浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」~心の扉~

2019-01-31 03:55:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真はフランスのサンジルタール修道院を
恩師「長尾弘」先生を始めとして
多くの学びの友の方と見学に訪れた時、
化粧棺に入れられ安置されている「奇跡の泉」で
皆さま先刻ご存知の聖ベルナデッタ様を
小生のカメラに収めたものですが、
ご覧のように青白い光線が写っていました。


恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ


先の続き・・・

先ず、自分が救われて、
自分の幸せな姿を見て戴くことです。
その幸せな姿をご先祖様にお供えするのです。
決して、物やお金ではありません。

本当に幸せに暮らさせて戴いております。
お金はたくさんありませんが、
困ると言うこともありません。
健康でまだまだ頑張れます。

いつも感謝に満たされています。
こう言えることが、
ご先祖様の供養になるのです。
そういえば、ああ、よかった。よかった。と、
ご先祖様は喜んでくださいます。



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「御垂訓」

2019-01-30 00:23:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

インド霊鷲山(りょうじゅせん)山頂にて昇る朝日を
御覧になっている恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 十

 「さらに諸天善神あり」

先の続き・・・

この上様というのは、
その地域で貢献なさったお方、
或いはその地域で権力のあった方、
或いはその時代の功労者を
神として祀っているものです。

神理は一つで、
何回も同じことを繰り返しますが、
繰り返し聞いているうちに、
自分のものになると思います。

この上様の中でいちばん時代の新しい神様は、
第二阪和道路、すなわち国道二十六号線の
和歌山の手前のところにある
飛行機を祀った航空神社の神様です。

そこへ行くと古い飛べない
飛行機を祀っています。
これはもう機械を神様として
祀ったもので、交通安全、
航空安全を祈願するところだそうです。

これはできてからまだ何十年も経っていません。
もう少し時代を遡りますと、
乃木神社の乃木将軍を祀った神様、
それから東郷元帥を祀った東郷神社。
さらにもう少し遡りますと、大阪にある豊国神社、
これは豊臣秀吉公を神として祀っています。
また日光東照宮には、
徳川家康公を神として祀っています。


 ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」~心の扉~

2019-01-29 00:26:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真はイスラエルに建立されている
聖墳墓教会内に安置されている聖母マリア様です。
恩師「長尾弘」先生がこの聖母マリア像に
光を送られて、そして心の中で対話をされた時、
聖母マリア様が涙を流されました。

聖墳墓教会はその昔、
イエス様が磔刑に処せられたその場所
(ゴルゴダの丘)に建っています。

この聖母マリア様の像は向かって
イエス様の磔刑に処せられたものを模倣して
建てられた十字架の右横に飾りケースに
入れられて安置されています。

お写真ですからあまりクリアではありませんが、
聖母マリア様の瞼のあたりをよくご覧下さい、
涙で瞳が潤んでいるのが視認できるかと思います。
勿論、この像の材質は現地の石灰岩か
その類の物で造られています。


恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ


先の続き・・・

キリストは貧しき者こそ幸いである。と、
言っておられます。
これも、
どの宗教にも当てはまることでしょう。

ご先祖様を供養することも
同じことが言えます。
仏様にお花を供えたり、
食べ物を供えたりしますが、
本当は感謝の心を供えるのです。

ご先祖様、今日もこうして、
ご飯を炊かせて戴きました。
ありがとうございます。
ご先祖様のお蔭です。と、言う心です。

お茶を沸かした時,
日に一度お供えして、
感謝をするのです。

先祖供養で本当の目的は、
亡くなられたご先祖様が、
極楽に救われて
くださることです。

それには先ず、
喜んで戴かなくてはいけません。
安心して戴くことです。

こちらの都合で不平・不満を
ご先祖様の前に並べては、
それは決して安心して
戴くことにはなりません。
当然のことです。



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「御垂訓」

2019-01-28 00:21:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真はその昔、イエス・キリスト様が無実の罪で
自分がかかる十字架を背負いゴルゴダの丘、
磔刑場まで歩いた悲しみの路ビアドロローサを
今時代の観光客が歩いています。
その彼らの心に去来するものはいったい何であろうか。


