浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-07-31 00:19:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


       講演 二
 
「心は慈悲と愛の塊にして 当体・意識は
          不二なることを悟るべし」
自然界の太陽の姿一つ見せてもらいましても、
太陽はまさに慈悲と愛の塊です。
しかも肉体と私たちの目に見ることのできない心、
また大宇宙と大宇宙を動かしている目に見えない
エネルギー、これは不二一体、
つまり二つであって一つです。
当体と意識は一つであることを知りなさいとは、
私たちの肉体も心があってこそ肉体が動くのであり、
大宇宙体もそれと同じように、
大意識によって動いているということが
説かれています。
この大宇宙を動かしているのは、
目に見えない大意識です。

                         
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「御垂訓」

2018-07-30 00:17:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 二
 
「大宇宙体は意識の当体にして 意識の中心は心なり」
この当体とは、人間で言えば身体です。
そして支配しているのは心です。
当体は見えない意識によって支配されています。
大宇宙体は意識が物質化して現れたものです。
私たちの心の現れがこの肉体ですがら、
大宇宙もそれを動かしている意識の
現れが当体、大宇宙体です。

私たちのこの肉体も、肉体がすべてだと思って
生きてきましたが、そうではありません。
この肉体はいつの日かこの世に置いて
帰らなければならない一時の借り物です。
どんなに偉い方でも、どんなに欲深い人でも、
この肉体を自分のものにすることはできない
無常なるものです。

常にない存在がこの肉体です。
ほんとうに自分のものであるならば、
「私は歳はとりたくない」と思えば、
歳はとっていかないはずです。
私の場合「早くこの白髪は消えなさい」と言えば
消えなくてはいけないはずですが、
これは年と共に避けることはできません。
「心」こそ私たちを動かしているエネルギー、
根本ですね。
目に見えない力です。
宇宙として形が現れていますが、
この宇宙を動かしているのは目に見えない
働きによるのであり、しかもその意識の中心は
「心」です。

すべての行動の決定権は「心」です。
肉体は心の決定によって動きます。
私たちが何をするにもまず「心」が動き、
そして心によって肉体が行動を起こします。
心の中で思いますと、良いことであれ悪いことであれ、
心が動くということは、
これは現実に、潜在的に行動に移っていることです。
悪いことを思っても、これは見えない悪い行動です。
実際に肉体が動けば見える行動になります。
陽と陰です。

思うことぐらいなら人に迷惑をかけるわけでもなし、
人に分かるわけでもなし、
何を思っても構わないはずだと思うのですが、
これが恐ろしいのです。
思った時、
それはすでにもう心の中で潜在的に行ったことに
なります。
ですから高橋信次先生は
「思いを、想念を正しなさい」と説かれました。

            
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「御垂訓」

2018-07-29 00:30:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 二
 
「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
先の続き・・・
「神に従う心は思いめぐらして受けこたえ、
神に逆らう口は災いを吐く」
神様と考えていただいてもいいし、
神理に逆らう者と理解してもいいですね。
神理に逆らうことは何者といえどもできません。
それは神の心だからです。

「神は言われる。盛り上げよ、
土を盛り上げて道を整えよ。
私のいとし子の民が、
道からつまずきとなるものを取り払ってあげなさい。
そして土を盛り上げてよき道をつくってあげなさい。
「高く崇められて永遠なる方(神様です)、
その名を聖と唱えられる方がこのように言われる。
私は高く聖なるところに住み、
打ち砕かれて謙(へりくだ)る霊の人と共にあり、
謙る霊の人に命を得させ、
打ち砕かれし人に命を持たせる。
私はとこしえに責める者ではない。

とこしえに怒りを燃やす者でもない。
霊が私の前で弱り果てることがないように
私の造った命ある者が・・・」
神様はいつまでも責められるものではありません。
ただその過ちに目覚めさえすれば許して下さいます。
そして永遠に怒りを燃やされるものではないのです。
それは愛のゆえに燃え上がって下さいます。
「神に逆らう者は、巻き上がる海の如きもので、
静まることはできない。

