浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2021-03-29 00:19:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より

             講演、四

        組織を持たず「共に学ぶ心の友」として


神という言葉がよく使われますが、
私たちの学びは宗教ではありません。
私自身、死ぬまで組織を作るつもりはありません。
組織を作りますと、組織には必ず業がついております。
カルマですね。

まず組織を拡大しなくてはならないので、会員さんには、
新しい会員さんを獲得するために、
「布教しなさい、伝道しなさい」或いは「折伏しなさい」
という業が生じてきます。
又、組織を運営しなくてはなりませんから、
お金が必要になり、
その為に会員さんからお金を徴収しなくてはならないという業も生じます。

そして、せっかくの自分の会員さんになってくれた方々を
逃がしてはならないので、
「去っていく者には罰が当たる」とか、「去っていく者は魔にやられた
サタンである」とか、又ひどいのになりますと、「あなたの魂を抹殺します」
というような、恐ろしいことを言う方もあり、そういう業が生じます。

神はいとしいわが子である私たちを、どうして抹殺されるでしょうか。
神でさえ抹殺されないものを、どうして人間が、宗教家が、自分の会員さんを
抹殺できるのですか、そのようなことはできるわけがありません。
そんな誤った信仰に振り回されてはいけません。

誤った信仰に振り回されてしまいますと、「お金を上げなさい」「伝道しなさい」
ということが生じます。
これは、全部人の苦しみ、つまり業です。
業を背負って幸せになれるはずはありません。
ですから、私は組織は作らず、「共に学ぶ心の友」として、
全国の心ある方々と共に勉強していきたいと思っております。


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「御垂訓」

2021-03-28 00:34:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より

             講演、四

     初めての東京講演、まさに天上界のお計らい


先の続き・・・

全国からいろいろとお手紙やお電話を頂き、
講演に来てほしいとか、お話を聞くにはどうしたらいいのですか、
という問い合わせをたくさん頂きました。
その中で静岡のMさん、今日もお見えになっていますが、
この方は或る宗教を熱心に勉強なさっていましたところ、
身体が不調和になって苦しくて苦しくて
堪らなかったそうです。

たまたまS先生の紹介を見て、私の所へ電話をかけてこられました。
「そういう苦しみなら、すぐに楽になっていただけます」と言って、
電話でお祈りさせていただきますと即、身体が調和されたそうですね。
そのご縁で静岡の皆さんとご縁を頂きました。
その後、Mさんの学びの友であった東京のO様とご縁がありまして、
今日の運びとなりました。

皆さんは、道は違いますが、
心を求めて熱心に勉強なさっていた方々ですから、
理解がものすごく早くて、すばらしい方々です。
そして実践力もあります。
今日、この場所にご縁を頂きましたのも、去年の十二月半ば頃、
今お見えになっているY様がこの会場にこられましたら、
たまたまこの会場がキャンセルされておりまして、
早速貸して頂くよう取り計らっていただきましたそうです。

こういう会場は半年前からお願いしても、
予約でいっぱいになっていると
いうこの会場を、夢のように「空いています」と言って、
貸していただけましたのは、
まさに天上界からのお計らいだと思います。
空いていないはずの場所が、
このように空けていただけたのです。
神は必要に応じて必要なものを与え給います。


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「御垂訓」

2021-03-27 00:17:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
  恩師のご著書「講演集」より

              講演、四

       初めての東京講演、まさに天上界のお計らい


先の続き・・・

先生のお声が聞きたければ、ちゃんとテープも残していただいていますし、
教えを詳しく知りたければ、ご著書も十数冊残していただきました。
これを頼りにして、他を頼ることなく生きさせてもらう以外には何もないのだ、
ということに気付かせてもらいまして、
私の命が絶えるまで、この教えを一人でも多くの方に、
枉げることなくお伝えさせてもらわなくてはいけないということを、
その時に誓いました。

その後は、私のグループの三、四十人に方たちが集まって、
先生が生きておられた時と全く同じように、
生きる喜びと安らぎのお話会をずっと続けてきました。
去年の二月十五日、横浜へ招いて頂きました時、
たまたまS先生ご夫妻がお見えになっていられました。
最初からS先生が来ておられると聞いていましたから、