~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


       講演 十

   「さらに諸天善神あり」

先の続き・・・

日常の生活で、私たちはつい感謝を忘れますが、
ほんとうの神様に対しての感謝を常に持たせて
もらうことです。

そして「有難いなあ」と思えば、
その思いは私たち一人ひとりの心の中です。
有難いと思えば、
それは他人のものとは違うのですから、
見るもの聞くもの触れるものに、
感謝することを掴ませてもらった時、
それは私たち自身の喜びになります。

ほんとうの神様とはそのようなお方でございます。
では、諸天善神とはどのようなお方か。
高橋信次先生はよくこのように説明して下さいましたね。
「『示し申す』と書く神は、ゴッドの神、父なる神です。
そして上と書く神は上様ですね。また、
ペーパーを拝んでいます。
これは紙様」と。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」~心の扉~

2019-01-27 00:36:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は恩師「長尾弘」先生が
お祈りをされているところですが、
ご覧のように目から光線が出ています。

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ


先の続き・・・

そこで、聖書に帰ろう。を、
合言葉にあのルターやカルビンが登場します。
これが古い体制を反省させることにも繋がって、
現代のカトリックとプロテスタントになったのです。

お金が心の代わりにならないことは、
こうして歴史の一つが証明していることになります。
これはどの宗教でも当てはめて考えてみるべきことです。
お金で心を捧げた気になっていたとしたら、残念な姿です。

先ず、心です。
そのことで金持ちも貧しい人も、差はないのです。
心が美しく豊かであれば、宇宙の調和、
神の心と共鳴することができます。



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「御垂訓」

2019-01-26 00:27:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真はその昔、お釈迦様が「法」を比丘、比丘尼、衆生に
好んで説かれた場所として知られている霊鷲山(りょうじゅせん)
の山頂です。
恩師もお釈迦様が禅定・瞑想されたその同じ場所で
禅定・瞑想をされています。

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 十

 「さらに諸天善神あり」

先の続き・・・

年の暮れになりましたら、ほんとうに有難いことで、
いろいろなものを頂戴し、
もう日本国中から温かいお心を頂きます。
また頂いたらお分けさせていただいているのですが、
たまたま貝柱を頂いたのですね。

それを焼いて頂いたら何ともいえずおいしいのです。
食事を頂きながら、「こうして皆さんのお心を頂ける
のは、何と有難いことだなあ、
神様は私たちにおいしいものを造って食べさせてやろうと、
自然の中から四季に応じて、人間の喜ぶものを海の中に、
山の中に、或いは野の中に、
あらゆるおいしいものを造って与えて下さっている、
何と有難いことだなあ」と言って、
御馳走になったのですけれども、
その海の幸、山の幸は全部自然界が私たちに与えて
下さるものです。

自然界とは神様そのものです。
しかも私たちが喜ぶように、
何とかして喜ばせてあげようとして与えて下さっています。
そのことを思わせていただいた時、「何と神様は有難い、
何と慈愛深いお方だろうか、私たちが望むことなしに与え給う
何と有難いことだなあ」と心に染み入る
思いでご馳走になりました。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」~心の扉~

2019-01-25 00:26:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は多くの皆様が先刻ご存知のものですが、
恩師「長尾弘」先生がイエス様についてのお話を
ご講演会でされていた時、恩師のお顔がこのお写真の
お顔に変貌されたものです。


恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ


先の続き・・・

お金をお足と言いますが、これをよく表しています。
流通しているお金の期間は本当に短いのです。
それを心の代わりと考えるのはできないのです。

これは歴史の事実ですから、悪口にはならないと思いますが、
何世紀にも前にヨーロッパでは、宗教の改革がありました。
学校で習われたと思いますから、思い出される方もあるでしょう。

