浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2024-05-31 23:56:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         神我の声に耳を澄ませ!

法の伝道のための旅の途上、飛行機の中で瞑想していた時のことです

先の続き・・・

これ以来、 
この創造神の声と私の胸の奥の声とは常に一つになって響いています
我が肉の身を捨てて 父なる神にすべてを捧げた日より
肉体に制限されあれこれと思い煩う自我がいなくなり
神様の御心と一体になった永遠の命なる己れに目覚めたからです
「我が命 この身を父なる神に捧ぐ かくて神我を知れリ
我が命 我が身をもって 父の御心をこの地上に具現せり」

かくして天下り 本体である神我と合体した身辺では
いたち来りて我が膝に遊び 小鳥あまた集い来たりては唄歌い
愛らしく清楚なる花の精との対話に時を忘れ
また行くところ金箔が舞い降り 金粉が湧き出で
講演中に百合の花が垂直の方向を向き
我が言葉に従い 開いたり閉じたりする花々と 数々の現象が起き始め
さらに難病や奇病をはじめ 人々のあらゆる肉体の病苦が癒される
聖書の世界さながらの出来事が起きてまいりました


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「垂訓」

2024-05-31 00:24:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         神我の声に耳を澄ませ!

法の伝道のための旅の途上、飛行機の中で瞑想していた時のことです

先の続き・・・

メガロポリスに帯状に集うにぎやかな
灯がいくら文明の世を象徴していようと
もはや人々がどのように生きたらよいのかを
示し照らす法の灯さえ消え去り
社会に蔓延する悪と跡を絶たぬおぞましき事件は
歩むべき道を知らぬ人々に
ますます生への嫌気と不安を与えるばかり
ついに雲上から地上へと
降りることを決意しました

泣け叫び苦悩せる愛し子のもとに降り立ち
導きの法灯を点じ 幸せへの道を
示そうと思いを定めました
「愛しき我が子よ 愛しき我が子よ
幸せになりなさい 健やかに生きなさい 
自らを苦しむることなかれ」


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「垂訓」

2024-05-30 03:34:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           神我の声に耳を澄ませ!

先の続き・・・

広大な大自然の覆う地球から見れば 
人類の住む場所のなんと小さいこととか
山間や川のほとりに沿った狭隘(きょうあい)な場所に 
また海辺に開けた小さな扇状形の平野に
群がってそれぞれの集落をなし 
日々の暮らしをつましく営む人間たちの夕ともなれば 
人家からこぼれる生活の灯が 
また乱立する高層ビル群の谷間に蝟集(いしゅう)する
車や人間たちの蠢(うごめ)く

巨大都市から溢れる極彩色のネオンの灯が
雲の上を飛ぶ自在の眼には悲しく映りました
ここに六十億の人間の命が息づいている
その時 愛し子たちの地上生活をじっと見つめておられる
父なる神の視線を同時に感じておりました
心の眼には苦悩の渦中で惑い苦しみ泣き叫ぶ
数知れぬ人々の心の姿が映じてまいりました




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「垂訓」

2024-05-28 23:57:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           神我の声に耳を澄ませ!

法の伝道のための旅の途上、
飛行機の中で瞑想していた時のことです

身は機上にあり 心 天界にありました
そこは地球の成層圏内の雲海というより、
紫雲海とも呼ぶ天上の世界です
金色燦然と輝く世界から放たれる光を浴びつつ
雲海からのぞく遙かな下界を見下ろすと
悠々の大河は地表をうねり 
山の峰々は連綿として連なっておりました
しかしそれはどこまでも大自然そのままの姿を
とどめているのではありませんでした

人間たちが愚かなる小智才覚でもって
山を崩し 川を堰き止め 海を汚し 
森林を伐採し
父なる創造神から与えられた自然を破壊して
顧みない哀れな惑星の姿でありました
この人類が恩恵をこうむりながら住んでいる
星そのものが生命の祖(おや)である神の
御神体だということも忘れたかのように人類は
これを傷つけ傷つけられ変わり果てた
惑星は痛ましい姿をさらしながらも
ただ黙って人類の行為を見守っておられます


