浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2023-07-31 00:10:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


                講演、四

             まことの神の御姿と御心

まことの神様は、形あって形がありません。
天地に現れた自然の万象万物こそ、神の御姿です。
形無くして、すべてを生かそうとされる自然の力、この力こそ、
本当の神様です。
殊に、人類を形あるものとして、この地上に現わしていただきました。

そして、私たちが見えることのできない良心の囁きとなって、
神はその証しを立てられます。
悪いことをしてはいけない、良いことをしなくてはいけないということを、
その良心が知っています。
神は、人類一人一人に対して、人種に関係なく地球上の全人類に対して、

「いとしいわが子たち いとしいわが子よ 
そなた達は幸せに生きよ 
健やかに生きよ 己自身を苦しめることなかれ 
己を大切にし己を大切にするが如く他を大切にせよ 
汝らの喜びは我が喜びなり 汝らの苦しみは我が苦しみなり 
いとし子よ自らを苦しめることなかれ 
自らの魂に目覚めよ自ら作った過ちを悔い改め 自らの心を清め 
私の胸の中に帰りなさい 我が胸の中に帰りなさい 
私は愛ゆえにあなた達を形として現わした 
厳しい世界へ旅をさせたものである 
いとしいが故に旅に出したものである
自らの心に目覚め 自らを知って私の胸の中に帰りなさい
ただひたすらに待ち望むものである」と言われます。

私たちは神から、この形として現れた現象世界へ、
いとおしいが故に、
自らの魂に目覚めるが為に、神のみ許を離れて、
この地上に旅に出てきているのです。
ですから、神は私たちをいとおしい、いとおしいと言われます。
それほど大きな神様の思いの中に、
私たちは生きさせてもらっているのです。
それに目覚めた時、大いなる安らぎ、
大安心の中に日々を送ることができます。


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「垂訓」

2023-07-30 04:43:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


          講演、四

       えびす詣でと、大黒様

先の続き・・・

神様というのは、一銭のお金も要求されません。
神様の世界と私たち人間の世界とは、次元が違うのです。
神は、人間のお金などはびた一文必要とされません。
その証拠に、皆様のお宅に神棚がありましたら、
一万円札を置いてみて下さい。

「神様、このお札をお供えさせてもらいますから、どうぞ使って下さい」
と言いましても、ねずみが持っていかない限り、
何年経っても、置いたままになっているはずです。
神様はお使いにならないという証拠ですね。

誰がお金を必要として、誰がそのお金を使っているのかというと、
それは全部人間が使っております。頭に毛の生えた、神の名を騙る者が、
神に供えたお金を使っております。
特に宗教においてそうですね。


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「垂訓」

2023-07-29 00:13:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


             講演、四

          えびす詣でと、大黒様

先の続き・・・

或る若い衆がいて、仕事嫌いのなまくらで、
何とか仕事をせずにお金を儲ける方法はないものかと考えまして、
「一度、大黒様に打ち出の小槌を振ってもらったら、
福が出るかも分からない」と思って、
大黒様に願かけをしたのです。
仕事もせず、毎日毎日、
「どうぞ、打ち出の小槌を振って小判を出してください」
とお参りを続けて、満願の日になりますと、
突然、大黒様が打ち出の小槌を
振ったそうですね。

いよいよ小判が出るのかと思っておりますと、
大黒様がこのようにおっしゃったそうです。
「この槌は宝与える槌でなし、なまくら者のどたま打つ槌」つまり、一生懸命
働いたら、福は入るものだというこを教えておられるのです。
仕事をしない者は頭を打ってやると言って、槌を持っておられるのだそうですね。
そんな大黒様に対して、「どうぞ、福を出して下さい」と言って、
お参りするほうがおかしいのです。


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「垂訓」

2023-07-28 00:32:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


              講演、四

          えびす詣でと、大黒様

示し申す神こそ、まことの神です。
このまことの神を信じたらいいのです。
日本にはいろいろ八百万の神がおられますけれども、
そういう神々を、初詣でと
いってお参りするのも、悪くはないでしょう。
しかし、ほんとうの神様はただお一人であるということを、
しっかり知ることです。

大阪のえびす様には、正月三日間のお賽銭が何億円と集まるそうですね。
これは、「えびすさんへ参って福をもらってこようか」と言って、
皆さんがお参りして、賽銭を上げて、何か食べて、電車賃を使って、
帰ってくるのです。
帰ってきますと、一万円持っていったとして、
その内のいくらかが減っています。
これは、福をもらいにいっているのではなくて、
福を失いにいっているのです。