その水は泥や土を巻き上げる。
神に逆らう者に平和はないと、私の神は言われる」
自然に逆らう者は巻き上がる海、
つまり竜巻のようで鎮めることはできない。
その水は泥や土を巻き上げる。
自然に逆らう者は平和はないと私の神は
言われるというのです。
これは聖書の中の言葉らしいですね。
少し横道にそれましたが、神理はみな同じことが
説かれています。   

                       
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「御垂訓」

2018-07-28 02:21:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 二
 
「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
先の続き・・・
「浅はかな者は無智を修行とし、
熟慮ある人は知識をその冠とする」
浅はかな者は知らないがゆえに自分が偉いと
錯覚します。
よく考える人は自分の知っていることを―――
ここは「知識」よりも「智慧」に代えたほうがより
正しいですね。
―――つまり自分が知識として得たものを
行った時、神理を掴むことができるということです。
その時、何ものをも恐れることのない絶対の自信を
持つことができます。
それは自分が知っているからです。
いかなる大学者が理論をもって挑んできても、
自分が行って結果が現れたものは、
何ものも曲げることはできません。
「法は実践のなかに生命が宿ることを知れ」と
「心行」にありますが、
つまりよき行いをなすことです。
「大事な友を侮ることは罪である。
貧しい人を哀れむことは幸いなり」
友を低くみたり軽蔑したりするのは大罪を
犯したことになります。
また貧しい人に優しい心を持ち、愛
の実践をさせてもらった時、「ああよかった」
といういい意味での自己満足があります。
自分よりも環境の貧しい人、または肉体の貧しい人に、
愛の手をさしのべることです。
「弱者を虐げるは造り主を嘲ることになる」
弱い者を虐げる者は神を嘲ることになります。
造り主とは神様ですね。
「神様を尊ぶ人は貧しい人々を哀れむ」
弱い者をいじめたりすることは神に背く行為です。
神様を尊ぶことは自分たちよりも恵まれていない人々に
愛の手をさしのべることで、
それが神を尊ぶことになります。

                       
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「御垂訓」

2018-07-27 01:42:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 二
 
「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
先の続き・・・
「謙虚であれば智慧は容易に得ることができる」
謙虚を売り物にしてはいけないと注意されますが、
私は一円もお金を戴いておりませんから、
謙虚は売っておりません。
もし報酬を頂戴して
「私は未熟者です。至りません」といいましたら、
これは売ったことになります。
しかし私は売り物にはしておりません。
ですが、謙虚に生きさせてもらうように
努力はしております。

世の中に「自分が、自分が」と言える人は
一人もなく、
大いなる神の目から見ましたら、
偉ぶることのできる人は一人もいないはずです。
増長慢は神を冒瀆する行為です。
全知全能すべての智慧を持たれた神からみましたら、
人間の存在などはいかに未熟なものか、
いかに至らないものかが分かります。
「愚か者の前から立ち去るがよい。

彼に知識ある唇を認めることはできない」
愚か者とは、己が偉いという人です。
「賢き者はそのすべてを自らに求め、
愚かな者はそのすべてを他人に求める」
賢き者は何事が起きても、どこに原因があったか、
私のどこにこの結果を呼んだ原因を作ったかと、
常に自らに求めていきます。
愚かな者は他人のせいにします。

何が起きても「あの人が悪いから私がこうなった」と、
他人のせいにします。
しかし過ちがあって、
不調和が起きて苦しむのは自分自身のはずです。
人は苦しみません。
自分が苦しんでいるのですから、
自分に原因があるはずです。
それを徹底して追求すべきですね。
「無智なるものは不遜で互いを詰る。

正しい人は互いを受け入れる」
魂の苦しみを知るのは自分の心であり、
その喜びについても、自分の心の
喜びは他人はあずかり知らないことであり、
喜びはわが心です。
喜びを喜びとして、
「ああ、有難いなあ」と思えばそれは自分自身の心で、
他人はあずからないことです。
喜びは自分の心にありますから、
すべての者は喜びを見付けるように努力すべきです。

