「あい」であること 2019年06月04日 17時28分08秒 | 空からのささやき 2019・5・30 18;50 福山城の夕景 愛は天意 今日 私は「天意」で生きたか。 それをなそうとするとき 「それは天意であるかどうか」 を物差しとする。 人がどう思うとか 常識がどうだとか、 そんなことではなく 「天意」にふさわしいかどうか。 天が喜ぶかどうか、 そこに立ち返っていたいと思う。 時代が変われば常識は変わる。 善悪の基準だって変わる。 立場が変われば「正しいコト」も全く逆になったりする。 変わらないものはただ一つ。 それが 天意=あい であるかどうかだけ。 « いつもの定点観測の空です | トップ | 信じる気持ち »
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