恩師のご著書「講演集」より
講演集、 三
相手の立場に立って見る訓練
私たちはどれほど「私は間違っていない、私は正しい」と思いましても、
五官を持つ私たちは、
すでに自己保存と自我我欲という色眼鏡がかけられていますから、
見た時、正しいと思っていても間違っているのです。
自己中心に物を見た時、もう自己保存と自我我欲の色眼鏡から逃れることはできません。
ではどうすれば、その煩悩の色眼鏡を取り外すことができるかといいますと、
これはただ一つ、相手の立場に立って見ることです。
そして、善意なる第三者の立場に立つことです。
天の立場、或いは神様の立場に立って、自分と相手を見る訓練をすることが大切です。
自分を中心にしたら、間違います。
それは、感謝を失い、不足や愚痴に囚われることになります。
ご夫婦の間でもそうですね。
ご主人が一生懸命に働いて、そして奥さんは結構に暮らさせてもらっていて、
それでいて、「私は嫁さんだから、主人が養ってくれるのは当たり前だ」と、
感謝を忘れると、主人が有難い存在だということを忘れてしまうのです。
また主人もそうです。
奥さんが家庭の中で掃除、洗濯、家事、留守の間のお付き合い一切をやってくれていても、
それに対して、「おれが働いて不自由な目をさせずに養ってやっているのに、
毎日何してるのか」と、奥さんに対してぼろくそに言います。
しかし、相手の立場に立った時は、主人の側は奥さんの一日の生活―――
主人より一足先に起きて、弁当の用意をして、お子さんがあれば、又大変です。
その一日の間に女の人がこれだけのことをしてくれるのだなと、奥さんの
立場に立った時、「ああ、女の人も御苦労さんだなあ、あんた無理せずに、
適当に一服しなさいよ」と、いたわりの言葉も出てきます。
又、奥さんもそうですね。
「私は家の用事をバタバタと精一杯してるのに、帰ってきたら、
洗濯物ぐらいちょっと取り入れてください」と言って、
主人をこき使おうとしていますが、
しかし、ご主人の立場に立った時、「男は家を出たら、外に七人の敵ありで、
随分とご苦労さんなことです。
毎日、会社に通ってもらって、
そのおかげさんで私たちはこうして生活させてもらい、有難いことだなあ」と思えば、
ご主人が帰って見えたら、
「ああ、ご苦労さんでございました。お疲れさまでございました」という言葉
が出るはずです。
自分を中心にして見ると、お互いに不足ばかりを言い合うことになります。
常に相手の立場に立って見させてもらう訓練を日々にすることですね。