幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

お盆の怪我に遊ぶ

2010年08月14日 21時46分40秒 | ひとりごと
 左手の親指を包丁で切った 

見事に切った 

血がとくとくと出てきた。

すぐに水で洗い
アロエ様のところへ走った 




「ごめんなさい。
 また少し、貰います」  

そう、一声掛けると同時に
葉先を3センチほどちぎった。

それを真ん中から裂いて開き
中のゼリー状のものを傷口に押し当てる。

アロエの果肉はみるみる真っ赤に染まり
それを押さえている右手やティッシュも
あっと言う間に血で赤くなる。


傷口の痛みはそれほどでもないのに
心臓がドキドキしてとても辛い。


・・・ショック死ってこんなふうにするんだろうな・・・と
思う自分がいた。





包丁の切れが悪くなっていた。
それゆえに剥いていたじゃがいもの皮に刃がすべり
はぐしをくってしまった・・・というのが
直接的な原因。


でも、
本当は、
その瞬間
わたしはほかの事を考えていた。

じゃがいもに意識を集中していなかったのだ。




止まらない血を見つめながら
じゃがいもに謝った。

ズキズキするのを感じながら
指の細胞に言い聞かせた。


「ごめんね。じゃがいもさん。
 あなたに感謝していなかったね。

 わたしの指の細胞たちよ。
 大丈夫!!
 あなた達はすぐに再生できるからね。」


・・・と言って
すぐに再生したらたいしたものだけれど
そんなことが起こる筈もなく
相変わらず
ズキズキ
とくとく・・・だった 




そんな中
ふと思った。



あっ
今日はお盆だった  

お盆なのにお墓参りに帰らなかったから
罰があたった?!


ご先祖様がおこってる?!  







いやいや、
「千の風になって」ではないけれど
お墓の中にご先祖様がいらっしゃるわけではないだろう。

「そこにわたしはいません。
 眠ってなんかいません」
・・・だよね、きっと。 





それに、わたし、
ちゃんと毎日感謝しているし
今日も先祖供養のお線香も上げさせていただいたもの。





郷里にお墓参りに帰ってはいないけれど
けっして
忘れているわけではないし
ここでこうして
ちゃんと供養しているもの・・・





「思い出してあげること。
 そして感謝してあげる事」
が、本当の供養だ、と誰かが言っていたではないか。



それに
ご先祖様や
神様は「罰」などというものは与えないという。


「罰」は自分の行いの鏡写しが戻ってくる結果のもの・・・。





そうだ 

むしろこの怪我は
「気をつけなさいね」のサインかもしれないじゃん 


う~~~ん
大きな怪我でなくて良かったよ。
感謝だね 







などと
一人でいろいろ考えているうちに
血はどうにか止まった。






この怪我は大難を小難におさめてくれたもの・・・・・感謝

この怪我は道具はきちんと手入れしなさいと教えてくれたもの・・・・・感謝 

この怪我は食材を愛し、心を込めて料理しなさいと戒めてくれたもの・・・感謝 


と、思うことにした。





今日はお盆の中日。


とっても良い日でした。



ありがとうございます    






・・・・・と、
かんがえる事により
災難の怪我さえも
感謝の元になる
という、心遊び、でした   



                P.S.    親指を切ったのは本当です  


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