浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2022-03-31 00:10:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
~ 恩師のご著書「講演集」より ~


              講演集 一

     「内在する智慧に至るのが魂の修行」

この世に生れて、魂の修行をし、
自分を高めて来ますと言って、魂の兄弟と約束をして
生まれてきますが、この世でのいろいろの事情によって
心を真黒にしてあの世帰りますと、
本当のふるさとである天上界には
帰ることはできません。

あの天上界から地上界を見ましたら、
断崖絶壁のとても危険な場所です。
一歩足を踏み外したら底の見えない谷底へ落ちたり、
霧が立ち込めたら、
一歩も進めないような全く危険極まりない地上の現象世界です。
天上の実在界から見ましたら、この地上界は危ない所ですが、
そこで自分の魂の修行をする為に降りて来ているのです。

オギャーと生まれて来た時、
私たちの魂が百パーセントあるとしますと、
九十パーセントまでは潜在してしまいます。
残る僅か十パーセントが私達の表面意識です。
そして心の奥底に内在されている沈んだ部分が「般若心経」に
説かれている「パニャーパラミター」です。

心を開くと、この潜在している部分が分かってきます。
「般若心経」がなぜ尊いかと言いますと、
内在された偉大な智慧に到達する教えだからです。
この潜在している智慧に至ることができるのです。
そうすると、極楽へも地獄へも自分の意識で自由に行けます。
昔から「般若心経」は尊いと言われている理由は、ここにあります。
僅か十パーセントの意識をもって私達は危険極まりない地上の
現象世界において魂の修行をするのです。



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「御垂訓」

2022-03-30 00:26:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師のご著書「講演集」より ~


          講演集 一

   「循環を繰り返して神仏に近づく」

水は太陽の熱エネルギーによって蒸発して
天に昇るのですが、
熱作用によって冷たくなれば収縮して固体化し、
やがて凍って固まり重くなって下に降りて来る。
その途中で溶けて雨になるのですが、
下へ降りては上昇して、又下へ降りて来ます。
水も循環しています。

例えばここに池があるとして、その池の水が蒸発して
再びこの池に降りてくるかと言うと、そんなことはなく、
上に昇ってしまえばどこへ飛んで行くか分かりません。
水蒸気は成層圏へ上がってしまえば、
アメリカに雨となって降りるかも分かりません。
反対にヨーロッパに行くかも知れません。

それと同様に私たちも命が終わって、
私達の意識が無事天上の世界に帰りましたら、
今度は自ら望む自分の魂の修行しやすい場所へ
また降りて来るのです。

日本人は日本人として生まれ代わるかと言えば、
それは違います。
日本の国に代々生まれているから言っても、
それはとんでもないことで、
世界中のあらゆる国に転生輪廻しているのです。
その場所で自分の魂の修行をしているのです。

魂の修行とは何かと言いますと、自分の心の曇り、
自分の持っている悪い癖、欠点を払っていくことです。
やがて循環の繰り返しをして最後に神仏の心に
到達していくのですね。
それが私達のこの世に生まれた目的です。


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「御垂訓」

2022-03-29 00:05:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


          講演集 一

     「過去世の自分が分かる」

私は千三百年前にはチベットでラマ僧をしていました。
先日心を開いてくれた人で、当時私の弟子だった人が出てくれて、
その当時の中国の言葉で当時と同じような礼儀でもって
挨拶をされました。

また六百年前にには私はイスラエルで、
イエスの教えを人々に伝えていました。
あの砂漠をロバの背中に食糧やら水やらを大きな皮袋に詰めて、
人々にしっかり教えを伝えながら歩いていました。

また今から四百二十六年前にもやはり、
イスラエルで伝道の仕事をしていましたが、
それはその当時、私の娘だった人が当時の報告をしてくれて、
そうだったことが分かりました。

人間はこのように繰り返し繰り返し生まれ代わって生きています。
ただ私達は実証できないから皆、分からないと言っています。
専門の方でも分からないものを追究しても仕方がないといって
携わらないのですけれども、
心を開きましたら、自分の過去が自然と分かってくるのです。

