浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2022-11-30 00:32:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


        講演集、 二

       なぜ「感謝」するのか

悲しみと喜び、苦しみと安らぎは同時には味わえません。
苦しい時は苦しいだけ、喜びの時は、喜びの心しかありません。
感謝に心を満たしますと、
感謝の思いだけですから自らを苦しめる
諸々の他の思いが入らないのです。
一日の中で十分間感謝の時間を持ち続けますと、
この尊い人生の中の今日という日の十分間は、
自分を苦しめる想念から自分を守っていただけるのです。

もし一時間感謝に心を満たしますと、
自分を不幸にする苦しみの原因が入り込まない
一時間を持つことができます。
「思いは一つ」ですから、
朝から晩まで有難い有り難いという感謝の心で過ごしますと、
今日という日が一切の苦しみの入らない
一日として過ぎたことになります。
感謝とは、自らを不幸から防御していただく鎧みたいなものですね。
あらゆる宗教家に、なぜ感謝しなくてはいけませんかと尋ねて、
そのわけの話せる方にあまり出会ったことがありません。
それは知らないからです。


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「御垂訓」

2022-11-29 00:17:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


        講演集、 二

       なぜ「感謝」するのか

自分の心を苦しめては絶対に幸せになれません。
それは神のご意志に背くからです。
少しでも安らぎ、喜び、感謝をすることです。
すべての宗教は「感謝せよ」と言います。
では、なぜ感謝しなくてはいけないのでしょうか。
人間の心は一念三千といって、
一瞬にして三千の方向に飛び回ります。
その三千の方向に飛び回りましても、

実は一つずつしか思っていないのです。
二つを同時に思えないような構造に作られています。
一つのことしか思えないようになっています。
「いえ、私は二つのことが同時にできます」という方は、
泣くのと笑うのと同時にやってみて下さい。
これは難しいことです。


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「御垂訓」

2022-11-28 00:45:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


        講演集、 二

     「思い」は環境を変える

先の続き・・・

私たちは環境の中に生活していると思っていますが、
しかし環境の中ではありません。
その思いの中に生きているのです。
人を恨み、憎んで、心を苦しめていますと、
肉体の上や環境の上に苦しみとなって現象化し、
形となって現れてきます。
この世は物質化、現象化の世界といいます。

心が物質と化して形となって現れるのがこの世の法則です。
もし私たちが心を苦しめますと、必ず環境の上に、肉体の上に、
苦しみとなって現象化していきます。
環境がどんなに苦しくても、辛い立場にありましても、
感謝、喜びに思いを変えた方は幸せに生きています。
その見方からしますと、人生は環境の中に生きているのではなく、
ただそう思っているだけで、実相は自分の心の中にあり、
その心の在り方が自分の環境を変え、健康にしていくのです。
それに気付かなかったのです。


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「御垂訓」

2022-11-26 23:55:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「講演集」より


        講演集、 二

     「思い」は環境を変える

人生とは人との出会いです。
一人では人生は展開しません。
そして、人との出会いの中でさまざまな出来事が起こります。
都合の悪いことが起こると、腹が立ちます。
都合の良いことであれば、心が安らぎます。
しかし、この人生というのは、魂の修行をする場所ですから、
都合のいいことばかりが起きないようにちゃんとつくられており、
しかもいいことよりも都合の悪いことのほうが
多く起こるようにつくられています。
その時、私たちがどのようにして都合の悪いことを喜びに変えてしまうか、
或いは苦しみを苦しみとして自分の中に入れ込んでしまうか、
そのことによって、その人の人生、運命が変わっていきます。

或る女の方が結婚前に怪我をされました。
小指の先がとんでしまって、「私は生まれもつかぬ不具者になった、
結婚もできない」と嘆き、勤め先の会社を恨み、人生を怨み、
自分の運命を怨んで、自殺してしまったという方があります。
或る方は片方の手首から先を切断してしまった時、
「ああよかった。こちらの手が助かった。
あの時両方の手がちぎれずに済んで有り難い」と言って、
感謝していられます。

今は義手の技術が進んでいますから、手に嵌めておられても気が付きません。
その方は幸せに生きておられます。
小指の先をとばしたことで恨んで、悲しんで、苦しんで、自殺する方もあれば、
一方、五本の指をとばしても、ああよかったと喜びに変える方もあります。
これはその方の心の持ち方、思い方の中に違いがあるのです。


