浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2023-11-30 01:07:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第三章 天上界への道

        ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆

先の続き・・・

汲む上げた水は太平洋の水となんら変わりありません。
それと同様に、大いなる神様とまったく同質同根の心が
私たちの心の一番深いところに存在しています。
それが「神様」と呼ぶものです。
これに気付かせていただくには、神の子としての自覚を持ちながら、
神の子として恥ずかしくない行いと生き方をすることです。
親鸞上人の教えの中に、「心を開いてずっと奥底を覗いたら、
御本尊は鬼だった、阿弥陀様におすがりして、ただ一念念仏申さば、
鬼は鬼のままで救われる」と説かれています。

これは一念に徹して心を余計な思いに向けず、
ひたすら阿弥陀様の御心に向ければ救われるということです。
煩悩具足の罪悪深重の凡夫と自らを称した親鸞が
自らの心の内を顧みて認めたのが心の鬼、
つまり煩悩です。
しかし、その鬼のもっとも奥まで入った時、神の御心がましますのです。
これが実相であり、私たちの神我です。


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「垂訓」

2023-11-29 00:21:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第三章 天上界への道

        ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆

先の続き・・・

以前先生と呼ばれているある方が、
「何年か先には地球が風船玉のしぼんだようにしぼんで
土星の外に飛んで出る」と、
もっともらしいお話をなさいました。
しかし、もともと地球が今の位置を変えて
他の惑星の所へ飛んでいきますと、
これは太陽系のみならず、
大宇宙全体におけるバランスを大いに崩してしまうことになります。

時計の歯車が一個飛び出しただけで、
その働きが止まってしまうのと同じです。
ところで、この大宇宙や大自然というものを動かしている目に見えない力とは、
たった一つの大いなる意識であり、
巨大なエネルギーとして、私たちが神と呼んでいる存在のことです。
この神様の意識を私たち一人一人がこの胸の内にいただいているのです。
太平洋の水が神様とすると、その一滴一滴の海水が私たちの意識です。


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「垂訓」

2023-11-27 23:59:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第三章 天上界への道

         ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆


これと同じ原理で、
地球も火星も土星も互いのものすごく距離が離れているにも拘わらず、
目に見えない引力という歯車によって、互いに影響を及ぼしつつ調和を保ち、
太陽の周囲を回っているのです。
お互いに持ちつ持たれつの関係で生かされているのが自然の法則です。
私たち人間の社会でも自然に学ぶべきです。
また、動物は植物に二酸化炭素を与え、それをもとに植物が光合成を行い、
空気中に放出した酸素を吸って動物は生きるという
相互依存の法則が自然界にはあります。
「草や木など刈っても切り倒してもかまうものか」とか、
「人間さえ快適で便利に住めればいい」という心は、自然に逆らうので、
環境破壊を起こして、自らの墓穴を掘ってしまいます。

「他人はどうなってもいい」という自己中心的な思いも滅びの原因です。
太陽系以外にも別の太陽系が同じような仕組みで回っており、
これらが銀河系だけでも何千億個もあるそうです。
銀河系は一回転するのに二百五十万年かかると、
偉い学者が計算されたそうです。
その銀河系宇宙のようなものが、また何千億個も集まって島宇宙となり、
さらに島宇宙が何千億も集まって大宇宙ができているそうですから、
もう計算できるものではありません。
そういう無数の天体が千分の一秒の狂いさえなしに循環の法則に従い、
また相互に作用しながら正確に動かされているのです。


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「垂訓」

2023-11-27 00:19:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第三章 天上界への道

         ◆宇宙を動かす力とつながる心の内奥◆

地球は大宇宙から見ますと、
太陽という原子核の周りを回っているマイナス電子のような
小さな存在ですが、私たちから見れば巨大な存在です。
時速二万数千キロの猛スピードで太陽の周囲を回っていて、自ら自転し、
三六五回と四分の一回転で一周して同じ位置に戻ってきますが、
千分の一秒ほどの狂いも生ぜずに正確に動いているそうです。

しかも、これほど猛スピードで回っていながら、
地球そのものも地球を取り巻いていてくれる大気も
全部いっしょに飛んでいますから、
私たちは何も感じないでいます。
もし、地球が急にスピードを緩めれば、
たちまちくだけてしまうでしょうし、
まして逆回転などした日には、木っ端微塵です。