私はインドの地において、
やはりお釈迦様の教えをいただいた時もありました。
そしてイスラエルでは、あのパウロの妹を、
何回も助けています。

そのような不思議なことが、自分の心に目覚めた時に
分かってくるのです。
しかも他の方から証明してもらえたりもします。
私はあの当時は、こういう仕事をさせてもらっていたのだなあ
ということが分かってきます。

次々と他の方が証明して分からせて下さるので、
自分というものが、どういう者だったかを知ることができます。
これは循環の法則に従っているのです。


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「御垂訓」

2022-03-28 00:20:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


             講演集 一

      「釈迦は自ら目覚めよと説く」

私共はこの世を去りましたら、
天上の世界に帰れますようにと思いますが、
この世の生活が幸せであれば、必ずあの世へ行っても幸せです。
続きの世界ですから何ら変わった所へは行きません。
腹ばかり立てていたら、腹立ての世界へ行きます。

そういう世界へ自分ではまりましたら、
なかなか出て来られません。
これは、子孫がいくら拝んでも、お祀りしても、
いい戒名をつけてもらっても救われません。

なぜかと言いますと、お釈迦様がおしゃっていることで話しますと、
お釈迦様が弟子と共に説法の旅に出ておられた時、
池のほとりで休憩されました。
その時弟子が、時に先生、
西の方から来たバラモンの教えによればこの世において罪、
過を犯し、暗い世界に落ちた者でも、バラモンが来たりて、
供物を捧げ経文を唱えて、

その者の為に供養を積めば救われると聞きました。
先生もそのようにされるのですか」と質問したのです。
するとお釈迦様が「それでは私からそなたに一つ質問をさせ欲しい」
とおっしゃって、池のほとりにあった一つの大きい石を指して
「この石を前の池に投げ込んだら、この石はどうなるか」
と聞かれたのです。

これは、子供でも分かることで、石を池にはめたら沈んでしまいます。
弟子が「石は沈みます」と答えました。
するとお釈迦様は「まさにその通である。
それでは今沈んだあの大きな石に対して、
この池の周りに祭壇を組んで、よき戒名をつけ、
石に対して供物を捧げ、
バラモン衆が来たりて石を上がれ、
石よ上がれと経文を唱えて踊れば石は上がるだろうか」と聞かれました。

いくら石を拝んでも上がって来ることはないのは、
子供でも分かります。
「それは無理でしょう」と弟子が答えると、
「まさにその通り、私らは、自ら汚れ、自ら重くなり、
自ら沈むものである。
では、そのような沈んだお方でも救うことができるのは、
その方の心が目覚めてくれた時です。

その時、ほんとうに救われます。
その方に対して「この地上で生活した時のことを反省しなさい。
あなたは原因結果の法則によって、
あなたが作ったこの世での原因によって、
今暗い世界に結果としておられるのです。
だから原因を徹底的に追及して懺悔、反省をしなさい。

心の底から泣いて泣いて神に許しを乞うたその時、
自分の心は安らかになって救われます」と話しかけますと、
心が軽くなるから、自然と浮き上がって来るのです。
こういうことがお釈迦様の一つのお経の中に説かれています。


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「御垂訓」

2022-03-27 00:29:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


            講演集 一

     「般若心経」の一節「観自在菩薩」

何事が起きても悪く見る見方と、喜びに見る見方とがありますから、
このことを般若心経の中に「観自在菩薩」と説かれた教えに沿って
考えてみたいと思います。
まさに読んで字の如し、観ることが自由自在のことです。
菩薩はインドのボサターといって、仏を目指して修行する人のことを
言ったのですが、私たちがこうして正しい教えを学んで、やがては仏に
至らせてもらおうという方へ心を向けることができれば皆菩薩です。

仏道を行じる者を菩薩といいます。
「菩薩」はのちに大乗佛教になり、観世音菩薩とかいろいろな名前で
呼ぶ特殊なお方に限定されましたけれど、
本来は仏道をめざして修行する者を言ったのです。
「観自在」とは、例えばここに一つの灰皿がありますね。