                 
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「御垂訓」

2018-07-26 00:42:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 二
 
 「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
先の続き・・・
「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが、
耕作をもたらすのは牛の力である」
世の中には、自分の気にいらないことや、社会悪だ、
間違いだということはいっぱいあります。
しかしそういう間違いがあり、汚いものがあってこそ、
自分が過ちを犯さず正しく生きた時に、
汚れに染まることのない蓮の花になることができます。
あの蓮の葉はいかに泥水をかけようが乗せようが
絶対に汚れません。

幼い頃、蓮池の蓮の葉っぱでよく遊びましたが、
どろどろの水をかけても全部玉になって、
傾けるとコロコロと転んで、
蓮の葉は少しも汚れません。
しかしあの泥に汚れることのない蓮の花は、
あの泥があってこそ咲くことができます。
汚い泥がなかったらあの花を咲かせることはできません。
それと同じことで、この世の中に罪をつくり、過ちを犯し、
悪を積む方がありますが、そういう方があってこそ、
私たちはそれに汚れない花を咲かせることができます。
誤った方たちを私たちの栄養として、
悪に染まらない魂を築くことが大切ですね。
すべての事象は私たちの学びの先生です。
そのようにして学んでいきますと、
すべては尊い師に変わっていきます。
「忠実な商人は欺かない。

     欺きの発言をする者は嘘つきの商人である」
人を、友達を欺いてはならない。
嘘をつけば必ずばれてきます。
ばれるのを繕うために次の嘘をつかなくてはいけません。
これはものすごく苦しいことです。
私は幼い頃嘘つきでした。
この苦しみは体験した者でないと分からないものです。
幼い頃にいやというほど体験しまして、
「ああ、嘘はつくものではない、
とても苦しい」と、その恐ろしさをいやというほど知りました。
嘘はできるだけつかないようにしなくてはいけないと
悟らせてもらいました。

「不遜であれば智慧を求めても得られない」不遜とは増長慢です。
「己が偉い」と思ってしまいますと、
もう智慧の実を得ることはできません。
常に謙虚で、常に人の下であるということを知ったら、
すべての方は学びのお師匠様です。
しかし自分が偉いと思ってしまうと、
「お前らのような駄目な者の言うことが聞けるか」と
いうことになります。
増長慢になった時、いくら智慧を求めても、
もう得ることはできません。  

                    
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「御垂訓」

2018-07-25 02:45:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 二
 
「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
先の続き・・・
私たちは有難い存在の中に包まれているのです。
言葉を換えて言いますと、
私たちは神様の中に生きさせていただいています。
本質は神の御胸の中に包まれているのです。
神様が目覚めなさいとおっしゃるのは、
このことに気付きなさいとおっしゃっているのです。
「私の胸の中に帰りなさい」とは、
自分が現実に神の御胸の中にあることを
悟った時、神の御胸の中に帰ることができるのです。

この肉体の奥底に目に見ることのできない神我、
神なる我、つまり大いなる神の分け御霊が、
私たちのこの意識の中にいて下さるのです。
自分が神の御子であることを自覚し、
そして神の子らしく生きた時に、
夜休ませていただく時、神様に対して
「お父さん、今日は本当にありがとうございました」
と、心の底からその目に見えない神に対して
「お父さん」と呼ぶことができます。
それは、ごくわずかの過ちがあっても神様を
「お父さん」と呼ぶことはできません。
口で言うことは易しいのですが、
心の底から「お父さん」と呼べる日々を
積み重ねることです。

