一人がイエス様になることを望んでこのように言われたのですね。

お師匠様であるイエス様がそのようにいい恰好をなさっていないのに、
何百年何千年経った後の弟子が、
ぜいたく三昧のものを身にまとっていること自体が、
イエス様とは遠く離れています。
原点と現在とではまったく違っていることを
高橋信次先生はお説き下さいました。

正しい法を学ぶということは、この世で何をなし、何をなさないか、
また何を語って何を語ってはならないかを学ぶことです。
そしていよいよあの世へ帰る時は迷うことなく私たちの魂の
ふるさとである極楽に帰らねばなりません。


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「御垂訓」

2019-09-23 00:13:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がお釈迦様のご生誕地ネパールの
ルンビニを訪問された時、購入された木彫りの釈尊像を磨かれているところです。
浄心庵「心の道場」にて。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

先の続き・・・

では、花を供えるのはどういうことなのでしょうか。
お釈迦様の御教えの中に
「福徳を求める人々は、時々如来に花を捧げよ」というのがあるのです。
幸せを求めて、人々はお釈迦様に花を捧げたのです。

その捧げられた花をお釈迦様の前にずっと飾られたのですね。
私も小さい献花を頂いてここに置かせていただいております。
しかしこの花は私のほうを向いておりません。
私から見ますと花の背中が見えて綺麗さがよく分かりません。

お釈迦様もその通りでございまして、
お釈迦様は偉大でございますから身の周りいっぱいお花で
飾られておりましたが、お釈迦様から見られたらみな花の後ばかりで、
皆さんのほうに向けて花を飾ったのですね。
これが供花の始まりです。

お釈迦様ご存命当時のその仕来たりと今の仏教の仕来たりでは
とんでもない間違いになっています。
ほんとうに仏様にお花を供えるのであれば、自分たちが背中を見て、
仏様に花を見てもらうのが礼儀ですが、
供えている花は仏様にお尻を向けて、
花を供えた者たちのほうに花の表が向いています。
しかしこれは仕来りとなって行なっているだけです。


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「御垂訓」

2019-09-21 23:02:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

先の続き・・・

では線香はなぜ立てるようになったのか。
インドの地は暑い所でございますから、いろいろな毒虫がおります。
人の血を吸う虫、或いは毒蛇などもおりますから、
そのままでは噛まれて仕事にならないので、薬草の汁を絞って、
それを体に塗り付け虫よけにしたのです。

今でいう殺虫剤の代わりで、虫が寄り付かないためのものです。
ところがこれがものすごく臭いのです。
これを体に塗って仕事をしますと汗と薬草の臭いで
もう臭くてたまらなかったようです。

お説教の場へ人々が集まりますと我慢できないほどの臭気ですから、
頭の良いプルナヤニプトラという方が栴檀の木をくすべたところ
たいへん良い匂いがして悪臭が消されましたので、
それで皆さんが集合の時には必ず栴檀の木を持ってきて各自がくすべたのです。
それがいつの間にか線香やお香へと変わりました。


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「御垂訓」

2019-09-20 23:04:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はその昔、モーセが出エジプト記でお馴染みのエジプトで奴隷として
使われていたユダヤの同胞約四十万人を助け出し神より授かったと言われている
カナンの地(今のイスラエル)へ旅する途中で水に困り、手にしていた杖で岩を叩き水を
得たと言われている正にその岩の前に立ち両手を高く揚げられて祈りのポーズを取られている
恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 六

先の続き・・・

いろいろな儀式の中に一つの例を取りましても、
現在の日本の仏教ではお灯明をつけ、
線香を立てるのが普通の仕来たりになっていますが、
しかしお釈迦様の当時はそんなことはしませんでした。

ローソクはなぜつけるようになったか。
お釈迦様は八正道の中で常に正しく仕事をしなさいと
正業に就くことを説かれました。
その正しい仕事は主として昼間行われなくてはいけません。
その頃は電気もありませんから夜は真っ暗です。

当初、お釈迦様の説法は夜のほうが多かったのですね。
夜、真っ暗の場所で説法を聞かせていただいても
お顔が見えないので、
「何とかお釈迦様のお姿を拝みたい」という人々の願いから
お釈迦様の前でかがり火を焚いたのですね。
今でいえば照明と同じことです。
それがいつの間にかお灯明になりました。


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「御垂訓」

2019-09-20 00:02:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

先の続き・・・

そしてその苦しみから何とかして救われる方法はないものかと、
徹底的に追求していかれました。
高橋信次先生の「人間釈迦」を読んでいただきますと
その中に詳しく書かれてありますが、
やがてお釈迦様は自らに目覚められて教えを説かれました。
その教えがインドからチベット、そしてあのシルクロードを通って
中国の地へと伝わってきました。

その伝わる道中でその土地その土地の信仰と仏教とが
ミックスされながら伝わってきたのです。
中国には道教と儒教という教えがあり、
それと混ざり合ったものが朝鮮半島に伝わり、
またさらにその国の思想とか土地にある宗教などと混ざり合いながら
今度は日本に伝わってきました。
その時すでにお釈迦様のお説き下さいました御教えとはかなり
遠く離れたものになっているのですね。


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「御垂訓」

2019-09-19 00:45:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はお釈迦様が菩提樹下で悟りを開いた後、ヴァーラーナスィーの
サールナートにおいて、5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説きました。
この初転法輪の地を見学・訪問された時の恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

先の続き・・・

世の中には数々の宗教があります。
その宗教によりまして先祖供養、
或いは浄霊、除霊などの特色を持って法・道を説いておりますが、
ほんとうの正しい教えはお釈迦様のお説きくださいました正法であり、
イエス様がお説き下さいました愛の正しい教えです。

