このときの写真は何枚も撮っているのだが、村山聖の表情はみな違う。これは憂いの表情で、休場が長引いて先の見通しが立たないときに見せたような気がする。村山聖に安易な気休めの言葉をいうと睨まれるだけなので、私はいつも淡々と意見を言った。こういうときは腹をくくって言わないと小細工は読まれてしまうからだ。
めったにないがそういうときの村山聖はとっても素直だった。師匠が時間をかけて考えた意見だから、まあしょがないなあと思ったのだろう。同情することは悪気がなくても相手を少し下に観てしまう恐れがある・‥同情するのはある一面だけでいい、他は対等の目線でいないと人の関係は長続きしないと思う。
村山聖は師匠の私にも同情してくれる、やさしく甘い面もあった。決して言葉にはしないが伝わってくるものを感じた。今もなお村山聖のことに関して、何かを刻んでおきたいと思うのは、そのお礼も兼ねている気がする。
目に見えないそういう懐の奥にあるやさしさを身につけていたのが、村山聖の魅力だろうなあと思う。
めったにないがそういうときの村山聖はとっても素直だった。師匠が時間をかけて考えた意見だから、まあしょがないなあと思ったのだろう。同情することは悪気がなくても相手を少し下に観てしまう恐れがある・‥同情するのはある一面だけでいい、他は対等の目線でいないと人の関係は長続きしないと思う。
村山聖は師匠の私にも同情してくれる、やさしく甘い面もあった。決して言葉にはしないが伝わってくるものを感じた。今もなお村山聖のことに関して、何かを刻んでおきたいと思うのは、そのお礼も兼ねている気がする。
目に見えないそういう懐の奥にあるやさしさを身につけていたのが、村山聖の魅力だろうなあと思う。
「銀橋の将棋ブログ」、拙いブログですがこちらのブログの感想なども書き綴っています。よろしかったらのぞいてみてください。
森さんと村山さんの関係は、年月を経てもまったく色褪せることなく、常に今現在のこととして語られているので、そこに救いを感じるのかもしれません。
それにしても村山さんは、時か経つにつれてますます輝きを増してくる存在ですね。