2018・7・10 6;17
この世もあの世も同じくらいのウエイトで考えてる私にとって
「死ぬ」」ということは決して不幸ではないし、気の毒でもない。
自分の死に方、母たちの死に方についてよく考える。
実母も義母も90歳を前にして
気力も体力もかなり衰えてきている。
自ら「気枯れ」しているような気もするのだが
それも自分が選んでいる生き方なのだから
娘だからといえども、どうのこうのという筋合いではない。
ましてや嫁としてはなおさらである。
義母はまだ、食欲もあるし、旅行に連れ出すこともできる。
それで喜んでくれたりもする、
けれど、実母は
カラダが悪いのでもう、家から出ることはできないし、しない。
食べることにはもともとこだわらないし、趣味もないので
終日、「ちっともおもしろくない」といいながら、
見たくもないテレビばかりを見ている。
カラダはあちこち痛いらしい。
「こんなで生きていても、楽しくもなんともないけれど
お迎えが来ない限りは逝けないしねぇ」
と時々ぼやく。
そんな母たちを見ている私は
「長生きしてくださいね」とは思はない。
それどころか
仏壇やお墓に手を合わせるときには必ず
「母たちが楽にそちらに逝けるようにお導き下さいね」
と祈ってしまう。
2018・7・13 5;08
これってはたから見れば
「なんという冷たい娘!!
なんという鬼嫁!!!」
ということになるのだろうか。
長生きが良いこと。
延命こそが医学。
と信じ込まされている現代医学の環境の中で
本当の親孝行を実践するのは難しい。
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