地球が回っているその周りをお月さんが回っていてくれます。
他に火星も土星も木星も金星も全部回っています。
これは各自が勝手に回っているのとは違って、
お互いに目に見えない引力の作用によって回っています。
時計を分解すると、中にたくさんの歯車が入っています。
この歯車は他の動力によって自分が動くようになっています。
また、自分が動くことによって他を動かしています。


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「垂訓」

2023-11-26 00:19:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第三章 天上界への道

           ◆天上界は本当にあるのか◆

そして、心を縛り煩わせる思いがない分、心は自由です。
その状態で感謝しながら亡くなりますと、
軽い心はたちまちにして天上界に行きます。
そこは、別の意味でも自由です。
というのは、自分の望むものがなんでも
すぐに現れる世界だからです。
仮に今ここで綺麗な花を生けていただき、
あの世に帰ってから、
「あの時、綺麗な花を生けていただいたなあ、
もう一度みたいなあ」と思いますと、
この花がパッと出て来るのです。

「あの時のカレーライスはうまかったなあ。
あれをもう一度味わいたいなあ」と思いますと、
パッとカレーライスが出て来ます。
これは何も私たちの夢や願望の投影というのではなく、
リアルな世界として、
実在の世界としてまぎれもなく在るということです。
そこを私たちは天上界とかあの世と呼ばせてもらっています。
実際に亡くなられると浄まった魂の方はそこに行かれます。
また、生きながらにして山紫水明のお花畑の
美しいあの世に行ってこられたという
臨死体験をされた方の話もよくあります。


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「垂訓」

2023-11-25 01:31:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第三章 天上界への道

           ◆天上界は本当にあるのか◆

心の鬼に支配されると、人のように恐ろしいことや残酷なこと、
恥知らずなことまでも平気でできてしまいます。
もはや本来の自己は失われています。
こうした神様の御心から離れた心を、
人間は肉体の五官に翻弄されることで生み出してきてしまったのです。
もともとは清浄で素直だった神の分け御霊そのものの心を曇らせ、
その黒雲のような想念が、あたかも地獄のような苦しい世界を
現出してしまうことになったにすぎません。

神様は完全無欠な存在です。
神様は太陽の熱と光のような無償の愛、無条件、無差別の愛と慈悲と赦しを
私たちに降り注いでくださっているのですから、
もし、私たちの心にその愛の光を遮るものさえなければ、
誤りも欠乏も苦しみもない素晴らしい世界が眼前に展開してまいります。
ふだんでも、心になんの不安も恐怖も怒りも寂しさもなんらの執着も無い時、
私たちの心は静かです。


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「垂訓」

2023-11-23 23:58:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第三章 天上界への道

           ◆天上界は本当にあるのか◆

どんな方の心にも仏の心と鬼の心とが同居しています。
鬼の心は、「己心の魔」であるエゴの自我我欲や
自己保存などの想念がだんだん膨らみ、
恐ろしい姿に変貌したものです。
心にスキがあると、そこに「魔」(「間」)が入ります。
自己反省を怠らぬことです。
悟った方とふつうの人との違いは、ただ、心の隙間に気をつけ、
鬼の心をいかに自らの心の内に迎え入れないかということを知り、
これを行ない得たか否かという点だけです。

神様はなぜ地獄をお造りになったのでしょうと、
かつて質問を受けたことがありましたが、
神様は地獄など造られてはおりません。
心の鬼とは、自分さえよければいいという思い、
自己保存や自我我欲の思いから来ます。


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「垂訓」

2023-11-23 01:00:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


               第三章 天上界への道

             ◆天上界は本当にあるのか◆

先の続き・・・

私たちの意識が肉体を出て、
物質の波動よりももっと精妙な波動の世界に移ると、
現象界に肉体を持って生活していた時よりもずっと
速いスピードで思ったことが現象化してまいります。
この世に比べれば距離も時間もないと言えます。

地球を一秒間に七回半回る光速よりも速い想念のお陰で、
意識の上である場所を思った瞬間にそこへ行けます。
したがって、もし心に怒りや憎しみや恨みや貪欲などの不調和な思い、
あるいはこの世への執着の思いをたくさん詰め込んでいれば、
それらの思いによって苦しい世界が展開してくます。
あたかも映画のスクリーンにフィルムどおりの映像が写し出されるように、
私たちが心にいだいている思いが周囲の環境に即反映されてくるのです。