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「垂訓」

2024-05-28 00:09:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

私は光である、法である、私は道であるという自覚を得ました。
それは素晴らしい喜びであり、法の喜びであります。
それは口や言葉ではとても言い表すことのできない喜びです。
私は自分自身の信念と直観にしたがい、
誰がなんと言おうと自らの決心をもって山にこもり、
そこで何日も坐り反省をいたしました。

これは反省の実践を真剣にやることが、
こんなにもありがたい結果を生み出し、
自分の心を楽にしてくれるのだということを、
身をもって体験させていただきました。
この時、反省とはありがたいものだなあと
つくづく思わせていただきました。

この時、反省とはありがたいものだなあと
つくづく思わせていただきました。
今この世にある自ら尊師、霊能者、
占い師を名乗る方々でも、どんな大神殿や
大教会におられる教祖様でも、
その真偽を見通す能力も与えられました。
人の心の中も同じことです。



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「垂訓」

2024-05-27 00:01:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

私たちは通常でも、心の中になんのわだかまりもない時、
晴れやかな気持ちになります。
徹底して反省をし、
心の奥の奥の塵芥まですっかり洗い流すように
意識の光ですみずみまで照らしたなら、
このように喜びあふれる体験が
誰にでもやってくると思います。

ああ、私は自然の一部であり、
自然と私は一体であったのだ。
私は神の一部であり、神と私は
一体であったのだと強く感じました。
また、まことの道を歩み続けたなら、
やがてなんの包み隠しもない心となり、
喜びと感謝の気持ちで本当に神様に
向き合うことができるところまで行けるはずです。
この時、ついに心に法灯を
いただくことができたと思いました。


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「垂訓」

2024-05-26 00:43:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

私たちの心の中には肉体の五官により湧き起こる
煩悩がつくる想念帯という心の曇りの場所があります。
それが破れてしまう時、五官の感覚が
まったくなくなってしまいます。

これは後でわかったことですが、
その時の心の状態はこういうふうになったのだなと
知ることができました。
その時の心境は、見るもの見るものすべてがいとおしくて、
いとおしくてたまりません。

そこらに生えている草、
大地に生えている苔に腹ばいになり、
ああよかったなあと苔や草に頬ずりをし、
樹に抱きつて頬ずりをして喜びました。
それはなんとも言えない喜びでした。


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「垂訓」

2024-05-24 23:59:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

    幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

意識ははっきりしていますが、頭、手、足、胴はどこにもなく、
何も感じないのです。
肉体はなく、ただ自分が胸のあたりを中心として
光り輝いているのです。

こんなことは生まれて初めての体験ですから、
「あら、私の体がなくなってしまった。
私はどこかへ行ってしまった」と思いました。
身が軽いというようなものとはまったく違います。
完全に肉体の感覚が消えてしまいました。
まさに肉体の五官の感覚の消滅です。

私は自分がどこかへ行ってしまったら
えらいことだと思いましたから、
顔、頭、胸、手足をしっかりつかんで確認しました。
すると、やっぱり感じがあることが確かめられました。
全身を探り、「ああ、やっぱりついていて」と思ったのです。



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「垂訓」

2024-05-23 23:58:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

    幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

「反省みたいなもの、できてもできなくてもいい。
心に法灯みたいなもの、
いただいてもいただかなくてもいい。
そんなものは関係ない。
とにかく私自身を赦してあげよう。
これほど精一杯生きた己自身に対して
赦しを与えてあげよう。
己にやさしく人に厳しいという
生き方なら法に背くけれど、
そうではなかったのだ。
もう法も何もない。

とにかく、私は私自身を赦すことだ」と思って、
自分を赦そうと決めました。
「あなたはこの厳しい人生でつらい中、
苦しい中をよく頑張りましたね。
私はあなたのすべてを赦させていただきます」と、
泣きながら心の中で自らに向かって
語りかけていたのでした。

ところが、この時です。
心がフワッと軽くなったのです。
心が広がって、光り輝く自分をその時自覚しました。
自分を赦した時、どれほど自分が
楽かということを悟らせていただいたのです。
肉体の五官の感覚が完全に消えてしまいました。