私などは話させてもらう立場と違いますので、
遠慮させてもらったのですけど、
お話が始まって十分ほどしておいでになったので、
私は全く知らないで、そのままお話していたのです。
休憩時間に「Sでございます」と挨拶していただいて、
びっくりしたのですが、
実はそれがご縁で、S先生の会報に、私のことを紹介して下さったことが
きっかけとなりまして、全国に広まってしまいました。



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「御垂訓」

2021-03-25 23:58:14 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
  恩師のご著書「講演集」より

               講演、四

       初めての東京講演、まさに天上界のお計らい


先の続き・・・

今日、ここにお集まりの皆様のほとんどが、
高橋信次先生にご縁のあった方だと思います。
先生は、「身近にあっても、遠き弟子、遠くにあっても、身近な弟子」と、
このように説いて下さいました。
私は信次先生にご縁のありました当時、名もない一会員でございまして、
先生から直接ご指導を受けたことは一回もありません。

しかし、先生がお亡くなりになりました時は、
三日間気が狂ったように泣き叫びました。
泣いて泣いて、泣き叫んで、家族の者は気が狂ったと思ったそうです。
それほどお慕い申し上げておりました。
「身近にあった弟子の方でも、そのような方はありませんでした」と
、昨夜お話した方は言って下さいました。

遠く離れておればこそ、余計にお慕い申し上げていたのだと思います。
先生がお亡くなりになって、
「せっかく、今生めぐり合った先生が、突如として
あの世へお帰りになってしまい、私はこの先どうしたらいいのか、
どのようにして生きたらいいのだろか」と、
心の支えを全部失ったように思いました。

お釈迦様がお亡くなりになった時、
最期までお側にお仕えになった阿難さんが、
だんだん身体の弱っていかれるお釈迦様に、
同じようなことを泣いてお願したそうですね。

その時、お釈迦様は「この老いた身を見て何を嘆くか、
私のこの肉体は、
すでに革紐の助けを借りなくては動かない古い車輪のようなもので、
この肉体はやがて滅んでいくものである。
私のこの肉体に捉われることなく、私の説いた法を拠り処としなさい。
自らを拠り処として、他に頼ることなかれ」とおっしゃったのですね。
このお言葉が心の底から湧き上がってきました。


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「御垂訓」

2021-03-25 00:02:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
     恩師のご著書「講演集」より

               講演、四

       初めての東京講演、まさに天上界のお計らい


先の続き・・・

私たちがこの地上に生命を頂き、
生まれさせていただきましたその志とは、
「調和を目的として人々と互いに手を取り合って助け合い、
補い合うこと」です。
その志を果たして、私たちはいつの日にか体験しなければならない
死の世界へ帰っていくのです。

山は青く水は清きふるさとへ迷うことなしに帰りたいと思います。
門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
これは一休様がお詠みになった歌ですね。
「おめでとうございます」「おめでとうございます」と言って、
新年を祝いますけれども、
これは確実にあの世に帰る旅路に一里塚を越えていくということですね。

そして、いよいよあの世へ帰る時が来ました時、
私たちはほんとうのふるさとへ迷うことなしに帰らなくてはいけません。
東京の皆様は、
もう十何年前お亡くなりになりました高橋信次先生にご縁の方が多いと思います。
信次先生は「心行」という心の行いを説かれたものを書き残して下さいました。
私のお話会の前には、必ず、「心行」を朗読させていただいております。
お慕い申し上げた偉大な先生をお偲びしながら、今回も、いつものように
「心行」を朗読させていただきますので、よろしくお願いいたします。
―――「心行」の朗読―――
ありがとうございました。


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「御垂訓」

2021-03-24 00:13:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

             講演、四

        初めての東京講演、まさに天上界のお計らい


只今ご紹介いただきました長尾弘でございます。
不思議なご縁を頂きまして、
東京の地にお招きをいただきましたことを心から感謝申し上げます。
ありがとうございます。
皆様も新年早々お忙しい中と思いますのに、
このようにたくさんの方が集うて下さいまして、
私の身にあまる幸せでございます。
重ねて心からお礼申しあげます。
ありがとうございます。