高橋信次先生は、
釈迦・イエスの教えの原点に還れとおっしゃいました。
現在の仏教もキリスト教もお釈迦様、イエス様の
お説き下さった教えとは遠く離れております。
お釈迦様は亡くなった方のために拝んで祀りなさい、
そして物を供えなさい、ローソクを立てなさいとは
おっしゃっておられません。
このようなことがなぜ日本の仏教の中に習慣になってしまったか
について少しお話させていただきます。

仏教はインドの地において二千五百有余年の昔、
ゴータマ・シッダルダ(お釈迦様)がお説き下さった教えです。
もともとゴータマという王子様だったのです。

釈迦族というのは、アメリカのインディアンにコマンチ族とか
アパッチ族とかがありますように、
インドのシャキャ族という一つの部族で、その王子様だったのですね。
このお釈迦様が、人はなぜ苦しむにかと疑問を持たれたのです。

生後間もなくお母様が亡くなられて、
お母様の妹さんが継母となって育てられました。
お釈迦様は、
人間として生を享けたすべての者がなぜ悲しまなければならないのか、
なぜ苦しまなければならないのか、なぜ病気をしなければならないのか、
なぜ死んでいくのであろうかと、
そういう生死の問題について深く疑問を持たれたのです。


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「御垂訓」

2019-09-16 23:19:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


             講演 五

「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」

先の続き・・・

私はずっと幼い頃まで遡って反省させていただきましたが、
三歳まではお父さんお母さんは神様だと思っております。
皆さんもそうです。
三歳まで反省してみて下さい。

おしめを替えていただき、おっぱいを頂き、
抱っこしていただき、
両親は神様以上の存在だと思っています。
そのお父さんお母さん、
つまり男神と女神がお互いに子供に向かって
値打ちの落とし合いをしているのです。
私の両親の場合は仲が良かったので幸せでしたが、
私の子供は気の毒です。

私はほんとうに両親を神様以上に、
天皇陛下さん以上に思っておりました。
昔は天皇陛下といいますと、もう生き神様、現人神でして、
その天皇陛下よりもお父さんお母さんのほうが
なお尊いお方だと思っておりました。
これは事実です。

両親の縁があってこそ自分があり、
もし両親に縁が頂けなかったら、
私自身の存在は絶対にないはずですから、
誰よりも尊いのが両親ですね。
その両親がお互いにけなし合い、
神様の値打ちを落とし合っていたら子供を
駄目にしてしまいます。
子供を素直な神の心で大きくするのも、
駄目にするのも親の教育の中にあり、
それは親の責任です。



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「御垂訓」

2019-09-15 23:08:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は「モーセの御足を慕って」の旅の途中でバスを下車されモーセが
同胞のユダヤ人約四十万の人々を導き歩かれたであろう岩の砂漠をご覧になられている
恩師「長尾弘」先生です。(シナイ半島にて)


 ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 五

「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」

先の続き・・・

この世の中で、たとえ宇宙の果てまで行こうとも、
どこへ行こうとも自分以上にいとしい者はないのです。
自分たち夫婦の仲が悪いために、
主人のいない所でお父さんの悪口を子供に言って、
お父さんへの尊敬をお母さんが奪っていますと、
やがてこういう子供は十代の中頃を過ぎましたら
その復讐をお母さんに向けてきます。
これが家庭内暴力の正体です。

お母さんの頭の毛を持って引きずり回し、或いはバットで殴ったり、
遂にはお父さんまで殺してしまいます。
あれは全部母親の罪です。
子供の心を自分のほうに向けたいためにお父さんの悪口を
子供に教えるからです。
その一番いい例が私でございます。

「あんたら大きくなって、お母ちゃんのようになったら駄目だよ、
お父さんの言うことをひとつも聞いてくれない、
あんなお嫁さんになったら結婚する相手の人が可哀そうだから」と
言って、私は一生懸命教えました。
家内もまた教えます。
「あんなお父さんみたいな人と一緒になったら駄目よ。
余計な事ばかりして家を放ったらかしているから」。
親のこういうやり方は、
子供に悪くなれ悪くなれと教えているようなものです。


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「御垂訓」

2019-09-14 23:58:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 五

「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」

先の続き・・・

私たちは肉体という船に乗りまして人生の海原を
旅しているわけですから、
よほどうまく羅針盤を動かさないといけません。

この羅針盤は、何事をするにも自分の心で
一度判断してみることです。
あちらへ行ったほうがいいか、
こちらへ行ったほうがいいか、と考えてみます。

この時、両親が嘆くほうに行けば必ずひどい目に遭います。
喜んでくれるほうを選んでいけば必ずうまくいきます。
なぜうまくいくかと言いますと、私たちの両親こそ、
神が私たちに与え給うたお方だからです。

「その父と母との導きに従うものは、神なる私を敬い、
神なる私の導きに従うことであることを知りなさい」と
このように神は言われます。

両親が喜んで下さる道は、神が喜んで下さる道ですから、
狂いはないのです。
両親の悲しまれる道を進んだら神が悲しまれるから、
失敗の道を辿ります。

私の人生の羅針盤は二十歳の時に頂きました。
そして少しでも安心していただくように、
親には心配をかけたくないと思っていますのにこれも試練で、
心配をかけなければならないようなことも起きますね。

それは必ずひどい目に遭います。
心配をかけただけまた自分が苦しみを味わいます。
仮にもお亡くなりになっていても、
親に安心していただくようにすれば両親はあの世で
喜んで下さいます。

私たちは神のご意志に背いて、絶対に幸せになることはできません。
神様と全く同じ生命を頂いている私たちが、
その意味さえ分からなくなって
自ら苦しんでいると、
その痛みはそのままこちら側の神様に通じるはずですから、
自分を苦しめてはなりません。


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