そのためには神の子として恥ずかしくない
一瞬一瞬を努力することです。
「心行」の中に書かれていることが、
実は聖書の中の言葉と一致するのだそうです。
「イスラエルのダビデの子、ソロモンの箴言」
として書かれてあります。
「智慧ある女は家庭を築きます。
無智なる女はそれを自分の手で壊します」
せっかく結構な環境を戴きながら、
自分が無智なるゆえにその家庭を破壊します。
「神を恐れる人はまっすぐ歩くことができません。
神を侮る者は曲げます」
正しく生きる基準が分からなくなるのですね。
「無智なるものの口には傲慢の杖、
智慧ある人の唇は自分を守ります」
無智なる人、考えの浅い人は己を誇ったり、
己を自慢したり、増長慢になったりします。
同じ五官を与えられても、
その人に智慧があるかないかによって同じ口が
傲慢の杖になったり、
身を守る武器になってくれたりします。

                   
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「御垂訓」

2018-07-24 00:23:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 二
 
 「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
お日様の熱、光、或いは目にみることのできない
空気中の酸素を私たちが戴いていること、
またこの地球を見せていただいても、お日様の熱、
光をそのまま戴いたのでは、余りにも強すぎますから、
大気を通していらないものが地球に入らないようにして、
生物の生存に可能なものだけが与えられていること、
これらはまさに大慈悲です。
慈愛です。

考えてみますと、私たちは余りにも感謝を知らない
生活をしてきました。
与えられているから「あって当たり前」と
思うのですが、しかし「当たり前」という
思いの中から感謝を失っています。
「もし無かったら」と思った時、す
べてのものが感謝の対象に変わります。
「空気の中にもし酸素が無かったら」
「もし酸素の量が少なっから」また
「もし多すぎたら」と思いますと、
今与えられた環境がいかに有難いかと言うことが
よく分かり、「有難いなあ」
「何と結構なことだなあ」という心に向かっていきます。

誤った信仰、誤った宗教は「罰が当たる、
お参りしないから祟りがある」と、教えます。
或るは神様の山から木を持って帰ったら
えらい目にあうとか、神様の山でおっしこをしたら
罰が当たるとか、いろいろの恐怖、
不安を与えるものが神様だと思っておりましたね。
ある方が信仰しておられた宗教では、
教祖さんが護摩を焚かれて、
しかも真っ暗なところで護摩を焚いて般若心経を
唱えるそうです。

狭い部屋で焚くものですから、済みましたら、
煤で顔は真っ黒、煙たいので目から涙が出て、
目の周りだけが白くなって、
皆狸のようになっているのですね。
そんな不気味な神様はあるはずがありません。
私の神様は、この大宇宙を司っておられる神様で、
ほんとうにやさしくてどんなに罪を犯してもなお
「目覚めなさい、悔い改めなさい、
その時あなたの罪は許される」とおっしゃいます。
こんな有難い神様はありません。

               
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「御垂訓」

2018-07-24 00:13:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
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「御垂訓」

2018-07-23 02:22:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 二
 
「意識は大宇宙体を支配し万象万物をして調和の姿を示さん」

先の続き・・・
自然の神様は平等です。
私の愚かな過去を振り返ってみましても、
町のために役立たせてもらい、
人様のお役に立たせてもらう実践をさせていただきますと、
その場では
「ご苦労さまです。ようしてもらいます」とか
「あの人はよくしてくれる」といって、
よく尽くした場所においては、
よりよい評価を間違いなしに受けました。
しかし家庭を留守にして、
家のことは放って外にばかり精出しておりますと、
家ではよくない父親になり、
その評価は「ほんとに家を放ったらかして、
外ばかり出回ってしょうがないお父さんだ」といわれます。

一方でよい行いをしましても、片方で辛い寂しい思いをさせた時、
外ではよい評価を受けますが、家では厳しい評価が返ってきます。
ですから、私はまさに片寄った、
バランスの崩れた不調和な生活をしておりました。
不調和であっては、絶対に幸せになることはできません。
万象万物すべてのものは、バランスの上に成り立っております。
太陽からの熱、光も一定量のものを頂いているからこそ、
私たちの生存が成り立っております。
お日様のご機嫌によって
「今日は少し多く出してやろう」といって多くの熱、
光が出されましたら、人間は皆丸焼けになります。

「今日はしんどいから、熱と光を止めておこうか」といわれたら、
人間は寒くていっぺんに凍りついてしまいます。
それをほんとうに変わることのない熱、光を与えていただき、
このように万象万物の姿の中に調和の姿を示して
いただいておりますね。