私は今ご紹介いただきましたような、
立派な人間ではございませんし、出来た人間でもございません。
ほんとうに未熟な者で、皆様よりも至らない者と、
自分自身では思っております。
その私をこうして東京へ招いていただいたことは、重ねて申しますが、
身にあまる幸せでございます。

いつもお話に先立ちまして、「ふるさと」の歌を合唱させていただいております。
私たちはあの光り輝くすばらしい魂のふるさとから、この地上の物質として
現れた現象の世界に、魂の修行のために出てきております。
その魂のふるさとは、安らぎと喜びと調和に満たされたすばらしいふるさとです。

この地上での目的を果たしますと、
やがてその魂のふるさとへ帰らなくてはなりません。
この「ふるさと」の歌の歌詞から、
あの魂のふるさとを思い浮かべながら歌っていただきますと、
私たちがやがて帰っていく世界が心の中から湧き上がってくると思います。
では、「ふるさと」の歌を皆様といっしょに合唱させていただきたいと思います。
―――「ふるさと」の歌合唱―――


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「御垂訓」

2021-03-23 00:03:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
     恩師のご著書「講演集」より

                 講演集、三


              人類窮極の目的


人類の最も大きな目的は、ほんとうの神様の御心に帰ること、
そして再び転生することなく、
久遠の生命の中に帰っていくことです。
その時、仏教でいう如来となることができます。
如来とは来るが如し、つまり如来の心になりますと、
もう生まれ変わってこなくてもいいのです。

光り輝く世界から、この世を常に見回ることができます。
肉体を持って、
「ああ、しんどいなあ、ああ、苦しいなあ」という体験は、
もう卒業できるのですね。人の魂として再び転生しないで、
永遠にして常なる神の中に帰っていくのが、
私たち人類の最大の目的です。
その時、如来となり、光となり、
神の光のみ使いとなることができます。
これは、お一人お一人がそうなるべきです。

そうなることが人類窮極の目的です。
その時に、この地球に神の御国が現れ、
仏国土・ユートピアが建設できるのです。
質疑応答
質問 病気で寝ている祖母に、先生のお話をしますと、
こうして寝ている者には実行することができない。
そういう時は、
ただ感謝とお礼の心を持つだけで神に申し訳ないことは
ないのだろうかと言っています。
この点についてお願いします。

――私たちは寝たきりで動けなくても、
愛を現わすことができるのです。
寝ているだけで苦しいのですが、それに負けないで、
寝ている自分の周りに
いてくれる人、お世話してくれる人に「ありがとう」と言って、
笑顔を見せることも愛の表現になるのです。

実践できます。
お世話をしてもらって、文句ばかり言って鬱陶しい顔をしていたら、
これこそ罰が当たります。
寝ていても、愛の実践はいくらでもすることができると
言ってあげてください。


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「御垂訓」

2021-03-22 00:03:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「講演集」より

              講演集、三

          子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

駅へ迎えにいきましても、人通りの多い所では、
知った人がよく通るのです。
「何をしているのですか」と声をかけられると、
「いや、ちょっと」と言って
ごまかすのが辛いから、電車がホームに着きますと、
走っていって隠れてホームのほうを見るのですね。

降りる人が一人もいなくなったら、
また駅から線路沿いに離れるのです。
そして又、チンチンと向こうで遮断機の音が鳴ったら、
駅のほうへ走って行くのですね。
終電までそれを繰り返していました。
その時のお月様を見ながら、ほんとうにつらいなあと、
つくづく思いました。
しかし、そんなことも今にして思えば、
自分の悪い癖を正すために子供から
与えられた試練であり、
子供は大きな恩人であったということが分かります。
さもないと、幸せになれるはずがありません。