上から見るとタバコを置く窪みがあってボコボコの面、
横から見ると梯形で角ばった面、
底のほうから見ると丸く調和した面というように、
一つの灰皿を見ても見る面を変えるとそれぞれ違って見えます。
これと同じで、私たち人間を見ましても、大層嫌な面、角の立った面、
人を見たら突っかかって行くような面を持っている反面では、
調和されたすばらしい心を持っているのです。

こんな簡単な灰皿一つを見ましても、いくつもの面を持っていますのに、
私達人間のこの複雑怪奇の心は、あらゆる心を持っていて、
それで一人一人の人格を構成しています。

私達は自分にとって都合の悪い、角のある、デコボコの面を見て、
あの人はいやらしい人だと評価します。
ところがその人の或る面には、すばらしい調和された心が
備わっているのです。
これは、すべての人が持っているのです。
私達はこの良い面を見ることができないのですね。

特に夫婦の場合、何十年と経った時に、
そういう良い面を見るに至るのですが、
その道中に嫌な面ばかりを見るのです。
そして苦しむのです。
「観自在」とは、人を見ても自由自在に見通す能力を言います。
人に会った時に、自分にとって都合の悪いことをされても、
この人は今こんなことをしているけれども、
反面ではすばらしいものを持っている、
とその良い面を見て褒めてあげるのです。

その時、角ばったことを言われたら人は怒りますが、
その人自身も知らない良い面を見つけて褒めてあげれば、
必ず「あの人は何とすばらしい人だなあ、
私のこんな面を知ってくれている。
あの人の為だったら私の命を捧げてもいい」という程、
その人の心を掴むことができます。

その人の隠れたすばらしいものを取り上げることができず、
愚かな私達は、つい嫌な面ばかり見詰めて、
しかもそれがその人であると決めつけようとします。
これは大きな苦しみの原因を作っていますね。

「般若心経」は、私達が生まれ変わり生まれ変わりして転生輪廻を
繰り返して、心の奥底に内在する偉大な智慧に
達するということを言っています。
近代佛教思想では、「あの世は無い」と説かれていますが、
実際あの世はあります。

これは私自身が掴んでおります。
今見せてもらった金でも、
あの天上の世界から降らしてもらっているのです。
あるから出て来るのです。
無かったら出て来ません。


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「御垂訓」

2022-03-26 01:03:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の御著書「講演集」より ~


           講演集 一

   「心を苦しめると必ず不幸が来る」

人は誰でも過ちを犯します。
過ちを犯し易いものです。
しかし、
その過ちによって自分を苦しめることは正しくありません。
それは悔い改めることです。

「悔い改めた時、汝の罪は許される」
これも本当の神の心です。
ですから、「過ちを改めるに憚ることなかれ」
過と気付けば、心を素直にして悔い改めていけばよいのです。
そして、
いつまでもその過ちを心の中に持って自分を苦しめないことですね。

絶対に自分の心を苦しめてはいけません。
これを今日のご縁として
精進して戴きたいと思います。
自分の心を苦しめたら必ず不幸が来ます。
たとえ他から与えられた苦しみであっても、その苦しみを自分が
受けてしまったら自分のものです。

その見方、思い方を喜びに変えて
感謝できる見方をさせてもらうように、
その時この世の苦しみから自分が解脱していけます。

「私達は思いの中に生きさせてもらっている」と言いますのは、
このことです。
「思いの中に自分の人生を築いている」のです。
他から与えられたものと違います。

だからまず感謝して
喜ばなくてはいけません。
「結構の源やん」のように思い方を変えて
自分が感謝し喜びに満たされていれば、その方ご自身の心は
苦しみから解放されて安らいでおります。



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「御垂訓」

2022-03-25 00:17:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


            講演集 一

    「当たり前のことを実践する」

どうか目覚めて下さい。これは大変簡単なことです。
私達は自分の両親から戴いた無条件の愛に対して感謝報恩の
行いをしなければいけません。
そしてこれ又分かりきったことですが、
夫婦は仲良くしなくてはいけません。
心の底から夫婦が調和しなくてはいけません。