                
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「御垂訓」

2018-07-22 01:13:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


         講演 二
 
「意識は大宇宙体を支配し万象万物をして調和の姿を示さん」

「調和」という言葉もよく使われますが、
「調和」とはこういうものですと、
適切に答えてくれる人は余りありません。
高橋信次先生は「妙なる調べ」とおっしゃいました。
これは、バランスのことです。
あの「やじろべえ」を思いだしていただいたらよく分かると思います。
「やじろべえ」はどんな危険な場所に立てましても、
ちゃんと立ちます。
これは、左右の重りが調和されてバランスがとれているからです。
もし一方が重い場合は、落ちてしまします。

お釈迦様の厳しい修行も、
厳しいほうに片寄っていたから悟れなかったのですね。
お城の中の栄耀栄華の生活も、
また余り結構すぎて悟ることはできませんでした。
ですから、
「やじろべえ」の中心点は常に中程におかなくてはならないように、
「心」を中程に置くことが調和の目的です。
調和はすべての面で働きます。

たとえば、結婚しても奥さんばかりを可愛がって、
親を放ったらかしにするのは、これは不調和ですし、
お嫁さんを放ったらかしにしても、
親ばかりを大事にするのも片寄っていて、
これもうまくいきません。
その真ん中で、常に両方を大事にすることを心がけるべきです。
私などは、日頃家を留守にして、
家の者に大変迷惑をかけております。
外へ出れば、出た先で皆さんに喜んでいただきますが、
その分、家の者は寂しい思いをしております。

外にばかりよくしてもいけませんから、家にいる時は、
できるだけ家庭サービスをさせていただいております。
それもなかなできないような状態ですけれども、
常に心がけております。
家庭サービスといっても
「はい、はい」と、何もかも引き受けるということではなく、
家の者を大切にさせていただくということですね。

さもないと不調和になって、
外では良くて家では悪いということになってしまいます。
昔から「外いりが良くて、内いりが悪い」という言葉があります。
外で一生懸命仕事をして疲れると、
家でわがままを言いがちになるのですね。
しかしこれでは不調和です。
外でも良くし、家庭の中でも良くして、
どちらにも片寄らないバランスを
とっていくことが、何より大事だと思います。

               
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「御垂訓」

2018-07-21 00:31:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 二
 
前回の解説と重なるところがありますが、追加捕捉しながら、
話を進めさせていただきましょう。
  「大宇宙大自然界に意識あり」
地球は大自然からみますと、
太陽という原子核の周りをまわっている
マイナス電子のような小さい存在です。
しかし私たちから見ますと巨大な地球です。
この大きなものが一秒の狂いもなしに、
太陽の周りを循環しております。

これは、どれほど科学が進みましても、
人知ではとうてい及びもつかない出来事です。
しかも地球だけでなく、太陽系の中の九つの惑星も、
一秒の狂いもなしに循環の法則に従って回っております。
これを動かしている目に見えない力のことを、
「意識あり」と説かれています。
この太陽系のようなものが、
銀河系宇宙には何千億個もあると言われており、
その銀河系の星が全部一秒の狂いもなしに回されているのです。

さらに、銀河系宇宙のようなものが
何千億かたまって島宇宙をつくっており、
この島宇宙が何千億個寄り集まったのが
大宇宙の存在だそうですから、
これはもうとても計算できるようなものではありません。
無数の天体がこの大宇宙には存在しており、
しかも全部一秒の狂いもなしに、
大いなる意識によって動かされているのです。
この意識とは、言葉を変えますと、
「父なる神」であり「唯一絶対の神」で
あります。

              
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「御垂訓」

2018-07-20 00:07:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 一
 
「心は慈悲と愛の塊にして 当体・意識は不二なることを悟るべし」
先の続き・・・
古い誤った宗教や信仰というものから目覚めなくては
ならないのですね。
すべての人が幸せになることです。
日本各地の講演会でこの話を聞いていただき、
またテープを聞いていただいて、
たくさんの方々が今までの信仰を止められまして、
その御神体と称するものをいっぱい送ってきておられます。

