浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2024-04-30 00:23:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第五章 心の曇りをとるための反省

  反省してはじめてわからせていただいた母親の愛


先の続き・・・

相手の立場に立つということは、
この場合、母の立場に立って
自分の行為を反省してみることですが、
まず母は幼い我が子に対してどのように
思ってくださったか追求します。

母は足の怪我を見た時、
すぐに友達の家で怪我をしたのではないこと
くらいはわかったはずです。
血止めの草をすりつけた足の傷を
ボロ布で巻いているのですから、
これはおかしいなと思ったことでしょう。
にもかかわらず、
そんなことよりも「ああ痛かったやろうな。
かわいそうになあ」という思いのほうが強いのです。



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「垂訓」

2024-04-29 00:34:14 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第五章 心の曇りをとるための反省

        反省してはじめてわからせていただいた母親の愛


先の続き・・・

この母の大きな愛に対して幼い私が
大きな嘘をついてだましている。
そして母の愛を裏切っているこの姿を見た時、
「ああ、痛かったやろうなあ。
かわいそうになあ。つらかったやろう」

「友達のお母ちゃんはなんで
あんばいしてくれんじゃったろう」
と言ってくれたそのことを、
ずっと反省させていただきました。

不思議なもので、三日も四日も一つのことを
追求し続けていくと、
その時の場面が本当にそのまま出て来るのです。
足の肉が裂けた時の感覚がはっきりと再現されます。
真剣に反省に取り組めば、
その当時の状況が詳しく思い出され、
肉体の感覚までありありとよみがえってきます。



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「垂訓」

2024-04-28 00:52:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

    反省してはじめてわからせていただいた母親の愛

先の続き・・・

どう言って親に言い訳しようか」
と思いあぐねていました。
他人様の山に竹を取りに行って、
自分の足を切ったと言えば怒られますから、
なんとか逃れる方法はないものかと考えているうちに、
だんだんと時間が過ぎて外が暗くなってきました。

そこで、勇気をふるって家の入口から
「ただいま」と言って入ったのです。
「遅かったなあ。今迄何してたのや」
と母が聞くので、
「友達の所で勉強していて怪我をした」と、
私は言いました。

その時、母は「ちょっと見せてごらん」
と言って、」「こんな汚い布でどうして
向こうのおばちゃんに言って
あんばいしてもらわなかったのや。
こんなえらいことになってるのに。
痛かったやろう」と薬を塗り、
新しい包帯をしてくれたのです。
その時の母の手の温もりがあたたかい感触として、
私の足にありありとよみがえってきたのです。


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「垂訓」

2024-04-26 23:54:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

    反省してはじめてわからせていただいた母親の愛

先の続き・・・

たいへんなことをしてしまったと思った私は、
田舎育ちで薬草や血止めの草の知識があったので、
傷口に血止めの草をぐっとしぼってつけました。
そして、その上から血止めの葉で押さえて
急斜面を下の道まで降りて来て、
道端に落ちていたボロ布をひろい、
それで患部を縛りました。

「えらいことをしたなあ。なんと言って
言い訳しようかなあ」と、
七歳の幼い頭で一生懸命に考えたのですが、
いい考えは浮かびません。
もし、嘘などつかずに畑にいつもどおりに出て
仕事をしていて怪我をしたなら、
「お母ちゃん、えらいことした。なんとかして」
と言えるのですが、

嘘をついて隠れてわることをしたのですから、
本当のことを言うこともできません。
そこでまず、血が出ないように応急処置をしました。
私の家と隣家との間が一メートルほど空いていて、
冬の間は田の稲を干す長い木が
使わないでかこってあるのですが、
その隙間に入って、「どうしようか。
そうしようか。



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「垂訓」

2024-04-26 00:35:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

     反省してはじめてわからせていただいた母親の愛

ところが、ある日とうとうそんな思いが募ったあげくに、
嘘をついて畑に出るのをさぼってしまったのです。
「今日は友達とどうしても勉強しなくてはいけないから」
と親に嘘をついて、
竹トンボを作るために他人の竹藪に行きました。
そこは急斜面でしたが、そこをよじ登るのは
当時の幼い私には冒険でした。