そして自分の子供には豊かな愛情を注がねばいけません。
盲愛はいけません。
これは当たり前のことです。
その当たり前のことができなくて、皆苦しんでいるのですね。
今日家に帰られたら、まず実践して戴くこと、そして、
今度はまたご縁がありました時には、
これだけご利益を戴きましたと喜んで下さいますように。


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「御垂訓」

2022-03-24 00:08:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


             講演集 一

         「黄色い光の現象」

今から七、八年前、泉大津でお話をさせてもらいました時、
或るおじいさんが合掌して迎えて下さるのです。
それに応えて私も「ご苦労様です」と言って
中に入らせてもらったのですが、
「先生から出ている黄色い光(オーラ)が見える」と言われるのです。
「私にはそんな光が出るわけがありません。

そんなことは言わないで下さい」
と言ったのです。他の或る方が「痛くてたまりません。
先生のその光をいただけませんか」と言われましたから、
「どうぞ戴いて下さい」と言ってその方に光を入れました。すると、
その場に警察の署長さんが来ておられて、
「ワァー」と唸り始めましたので「どうされましたか」と聞くと、
私が「神の光を与えて下さい」と言って祈りました時、
この手から光が入っていくのがはっきりと見えたと言われるのです。

その人がびっくりされたのですが、
その時も部屋中に金粉がキラキラと降って来ました。
私も身体中がキラキラになり、
坐らせてもらった周りも金粉で一杯になりました。

その時、あまり勿体ないので、
今後はこういう現象は現わさないで下さいと神にお願いしたのです。
それ以後、私の身体から金が出ることは無くなりましたけれども、
縁ある場所に寄せてもらいましたらやはり辺りに出て来ますね。
不思議なことと言えば不思議、有難いといえば有難いことです。

ただ、日々の生活の行いを正して、
過去に犯した過ちを徹底的に反省していくことです。
今こうして、姿かたちは皆さんと同じことで何の変わりもありませんが、
私が今までに自分の過ちに気付いて流した涙は、
恐らく一升瓶の二本や三本ではきかないと思います。

それ程泣いて泣いて自分の過去の過ちに気付き、懺悔させてもらって、
自分の生活を正していきました時に神の光を十分に戴けます。
先程から話しました心のスモッグを払うことですね。



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「御垂訓」

2022-03-23 00:43:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                講演集 一

          「空中から金粉が舞い降りる現象」

先の続き・・・

お釈迦様は今から二千五百年余り前、
インドの地においてゴーダマシッタルダと言う
釈迦一族の王子として
お生まれになりました。
―――この時、会場にキラキラ輝く金粉があちこちから見つかり、
会場中騒然となって金粉探しに全員が熱中して、
先生のお話もしばらく中断―――私は今、金粉を降らせて下さい、

こういう現象を見せて下さいと言ってひとことも
お祈りをしていませんが、
現象の話をさせてもらったら、
神様がこういう現象を現実に見せて下さるのです。
各地に寄せてもらいましても、
その場よって金粉の現象が全く現れない所もあります。

今こういう現象を見せてもらうのは、
皆さんの心が調和されていたからだと思います。
何も無い所から金が降るという話だけを聞きました場合は、
余りにも馬鹿馬鹿しいことですから、
見ない方には相手にしてもらえないのですが、しかし、
現実は否定できません。

これが、私達の心の曇りを晴らした時に起こる現象なのです。
その金粉は持って帰って下さい。
―――尚も会場では金粉探しが続き、
先生は「私が一生懸命お話しても皆さんが
聞いて下さらなかったら・・・」と、
言われたので大笑いとなりました。―――
こういう金の現象を見せていただくことも神の大きな慈愛です。
本当にこういうことがあるんだなあ、
これは心を大切にしなくてはいけないなあと、
どうか目覚めて下さい。



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「御垂訓」

2022-03-22 00:16:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                  講演集 一