これは、「心の重さの法則」を使った説明と合わせて理解すると、
よりいっそうわかりやすいかと思います。
重い心、砂袋のように重い心は、命の糸が切れると、
ドスンと下に落ちていきました。
そして、風船のように軽い心、これは命の糸が切れると、
どんどん上に上昇していくのでした。
けれども、本当はこの地上界より下の世界だからそれが地獄で、
上の世界だからそれは天国だというよりは、
むしろ神様の光の届かない暗い世界が苦しみの世界、
そして神様の光のもとに明るく輝く世界が
天上界であると言うべきでしょう。



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「垂訓」

2023-11-22 00:08:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第三章 天上界への道

        ◆天上界は本当にあるのか◆

天国はあるのか。極楽はあるのか。それは空想の世界にすぎないのか・・・
昔から死ぬとどこへ行くかについて、
いろいろと関心が持たれてきましたが、
ここで改めて考えてみたいとおもいます。
「在る」ということは外なる世界をすべてと見なしてきたのが、
科学信仰の現代文明でした。
本当は内なる真実が外に現わされてくるものであり、
内と外とを分けて考える必要もないはずです。

もし、敢えて内とか外という区別をつけるなら、
内在せる意識の世界こそが真に実在する世界に
通じる入口である言ってよいと思います。
これからの文明は精神文明の時代へと転換してまいります。
物質の世界の目覚ましい進歩に比べれば、
心の世界はまだまだ解明も開発もされておらず、
地球社会のレベルは幼い段階にとどまっています。

この三次元現象界の生活は肉体の五官を通して
どんな思いをいだくかによって展開されてきたのです。
想念はエネルギーです。
すこぶる現実的なものです。
物質以上に現実に力を有するものだと言っても過言ではありません。
病気の心配や悪い事態ばかりを思えば、
現実にそれを証明する結果が現れてきます。
逆に現代医学でも治せぬ病が、心の転換によって快癒したりします。
原因と結果の法則は、この思いと現実の関係にも当てはまります。


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「垂訓」

2023-11-21 00:38:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第三章 天上界への道

     ◆神を知りたければあの太陽を見なさい◆

先の続き・・・

現在、有難い事に土曜と日曜にお休みの方もありますし、
日曜だけお休みの方もあります。
その時間に、どれだけ無償の善き行いが積めるか、
愛を施せるか、それによって心の中は、
「ああ、よかったなあ、あれだけの人が喜んでくださった。
これだけの方が救われた」という喜びに満たされます。
その喜びは神様からいただいたものです。

お金や物とは違う、心の安らぎです。
又、日々の生活の中でも同じことです。
私も寝るいとまもなくハードスケジュールで飛び回っている時、
「先生、無理せんといてください」と、よく言われますが、
「自分の命を精一杯燃え上がらせて、燃え尽きたい」と答えます。
自らの命を人様のために燃え尽きさせた時、満ち足りてあの世へ帰れます。
「私は自分の命を燃焼させてもらっています」と、話します。
神様は言われます。
「私の思いをあなたたちがその肉体をもって具現しなさい。
この地上に示し現わしなさい」と、
神様の御心を理解させていただくのに最も身近でわかりやすい方法は、
常に太陽の心を理解させていただくことです。
神を知りなさいと言ってもお姿も見えず、声も聞こえませんから、
自らの行いとして神様の御心を現わすことです。
太陽の姿を実践しなさい。

太陽の心(神の御心)
① 自己犠牲
② 他を生かす
③ 無差別、平等の愛
④ 他の過ちを責め裁かない
⑤ 無条件の赦し
⑥ 無償の愛

この太陽の心、神の御心が私たちの心の内なる世界に燦々と輝いています。
私はこの心の内なる太陽の心を日々の生活の中に実践する努力をしています。
また、世のあらゆる宗教の在り方と太陽の姿を照らし合わせた時、
神にそむいた宗教がいかに多いかがよくわかります。