手頃な竹を見付けると、
用意してあった鉈をだしました。
斜面の上のほうに左足を踏み出して、
その竹めがけて鉈を振り下ろしたのですが、
不覚にも自分の足をスパッと切ってしまったのです。
足の外くるぶしの上十センチ当たりに刃が当たり、
骨まで見えるほどパカッと
深く裂けて白い骨が見えていました。


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「垂訓」

2024-04-24 23:54:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

     反省してはじめてわからせていただいた母親の愛

それでは私の場合を紹介します。
小学校一年生ですから七歳の時のことです。
友達に百姓の子もあれば、サラリーマンの子もあり、
商店の子もありました。
私は水呑み百姓の子ですから、
みんなのように学校から帰って遊べません。

帰宅して鞄を置くと、
今日はどこどこの畑に行きなさいと言われて、
すぐさま鎌か鍬を持って畑に
行かなくてはなりませんでした。
「ああ、僕もいっしょに遊びたいなあ」と、
畑のそばで遊んでいる友達を見ては、
羨ましく思っていました。
そして、どうして自分だけがみんなと
遊べずに畑で手伝いをしなくてはならないんだろうと、
自らの運命を思ったのでした。


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「垂訓」

2024-04-24 00:01:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           反省研修会のこと

先の続き・・・

生まれて以来、今日まで知らずに積もらせてきて、
掃除もされることがなかった心の塵や埃や垢が
一挙に流されるわけですから、
とても有難い心の浄化となりなます。

反省が終われば、
また一つ薄皮がはがれるように心の曇りが除かれ、
光ってまいります。
そして、明日からの生活を明るく軽い心で
過ごさせていただけるようになります。
これが反省の成果の一つです。


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「垂訓」

2024-04-22 23:57:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           反省研修会のこと

先の続き・・・

これだけのことを自宅で一人でやろうとしたら、たいへんです。
それどころか、研修会場に参加しても、
一人で部屋にこもって何時間もかけて
取り組んでも、最も核心にある記憶の扉を開くというのは、
なかなか容易ではありません。
反省会に集まったみなさんは、
幼い頃の最も重要な出来事を思い出そうとしても、
もう七転八倒の苦しみを味わいます。

しかし、なかには今迄まったく忘れていた記憶をよみがえらせ、
反省と悔い改めの過程でワンワンと大声をあげて
泣かれる方もおられます。
涙で顔中グショグショになり、
鼻からは鼻水が長く垂れ下がり、たいへんなありさまですが、
この時、法雨により心が綺麗に洗われています。


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「垂訓」

2024-04-21 23:57:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

           反省研修会のこと

先の続き・・・

研修会での反省の課題は大きく分けて、次の段階があります。

先の続き・・・

4.また、その出来事についてお母さんはどのように思われただろうか。
  今度はお母さんの立場に立って反省します。
  幼い自分に対してどのように思ってくださったか。
  この点について徹底的に反省します。

5. 最後に、この反省で反省の対象となった幼い頃の
  自分自身に慰めと励ましを与え、
  その出来事に関して自分自身を赦させていただきます。
  自分を正当化するのではなく、
  神の愛に包まれた自分に生まれ変わり、
  二度と同じ過ちをしない自分になるためです。



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「垂訓」

2024-04-20 23:53:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

           反省研修会のこと

先の続き・・・

研修会での反省の課題は大きく分けて、次の段階があります。

先の続き・・・

2. 後悔するというのは、自分がいけないとわかっていても、
     つい繰り返して業(カルマ)のゆえですが、
     必ずその根(ルーツ)になっている幼い頃の
     出来事があるはずです。
     0歳から十歳までの間に起きたそういう
     出来事を思い出します。
     この時。
     できるだけ詳しく出来事を再現します。

3. そのうち、いちばん心の重荷になっていた
     出来事を一つ選び出し、
     その時の、相手の人はどんな気持ちだったであろうかと、
     相手の立場に立ってみて自分の犯した
     過ちの行為を反省します。


