昔々、神様は
豊かで平和な国を作ろうと思われました。
そこで地球上にこじんまりとした円を描き
その円の中にいるもの全て、
そう、人間はもとより
草も木も、花も虫も鳥も魚も、鉱物さえも
本当にその円の中にいるすべてが
互いに尊重しあい
調和するようにという祈りを込めました。
そして
大調和するようにと「大和=やまと」と名付けたのです。
いうまでもありませんね。
それが我が国、日本なのです。
だから日本人は
森羅万象、万物のすべてに命を見出し、そこに神を見ることが得意なのです。
そしてまた、そこでは
人々は互いに信じあい、委ねあえるほどの品格のある気高い者として存在していました。
やまとの国は「倭国」とも書きます。
「倭」は「人が委ねる」という意味ですね。
私たち日本人は委ねあえるほど
正直で親切で、品格を兼ね備えているはずなのです。
時々そのことを思い出し
私は「大和」の人として、
倭人にふさわしい品格を持って生きているだろうかと我が身を振り返ります。
豊かで平和な国を作ろうと思われました。
そこで地球上にこじんまりとした円を描き
その円の中にいるもの全て、
そう、人間はもとより
草も木も、花も虫も鳥も魚も、鉱物さえも
本当にその円の中にいるすべてが
互いに尊重しあい
調和するようにという祈りを込めました。
そして
大調和するようにと「大和=やまと」と名付けたのです。
いうまでもありませんね。
それが我が国、日本なのです。
だから日本人は
森羅万象、万物のすべてに命を見出し、そこに神を見ることが得意なのです。
そしてまた、そこでは
人々は互いに信じあい、委ねあえるほどの品格のある気高い者として存在していました。
やまとの国は「倭国」とも書きます。
「倭」は「人が委ねる」という意味ですね。
私たち日本人は委ねあえるほど
正直で親切で、品格を兼ね備えているはずなのです。
時々そのことを思い出し
私は「大和」の人として、
倭人にふさわしい品格を持って生きているだろうかと我が身を振り返ります。
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