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「垂訓」

2023-11-20 00:02:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第三章 天上界への道

         ◆神を知りたければあの太陽を見なさい◆

先の続き・・・

人はその過去を反省した時、大小の差はあれ、
罪過ちを犯していない人は誰一人ありません。
太陽の熱、光(神の慈愛)からバチを当てられた人は一人もありません。
もし、太陽の熱光(神の慈愛)からバチを当てられたなら、
人間存在がなりたちません。
こんな話があります。
何十年も夫の浮気を赦せずに、徹底して夫への冷酷さを貫きながら、
自らの心を苦しめていた婦人に、「赦させていただきなさい」
とアドバイスさせてもらいますと、
その方はそれを実行し、ようやく心の地獄から救われました。
人間は自分に不都合なことをされれば、
相手に怒りや憎しみの思いを抱いてしまうものです。
しかし、どんな場合でも、相手を赦すことは自分のためです。

だから、「赦してやる」のではなく、「赦させていただく」
という意識になれば、もっと楽に赦せます。
「してあげる」「してやる」より、「させていただく」
のほうが神の御心に近づける喜びがあります。
「赦させていただく」という心も、
「責め裁かない(無条件の赦し)」という神の御心を
実践させてもらうということにほかなりません。

死ぬ時になって、この世に生かされている間「私はよくやった」と、
自らにねぎらいの言葉をかけることができ、
満足と感謝の心を味わえてこそ、
死ぬということの意味も豊かになってくるのです。
そのためにはどうしたらよいかというと、
あの太陽の心を我が心にいただき、
日々の生活の中で太陽の心を行うことであります。
他の為に尽くすといっても、
まず自分の生活の基盤をしっかりさせなくてはなりません。
人の家の前に立ち、お茶碗に食べ物を恵んでくださいというのは、
昔の日本でもありましたが、
現在の日本では通りません。


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「垂訓」

2023-11-19 00:03:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第三章 天上界への道

        ◆神を知りたければあの太陽を見なさい◆

先の続き・・・

そして、本当の幸せというものもここから実感できるはずです。
得ること、取ること、奪うことばかりを求めていれば、
あくなき欲望のためにいつまでたっても心に安らぎはありません。
私たちも本質は神であり、神様とまったく同質同根の生命をいただき、
内に偉大な神の分け御霊をいただいております。
私たちが結果や見返りを期待することなく、
人のため世のために一生懸命に善き行いを積み重ねていったならば、
神様の御心をこの現象界の肉体次元に具現することが出来る筈です。
太陽の心とは、完全なる無差別平等です。

いかに社会的地位、名誉の高い方であっても、
また低い方であっても、いかに金持の方で
あっても、また貧乏な方であっても、健康な方にも、
感謝する人にもしない人にも、
宗教を信じる方にも信じない方にも、
まったく同じ量の熱光(神の慈愛)を与え給うのです。
もちろん、国境や言語や皮膚の色の違いをも超越してのことです。
太陽はどんなものにも差別なしに熱と光を与え給います。
それと同じく神も、私たちに対してまったく
差別なしに慈悲と愛を与えられています。
それを私たちは自覚できないでいるだけです。
知らないということは無智です。
無智なるがゆえに、

その大いなる愛と慈悲とをもって私たちを
包んでくださる神の懐の中に生かされながら、
私たちは神の子として当然行うべき愛を知ることも、
慈悲を行うこともできないでいるのです。
神様の御心を私たちが行い、実践させていただくこととは、
すべての人を好き嫌いなく、
すべての人に慈愛の心で接することです。
それは自分自身の幸せのためです。
太陽の心(神様の慈愛)は、
人の過ちに対して絶対に責め裁きをなさいません。
どのような罪深い者でも、すべて赦してくださっています。
バチなどお当てになりません。
完全なる赦しの心が神の御心です。
ただ、天に唾する時は、その唾は太陽(神)には
届きませんが、必ず自分にかかってきます。



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「垂訓」

2023-11-18 00:01:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第三章 天上界への道

        ◆神を知りたければあの太陽を見なさい◆

完全に調和している神仏の心に自分の心がどれだけ近づいたか、
その度合いに応じた光の量があり、同じレベルの者同士が住む区域が、
明暗さまざまな段階に分かれています。
それがこの世でも魂の高さや低さ、霊格の違いなどという形で現れてきます。
神仏の心と己の心との違いを知ることです。
ところが、神仏の心とはどんなものか、神とはどのようなお方かを知らないと、
自分の心がそこからどれぐらい近いか、また隔たっているかもわかりません。
神を知りたければ、あの太陽を見なさい。