福をもらったのは誰かというと、
僅か三日間でたくさんの福をもらわれたえびすさんです。
えびすさんはホクホクです。
そして、福をもらいにいったはずの人は全部福を失っています。
これが現実ですね。

もし一万円持っていった人が、家に帰ってきて財布を開けると、
「あら、一万五千円になっている」というのでしたら、
五千円の福をもらってきたことになりますが、
そんなうまいわけにはいきません。
大黒さんも福の神で、あの打ち出の小槌を振ったら、福が出て来る、
小判が出て来るといいますが、あれは真っ赤な嘘です。


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「垂訓」

2023-07-27 00:23:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


               講演、四

          「水」が教えてくれる自然の法則
先の続き・・・
そして自ら低くなった時、他はその人を持ち上げようとするのが自然の法則です。
水は低きに流れても、蒸発しますと、何ものよりも高く上に昇ります。
日々の生活を常に低く低く生きることです。
これは、自然が教えてくれています。
「私は偉いのだ」と、自ら偉ぶっている人は、ほんとうは偉くないのですね。
実るほど頭の垂れる稲穂かな
この句を、私たちは幼い頃から嫌というほど聞かされています。
稲穂は実るほど頭を垂れてきます。

しかし、頭を垂れない穂もあるのです。
それは、まだ実らない間に、雀が米の汁をみな吸ってしまった穂で、
全部突っ立っております。
人間も同じことで、「自分は偉いのだ」と言って、反り返っている人は、
魂の中が吸い取られて空っぽになっていると思えばいいのですね。
自分で自分を偉いという人がいたら、
「へえ、偉いんですなあ、お宅は偉いんですなあ」と、
繰り返し褒めてやりましたら、しまいにはもう偉そうにしなくなります。
相手が「自分は偉い」と言った時、「そんなことはない」と言うと、
喧嘩になりますから、偉ぶる人には、こちらも「偉い、偉い」と褒めてやると、
偉ぶるのを止めてしまいます。


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「垂訓」

2023-07-26 00:15:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                講演、四

          「水」が教えてくれる自然の法則

バケツ一杯の水を汲んできて拭き掃除をしますと、
自ら汚れを吸収して他を清めていきます。
雑巾をかけますと、自ら汚れや埃を吸い取って清めてくれます。
私たちも、自分を犠牲にしてでも、
他の汚れである苦しみを吸い取ってあげる
ぐらいの愛が必要ですね。

そのバケツの中の水は、雑巾をすすぎますと、ドロドロになりますが、
そのようになっても、水の本質は忘れておりません。
前栽の植木に、水をかけてやりますと、水は低きに流れます。
汚い木の枝や葉やゴミはどうぞ上にあがって下さい、
私は下を通らせてもらいますと、すべてを持ち上げて、自らは低くなります。
私たちも水にならって、自らを低く他を持ち上げて生きることですね。

普通、私たちは、人よりも少し優れていたり、
ちょっとでも変わったところを持っておりますと、
「ああ、私はこんなことができる、私は偉いのだ」と思って、
自らを高く評価します。
自ら高くなった時、他はその人を引きずり下ろそうとします。
必ず周りは下ろしにかかります。


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「垂訓」

2023-07-25 00:31:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


               講演、四

          「水」が教えてくれる自然の法則

水は高い所から低い所へ流れますが、これは自然の法です。
「法」とは、水が去ると書きます。
この「水」は、私たちにいろいろのことを教えてくれます。
冷たくなれば氷となり、熱を加えれば目に見えない気体となり、
常温では水として、融通無碍の姿を現わします。

この水差しに水を入れますと、忽ちにして水差しの形に従いますし、
コップに注げばコップの形に従ってきます。
水は、「方円の器」に素直に従いますけれども、
水としての本性は決して忘れません。
私たちは、一生の間にさまざまな環境に変わる場合があります。

女性の方は生まれ育ててもらった家から、やがて結婚して、
環境も教育も思想も全く違うところへ変わるのですが、
「私の育った所はこうだったから、コップの中には入らない」と言って、
頑張って喧嘩しているお譲さんがあります。
しかし、嫁げばその環境に素直に従わないと、幸せにはなれません。
水はどんな器の中にでも素直に従います。