            「空中から金粉が舞い降りる現象」

お釈迦様はおっしゃいました。
弟子を伝法布教に出させる時、「世の人々の幸福と、
人々の利益の為にその地に赴いて尽くしなさい」と、
私達も至りませんけど、
日々の生活にそのように夜も寝ずに実践させてもらっています。
今日、九月の第五日曜日でこちらへ参り、
このあと長門市の方へ行き、
夜十二時過ぎまでお話させてもらう予定になっています。

四国へ行きました時もあの万博の千里の方の
車に乗って夜中の一時に
四名で出掛けたのですが、他の方は一睡もしていられません。
私は一時間ほど休ませてもらいました。
一日に四百キロも車で走り回り、
その晩も寝たのは十二時と過ぎていました。

自分の思いの中から、すべての自我というものを捨て去って、
ただ赴く所の方々の幸福と利益の為に
自らの肉体を使わせてもらった時、
必ず神は、仏は、力を見せて下さいます。

そして普通では信じられないようなことですが、
空中から金粉がキラキラと舞い降りて来ます。
よく仏教の儀式の中に蓮の花を象った紙を散華されますね。
あの散華のできた由来は、
私がつかませてもらった現証の中から思いますのに、
尊いお釈迦様が説法をされた時に、
何もない宇宙空間から金が降って来たのだと思います。

そして、ある所では私が歩かせてもらうと、
足の跡に花が咲くように金が出て来て、
その通路がずっと金の絨毯を敷いたように
金ピカになってしまいました。
そのような体験から、
仏教であのお釈迦様の御足を頭上にいただいて
行われる儀式の意味がよく分かります。

尊い偉大なお方だからです。
私のような者でも、そういう奇蹟を見せていただくのですから、
ましてやお釈迦様では当然のことです。
歩かれたら必ずそこには金が出るし、
またお説法されたらその場に金が降って来たと思います。


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「御垂訓」

2022-03-21 00:08:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の御著書「講演集」より ~


             講演集 一

         「戒名」について

あの「戒名」ですが、「○○大院殿○○居士」というすばらしい
戒名をつけてもらうと、莫大なお金がかかるそうです。
「あなたも立派な戒名をつけてもらっているでしょう」といいますと、
その殿様は「あれは何にもならんのう」とおしゃるのです。
いくらいい戒名をつけてもらっても、
それは亡くなった方には何の関係もないのです。
分からないからです。

その証拠に、あの世の霊の方と数えきれないほど
お会いさせてもらってお救いさせていただきまいしたが、
そういう方は皆、戒名は何にもならんとおしゃいます。
そして、呼び出す場合に戒名を呼んでも出て来ません。
自分のことだと分からないんですね。
俗名を呼んだら出て来ます。

「おい、はっつあん」と言うたらすぐ出て来ます。
「おい、熊さん」と言うたらすぐ出て来ます。
常にいちばん親しい自分の呼び名を覚えているんですね。
だから戒名なんか呼んでも出て来はしません。
そのようになっております。


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「御垂訓」

2022-03-20 00:06:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                  講演集 一

          「お茶、ご飯、線香、経文の供養」

さて皆さんもご経験あるかも知れませんが、霊が入って来て、
お茶が欲しいとか、水が欲しいとか、
経文を唱えてくれとか言われます。
その殿様ともいろいろと話をいたしましたが、
「わしはお茶が欲しいんじゃ」と言われるのですけど、
「あなたにはお茶は差し上げません。

いくらお茶を召し上がっても、
それによってあなたは救われません」と言ったのです。
「今日まであなたの子孫が、
数え切れないぐらいのお供物をしてくれたでしょうが、
それによってあなたは救われていますか」と言うと、
救われてはいないのです。
「ああ供えてくれたなあ」という一時の心の納得というか、
供えてくれたという思いはあるのですけれども、
いつまで経っても満足を得ることはできません。
この世の物質、物によって救われることはできません。

だからご先祖様にお茶を供え、炊きたてのご飯を供えるのは、
「先祖様のお陰で、こうして今日も熱いお茶やご飯を頂戴できます」
と言って感謝の気持ちを形として表すのです。
それが本当のお供えです。
そうでなくて、「ご先祖様、食べて下さい」と言って
供えてはいけませんよ。