太陽の心とは太陽の熱と光に象徴される無償の愛です。
太陽は、自らの身を犠牲にし、自らの身を燃え上がらせ、
自らの生命を燃焼させ、
その結果として現れる熱と光を放出して生きとし生けるものに
エネルギーを与えています。
この熱と光こそは神の慈悲と愛です。
地球がいただいている熱カロリーは一秒間に
石炭二百万トンを燃やすほどのものだそうですが、
それでもお日様から請求書が来たこという話は聞いたことがありません。
神の御心もこれと同じで、与え放しの愛です。
私たちは、人に何かしてあげたと言ってはつい見返りを期待したり、
要求したりします。
期待がはずれると相手を恩知らずと決めつけ、かっかりしたりします。
もし、与えること自体に喜びを見出すことができたなら、
どんなにか心が楽になることでしょう。
これこそが神様の本当のお気持ちなのです。


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「垂訓」

2023-11-17 00:38:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

     ◆肉、魚、野菜、植物。鉱物、我が身に一つの命は流れる◆

様々な生命操作、そして除草剤の毒性に対して強い抵抗力を持つ作物へと
つくり変えられた遺伝子組み替え食品などもその例です。
常に自分たちを生かしてくださっている力に意識を向けて感謝していれば、
私たちは健康で幸せに暮らさせてもらえます。
ところが、これを忘れて勝手に金儲けのためや
快楽追求のために自然を破壊しながら、
自分の心の喜びや身体の健康さえも失っています。
顔からは笑みが消え、体からも心からもエネルギーが
抜けてしまっています。
こういう方々が増えています。
それでも、神様はいつも太陽のごとく平等に絶え間なく、
私たちにエネルギーを注いでくださっています。

ただ、人間のほうで命を育み守ってくださる神様の
愛の流れを遮断しているだけなのです。
神仏を否定したり、生かされていることへの有難みを
忘れてしまうということは、
愚かにも生命の光、生命の力をお断りしているということになります。
常に「もしなかったら」と思って感謝を忘れないことです。
そうすると、自分の心が喜びに満たされます。
「私はこんな辛い環境の中で何も喜べません」
とおっしゃる方がありますが、
太陽と熱と光に感謝しなさい、空気中の酸素に感謝しなさい、
水に感謝してみなさい。
そうすれば喜びいっぱい与えられます。
現在の苦しい環境はだんだんと消えていきます。
金や物はたくさん持っていても火事に遭えばなくなりますが、
心の喜びはどんなことがあろうと、
なくなることもなければ盗まれることもないのです。



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「垂訓」

2023-11-16 00:00:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

     ◆肉、魚、野菜、植物。鉱物、我が身に一つの命は流れる◆

生きていく限り、肉体を保持しなくてはいけません。
そのためにあらゆる動物の命、つまり肉や魚などの生きものの命をいただいています。
また、植物の命や水、鉱物の命をいただいて、そのお陰で生きさせていただいているのです。
見えない宇宙の中心から流れどおしの神の愛が命となって動物や植物や鉱物に注がれていると同時に、
また私たちにも注がれています。
花の命も私たちの命も同じです。
生きるということは、他の命をいただき、他の命のお陰で生かしていただいています。
米も肉も野菜もすべて「生きた命」を私たちはいただいています。
それらの犠牲と奉仕に対して報いるということは、食物が私たちの肉体の中で血や肉となって、
いっしょに修行してくださいという気持ちで祈りつつ、いただくことです。

常にこのエネルギー源への感謝の心を忘れないようにしなくてはなりません。
ところが、あって当然という思いから、感謝を忘れています。
足ることを忘れて、欲望だけを太らせていったら、どうなるか。
やがて人類は滅亡してしまいます。
戦後の日本では、機械化農業で手間を省いたり、
経済合理化主義の考えにより除草剤を大量にまいたり、
また経済を発展させ消費をますます増やすために、不必要なものまで
工場で過剰に生産してきました。
そのため、環境を汚染する化学物質をまきちらし、
最近では生物界での「メス化現象が話題になるほど地球上の生命が絶滅の危機に瀕したり、
人間の健康が害毒にさらされたりしている始末です。
除草剤や農薬のかかった米や野菜、ダイオキシン類に汚染された牛乳、
環境ホルモンによって生ずる水産物の汚染や生物界の異変。生殖異常など、
挙げればきりがありません。
これでは生命や神への感謝どころの話ではありません。
おまけに、これらへの冒瀆とも言えるのは、
神聖な領域を汚してしまっている科学上の発見や技術上の発明です。


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