私たちは、何ごとが起きても、辛いこと、
都合の悪いこと、嫌なことは、
すべて「自分は正しいのに、
人が悪いからこんなことになるのだ」と、つい
人のせいにするのですね。
そして、自分で自分を苦しめていきます。
しかし私たちは、自分の心を苦しめてはなりません。
自分の心を苦しめては、絶対に幸せにはなれないのです。
自分の心を苦しめますと、
ほんとうの神様の御意志に背くのです。


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「御垂訓」

2021-03-21 00:29:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
      恩師のご著書「講演集」より

              講演集、三

          子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

すぐ腹を立てる、相手を許さない、いら立てば暴力を振う、
その持って生まれ、自分が作ってきた悪い癖、
欠点を何とかして正すために、子は自らを犠牲にして、
親不孝といいう罪の深い行いをすることによって、
私に目覚めを与えてくれたのです。

そうでないと、原因、結果の法則が成り立ちません。
私自身の至らない性格を直してもらったのですね。
そのことを、いやというほど分からせてもらいました。
子供に罪はない、そのようにさせてしまった子供の父親として、
持っている悪い癖、欠点をこの子が直してくれたのだと、
そのように思わせてもらっています。
今、そのように思い、感謝させてもらい、
子供に手を合わせています。

しかし、そういう心境になれるまでは、
自分の心はほんとうに鬼でした。
今思っても、鬼か気違いのような私だったと思います。
ちょうど、二月の凍りつくような寒い夜空に、
冷たいお月様が冴えわたっているのです。

もう家にいても、じっとしていられず、
居ても立ってもいられなくなって、
どこへ行ったか分からないけど、
電車に乗って帰ってくるかも分からないと思って、
駅へ迎えに行ったのですね。

私は三十歳から、地域の役をいろいろさせてもらっていましたから、
顔が案外広かったのです。
駅の辺りで私の顔を見ましたら、「長尾さん、こんばんは」と、
挨拶して下さる方があるぐらい顔が広かったのです。
あの頃は、青少年指導員などをしておりまして、
夏休みになると、非行が多くなりますから、
学校の先生と指導員とが連絡をとって、

暗い所で悪いことをしていないか、
監視に回っていました。
私は自分の子供をつかまえるのではないかと、
ヒヤヒヤしてながら巡回していました。
「泥棒捕えてみれば我が子なり」ということになっては、
格好がつかないですね。


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「御垂訓」

2021-03-20 01:46:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
       恩師のご著書「講演集」より

                   講演集、三

               子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

そのような生活を続けて、
三年ぐらいかかりましたけれども、
だんだんと良い子になってくれました。
早く帰ってくると、自分も気持がいいですから、
「パパただいま」と、元気な声を出して言いますし、
私も「ああ、よう帰ったな」と言って、

それまでの心配な状態は消えました。
お陰さまで大学に行かせてもらい、
その結果、今は私の家とは格違いなほどの
結構な所へもらっていただいて、
男の子を一人授かっています。

その子も一歳八カ月ぐらいになりまして、
今はかわいい盛りです。
上の子は学校の先生とご縁がありまして、
この子も幸せに暮らしています。

こちらも、子供が授かりまして、
私は四人の孫のおじいちゃんです。
おじいちゃんと言われるのはいやですからね。
孫はみな私のことを「パパ」と言うのです。

娘たちが私のことを「パパ」と言っていますから、
そのまま孫もいっしょになって、
「パパ」と言っています。
この孫たちも上の子はもう小学校です。
ほんとうに幸せいっぱいの生活をしています。
そんなつらい経験の中で、

私はいろいろと考えたのです。
原因、結果の法則から見て、
もし、その子供がほんとうに悪い子であれば、
今のように、人のうらやむような幸せを
与えられるはずがないのです。
いい子であったから、今の幸せを頂いているのです。

では、私に対して心配や、苦しみが与えられたのは、
これは一体何であったのか、と考えていきますと、
私という愚かな人間を少しでも良き人間に目覚めさせ、
何とか私が持っている悪い癖、欠点を正そうとして、