多くのご先祖様が取り合いをして「俺の飯もうないわ」と、
必ずそういうことになると思います。
しかし極楽へ行くと「ご飯、お茶」と思えばすぐに出て来て、
何の不自由もないのです。
本当の帰るべき世界、正しい教えというものを知っておりますと、
そんな供物はいりません。

さて、先程の話のように霊がかかりますと、
熱いお茶を丼に二杯三杯は見る見る飲み干してしまいます。
意識なしにです。
或る場合は線香が欲しいと言って、
煙を外に逃がさないようにして皆吸ってしまったりします。
臭くて煙たい線香を嗅いで自己満足するのですね。
でもお茶も線香も救われる為には何の役にも立たず、
そういう迷っている方は何回も出て来られます。

「お坊様の唱える経文の供養によって救われましたか」と聞きますと、
「あれは何にもならん。意味が難しくて訳がわからんわい」と
おっしゃいます。
だからいくらお経をあげても何にもならないのです。
お経文の有難いのは、その意味を理解して、
そして日々の生活にそれを実践してこそ、経文の功徳があるのです。


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「御垂訓」

2022-03-19 18:36:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 昨日停電があり、システム回復のため当ブログの投稿が
  遅れましたことをお詫びします。


 ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


              講演集 一

         「八百年地獄に迷った霊」

平家の一族で大宮家一族という方々が八百年から経っているのに、
一族皆で苦しんでおられました。
縁あってお会いした大阪のAさんに向かって「どうぞこの方を 
支配しなさい」と申しますと、殿様が出て来られたのです。
「誰が我を、このような所に呼び寄せたか、我を誰がこのような所へ・・」
と、Aさんに憑依して言われるのです。
そこで「あなたを救う為に私が法の力をお借りして地上の世界へ
あなたを呼びました。

あなたはどのような世界におられるのですか」と聞きますと、
「我のいる所はのう、真っ暗で穴倉のような所におるぞ」と言われます。
「それはどこかご存じですか」と聞くと、
「それは真っ暗で見動きもできず何も分からん」と言われのですが、
そこは地獄です。

墓の中に意識があるのです。
だから真暗で身動きができないのです。
「あなたも地上での生活を振り返って、よく反省してみて下さい。
そして過ちに気付いたら心から神にお詫びをしなさい。

その時あなたは救われることができますよ」と言いましたら
「我一人じゃないぞよ、我のあとに幾百人もおるぞよ」と、
昔の殿様ですからね。
そうおっしゃっいますから、
「幾百、幾万の方がおられても構いません。
私がいちどにお救いしましょう」と言うと、
「受けることができるかな」とおっしゃる。(笑い)

「受けられるか受けられないかは、
やってみなくては分かりません、
私が間違いなしに皆さんをお救いしましょう」と言いましたら、
「では、もし受けられん時は、如何に致すか」と言われます。
「それではあなたに縁ある諸霊の方すべてをこの場所に呼びなさい。
あなたに縁ある諸霊は、あなたが呼びなさい」と言いますと、
「者ども、この場に控え!」大きな声で言われるのです。

その時、ちょうど私の弟子、いえ弟子ではなくて心の友ですが、
縁によって過去世、未来の霊視のきく方がその場にいて見ておられたのですが、
ずうっと無数のお侍さんが私の前に並んだそうです。
傑作なのは「者ども、この場に控え!」と言っていたその殿様が、
自分ひとりさっと私の側に飛んで来て「助けてくれや、助けてくれや」
と私にしがみついたのです。

いくら殿様は武将だといっても、いざ助けてもらう段になったら、
「者ども先に救うてもらえ、わしは後から救うてもらうぞ」と
いうような立派なのではなくて、自分が先に救われようとして、
しがみついて来るのですね。
「よろしい、救ってあげましょう」と言って殿様をお救いし、
次に家来の皆さんをお救いしましたら、
みなありがとうございましたと手を挙げて行ってしまわれたのです。
すると面白いことにAさんがバタンと倒れてしまったのです。
意識が無くなってしまったのですね。