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「垂訓」

2023-07-24 00:06:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


                講演、四

          「水」が教えてくれる自然の法則

バケツ一杯の水を汲んできて拭き掃除をしますと、
自ら汚れを吸収して他を清めていきます。
雑巾をかけますと、自ら汚れや埃を吸い取って清めてくれます。
私たちも、自分を犠牲にしてでも、他の汚れである苦しみを吸い取ってあげる
ぐらいの愛が必要ですね。

そのバケツの中の水は、雑巾をすすぎますと、ドロドロになりますが、
そのようになっても、水の本質は忘れておりません。
前栽の植木に、水をかけてやりますと、水は低きに流れます。
汚い木の枝や葉やゴミはどうぞ上にあがって下さい、
私は下を通らせてもらいますと、すべてを持ち上げて、自らは低くなります。
私たちも水にならって、自らを低く他を持ち上げて生きることですね。

普通、私たちは、人よりも少し優れていたり、
ちょっとでも変わったところを持っておりますと、
「ああ、私はこんなことができる、私は偉いのだ」と思って、
自らを高く評価します。
自ら高くなった時、他はその人を引きずり下ろそうとします。
必ず周りは下ろしにかかります。


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「垂訓」

2023-07-23 00:35:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演、四

          「水」が教えてくれる自然の法則

水は高い所から低い所へ流れますが、これは自然の法です。
「法」とは、水が去ると書きます。
この「水」は、私たちにいろいろのことを教えてくれます。
冷たくなれば氷となり、熱を加えれば目に見えない気体となり、
常温では水として、融通無碍の姿を現わします。

この水差しに水を入れますと、忽ちにして水差しの形に従いますし、
コップに注げばコップの形に従ってきます。
水は、「方円の器」に素直に従いますけれども、
水としての本性は決して忘れません。
私たちは、一生の間にさまざまな環境に変わる場合があります。

女性の方は生まれ育ててもらった家から、やがて結婚して、
環境も教育も思想も全く違うところへ変わるのですが、
「私の育った所はこうだったから、コップの中には入らない」と言って、
頑張って喧嘩しているお譲さんがあります。
しかし、嫁げばその環境に素直に従わないと、幸せにはなれません。
水はどんな器の中にでも素直に従います。


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「垂訓」

2023-07-22 00:01:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
恩師のご著書「講演集」より


            講演、四

       示し申すと書く真の「神」はただお一人

昨日の夕べも、
「神様とは一体何でしょう」という話があったのですけれど、
高橋信次先生はよく黒板に、「ゴッドの神」と書かれましたね。
これが、ほんとうの示し申す神〈神の旧字体は「」〉です。
日本には、上の意味の上様もありますし、ペーパの紙様もあって、
ややこしいのです。

何々の大神とか南無妙法蓮華経とか書いたものを置いて、
一生懸命拝んでいる方がありますが、このお札とか掛軸とかは、
ペーパの神様です。
又、祠の中に祀られている神というのは、ほとんど人の上にいた方で、
それを神として祀っている場合が多いです。

昔、その地域に貢献された方とか、その地域を開かれた方とか、豪族の方とか、
その地域の権力者とかを神として、立派なお社の中に祀っています。
ところが、そういう神々は、示し申す神とは全然違って、人の上にいた
「氏の上」つまり氏神様です。
けれども、同じ示し申す神という字を書きますから、ややこしいのです。

示し申す神はただお一人、この大宇宙を支配し、
この地上の万生万物を育む大自然の力、この大自然の力こそ、
神の御業であります。
こういう神様は何人もおられません。
ただお一人だけです。
この神こそ示す申すまことの神ですから、自然の中に、
私たちの生き方をいろいろと教えて下さっています。
自然を通して学ぶのが「正しい法」といえます。


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「垂訓」

2023-07-21 00:19:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


             講演、四

       最も身近なご先祖様は両親である

先の続き・・・

私たちは、幸せになったその姿を、ご先祖様にお供えすることです。
幸せな姿を供えた時、ご先祖様は「ああ、安心だなあ、私の子供たち、
子孫たちがこんなに幸せに暮らしてくれたら、
私は、もう何も思い残すことはない、ああ、私は幸せだ」と言って、
成仏されます。

ご先祖様に、「私はどこそこが悪いから治して下さい。
子供はこうだから良くしてやって下さい」と言って、
お願い事をしますと、これは、大変な先祖不孝です。
死んでしまいましたら、自分の姿はありませんが、心はあります。
子供や孫から頼まれましたら、もう心配するばかりで、
どうすることもできないのです。

