能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

本気で伝えること

2012-07-27 06:14:44 | 言いたいこと・伝えたいこと 
私のまわりに、目くじらを立てて本気で叱る人が少なくなった。
ご先代宗家喜多実先生がご存命中は、父を含めコワイ目が光っていて楽屋は緊張感があり張り詰めたものがあった。あれが今はない。

もっとも最近楽屋働きをはじめた若者たちも緊張しているのかもしれないが、私の感じたものとは違う。以前は緊張と愛がミックスしていた。今、愛は薄目だ。


今は亡き一噌流笛方の名人・藤田大五郎先生は、こと稽古になったら鬼のように怖かったという。その先生の教え子は多く、故一噌幸政先生からはじまり、仙幸先生、庸二先生、そしてもちろん大五郎先生のご子息の朝太郎さんと次郎さんのご兄弟。
「親玉怖かったよ、よくぶん殴られたよ」
と当時の思い出を話して下さったのは、御苗字が一噌の三人の先生だった。

殴る行為の善し悪しは別として、今なぜあのように本気になって、時には拳を上げてまで指導する人が少なくなったのか。私自身、ぶん殴られたことも、えらく怒鳴られた覚えもないのでなんとも言えないが、相手に本当に判ってもらいたい、伝えたいと思うと、ついつい声を荒げ、手が上がってしまうのだろう。これは昔の人の特徴なのか、単なる短気からなのか。きちんと教え込むには体罰が付き物、これが常識だったからか。


今は拳を上げたりしたら逆に注意される時代になった。私も、二度三度同じ注意を重ねると、声は自然と大きくなり拳が上がりかけるが、実際にぶん殴ったことはない。

それはなぜか?

「あんたはどうなの?」
と影のもう一人の自分が私にささやく、から。

なんでもそうだろう。伝える側にはエネルギーがいる。モチベーションを上げて、本気にならないと伝わらない。

我が子、教え子ならば、嫌われたらどうしよう、煙たがれるのも損だし、などとは思わないが

「さて、他人様にそこまでしていいの?」
と、まただれかが耳元でささやく。

しかし、
「もうそろそろ57歳にもなろうとしている大人が、こんな狭い了見でどうする!」
と、また違うもう一人がささやき始めた。

これからの喜多流を鑑み、教え子だけでは無く、喜多流に携わるすべて方々に、自分の意志、こうしたらよい、と思っていることをマジに情熱をもって伝える時が来たと私の身体が感知した。

「少々嫌われようが、損しようが、くたびれても、それが大人の能楽師のやることさ」というささやきに、
「わかったよ」と今は頷いている。


写真 

藤田大五郎三回忌追善記念能番組より
目を光らせていた、名人の皆様(粟谷菊生能語りより)

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
怒るのも仕事のうち。 (水平 知)
2012-07-27 07:21:18
芸も仕事も同じだと思います。
特に、芸術は個人の領域が広いため、
個人の特質や感情もより多く含まれるでしょうが、
それでも、激しく怒っても、手を挙げても(?)
伝えるのが、仕事だと思います。
大変だとは思いますが、是非、頑張って、
粟谷様の芸(風)を、次の世代に伝えて下さい。
応援しています。
※因に、「コメント」の上には、「おごる」と書いてあります。
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お返事 (粟谷明生)
2012-07-27 07:58:22
水平様
コメント有難うございます。
力付けられました、サンキュー

上の「おごる」はそこをクリックすると前日の投稿が見られますよ
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逆も然り (どうきゅうせい)
2012-07-27 09:37:59
雷おやじがいると思えば、黙ってしまって、ひとことも言ってくれない人もいますよね。あとは、見て盗めっていう感じに。

どっちが効率的なんでしょう、なんとも言えないですよね。使い分けでしょうか。

明生先生、ご自身の芯がしっかりしていれば、きっと、そのお姿自体が、説得力となりますよ。
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