子供として最も罪深い親不孝という罪を自ら背負って、
親の私に心配をかけることによって、
私に目覚めを与えてくれたのです。
子供には何の罪もなく、
悪いのは私自身だったのです。


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「御垂訓」

2021-03-19 00:03:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より

              講演集、三

          子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

そうしますと、子供にとって都合がよくなってきたのです。
今まで気が狂ったようになって、その子のためを思って、
言ったりしていたことを、子供はよく知っています。
それが全く怒らなくなり、自分を大事にしてほしいということだけを頼んで、
早くお風呂に入りなさい、休まないといけない、と言っていますと、
だんだん都合がよくなってくるのですね。

叱りつけている時は、それが分かるものですから、
私が部屋で子供の帰りを待っていると、
ソーッと音を立てないように表の戸を開けまして、
或いは雨縁からソーッと入ってくるのです。
盗人のように抜き足、差し足で音を立てないように
自分の部屋へあがっていきます。
こちらは知らないものですから、朝まで待って腹を立てているのです。

朝になって、二階からおりてくると、またよけいに腹が立つのです。
「帰っているのなら、そう言えば、こんなに心配はしないのに」と言ってね。
しかし、以前はそうでしたが、だんだんと私が変わりますと、
今度は子供が変わってきます。
そして帰りが遅くなりましても、私が部屋におりますと、戸を開けましてね、
「ただいま。パパごめんなさい、遅くなりました」と、
言ってくれるようになりました。



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「御垂訓」

2021-03-18 00:43:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
       恩師のご著書「講演集」より

              講演集、三

          子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

後になって分かったのですが、
深夜喫茶とかいうのは一晩中店をあけているそうです。
そういう所に友達同士が集まっていろいろ話をしていたら、
すぐ夜は明けるそうです。
時間は知らない間に過ぎるのですね。

そういうことが続いていたのです。
友達同士でつまらないことをワイワイしゃべりながら遊んでいましたら、
誰も文句は言いませんし、それは、ものすごく都合がいいのです。
ところが、家に帰ってきたら、親は小言を言い、叱りつけ、
或いは殴ったりします。

それはものすごく都合の悪いことです。
だから、都合のいいほうへいいほうへと、流れていくのですね。
そういうことが分かってきました。
そして、文句を言っていた思いが、神様にすがるようになりますと、
「何とかこの子が、外にいるよりも私の側にいるほうが、都合がいいように
ならなくてはいけない。
そのためには、叱ってはいけない、怒ってはいけない。
叱るのはよいとしても、絶対に怒ってはいけない」と言って、
これまでのように怒るのは、一切やめていしまったのです。


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「御垂訓」

2021-03-17 00:00:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より

             講演集、三

          子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

神様に対して不満の思いを持ち、
神様に文句を言っている時の自分の心は、
鬼みたいなものです。
帰ってきたら、頭からどなりつけ、或いは殴ったりします。

しかし、神様に「私のもとに子供をどうぞ帰して下さい」と、
自分からお願いした時、子供が帰ってきて、
まず顔を見せてくれましたら、
神様に対して、
「よう帰して下さいました。ありがとうございました」と言って、
心から神様にお礼を申し上げますね。

そして子供に対しては、「よう帰ってきたな」という言葉を
かけるようになります。
一晩、二晩、三晩と、家を空ける時もありました。
それでも帰ってきたら、「よう帰ってくれた」と言い、いくら遅くても、
風呂を沸かしてちゃんと入れるようにしておいて、
「早くお風呂にお入り、こんな無理をして体をこわしたらいけないから、
少しでも休まないといけない。

早く寝なさいよ」と言って、今までの鬼のような心は全く
消えてしまいました。
夜も寝ないで、神様に文句を言っていた頃をふりかえりますと、
「なぜ帰ってきてくれないのか、こんな子供に育てたはずはないのに、
なぜこのように私のもとから離れようとするのか」と言う心でした。
この心を追求しますと、これは、地球上の全人類、人間だけではなくて、
動物も植物も共通してみなが持っている心なのです。