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「御垂訓」

2022-11-26 00:30:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二

     精進は厳しく、生涯が学びである

聞いて下さる方がなかったら、いくら喋りたくても一人では喋れません。
お話をさせてもらって、私自身も学ばせていただけますし、
又このお話によっていろんな方に会わせてももらえます。
会わせていただくことによって、人さまの苦しみ、悩みを共に解決し、
少しでも楽になっていただく方法を学ばせてもらえますね。
人間は生きている限り学びでございます。

もうこれでいいということは生命ある限りありません。
今の自分はあまり腹も立たなくなった、
心も大分楽になったという心境に至りましても、
乗り越えたと思っておりましても、
何かのテストを受けて腹を立ててしまいますと、
長い間の精進はそれで失ったことになります。
毎日の生活が修業です。
しかし、有り難いことは法を学ばせていただいておりますと、
悔い改めが早くできます。
反省が自然と身についてくれます。


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「御垂訓」

2022-11-25 00:04:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二

     精進は厳しく、生涯が学びである

日々の生活の中で、私自身できておりませんし、
難しいことは一切ようしません。
しかしせめて腹を立てないようにしよう、愚痴を言わないようにしよう、
人の悪口は言わないようにしようと、こころから始めました。
これらは私の持っていた大きな欠点だったのです。
それを少しでも少なくし、無くしていこうと日々努力いたしました。
すばらしいお方は、幼い頃からそんな思いは持っておられません。
私などはその塊でした。
腹を立てると、もう見境なしに怒りました。
私の顔を見て「あいつは怒ったら鬼より嫌な顔をしている」と言われました。
また、人を憎みました。
憎んだら許しません。

まあ言ってみれば、悪の塊のような人生を送ってきました。
この正法の教えにご縁を頂いて、
それら心の曇りが苦しみの原因だったことを
教えていただきました。
では、苦しみの原因を何とか取り除かなくてはいけません。
諸々の苦しみの原因がありますけれど、まず腹を立てないようにしよう、
次に愚痴を止めよう、足ることを知った生活をしよう、
そのように努力しました。

そして、人さまに少しでも喜んでいただくようにしよう。
少しでもお役に立たせてもらおうと心掛けてきました。
有り難いことに私はそういう環境を与えていただき、
あちらこちらのお話に行きなさいということで、
行かせていただく中で学ばせていただいております。
A先生とも朝から話しをしていたのですが、
皆さまに聞いていただけるからこそ、私も話しをさせていただけます。


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「御垂訓」

2022-11-24 00:25:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二

       心の曇りとは何か

幸せになれないのは心の曇りによるのです。
私たちが知らず知らずに出している心の曇りによって、
幸せの光を自ら遮断していたのですね。
その曇りとは何か。
これはいつも申し上げています。
〔怒り、妬み、憎しみ、謗り、人さまの悪口、
愚痴、恨み、取越し苦労、
不安、恐怖、己を守る為の嘘、貪欲〕

このようなものが、本来は神と変わらぬ、
神の分け御霊を頂いている私たちの
表面を包み、神様と私たちとを遠く離していたのです。
人間はどうしても自分本位になっていき、
その時、人に尽くすことを忘れます。
そして「何でもあって当たり前」と思う心から、感謝を忘れ、
幸せを失っていたのです。


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「御垂訓」

2022-11-23 00:01:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
   恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二

       幸せを求めて皆が歌う

ご縁といいますのは、ほんとうに有難いものでございます。
縁なくして巡り会うことはできません。
こうして大勢の方とのご縁を頂き、
一堂に会しますことは尊いご縁です。
縁を大切にせよ、縁こそ宝である、
私たちはこの宝を大切にしていきたいと
思います。
先日、T地方へ、そしてO地方へ招いていただきました。

いま又こうしてはるばるO地方から立派な先生に
わざわざ訪ねていただけるということは、
私にとりましてこれ以上の喜びはございません。
又東京から岐阜県から富山県から、
或いは広島の尾道からおいでいただき、
ほんとうに有難いことです。
私のような未熟な者がどうして皆様に訪ねていただけるのか、
大切にしてもらえるのかとよく考えます。