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「垂訓」

2024-05-23 01:11:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

    幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

行きたい、行きたいと思うのです。
ところが、そこへどうしても行けない。
稲束を渡す役目をしなかったら叱られますから、
その場から逃げることができないのです。

これと同じようにどうすることもできないことが、
十代であれば十代においてあり、
あるいは二十代であれば二十代で、
同じようにしがらみの中で涙を流しながら、
精一杯生きている己の姿をみせられ、
心の底に焼き付けられました。

あまりにも哀れな自分の姿を短い間に
全部見せていただきました。
思わず「かわいそうだったなあ」と、
自分に対して涙がとめどなく流れてきて、
こういう厳しい中でよく頑張って生きてきたなあ
という思いが溢れてきました。
そして、その時にやっとこう思いました。


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「垂訓」

2024-05-22 00:08:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

      幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

女の子のそばに行きたいけど行かれないというつらさ、
そして、
友達が楽しそうに遊んでいるのに、
稲束を父に渡さないといけない。
その時のつらかったこと。
そのうち、だんだんと日が暮れてきます。
友達は帰ってしまいます。

私の好きな子も帰ってしまいました。
私は涙をポロポロ流しながら、
稲束を渡していたのです。
すると、父が、「お前は何を泣いているのか」
と言うのです。

私の気持ちなどわからないから言うのです。
もし、私の心を知ったら、
お父さんは腰を抜かしたかもしれません。
小学校一年生で好きな子がいるなんて。
私は泣きながら叱られながら、
稲束を渡したものでした。
夜、暗くなるまで続きました。

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「垂訓」

2024-05-20 23:58:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

      幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

こうすれば、一つ一つ取る時間が節約できるわけで、
父の体も少しは楽になります。
その田圃のすぐ近くは堤防でその上は平地になっており、
友達が来てワイワイ遊んでいるのです。
その中に好きな女の子がいたのです。

私はちょっとおませでして、
小学校一年でもう好きな女の子がいました。
「あの子、かわいらしいなあ」と、まあ私の初恋です。
その子もいっしょに遊んでいるので、
行きたくて行きたくてたまりません。

「男女の愛は苦しみである」とはよく言ったものです。
神の愛につながる純粋に精神的な愛、
アガペの愛には苦しみはありません。
しかし、幼い男女でさえも、
男女の愛には苦しみがつきまといます。


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「垂訓」

2024-05-20 00:07:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

      幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

小学校一年の秋のことです。
取り入れで稲刈りをして干し、
乾燥すると田圃の真中にゴザを敷いて脱穀をするのです。
干してある稲束を脱穀する場所まで運ぶと、
父が足踏み機でギコギコ脱穀しては
済んだ藁を後ろに放っていくのですが、
その時、積んである束を父に渡すのが私の役目でした。

この稲束を父が最も受け取り易いように一つずつ渡すと、
父はザアーツと脱穀してパッと後ろに放ります。
すると、次の束を渡さなくてはいけないのですが、
父の手許の受け取り易いところへ持っていかないと、
「何をしているのか」と怒られます。
父のしやすいように次々と渡していくのです。



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「垂訓」

2024-05-19 00:01:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

すると、この時、
考えられない不思議なことが起きました。
右手前方の手の届くあたりに、
幼い頃から四十半ばまでの人生のすべてが、
次々と出現したのです。

立体的に現実に自分の人生がそこにあるのです。
どれくらいの時間が過ぎたのかわかりません。
あまり長い時間はかかっていなかったと思います。
まさに意識の世界は時間、空間、
距離などいっさい関係がないということが
はっきり確認できました。

そこに写し出された自分の姿は、
またなんとも言えない哀れな、
悲しいものでありました。
自分に与えられた環境の中で、
「ああしたい」「こうしたい」と思いながらも
どうすることもできない、
人生のしがらみにがんじがらめになりながら、
必死に生きている姿を、
まざまざと見せられました。




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「垂訓」

2024-05-18 00:19:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

   幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

どうしても自分を赦すことが
できないという心の壁の前で、
もうどうすることもできないでおりました。
人知では越えることのできない心の壁です。
人はどうすることもできなくなると、
苦しい時の神頼みになってしまいます。

「もし、私の中に守護指導霊がおられるならば、
どうぞこの反省を正しくお導きください。
私の力ではこれ以上、どうすることもできません。
できることなら、この突き当たっている心の壁を
打ち破ってください」と、
必死でお願いしました。


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