それは間違いに目覚め、その間違いから抜け出されたからですね。
誤った信仰ではほんとうの幸せは得られません。
お金を上げなさい、その教団にきて掃除をしなさい、
ご奉仕しなさい、本を何冊売りなさい、
などとたくさんの負担がかかってくるのです。
負担というものをかけられますと、私たちは苦しいものです。
お金を出すのも、主人が働いてくれたお金をやりくりして、
そういうところに運んでいますと、家の中はうまくいきません。
また幹部になればなるほど負担が大きくなってきます。
これは、組織にはその組織そのもののカルマ=業があるからです。
宿業ですね。

組織というものは一つの生き物ですから、
組織を作った以上これを潰してはならないのです。
組織を維持しなければならず、
運営し維持するためにはお金が必要になります。
組織を作った方が、自分が一生懸命働いて、
何億というお金をこしらえ、
そのお金でもって「私は人さまに喜んでもらうために私財を投じて、
皆さんのために使わせてもらいます」
と言って行うのならば、これは幸せになります。
しかし、皆さんから「お金をだしなさい、
もっと上げなさい」と言って集めたお金で、建物をた建てたり、
宗教活動をしたりしていますと、
その信仰に入った方には必ず負担がかかってきます。
その負担とは、まずお金を出すことであり、
次に会員や信者を増やせという絶対至上命令です。

一人でも多くの人を入れなさい、そうすれば救われる、
たくさん勧誘すれば功徳があると説きます。
また、その信仰の新聞や本を多く取らせます。
家族が十人おられたら、十人分取りなさいと勧めますが、
同じ新聞を十人分取って何のご利益がありますか。
自分のところでは十枚も不要だから、
晩になると近所の郵便受けに内緒で配ったりするのだそうです。
或いはビラを撒きなさいという負担もかかってきます。
これらのことは、えらい人たちは何もしないで、
下の人ばかりにさせています。
これらはすべてカルマです。
カルマといいますのは人間の苦しみです。
こういう苦しみを会員さんや信者さんに与えなければならないのは、
組織というものの持っている業によるのであって、
この業を避けては通れないのです。
私は一生、組織は作りません。

このように約束させてもらっています。
組織はなくとも、縁ある方は縁によって
「ああ、これこそ正しいほんとうの教えだ」ということに
気付いていただけます。
しかもこうして集まって、
正しい教えに「なるほどそうだ」といって納得して
いただける方は、過去においてこの正しい教えを学んだ体験のある、
魂の成長された方ばかりです。
次元の低い方は分かりません。
全部、過去において学んだ仲間です。
集い来る過去世に学びし輩の一人ひとりのいとおしきかな
私に縁あってこうして集まっていただく皆さんは、
過去においてどこかの国で共に正しい教えを学んだ仲間です。
それは自分の心が浄化されてきますと、自然と分かってきます。
私の目には全部いとおしい仲間です。

皆さんも自分の心というものを理解されますと、
過去に学んだ仲間の集いだということがよく分かって
いただけるものと思いますね。
今日初めてお見えになった方もあります。
しかし全部、目に見えない深い縁生の糸によって、
こうして集い合っているのです。
これは真実の姿だと思います。
どうも有難うございました。


     ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-07-19 01:59:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 一
 
「心は慈悲と愛の塊にして 当体・意識は不二なることを悟るべし」
先の続き・・・
しかし私はあくまでも神様の投網を提げて、
日本全国に投網を打ちに回っています。
その中には身体を治してほしい、
苦しいのを助けてほしいといって求めてくれる方もあります。
これも投網にかかったのです。
しかし魂が幼なければ、網の目からみなこぼれてしまいます。
網を引いたら、たくさんの魚がいたのですが、
みな小さいから網目から出てしまったのです。
しかし、今こうしてお話を聞いて下さる方々は、
大きな魚でございます。

