紫陽花が咲きはじめました。
『小塩』の後シテは在原業平の霊で、在原業平自身が登場する演目は『小塩』と『雲林院』の二曲です。
『小塩』は業平の霊が花見車に乗って
♪「月やあらぬ
春や昔の春ならぬ
我が身ぞもとの
身も知らじ」
と、声の調子を張って高音で謡います。
一方『雲林院』は
♪「月やあらぬ
春や昔の春ならぬ
我が身ひとつは
もとの身にして」
と、こちらは調子を押さえ、低音で謡います。
意味は
「月も春も 昔のままではないけれど 私だけは元のままですよ」
ですが『小塩』ではそれを踏まえ
「月も春も昔のそれではなく、私だけは昔のままの姿なのだが、その当時の私を(あなたは)見知るはずもあるまい」
と、ワキに向かって呼びかけています。
能の演目を明生風に陰陽で分類すると、一声(いっせい)の謡の調子から『小塩』は「陽」で『雲林院』は「陰」であるように思われます。
今迄の喜多流の『小塩』は、シテ謡も地謡も、比較的大事にゆっくり丁寧に「陰」を基本としていたように思われますが、どうも不似合いに感じます。
業平の二条の后への懐旧と遊舞の舞に翳りはありますが、それよりは逆に衰えぬ色好みの輝きを舞台上に押し出す「陽」の気で演じた方が良いのではないでしょうか?
このご時世に気になる言葉を並べるのはいかがなものですが、少し熱っぽく、開放的で軽快な陽気な爺さんと業平の霊を演じたい、と思っています。
つづく