教会が人々から多額のお金を集めていた時代です。
高価なお札を買えば、罪が消えるとか、天国へ行けるとか、
教えていたわけです。

そして、教会も宗教自体もどんどん形式ばかりの
派手なものになっていって心と言うものが
本当の聖書の教えと言うものが、捨て去られってしまったのが、
その時代です。



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「御垂訓」

2019-01-24 00:24:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は先日投稿しましたものに関連したものですが、
これも先日投稿しましたものと同じアラビア文字で,
同じ意味のことが書かれています。
小生は勿論アラビア語は分かりませんが、双方の字句を
見比べてまったく同じ字句であると理解しました。
このお写真は小生のカメラに写っていたものです。
エジプトのこの旅の途中であることは間違いないのですが、
いつ撮ったのか、どこで撮ったものかまったく記憶にありません。


~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


                   講演 十

              「さらに諸天善神あり」

諸天善神というお方は、光の量の区域では、
どういう心の位のお方であるかについてお話します。
日本には八百万の神様と言いまして、
いっぱい神様がおられます。

その中には、
石ころに注連縄(しめなわ)を張って
拝む場合もありますし、
大きな木に注連縄を張って、
神として拝むものもあります。
或いは社を建て、祠を建てて、その中に、
神様はいろいろな形となっておられますね。
ほんとうの大いなる神はただお一方であり、
その神は人の手をもって造られざる神殿、
つまりこの大宇宙、
大自然界の中にあらせられます。

そして私たちが神様としてお参りしております神様は、
人の手をもって作られた神様です。
もっと分かりやすく言いますと、万象万物を含めて、
私たちを造って下さった大自然の力、
これこそがほんとうの神様です。
それに対して、私たちが神様と思ってお参りし、
お祀りしておりましたのは、
人間の手で拵えた神さんだったのです。

人間を造って下さったお方と、
人間が作った神様という違いがありました。
そして人間が作った神々は、人間にとってその時代、
その土地、その都合により必要に応じて
人間が拵えたものです。
ところがほんとうの神様は、
人間の側に必要があろうがなかろうが、
必要なすべてのものを与えてくださっているのです。
その大自然の力こそが真の神様であります。


            ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」~心の扉~

2019-01-23 00:46:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真はモーセの御足を慕っての恩師「長尾弘」先生の旅で
エジプトからシナイ半島を渡りヨルダンに入ってモーセの終焉の地
「ネボ山」に建立されているモーセの教会を見学して後、
カイロ国際空港へバスで移動していた時、バスの車窓より
ご覧のようなアラビア語をこの旅に同行されていた
学びの友のお方のカメラに写りました。
「何かが出現する」との意味だそうです。
恩師のご著書「心理を求める愚か者の独り言」にも紹介されています。
(261ページ)


恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ

先の続き・・・

お金と言うものはいっとき、現れては消えてゆく、
いわば、果敢ないものです。
私たちのこの肉体も、おぎゃーと生まれて、
百年も経てば大抵は消えてゆきます。

そしてまた、新しい生命が生まれ、また、
消えてゆきます。
私たち自身が神様の体内で細胞の
新陳代謝をしているわけです。

古い物から新しい物へと変わっていく私たちは、
神様の細胞と言えるでしょう。
お金もいっとき現れ、また消えてゆくものです。
心ではないのです。



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「御垂訓」

2019-01-22 00:39:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は先日投稿しましたお釈迦様の涅槃像が
安置されているインドのクシナガラにある涅槃堂です。


~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 十

先月は光の天使について説明させていただきましたね。
光の天使とはほんとうの神様、大いなる神ですね。
私たちを造っていただいた父なる神であり、
この大宇宙の中でただ一人のこの方を、まことの神、
父なる神と申しあげております。