神様の投網にかかってくれたのですね。
それだけ魂が成長なさったお方ばかりが、
こうして集まって下さっています。
網を打って回る私の心は、小さい魚は逃げても当たり前、
あれは小さいからしょうがないと思いますね。
まさか投網を打ちにいって、魚の小さいところばかりに打って、
みな逃げてしまったと腹を立てる漁師さんはいないと思います。
それと同じことで、私の心の中は逃げようとどうしようと、
そんなものは全く関係ありません。
ただ助かってくれたらいい、ただ救われてくれたらいいと思っています。
それが私の使命です。
そして魂の成長した方が一人でも網の中にかかってくれて、
自分自身の心に目覚め、
また次に苦しい方を救う手助けをしていただいたらと思います。
「この教えを実践して、私はこのような喜びをいただきました。
だからあなたもどうぞ日々の生活をこのようにしてみて下さい。
その時必ず幸せになりますよ」と言って、
他の人に救いの手をさしのべてあげていただくのですね。

私一人の力は、いくら夜も寝ず、昼も寝ず働き、
あちこち飛び回りましても、微々たるものです。
しかしご縁ある皆様一人ひとりが、次の方に、
次の方にと救いの手をさしのべていただいた時、
やがてこの日本に幸せな、争いのない社会が実現されると
思います。
これは高橋信次先生がおっしゃった仏国土=ユートピアです。
光り輝く地域が出来あがるのですね。
まず日本が目覚めて、
次に地球全体の危険な場所を救わせていただくために、
「一人ひとりの心に目覚めがくるように、
私たちはお手伝いさせてもらわなくてはならないのです。
小さく言えば己自身の心、大きく言えばこの地球を救うのです。
しかも、何も特別の変わったことをしなくとも、
一人ひとりが幸せになればいいのです。
すべて人が幸せになった時に、この地球は救われます。
その幸せを分け与えていただくのが皆さんの使命です。


      ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-07-18 01:36:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より


     講演 一
 
「心は慈悲と愛の塊にして 当体・意識は
     不二なることを悟るべし」
私たちの肉体(当体)も考えて見ますと、
まさに慈悲と愛の塊です。
小さな細胞の一つひとつの働き、
肉体の諸器官の働き、呼吸器官、消化器官、
循環器官、神経系統、筋肉の働き、
手足の働きは慈悲と愛の塊としかいえません。
しかもこの肉体を動かしてくれる、触れることも、
見ることもできない力、
これこそ私たちの心です。

或いは霊魂と呼ばれるものです。
すべてを生かそう、
調和させようというその大いなる慈愛と愛が、
神の御心だったのです。
大宇宙、大自然そのものが神の御姿だったのです。
これは私たちの肉体も同じことです。
この肉体と私たちの心は、
切っても切り離せないものであり、
心と肉体が二つ寄って一つになっています。
ですから、心が肉体から離れてしまったら、
その時はもう死ですね。
この心こそすべての根元です。

私たち自身も、
この肉体が自分自身だと思っていましたけれども、この肉体を
動かしてくれているエネルギーは心にあったのです。
その証拠に、この場所に来られますのも、
皆さんの心が「今日はお話会だから
行ってみよう」と思われたから来ることができたはずですね。
「今日は行くのを止めよう」と思えば、
絶対にこの場所に肉体は来ません。
道を求めて来てくれる方、
或いは身体がつらいから治してもらうのが目的で
来てくれる方、その心はそれぞれ違います。
ある会場では、十時に会場を開きますと、
お昼過ぎまで治療させてもらうのですね。

まあ五~六十名のお方ですが、
治療が済んだらさっさと帰られる方が多いのです。
お話は聞かずに、治してもらえばすぐ帰ってしまわれます。
そういうお方は身体を治してもらうだけが目的で見えているのです。
だいたいどこへ行きましても、同じことですが、
自分の苦しいところを助けてもらい、
身体の辛いところを治してもらい、
治ればもう用事はないと帰られます。

    
     ~ 感謝・合掌 ~


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