「ああ、難儀だなあ、うちの子孫がこんなことでは、
難儀なことがなあ」と言って、お仏壇の中、
或いはお墓の中で苦しまれます。
ご先祖様に対しては、絶対に無理なお願い事をしないことです。
お願いをしますと、ご心配をかけます。


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「垂訓」

2023-07-20 00:02:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                講演、四

          最も身近なご先祖様は両親である

先の続き・・・

親と喧嘩ばかりしていながら、
一生懸命お仏壇を拝んでいる人がありますが、
先祖様の中で最も身近なご先祖様は、両親です。
そして祖父母、曽祖父母という順になってきます。
親に心配をかけて親不孝をしながら、
一生懸命お仏壇を拝みましても、
これは通じないのです。

なぜかと言いますと、
階段も一段一段あがらなくては上へは行けないのと
同じで、その一番肝心の親を飛ばして先祖供養をしても駄目です。
自分が幸せになりたかったら、親を大事にしましょう。
そして、お父さんお母さんに喜んでいただいた時、
ご先祖様にも喜んでいただけます。


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「垂訓」

2023-07-18 23:59:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
恩師のご著書「講演集」より


                講演、四

          最も身近なご先祖様は両親である

今の若い方、私たちも含めてですが、
両親への感謝報恩の行いを忘れている方が案外多いです。
しかし神様は、「あなたの父と母は、
私があなたに与えたあなたの父と母である。
故に、私を敬い私を信じ、私の導きに従うがごとく、
あなたの父と母を敬い
信じ、その導きに従いなさい」と言われます。

私たちのお父さんお母さんは、
神様から与えていただいたお方です。
それを、「私は産んでくれと頼んだこともないのに、
自分勝手に産みやがって」
と言って、親に文句を言う人がありますが、
これはとんでもないことですね。
自分の両親を尊敬できないことほど、
人間として生まれて不幸なことはありません。

私たちをこの世にあらわしめて下さった方こそ、
お父さんお母さんです。
この両親に逆らったり、背いたり、心配をかけたりして、
親を粗末にしていながら、自分が幸せになろうとしても、
これは絶対にできない相談です。
まず、自分の両親を大事にしなくてはいけません。
これは当たり前のことですね。


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「垂訓」

2023-07-17 23:57:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より



          講演、四

     自分の幸せの為に隣人を愛しなさい

先の続き・・・

イエスは偉大な光の大指導霊です。
イエスは神の御心を人々に伝えて下さいました。
その神は私たちに、
「幸せになるように、健やかに生きるように」と、
その慈愛の光を注いで下さっています。
人は幸せにならなくてはいけないということを、
神はよくご存知です。

「汝の隣人を愛しなさい」と言って、
自分が幸せになることをお教えになったのです。
自分が不幸になりたければ、
自分の身の周りの人を不幸にしたらいいのです。
必ず自分を不幸にしてくれます。
自分が泣きたかったら、
人を泣かしてやったらいいのです。
必ず泣かしてくれます。


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「垂訓」

2023-07-17 00:03:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演、四

       自分の幸せの為に隣人を愛しなさい

この世に生きさせてもらいますと、いろいろの出来事に出会います。
この出来事を通して、私たちは、自分にとって都合のいい時は満足できますが、
自分にとって都合の悪い出来事に出会った場合は自分の心を苦しめます。
世界中の人類すべてに共通して、誰方も同じ変わらない心というのは、
「自分にとって都合がいいものは、みな好き。都合の悪いものは、みな嫌い」
という心理です。

白人も黒人も私たち黄色人種もみな同じです。
ですから、人様にとって都合のいい自分になった時、
人は必ず自分を好きになって下さいます。
イエスは「汝の隣人を愛せよ」と言われました。
隣人とは最も身近な隣にいてくれる方のことですね。
隣とは、遠くの方とは違います。

家庭の中では夫婦であり親子であり、
職場では隣で働いている人こそが隣人です。
聖書に、「隣家を愛しなさい」とは書いてありません。
「隣り人を愛しなさい」ということです。
では、なぜ隣り人を愛さなくてはいけないかといいますと、
愛してもらうということは都合のいいことですから、
「この人は、私の為に誠心誠意尽くしてくれる。
この方は自分にとって大切な方だから、
私もこの方を大切にしなくてはいけない」といって、
自分が愛することによって、結果として自分が愛されるのです。
愛する方が多くなればなるほど、自分を愛して下さる方が多くなります。
つまり、愛することは自らの幸せにつながるのです。


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