この神様と全く同じように、この地上に肉体を持たれて、
ほんとうの神様と表裏一体まで、
ご自分の魂を高められたお方が如来様、
あるいは光の天使ですね。
その下に、今月の学びの諸天善神がおられます。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」~心の扉~

2019-01-21 00:18:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

今回投稿のお写真は二日前に投稿しましたお写真の関連写真です。
恩師「長尾弘」先生が手の平に乗せて示しておられました金箔が
この涅槃堂に頭北面西右脇臥に安置されているお釈迦様の像に
掛けられた衣の上に金箔が沢山舞い降りているところの写真です。
写真のためクリアではないですが、金箔が舞い降りているのは
視認できるかと思います。


恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ


おはようございます。
長尾弘です。

朝の爽やかなひと時、
ご一緒に心の夜明けを迎えましょう。

今朝はお金についてお話させて戴きます。
よく神様や仏様にはお金を
惜しまないで使う人があります。
それはそれで熱心なことでしょう。

また、それを人に勧める人もあります。
但し、お金と言うものは人間社会で
通用しているものです。

心そのものではなく、物質です。
お金を使ったことで神や仏の心に叶ったと
誤解してしまうことがないように、
したいものです。



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「御垂訓」

2019-01-20 00:40:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 九
「この現象界は神仏よりいっさいの権限を光の天使に
    委ねしところなり光の天使は慈悲と愛の
      塊にしてあの世この世の諸霊を導かん」

先の続き・・・
大岡越前が、ある裁判をするのに、まだ独身の時でした
から、女性問題の裁判になりまして、
どうしても理解ができないでお母さんに教えを請うたのです。

「私はまだ独身ですから、男女の機微というものが
分かりません。
人間の色情の想念というのは、
いったい何歳位まで続くものですか」と。
その時お母さんは、黙って火箸を持って、
火鉢の中の灰をずっとかきまわされたのです。
その姿を見て、「人間の煩悩というのは灰になるまで
付いて回るのだなあ」ということを悟られたと聞いて
おります。

私たちは灰になるまで、常に肉体の悪魔と共にあるのです。
悪魔といっても、目に見えない世界の恐ろしい悪魔では
ありません。

自己保存と自我我欲こそ悪魔の正体です。
「自己保存と自我我欲の煩悩を捨てるべし」と
「心行」に書かれています。
死ぬまでついてまわるこの煩悩を、
いかに自分から厭離させるかが修行かと思います。

日々の生活の中で、煩悩は常に誘惑の手をのばして
きますから、少しでも遠ざけるようにすることも、
ふるさとへ帰るときに果たすべき志の一つという
ことができます。
このようにして幸せを築いていきたいと思います。

                
    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」~心の扉~

2019-01-19 00:26:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真はインドのクシナガラに建立されている
お釈迦様の涅槃堂にて恩師「長尾弘」先生がお祈りされた時に
空中からヒラヒラと舞い落ちた金箔です。
手の平に乗せてお示しになられているのは恩師ご自身です。
この涅槃堂を恩師は七~八回ご訪問になられていますが、
その度毎に常に金粉・金箔が沢山降ってきます。


恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:分け隔てのない心は太陽の心


先の続き・・・

太陽には罰を当てるなどと言うことはありません。
外へ出て太陽に向かって、馬鹿野郎と言ったとします。
太陽はお前には光をやらない、とは、言われません。
昔の民話に、昇る太陽を弓矢で射て
罰が当たった男の話がありますが、
あれは人の驕り高ぶる心を諫めた話で、
実際にはそういうことはないのは
言うまでもないことです。

太陽はそのように大きな慈悲と愛そのものの姿です。
感謝する者にも、しない者にも、
同じように熱と光を注がれるのです。
太陽に唾を吐きかけても、
知らん顔で光を与えてくださいます。
仕返しの唾なんかは返ってきません。

天に向かって唾を吐くと言う言葉があります。
あれは天から唾が返ってくるのではなく、
単に引力の法則で、自分の唾が
自分に返ってくるだけです。
天も太陽も仕返しはしないのです。
あるのは、慈悲と愛です。

