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お稽古事、習い事、これらにはいろいろある。
この手の言葉から連想するものは「茶道、いけばな、謡曲、日舞、長唄、お琴、香道など」とやや古めかしい印象の古典的なものが思い浮かぶだろう。
これがレクチャー、カルチャーなどの横文字だと、「ダンス、バレエ、ヨガ、フラワーアレンジメント、英会話」となんとなく洋物のイメージが浮かぶのは、私だけか?
今、能を観て下さる方はいらっしゃるが、謡や仕舞を習う方は減少傾向にある。
以前は、習って下さる方に
「恥かしいならば人前で謡ったり舞ったりはしなくても構いません。あくまでも能鑑賞の手引きとなれば結構ですから」
とお誘いしていたが、もう舵取りを変える。これからは、古典芸能の中でも最も世界に誇れる芸能、
「能」を習うことを精力的にお薦めして、その稽古の結果を敢えて、人前で謡ってみる、舞ってみせるという目標をきっちり立てるのが良いと伝えよう。
世の中はどうもすぐに答えを求め過ぎる、もう少し時間をかけて熟成とまではいかなくとも、所謂、寝かすというのも大切で必要ではないだろうか、とも思っていたが、芸事の習い事は下手でもなんでも、まず人前で披露する、それが上達の秘訣、ということを声を大にして言いたくなって来た。
試合に出ないアスリートなんてだめだ。
カネが儲からないからとワールドベースボールに登録しないのは愚か者の為す技だ。
エントリーには少々のカネがかかる、カネをかけて腕を磨く、磨いたものを人前にさらす、そしてもっと光らす。そうなってほしい。
この時代に能をマジで習おうという人はいないものか。
待つしかないのか、いや出向くか・・・、ではどこに?
さて、私の住んでいる小さな公民館での「敬老会」は、参加者の中の老人が謡三番を披露しています。そこで、一年半前に孫世代が披露したら受けるだろうなと考え、地域の子供会で募集しボランティアで教えはじめました。昨年、その子供たちは喝さいを浴び、今年は、仕舞三番に挑戦中です。
この伝統ある芸能を少しでも後世に伝える方法の一つとして、小学生に見せて聞かせてさせてみようと微力ながら実行し始めました。待つより攻めと思われます。古典芸能の衰退を危惧している一人です。
コメント有難うございます。
すばらしいですね、良いアイデアです。
北朝鮮を見習って、こどもの時に教育してしまう。
若い時に能楽を体験させて、身近に感じてもらう、
洗脳?
言葉は不適当かもしれませんが、小学生へのアプローチは効果大だと思います。
頑張って下さい
かげながら応援しています。
ただ、問題は抱えています。
受験・進学・就職などで、お稽古は途切れる覚悟で
教えています。しかし、将来どの流派でも どの先生でもいいから、続けられたらいいね。と、言っています。
中央省庁からの指導で、小中学のうちに能楽を体験するようにとあれば、教授・教士も出番がありそうですが・・・。
とにかくボチボチやってみます。
洗脳活動を(笑)
お稽古ごと・・特に古典芸能の世界のお稽古には独特の香りが致します。粘り強さ。まるで螺旋階段♪のようだなともわたしは思って参りました。どんなに向き合っていても日蔭の時には光を見ることが出来ず、またその反対に陽の差し込む時には今までの暗闇の中での長い苦悩を信じられるような喜びがあります。未来の古典芸能のためにもその種を幼い時に根付かせておくことは、大人になって他のものと比することができない精神の滋養を得る、まさしく宝物ではないかと思う次第です。
また、粟屋先生の舞台を拝見したいと思っております。そして広く古典芸能に関心を持ちたいと改めて思いました。ありがとうございました。
コメント有難うございました。
お互いに日本文化、伝統芸能を守り、広めて行きましょうね。
応援して下さって感謝です。
これからもよろしくお願い申し上げます。