粟谷能の会のホームページ「ニュース」と「演能レポート」を久々に更新しました!
ニュースは「幕末の土佐藩能楽師・堀池良一」の記事です。
高知の喜多流愛好家の方が新聞の切り抜き記事を提供して下さいました。
(平成23年10月 高知新聞)
演能レポートは粟谷能の会で勤めた『天鼓』のレポートを投稿しました。
ご覧頂ければ嬉しいです。
今回はPCや携帯のスマートホンなどの画面でも読みやすく、
と、文章の改行をやや多めにしました。
プリントアウトしますと、改行だらけで逆に読みにくいかもしれませんが、お許し下さい。
「こうしたら、読みやすい!」
「こうして!」
とのご意見があれば、私で出来ることならば即刻変えます。
お気軽にお知らせ下さい。
ご意見先
akio@awaya-noh.com
さて、今日は和泉流・狂言師だった故・野村耕介君のことを少々書きます。
彼は本名「耕介」から「野村万之丞」になり、
亡くなって「万蔵」を襲名した、と思います。
(間違っていたら、ご免なさい)
が、しかし私の中では、
ずっ~~と慣れ親しんできた「耕ちゃん」がいます。
時には「コウスケ!」ですが(笑)
耕ちゃんが亡くなられて、もう・・・・7年ぐらいが経つのかな?
確か~私の4歳・5歳年下ですが、
彼は狂言が好きで、舞台が好きで
そのうち芝居も演り、とにかく芸事が好きで舞台監督みたいなこともして
兎に角、マセた奴で「この生意気が!」と思うぐらいでした、あはは
「そもそも舞台ってと言うものはね、こうなの、あれじゃだめなんだよ~~」
と、年上の私や森君に説教をたれるほど
「あっくんなら判るよね、このままの能楽界じゃ、だめになるよ」
「・・・・?」
「もっと舞台意識を強くもって、演じるっていう感じを出してね・・・・わかる?」
「?・・・・・は~、 う~、そうかもね・・・・・」
と私はタジタジで、
常ちゃんは、というと
「コウスケ!ばか言ってんじゃね~よ、なんだそれ、なあアッ君?」
と相槌を求められ、私は
「そうそう」なんて完全な風見鶏体制。
兎に角、お勉強させられたもんです。
今回の『天鼓』でアイを勤めてくれた野村太一郎くんはその耕ちゃんの息子さんです。
一緒の舞台を勤めていて・・・・
なんだか不思議な感覚、胸が熱くなる、と言うか・・・
なんか、私の身体が興奮を覚える感じ、と言うのか・・・・
妙な感動みたいなもの・・・・
言いようもない、なんか特別な気持ちになった。
天鼓のアイは「送り込み」です。
「送り込み」とは、アイが前シテの後から言葉を掛けながら、シテを家(揚げ幕)に送る演出です。
シテはアイの言葉の量と喋るスピードを計算して、
尚かつ、演技の心を忘れずに歩む(退場)しるのが心得です。
私がこの送り込まれるとき、なにを心中に思っていたかお判りですか?
それは・・・・・
「耕ちゃん、あなたの息子が演りやすいように、演ってあげるから安心しな・・・」です
今回の『天鼓』は父親や親友が逝ってしまった、そんな経験をもとに
なんか悲しいものが私の体内に宿り出生したるものなのです。
舞台芸術は花火のよう
ぱっと散り、さっと消えてしまいますが、
演能レポートやデジブックを駆使し、
できる限り舞台を、後の世に残したい、と思っている今日この頃です
演能レポートこちら
ニュースは「幕末の土佐藩能楽師・堀池良一」の記事です。
高知の喜多流愛好家の方が新聞の切り抜き記事を提供して下さいました。
(平成23年10月 高知新聞)
演能レポートは粟谷能の会で勤めた『天鼓』のレポートを投稿しました。
ご覧頂ければ嬉しいです。
今回はPCや携帯のスマートホンなどの画面でも読みやすく、
と、文章の改行をやや多めにしました。
プリントアウトしますと、改行だらけで逆に読みにくいかもしれませんが、お許し下さい。
「こうしたら、読みやすい!」
「こうして!」
とのご意見があれば、私で出来ることならば即刻変えます。
お気軽にお知らせ下さい。
ご意見先
akio@awaya-noh.com
さて、今日は和泉流・狂言師だった故・野村耕介君のことを少々書きます。
彼は本名「耕介」から「野村万之丞」になり、
亡くなって「万蔵」を襲名した、と思います。
(間違っていたら、ご免なさい)
が、しかし私の中では、
ずっ~~と慣れ親しんできた「耕ちゃん」がいます。
時には「コウスケ!」ですが(笑)
耕ちゃんが亡くなられて、もう・・・・7年ぐらいが経つのかな?