都合が悪いからと言って、報復手段をとったり、
悪口を言われたからと言って、
言い返すようなことは、太陽の心、神の心、
大自然の調和に背いています。
やがて自分を苦しめるだけのことです。
何をされても、何を言われても、唯、
させていただく、その行為、その心こそ太陽です。
誰でも見ることができ、
見上げればいつも変わらぬ太陽、
それはどんな曇り空を通しても
伺い知ることができます。
今朝の光を心と体で受け止めて、
太陽の心について考えて見てください。




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「御垂訓」

2019-01-18 01:11:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 九

「この現象界は神仏よりいっさいの権限を光の天使に
  委ねしところなり天使は慈悲と愛の塊にして
      あの世この世の諸霊を導かん」

先の続き・・・

私たちが学ばせていただくこの正法といいますのは、
お釈迦様がお説き下さり、
またイエス様がお説きになった教えです。
キリスト教のお方に会いますと、
「仏教のような異端の教えでは、
天の国に入れません」と言われますし、
仏教の方は「あんな磔になるような人の教えで、
どうして救われるのでしょうか」とおっしゃるのですね。
どちらも悪口を言ってはいけません。

ほんとうはどちらも尊いのです。
それはどちらも正法だからです。
しかし、悪い面だけを見て
「我がええ、我がええ」になってしまいますと、
私たち個人の上からみましても、
法の上から見ましても、
はずれております。

「我がええ」という思いをできるだけ捨てるように
戒めて、常に己を厳しく見つめ、「自分はどうか」と
いうことを追求していきたいと思います。
その中でもし過ちがあり、間違いがあれば勇気を持って
正すことです。
自分を非と認めた場合、或いは自分が正しいと思いましても、
大勢の方から見て、もし正しくないと判断されたものは、
勇気を持ってその非を改めていった時に、
魂が向上するかと思います。

これが正法の実践につながります。
私たちは死ぬまで修行です。
この世の肉体を去るまで、一瞬たりと心を
ゆるめることはできません。
なぜかといいますと、この肉体のある限り、
悪魔は常に私たちを誘惑しようとねらっているからです。
悪魔とは肉体の五官です。

これは、おいしいものを食べたい、楽がしたい、
良い家に住みたい、
他の人よりいい恰好がしたいという想念であり、
これこそが悪魔です。
この悪魔は魂がこの肉体を去るまで決して離れません。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」~心の扉~

2019-01-17 00:38:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お写真は浄心庵「心の道場」にて禅定中の
恩師(故)長尾弘先生です。
何も人為的な処置はしておりませんが、
御覧のように道場全体が紫紅色に輝きました。


恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:分け隔てのない心は太陽の心


先の続き・・・

さて、先ほど言いましたように、
私の好きな言葉は、太陽の心です。
太陽は、太陽そのものが燃えて、
つまり、自らの身を燃焼させ、
その結果として現れた、
熱と光で他を生かしてくれていると、
考えることができます。
熱と光とは慈悲と愛です。

宗教の宗と言う字は、
宇宙を示すと書きます。
宇宙を示す教えこそ
本当の宗教であり、生きる指針です。
その最も近い宇宙は太陽であり、
太陽系の宇宙です。

身近な太陽系を思うとき、
それは人の生きる指針を教えてくれます。
自分を燃え上がらせ、
自らを犠牲にして
他に慈悲と愛を与えなさいと、
言う教えが
太陽の中に現れています。

太陽には差別というものはありません。
病人にも健康な人にも、金持ちにも、
そうでない人にも、皆、平等に光と熱を
与えてくださいます。

太陽の心を持つなら、
私たちも全ての人と分け隔てなく、
全く平等のお付き合いを
しなくてはならないと思います。
どんな人にも分け隔てなく、
恵みを与える太陽の心は神の心です。




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