それは尊いご縁によってですけれど、
皆様が心の中に幸せにならなければならないという共通した
思いをお持ちになり、
幸せになる為にはどうしたらいいのかとその道を尋ねて、
こうして集うていただいたのだと思います。
私たちはほんとうにすばらしい光の世界、
幸せいっぱの中に住まわせていただいているのです。
それを無智で知らないが為に、幸せをつかむことができなかったのです。
今日迄の生活の中で、私たちは幸せをつかむ方法を見失っております。


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「御垂訓」

2022-11-22 00:11:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二

       「故郷」の歌合唱――心の調和の為に

今回もう一つ嬉しいことは、お話に先立って皆様に心を調和していただく為に、
Fさんのお譲ちゃんのUちゃんにバイオリンを弾いていただくことになりました。
Uちゃんは西宮から来ていただいております。
このお母さんがいろいろと信仰の道をたどられて、
この子もややこしいところに連れていかれて随分反発していたのですが、
ご縁を頂いてすばらしいお子になっていただきました。
私にとって可愛い可愛いお子でございます。
ではお願いいたします(拍手)。

――バイオリン演奏――「ユーモレスク」他一曲、続いて「故郷」の歌合唱(拍手)。

Uちゃんが途中で泣き出して、バイオリンが止まってしまいました。
ありがとうございました。
すばらしいバイオリンの響きです。
特にお願いをして「故郷」を弾いていただきました。
この歌の中に「こころざしを果たして、いつの日にか帰らん、山は青き故郷、
水は清き故郷」とあります。
私たちはあの素晴らしいふるさとから、
この地上の世界へ自らの志を果たす為に、
魂の修行をしに招いていただいております。

いつの日にか志を果たして、
あの素晴らしい魂のふるさとに帰っていかなくてはならないのです。
いま歌わせていただいたこの歌は、単に学校で習った唱歌と思っておりましたが、
この世のほんとうの志を果たして、ほんとうの光り輝くふるさとに帰ることを、
このように表していただいた歌ですね。
思わず涙がこぼれてしまいます。
毎回お話に先立って、高橋信次先生の残して下さいました心の行い、「心行」の
朗読をさせていただいております。
どうぞよろしくお願いします。
――「心行」の朗読――



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「御垂訓」

2022-11-21 01:08:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
    恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二

       遠方よりA先生、ご来阪

今日はまたたくさん集うていただきまして、ありがとうございます。
第四日曜日は毎月この浄心庵で午後一時十五分から始めることになっております。
今日はたいへん嬉しいご報告がございます。
A先生が是非話しを聞きたい、「愛」について学びたい、そのようにおっしゃって、
一昨日からおいでになっております。

私のような者は足元にも近寄れない立派な先生でございます。
午前中も朝早くから皆さんが来ておられましたので、少しでも長い時間先生の
縁に触れられるようにと思って、私は向こうで遠慮申し上げておりました。
ほんとうにすばらしい先生にご縁を頂載して集うていただくことは、
私にとりましてもまた皆様にとりましても、非常に大きな喜びでございます。
よく来ていただきましてありがとうございました(拍手)。


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「御垂訓」

2022-11-19 23:48:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二

      東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

質疑応答

質問 長い間商売をしてきたのですが、息子の代でやめたので、おばちゃんが
     気落ちしていますが、どう慰めたいいでしょうか。

自分を苦しめるというのは、自分の身体を棒で叩いたり、焚き火の中に入れたりして、
自分を苦しめるという意味ではないのですね。
怒りや妬みや謗りや愚痴や憎しみなど、T教では八つの埃と言っていますが、
八つどころではありません。
取越し苦労、嘘、盗み、貪欲、足ることを知らぬ欲望、それらの心を持った時、
自分の心は必ず苦しい筈です。
その苦しみこそ私たちが地獄へ行く材料となっております。
自分を苦しめることは自分の心の在り方です。
人に善きことをした後、相手からお礼の言葉を求めても、又、人と比較しても
心に苦しみが生じます。

思いを変えたら、一瞬のうちに心が軽くなります。
これが法の持っている力です。
「ああ、自分は愚かだった」と思った時に、苦しみが消えます。
人間、腹が立つのは当たり前で、
肉体を頂いている限り甘い誘惑を受ければ心も動きまし、
愚かな失敗をする場合もあります。
しかし、早く思いをチェンジすることですね。
切り替えが早ければ早いほど、心の苦しみが少なくなっていきます。
「こんなに腹を立てていたら自分が損だ」「私にこんなことがあったから、
あの人が腹を立てたのだなあ、申し訳なかったなあ」とお詫びの心を持つと、
心がすっと軽くなります。