それは、「自分にとって都合の悪いものはみな嫌い、
自分にとって都合のよいものはみな好き」という心です。
子供のためを思い、なんとか子供に幸せになってほしい、
間違いなく育ってほしいという強い思いを持って、
親の愛情ゆえに一生懸命に言うのですが、
しかし、言われる子供のほうにしますと、
都合が悪いのです。
「盗人にも三分の理」と言いまして、盗人でも、
こちらが厳しく怒りましたら、文句を言います。
子供も同じことでして、あまり親がやかましく、
子供のためを思って叱ったり文句を言ったりして
言い聞かせましたら、子供にとっては、
都合が悪いのです。


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「御垂訓」

2021-03-16 00:14:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より

             講演集、三

         子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

でも、それほどにしても、だめなのです。
やっぱり、朝まで子供の帰りを待つのです。
待っていて、何ごともないと、また腹が立ってきて、
どうすることもできないのですね。
こうなりましたら、もう書くだけです。

「神様、私をどこまで苦しめてくれたら、
神様は気が済んでくれるのですか。
私に与えられる苦しみでしたら、
どんな苦しみでも受けさせてもらいます。
どうか、子供を通して、私を苦しめないで下さい。

いい加減にして下さい」と、神様に文句を言うわけです。
朝まで祈って、困ったことを書きつけたのですね。
しかし、そんなことをいくら頼んでも、
神様は聞いて下さいません。

何カ月も何カ月も、そういう生活をしていますと、
今度はもう神様に文句を言うのをやめてしまいまして、
「神様、どうぞ子供がどこにいてくれるかは
分からないけれども、あの子に事故がないように、
過ちがないように、守ってやって下さい。

どうぞ、あの子に間違いがないように守ってやって下さい」と、
もう必死になってお願いしました。
そして、「許して頂けるのでしたら、
一時も早く私のもとへ帰してください。
私のもとに帰して下さい」と言って泣いて
夜を明かしたことが幾度かありました。


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「御垂訓」

2021-03-15 00:05:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

             講演集、三

          子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

出て行く時に、下駄などを履いていってないのは分かるのですね。
それでも、表で下駄の音がしたら、帰ってきたのではないかと思って、
表に飛んで出たり、或いはかすかな足音が耳に入れば、
飛び出していったり、
或いはどこへいったか分からない子供を探して出歩いたり、
ほんとうにいろいろと苦しい悲しい体験をさせてもらったのです。

最初の間は、夜遅くでも帰ったてきたら、もう、「何をしていたのか」と、
まるで鬼みたいに叱りつけました。
「言うことを聞かないのなら、今日はもう髪の毛をつかんで引きずり回そうか」
と言いましても、それでも聞いてくれないのです。
「これだけ言っても、お前が聞いてくれず、口で言っても分からないなら、
牛や馬のように体罰によるしかない。

もし今後、こういうことをしたら、姉さんの竹刀でお尻をたたくから」と
言っても、「はい」と言うだけで、また遅く帰ってくるのですね。
約束だから、しようがないのです。
「来い」と言った時、「ごめん、今度はもうしないから」と言ってくれたら、
「今度はもうしないでくれ」と言って済むのに、「来い」と言ったら、黙って
ついて出てくるのです。

「じゃ、向こうをむけ」と言って、竹刀でお尻をパンとたたいら、「痛い」と
言って、身をちょっと庇います。
これは本能です。
私は鬼みたいな心になっていますから、もういっぺんでは止まらないで、
又その上に何回か竹刀でお尻をたたきます。

そして、「もういいから、もうお休み」と言うと、
子供の部屋は二階にありますので、まあ、泣きながら上に上がっていったのです。
「しまった、えらいことをした、お尻をたたいて、
お尻を庇った手が折れてないだろうか、お尻が切れてないだろか」と思いますと、
もうじっとしておれないのです。

また、子供の部屋へあがっていって、「けがはしていないか、指は大丈夫か」と
言って、からだを見ますと、有難いことに指も折れていません。
「もう、二度とこんな思いをさせないでほしい。
もう、こんなことは二度としたくないから」と念を押すのです。



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