私は鎌倉が好きで、東京に対局で遠征の帰りによく行った。この写真は確か北鎌倉の明月院だったと思う。アジサイで有名なお寺で、いつも静かなたたずまいだ。
和室の奥で、ひなたぼっこしているネコがいた。光と影の明暗が面白くて、そこにネコがいたらと思った通りの風景だった。
歴史のある街を歩くと、どこかに静けさが残されている。昔と変わらぬ余韻があって、今の時代とはかけ離れた時間がよみがえる。
京都や奈良とも異なるのが、鎌倉は武士のにおいがすることだろうか。そして女性的な繊細さも漂って、不思議なバランスがあるように思える。歴史に残された悲劇は、ときとして語り継がれる物語にもなる。単なる権力者は未来において、客観的な評価がなされるに違いない。いつの時代でも、今を生きる瞬間に冷静な判断を下す視野を持つことは難しい。結果が出て、また大勢が決まってから、有利な方に付く日和見は、昔から多かっただろうなあと思う。
それが一概にいい悪いということではないが、人間の生き様は悲しい性を持ち合わせているということなのだろう。潔さは古来のもので、今はさしずめバランスの取れた生き方がベストということかもしれない。
自分はいつも中途半端だなあと思う。恐らく生きていくためなら、踏み絵も踏むし、屈辱もわりと平気で耐えられる。自分に確固たる信念がないからだ。
鎌倉に行くと、建長寺、円覚寺、明月院が好きなコースだった。
”いにしえの 陽だまりのなか すくむ猫”
和室の奥で、ひなたぼっこしているネコがいた。光と影の明暗が面白くて、そこにネコがいたらと思った通りの風景だった。
歴史のある街を歩くと、どこかに静けさが残されている。昔と変わらぬ余韻があって、今の時代とはかけ離れた時間がよみがえる。
京都や奈良とも異なるのが、鎌倉は武士のにおいがすることだろうか。そして女性的な繊細さも漂って、不思議なバランスがあるように思える。歴史に残された悲劇は、ときとして語り継がれる物語にもなる。単なる権力者は未来において、客観的な評価がなされるに違いない。いつの時代でも、今を生きる瞬間に冷静な判断を下す視野を持つことは難しい。結果が出て、また大勢が決まってから、有利な方に付く日和見は、昔から多かっただろうなあと思う。
それが一概にいい悪いということではないが、人間の生き様は悲しい性を持ち合わせているということなのだろう。潔さは古来のもので、今はさしずめバランスの取れた生き方がベストということかもしれない。
自分はいつも中途半端だなあと思う。恐らく生きていくためなら、踏み絵も踏むし、屈辱もわりと平気で耐えられる。自分に確固たる信念がないからだ。
鎌倉に行くと、建長寺、円覚寺、明月院が好きなコースだった。
”いにしえの 陽だまりのなか すくむ猫”
きっと寒い季節なので
光のあたる暖かいところに
猫がいるのかな
それとも桜のさく春なのかな?
写真の中に入りたくなる1枚なのですね。
猫の写真を見ていると
森先生が猫になったような
錯覚を覚えます
猫を見ていると、私と同じ様だなあと思うので、自分でも同じ錯覚をしそうになります。