確か~私の4歳・5歳年下ですが、
彼は狂言が好きで、舞台が好きで
そのうち芝居も演り、とにかく芸事が好きで舞台監督みたいなこともして
兎に角、マセた奴で「この生意気が!」と思うぐらいでした、あはは
「そもそも舞台ってと言うものはね、こうなの、あれじゃだめなんだよ~~」
と、年上の私や森君に説教をたれるほど
「あっくんなら判るよね、このままの能楽界じゃ、だめになるよ」
「・・・・?」
「もっと舞台意識を強くもって、演じるっていう感じを出してね・・・・わかる?」
「?・・・・・は~、 う~、そうかもね・・・・・」
と私はタジタジで、
常ちゃんは、というと
「コウスケ!ばか言ってんじゃね~よ、なんだそれ、なあアッ君?」
と相槌を求められ、私は
「そうそう」なんて完全な風見鶏体制。
兎に角、お勉強させられたもんです。
今回の『天鼓』でアイを勤めてくれた野村太一郎くんはその耕ちゃんの息子さんです。
一緒の舞台を勤めていて・・・・
なんだか不思議な感覚、胸が熱くなる、と言うか・・・
なんか、私の身体が興奮を覚える感じ、と言うのか・・・・
妙な感動みたいなもの・・・・
言いようもない、なんか特別な気持ちになった。
天鼓のアイは「送り込み」です。
「送り込み」とは、アイが前シテの後から言葉を掛けながら、シテを家(揚げ幕)に送る演出です。
シテはアイの言葉の量と喋るスピードを計算して、
尚かつ、演技の心を忘れずに歩む(退場)しるのが心得です。
私がこの送り込まれるとき、なにを心中に思っていたかお判りですか?
それは・・・・・
「耕ちゃん、あなたの息子が演りやすいように、演ってあげるから安心しな・・・」です
今回の『天鼓』は父親や親友が逝ってしまった、そんな経験をもとに
なんか悲しいものが私の体内に宿り出生したるものなのです。
舞台芸術は花火のよう
ぱっと散り、さっと消えてしまいますが、
演能レポートやデジブックを駆使し、
できる限り舞台を、後の世に残したい、と思っている今日この頃です
演能レポートこちら
こうすけちゃん(天国の万蔵さん、ごめんなさい)は、そうです、我々の四学年下です。いろいろと考えていらしたことは、我々にも伝わってきていましたよ、本当に残念でしたね。
それにしても、あの太一郎氏が坊ちゃんだなんてびっくり!ご立派でしたね、なるほど、どんどん我々が年取るわけです・・・
繰り返しになりますが、みなさまの『舞台意識』は、信じられないかも知れないけれど、我々シロートの観客に、意外とわかっちゃうものなんですよ。ほんとよ。どのような舞台芸能にも通じることです。
では、お元気で、益々のご活躍を。
コメント有難うございます。
若い能楽師、狂言師の応援よろしくお願い申し上げます。
私の今年の演能はもうありません
次回は、来年の3月4日の粟谷能の会『景清』です。
皆様のご来場をお待ちしています。
お友達誘って下さいね、ヨロシク
耕介様を偲びます時、耕介様がさらにご長命でしたら、明夫様も暁夫様も、さらに実験的な舞台にかかわる機会が おそらく 多くなっていたのでしょうね なんて事も想います。
コメント有難うございます。
そうですね、コウスケ君はちょっと時代を先取りしすぎたみたいですね
今生きていたら・・・ちょうどよい塩梅だったかも・・・
でも、次男の良介君が万蔵を襲名してがんばっています
太一郎くんの指導もしているようですから、皆様の応援よろしくお願い申し上げます。
ワキ「親子の證にて鼓の鳴る事。・・老人夫婦には数の宝を與えらるべきなり。まずまず私宅に帰り候へ。」
シテ「あら有難きやさらば罷り帰り候はん。」
ワキ「いかに誰かある。老人を私宅へ送り候へ。」
アイ「御前に候ふ」
となっていますが・・。多分この流れは不自然!
ワキ「いかに誰かある。老人を私宅へ送り候へ」
アイ「御前に候ふ」
と本舞台にあがり、老人の後身を暖かく支え上げて立たせ、送り出す。
シテは、「あら有難きやさらば罷り帰り候はん」と、重圧から解放された安堵と帝を見返した天鼓少年の本懐に嬉々として、老人にしては橋掛を駆るように幕入りする演出があったのです!
と、自己解釈していたのですが、背景には、明生師の温かい眼差しがあったのですね!天鼓で、耕介師の息子さんを起用したのも、秘めた思い出があったという熱い気風を感じました!
コメント有難うございます。
「あら有難や候、さらば罷り帰り候はん」は、自分としては謡たくなかったので、シテの謡いだけ割愛しようとしましたら、森常好さんから、「アイ狂言と言葉が重ねるので弄鼓では直ぐにアイを呼び出しているよ」といわれましたので、それに従いました。
「太一郎君を天鼓のアイにお願いします」と粟谷能の会から萬狂言に依頼してはいませんが・・・
ただ、配役が太一郎君でしたので、ちょっと気にかかって・・・・
うまくやらせてあげたいな~という初老心ですよ(笑)