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「垂訓」

2024-04-20 00:04:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

           反省研修会のこと

先の続き・・・

研修会での反省の課題は大きく分けて、次の段階があります。

1. 先ずは、「心の癖」です。

自分のわるい癖、欠点などを思い出して
ノートに書いていきます。
いくつでもかまいません。
ただし、ノートは自分だけの記録です。

次に、今日までに犯してきた「過ち」です。
あの時にあんなことさえしなければよかった、 
あるいは人に見られて
恥ずかしいという出来事があるはずです。
それを思い出します。


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「垂訓」

2024-04-19 00:09:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

            反省研修会のこと

先の続き・・・

謙虚さ、やさしさ、
そして強さなどがだんだんと育まれ、
その結果、魂が成長していきます。
愛は赦しです。

思いやりと同時に寛容な心が愛の中にはあります。
この世の中で最もいとしい自分を赦せない人が、
どうして他人を赦せるでしょうか。

相手の立場も心も我が事のようにわからないといけません。
それが苦労であれば、思いやりとして現れますし、
過ちを犯してしまったなら、
寛容の心として現れます。
自分と相手とを分け隔てる思いは、
神の御心ではありません。

何事が起きても、
常に自他の分離観を超えた大きな愛の心で
包んでいくようになることです。
そのための反省なのです。
自己を見詰め、深く自己を知るためです。



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「垂訓」

2024-04-17 23:58:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

            反省研修会のこと

先の続き・・・

反省は心の無智やカルマの思いのスモッグが
つくる闇を照らしてくれる偉大な
法の光でもあります。

原因結果の法則の中に生かされている
自己を理解する智慧の光とも言えます。
神様の愛を頼りに、自らが自らを救っていくのです。
けっして神様以外の力や、
それを使う迷わせ人に惑わされてはなりません。
自分の心が理解でき、自分の誤りに気付いていけば、
自分も他人も同じ人間だったんだということがわかり、
すべてを赦させてもらえる心境になっていきます。


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「垂訓」

2024-04-17 00:19:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

         反省研修会のこと

先の続き・・・

別にそんなことしなくても自分は
間違ったことなどしていないし、
困ってもいないと思う人は、まだ心の奥を
探ってみたことのない人です。
誰にとっても、心の奥深くに人に言えないような
秘密を隠し持っているということはあります。
それは恥ずかしいことかもしれないし、
二度と思いだしたくないような悲しいこと、
忌まわしいことかもしれません。
自分自身に対してさえ、もう記憶の彼方に
忘れ去られてしまって、
心の奥底に眠っていることがあるものです。
それを反省によって知った時、

「ああそうだったか。私はなんと罪深い人間だったのか」
と思い知り、また人もそうだったのだと思えてきます。
しかし、それに気付いて、間違っていたと
反省できている自分は、
もうそれまでの自分ではないことを知るべきです。
良心はすでに神の御心の中にある神我に
属するものだからです。
パアッと光がさすごとく、
それまでの何もわからず、誤った行いを
させていた心の闇は消え去り、
変わって神の子の本質を具現できる自分の心が
開発されてきます。
無明の迷っている心も、自分が反省して
正直に心の誤りを悔い改めたなら、
すぐに苦しみから救われて楽になっていきます。
明かりがあるところに闇はありません。


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「垂訓」

2024-04-15 23:50:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第五章 心の曇りをとるための反省

          反省研修会のこと

先の続き・・・

できれば、永久に忘れ去りたい。
でも、どうしても完全には記憶から
消し去ることができない。
そういう記憶は幾重にもポリ袋に詰め込まれ、
念入りに栓をして、
絶対にゴミための表面のほうへ
出て来ないように念入りに重石をして、
たくさん積み重なったゴミのいちばん底のほうに
押し込められています。

なぜ、わざわざこういう記憶を
掘り起こすことが必要かと言いますと、
幼い頃の心のつまずきや過ちの記憶と
その時の強烈な感情は、
その後の人間の一生を支配するほど
影響力のあるものだからです。
自分自身の心の全貌をつかまない限り、
私たちは真の自己を知ることも、
本当の幸福と健康をつかむこともできません。


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