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「御垂訓」

2022-11-18 23:59:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二

 東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

質疑応答

その中を通して自分の魂の修行をさせてもらっているのですから、おばあちゃんに、
「もう商売は息子にあげたのだから息子が潰そうと大きくしようとそんな
ことは息子さんに委せなさい」と言ってあげて下さい。
おばあちゃんは自分の心の苦しみが少しでも少ないように、嘆き悲しんでいたら、
自分が辛いはずですから、それよりも「日々の生活の中で有り難いなあ、
結構だなあと喜びの時間を持つようにして下さい。

さもないと死んだら地獄へ行きますよ」と、このように言ってあげて下さい。
自分の心を苦しめますと、地獄へ行きます。
もちろん人を苦しめても地獄へ行きます。
人も苦しめたら、その報いとして自ら苦しめられますから、
やっぱり同じように苦しむのですね。
自分を大切にしなくてはいけません。



※ご報告
ブログ開設(2008-11-11)から本日現在(2022-11-19)までの
5,121-195=4,926日間で:(不可抗力で投稿できなかった日数を
195日として計算しています)
トータル閲覧回数    1,355,885回  一日平均=275回
トータル訪問者数     517,589名  一日平均=105名
ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いします。

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「御垂訓」

2022-11-18 00:24:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


         講演集、 二

      東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

質疑応答

質問 長い間商売をしてきたのですが、息子の代でやめたので、おばちゃんが
     気落ちしていますが、どう慰めたいいでしょうか。

―――「老いては子に従え」という言葉があります。
今の世相で脱サラといってサラリーマンを止めて商売されている方があります。
ところが、せっかく親から頂いた商売を止めて勤めをする人もあります。
世はさまざまでいいのです。
おばあちゃんがそういうことで、嘆き悲しんおられるそうですが、
もう若い者にすべてを委せなさい。

おばあちゃんが自分で商売ができるのならやってもらったらいいけど、
もうお年なら商売はできないでしょう。
できないことに嘆き悲しんでいたら、自分自身が不幸です。
「ご先祖様に申し訳ない」と言うけれど、
死んだらそんなことは関係のないことです。
商売するとか、サラリーマンになるとかは、この世の修行の一課程であって。
そんなものはほんとうの目的とは違うのです。


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「御垂訓」

2022-11-16 23:57:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二

    東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

質疑応答

質問 息子夫婦と姑として、その間で苦しんでいます。

――― 私たちは人の心を変えることはできないのです。
なぜかというと、自分の心さえなかなか変わらないし、
変えようと思えばすごい努力と勇気とが必要です。
先程懺悔させてもらいましたが、皆さんの前でこういうことを言うのは
勇気が要ります。

自分のすべてを捨てないと言えません。
それを、努力と智慧をもって自分を変えた時、
己を捨てて必死になって努力している姿を見て、周りが変わるのです。
電話を通してでも、声の波動によって、
息子さんにはお母さんが変わられたということが分かるのです。
自ら変わった時、言葉から波動が出ています。
それと愛に満ちた言葉づかいによって、息子さんの心を変えていきます。
自分の心を変えないでいて、神様に相手の心を「どうぞ変えて下さい」と言えば、
お母さんの愛としては神様は受け取って下さいますけれど、これはまず
お母さん自身が変わっていって下さい。
そのように頑張ってみましょう。


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「御垂訓」

2022-11-15 23:55:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二

    東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には

先の続き・・・

男同士が抱き合って泣いていたり喜んだりしましたね。
一般の社会で男同士が抱き合って泣いていたら、
気が狂っていると思われるでしょうけれど。
かつて、今から十年前、私は山の中で反省させてもらったのですけど、
その高い背丈の髯の濃い方が心を開かれました。
その時私も心を開かせていただいたのですけど、
帰りの別れ際にその大きい方が私を抱いてくれます。

私もくらいついてその髯の濃い人とハハハ、
頬ずりして喜び合ったことがあります。
後になって考えると、少しおかしかったのと違うかな、
そんな変な趣味は無いはずなのになあと思ったことがありましたね。
それは魂の触れ合いです。
肉を超えた魂の触れ合いの感動が起きるのです。
女の方も、男の方も関係ありません。
どうにもならない感動ですね。
こんなことは内緒にしておかなくてはいけませんが(笑い)。
しかしそういう感動に包まれるものです。


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