浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-10-24 23:55:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

               講演集、 二

        自ら過去世を明かしてはならない


又、ある所に行きますと、私の目からパァ―ッと光が射したのです。
光を入れた方は「何とも言えないきれいな光が見えた、あれはE・Tだ」
と言います。
それで「E・Tって何ですか」と聞くと、宇宙人だそうです。
いろいろとあだ名をつけて下さいます。
中には魔法使いだとか日本昔話しの神様だとか。
ある方は、「先生の正体は何でございますか」と、
もう何日も一生懸命尋ねて祈られたそうです。
すると、私が面白い白人の服を着て、体はもっと大きくて、
ボロみたいなものを纏ってね、
腰を縄でくくって、変な木の杖をついて出てきたのだそうです。
それでその人がね、「先生、どなたですか」って聞くと、
私が「アブラとハム」と言うたのですって。

その人は四国の人ですけど、「先生ね、昔は油屋をやっていたのだそうな、
何か知らないけどアブラとハムって言うてましたよ・・・」
こうして油屋にされてみたりね。
その場に集まっていた人が「アブラハム、
それはキリスト教の聖書の中に書いてある人だ、
ヘエー先生はそんな人だったのですか」と言っていたそうです。
しかし、そんなものには捉われません。
又そんなものは私に関係ありません。
人は何とでも言います。
しかしたとえ過去は誰であっても、もし今生間違っておれば、
過去を恥ずかしめます。
自分の過去は尊いものです。
その尊い過去世をなぜ明かしてはならないかというと、
それは肉体を頂いておれば、つい過ちを犯すからです。
そして尊い過去を傷付けます。

だから、自分の過去は明かさないという重荷を自ら背負うのです。
それよりも今、今生で今のこの一時、一時をいかに生きさせてもらうか、
そしてできることなら、自ら神の使いであるという証をしたらいいのです。
行いの中に、或いは説法の中に、自分は神の御使い、
私こそ神の御使いであると証明しなくては、
自分の過去を言うばかりであれば、これは通用しません。
行いと、説法、言葉をもって神の人、
神の御使いとしての証しを立てていきたいと思います。
その時、神は願うことなしに、証をされます。
「この者は私の使いである。この者は私の出した御使いである」ということを
神様は証明してくださいます。
至るところでその証を立てられます。
望むことはありません。

神は大自然の意識であり、自然のままに現わされます。
どうぞ皆様も神の御使いとして、そして神様の投網を持って、
神様のよい魚を取り上げるようにひとつ努めて下さい。
小さい魚は逃げても構いません。
縁なき衆生は度し難しで、どれほど救いたい、どれほど幸せになってほしいと
私たちが願いましても、縁のない方を救うことはできません。
ですから、縁ある方、神様の投網にかかる方をどうぞ神の国に
引き上げてさしあげてください。
どうも長い時間、ありがとうございました。


※ ご報告
恩師「長尾弘」先生のご命日(10-25)にあたり、
当ブログの開設日より現在までのトータル訪問者数、並びにトータル
閲覧回数をご報告申し上げます。
ブログ名:垂訓 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 
開設日:(2008-11-11)から本日現在(2020-10-24)
までの4,329-182=4,147日間で: 
(不可抗力で投稿できなかった日数を182として計算しています)

トータル訪問者数:420,166名    一日平均:101名
トータル閲覧回数:1,213,843回    一日平均:293回

多くの皆様の当ブログへの訪問ならびに閲覧ありがとうございました。
恩師「長尾弘」先生も天上界で大変喜んでおられることとご拝察致します。
これを励みとしまして尚一層、皆様に喜んで頂けますよう
ブログの更新を頑張ってやっていかねばと心新たにしております。
皆様どうか今後とも宜しくお願い致します。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2020-10-24 00:08:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 二

       自ら過去世を明かしてはならない


過去世については、言わなくてよろしい。
過去世みたいなものは、たとえいくら過去において偉かったとしても、
今生で呆けていましたら、それは駄目です。
過去世が何であったとしても、そんなものは関係ありません。
自分の過去世の分かる人は、
同時にこれを絶対に人に明かしてはならないという重荷を自ら背負いなさい。
私の過去世が何者であっても、これが何の利益になりますか。

それよりも今の私が、この言葉と行いと思いによって、私は正に神の御使いで
あるという証明をしたらいいのです。
私は神の御使いとして、思い、言葉によってそれを示すことができます。
過去世のようなものに捉われる必要は何もありません。
今、自分が神の御使いとして生きたらいい、証明したらいいのです。
自らの過去よりも立派に生きなくてはいけません。

もしそれよりも現在を落としてしまったら、自分の過去に傷を付けます。
その為に、過去の己を明かさないという重荷を自ら背負っていただきます。
ある方は「先生はいったい何者さんでございますか」と言われます。
「私は、あの田舎者でございます」「いや、ほんとうは何者ですか」
「ほんとうは私です」と言っています。

「いや、人間だったら、先生のようにはできない」と言うのですね。
リウマチで何十年間動けなかった方が、その場で治って動き出して歩き出され
たのです。
するとそのお姉さんが「先生は何者でございますか、こんなこと、
人間だったらできません」
「いや私は私です」あまり不思議なことが起きますとね、
このように聞かれます。

先日も娘さんが腹痛で七転八倒し、
「しっかりしなさいよ。もう二十分ほどで着くから」
「もう十分ほど頑張りなさい」と言って、
車の後の席でお母さんが娘さんを抱きしめて、
やっと着いたというので、両親がその娘さんを
抱きかかえて連れてきましてね。

その娘さんを寝かせて、私は立ったままで光を入れさせてもらいました。
すると、お父さんは自分の娘が、今いうのでおどろいて、私のそばに来て、
「先生はインベイダーですか」って言われました。
インベイダーと言うのは侵略者のことですね。
「インベイダーか」っておっしゃるのです。
これは悪意ではなく、地球人ではあり得ない出来事に驚いて、
そのような表現をされたのだと思います。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする