能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

能『朝長』のご紹介 その4

2020-02-12 11:29:16 | 能はこうなの、と明生風に能の紹介
能『朝長』の脇は、福王流は御傳(おんめのと=朝長の養育係)と名乗りますが、今回お勤めいただきます下掛宝生流の森 常好氏は、御乳母子(おんめのとご=お守り役の子)と名乗られます。
養育係と養育係の子、では朝長との関係が微妙に違ってきます。
後者の方が、
「昔一緒に暮らし遊んだ朝長が・・・」
と、より悲しみが深くなるのではないでしょうか。

能は通常、通りすがりの僧が、死後苦しんでいる霊が仮の姿でこの世に現れ出会うのが定型ですが、能『朝長』の脇は、朝長と深い関係にある特別な設定です。
亡くなった事を知り、すぐにでも弔いに行きたかったが、平家の世の中となり、なかなか行ける状況ではなかったが、今ようやくお弔いが出来て・・・と悔やむ様に話し、墓前で涙を流すのです。
『朝長』は16歳で亡くなった朝長の最期をテーマに作られています。
前シテの青墓の長者、アイ狂言の長者内の者(野村萬斎)、そして後場は地謡(地頭・長島 茂)が、三回も違う形で最期を語るのは、やはり作者は「若者の死の悲しさ」を聴衆に伝えたかったのでしょう。

その朝長の最期を、前場では長者がじっくり、と謡いますが、後場では意外とさらりと演出されています。
やはり前シテの語、その場に居合わせた者のみが知る迫真の語が、この能の見せ場なのです。
そして、ここが演者にとって、とても苦しいところです。
難しい語を窮屈な唐織着流にて着座して謡います。
この肉体的苦痛に堪えながら演じなければいけない状況は、正に朝長の苦痛を共有する様な感覚でいます。
この語にて、能役者・粟谷明生を感じ取っていただければ、とご案内申し上げます。

2/14 19時より
国立能楽堂大講義室にて、事前鑑賞講座がございます。
演じるにあたり、どの様に思っているかを本音でお話しさせて頂きます。ご来場をお待ち申し上げております。

お申し込み先
粟谷能の会
粟谷明生事務所
noh@awaya-akio.com

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