そこで「どうかこの方の意識に光を与えて下さい」と祈り、
しっかりしなさいと言いますと、ポッと起き上られました。
実は殿様の一族を全部お救いさせてもらった後で、
その人の家来だった方でたまたま野外で用足しをしていた霊がおられたのです。
亡くなっても、生きている時と同じ思いでおられますからね。
この霊は殿様が「この場に控え!」と言われた時に留守をしていて、
あとから出るということがありました。

迷える霊が救われる為には、「ほんとうに自分の心の曇りを払って、
自分の心に神仏の光をいただきなさい。
そして自分の過ちを悔い改めなさい。
その時あなたは必ず救われます」と言って教えてあげます。
そしてその方が悔い改めた時に即、救われます。
今日までに余りにもそういう体験が多いので、
これは自信を持って言うことができます。


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「御垂訓」

2022-03-18 00:10:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


           講演集 一

       「心のスモッグを払う方法」

先の続き・・・

幸せになる為には、まず日々スモッグを出さないことです。
腹を立てないことです。
「私は腹を立てたくないのだけど、周りの者が立てさせます」と
言いますが、仮に周りの者が腹を立てさせたとしても、
腹を立てているのは自分自身です。
苦しいのは自分自身です。

だから何としても自分を苦しめることは、
もうお断りしなくてはいけませんね。
でも、辺りの人々を見ますと、過去にスモッグをたくさん出しながら
自分が苦しいものだから、どの宗教に入ったらいいだろうか、
どこの神様に参ったらよく聞いてもらえるだろうかと、
今朝の新幹線の中の方のように宗教にすがり、
そして「一生懸命拝んでもご利益はありません」ということになります。

私は「ご利益などあるわけはありません」と言ったのですが、
自分がスモッグを現に出しながら、
ついつい苦しいものだから滝に打たれて行をしたり、
あの信仰をしたら救われるのだとか、不幸から
逃れられるのだとか言って次々に自分が心のスモッグを出していたら、
苦しみがとれることはないわけです。

まずこの心のスモッグを止めて、払ってしまえばいいのです。
そして、先に出したスモッグを消していくことです。
ではどうして払えばいいかと言いますと、
神の光を自分からお断りした世界ですから暗くて苦しい、
その暗い世界を一つ一つ反省して、
自分が過去にスモッグを出した原因を一つ一つ反省して、
神にお詫びをし、悔い改めた時に、その苦しみが払われます。


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「御垂訓」

2022-03-17 09:21:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 昨夕停電がありシステム回復のため当ブログの投稿が
     遅れましたことをお詫びします。

 
~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                講演集 一

          「心のスモッグを払う方法」

だから、できるだけスモッグを作らないように、
以前に出してしまったスモッグは消さなくてはいけません。
これが私達の修行です。
これは初歩の話ですが、
ピカピカに磨いたコップに奇麗な水を汲んで来ますと、
これは透明で綺麗なものです。
これが赤ちゃんとしてこの世に生まれさせてもらった時の私達の心です。

ところが怒り、愚痴、貪欲に足ることを忘れた欲望によって、
ちょうどインクをスポイドでもってポトンポトンと綺麗なコップの水の中に
落としているように、心を汚しています。
そのインクも最初はうす青くても、
たくさん入って濃くなると真っ黒になってしまいます。
もう何も見えません。

そのような真っ黒になった心を、どうすれば綺麗な水に戻せるかと
言いますと、まず実践しなくてはいけないことは、
インクを注ぐのを止めることです。
怒り、妬み、愚痴の無い綺麗な水を一滴一滴注ぐこと、
時間はかかってもよろしい。

休みなしに注ぎましたら、やがてまた元の綺麗な水に戻ってきます。
常に水を注ぐと言いますのは、
折にふれてこういう話を聞かせてもらうことも、
これも綺麗な水の一つです。

さらに、こうしなければいけないと言って努力することが次の一滴です。
この法則に従って常に努力してもらわねばなりません。
「ああいい話を聞いたなあ」と言って外に出たらもう忘れてしまったのでは、
何のご利益もありません。


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